16日 4月 2021
まだ少し早いのですが、新しい野菜の苗を植えました。教会の子どもたちと収穫するのが楽しみです。今日のデボーションは詩篇95篇から。「さあ、主に向かって喜び歌おう。」神賛美への招き。来会自粛の中ですが、礼拝の中心は聖書朗読と説教、そして賛美です。牧師にとって教会にだれも人がこないことほど辛いことはありませんが、ここは忍耐の時と思っています。雪が降ろうと真夏のカンカン照りの日であろうと休まず礼拝に来られていた方も、今は皆さん自宅での礼拝ですから、賛美も遠慮がちになられることでしょう。でも、心の中では思いっきり主をほめたたえたいものです。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。」私たちの心をご存知である主は、私たちが自分の手の中で握りしめているものを知っておられます。来会の自粛ではあっても、礼拝の自粛などはありません。心を主に明け渡して、心からの礼拝を献げていきましょう。
14日 4月 2021
今日の水曜祈祷会からすべての諸集会への来会自粛をお願いすることになりました。教会に来るのを楽しみにされている方々には再びご心労をおかけすることになります。大阪の感染者数は1130人となり、病院も逼迫し、重傷者数も急増する中、どんなに万全な感染対策を講じても、今は安心して皆さまをお迎えする状況にないと判断しました。教会としても苦渋の決断ですが、ご理解を賜りますようお願い致します。今日のデボーションはⅡテサロニケ2:1から『苦難に遭う時にも』というテーマで御言葉を学びました。パウロは迫害と苦難に耐えながら、忍耐と信仰を保っている教会に励ましのメッセージを送りました。形は違えど、今日も目に見えないウィルスとの戦いの中で、だれもが大きなストレスを抱えて歩んでいます。「しかし、主に愛されている兄弟たち。」私たちはどんな状況下にあっても、主に愛されている兄弟姉妹であることをいつも思い出したいと思います。
13日 4月 2021
関西キリスト災害ネットワーク・第四回懇談会がありました。今回もZOOMでの開催となりましたが、素晴らしい講演者と参加者の方々に恵まれ、有意義な懇談の時となりました。防災士のゴスペル亭パウロさんの落語に始まり、コロナ禍における災害支援を経験された九キ災の市来氏、現実的な教会の避難訓練の勧めとして久保田氏、関キ災の発足経緯と今後の展望について安達師が、それぞれ講演・情報共有をしてくださいました。南海トラフ大地震は今後30年間で70~80%の確立で発生すると言われます。教会が地域との繋がりの中でどんな備えが必要か、教会間のネットワークがいかに重要かを再確認しました。懇談会が終わるタイミングで、和歌山で震度3の地震が発生し、また大阪のコロナ感染者数が過去最多の1099人というニュースが入ってきました。明日から来会の自粛をお願いすることになりますが、皆さまの健康と安全が保たれるように心からお祈りしています。
09日 4月 2021
4月第二主日、今日は教会創立27周年記念礼拝でした。牧落の小さな貸家から始まって、貸ビルのテナントを経て、現在は教会堂が与えられました。今はコロナ禍にあって、三部に分かれたり、オンラインで礼拝を献げたり、みんなで一堂に会することはできない中ですが、ここまでの守りと導きを心から主に感謝いたします。礼拝では、クリスマスからマタイの福音書を続けて学んできましたが、今日のイエスさまの大宣教命令をもって一区切りとなりました。「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」まさにインマヌエルの預言から始まって、インマヌエルの約束で終わる福音書。私たちが苦難を通る時も、主を忘れかけても、そのすべての日々に主はともにおられます。いつの時代も、世界宣教と弟子作りは教会の使命ですが、この復活の主の約束があってこそ達成されるものです。これからも先立つ主に期待しつつ、歩んでいきたいと思います。
08日 4月 2021
今日からハートフル英会話・春期コースがスタートしました。キッズの最年少は4歳から、大人の最高齢は70代まで、幅広い年齢層の方が受講してくださっています。ネイティブの講師は二人とも教え方も上手で、またさまざまな趣味をお持ちなので話題も豊富、しかも敬虔なクリスチャン。どのクラスも皆さん仲が良く、笑い声が絶えない、和やかな雰囲気です。教会ならではのチャペルタイムもあって、聖書の世界も垣間見ることができます。ご興味のある方はオブザーバー(無料体験クラス)としてクラスに参加できますので、教会までご連絡ください。大阪も新型コロナウィルスの感染再拡大が心配される中ですが、マスク着用はもちろん、アクリル板や高性能空気洗浄機、こまめな換気、アルコール消毒などできる限りの感染予防対策をしてクラスを行っています。何よりこのコロナ禍の状況が収束へと向かい、皆さまのご家族とご健康が支えられますようにお祈りしております。
07日 4月 2021
4月最初の水曜祈祷会がありました。Ⅰ歴代誌6章はレビ族の系図と居住地について記しています。捕囚からの帰還民の中で、神殿を再建し、礼拝を確立するために重要な役割を果たしたのはレビ族でした。彼らは一つの町にまとまってではなく、イスラエル全土の中に分散して住む場所が与えられました。それは彼らを通して示される神の教えと信仰の歩みが、イスラエルの隅々まで語り続けられることを意味していたのです。そこから、今日のクリスチャンが人々の中に住み、教会が人々の身近な所にあることの意義を考えました。「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」私たちはみな、神によって選ばれ、クリスチャンにならせていただきました。それは私たちの側に何か特別な理由があったからではなく、神の一方的な恵みによるものです。そして、神はそんな私たちが「行って実を結ぶ」ことを期待しているのです。
07日 4月 2021
教会に来たばかりの頃、『救い』という言葉を聞いて、いったい何から救われるのだろうと思いました。きっと孤独から解放されるとか、病気が癒されるとか…そういう類のものと思っていましたが、キリスト教の『救い』は、罪からの救いであり、またその結果であるいっさいのものからの救いと聞いて驚きました。聖書でいう罪とは何か、自分は何を知らなければならないのかが全く分かっていませんでした。これが腑に落ちるまでには随分時間がかかったように思います。救いに関して大切なのは、何より救ってくださる方、つまり信仰の対象がどういう方であるかです。信じても救ってもらえないようなものを信じても何にもなりません。私たちが信じる方は、天地万物の創造主であり、私たちの救いのために人となってこの世に来られた主イエス・キリストです。「主の御名を呼び求める者はみな救われる。」差し出された『救い』を感謝して受け取る、これが最初の一歩です。
06日 4月 2021
新年度を迎えて、学校や職場で新生活が始まった方も多いのではないでしょうか。期待と不安が入り混じる時期かもしれません。信仰生活も始まったばかりの頃は、戸惑うことが多いと思います。聖書も、聖歌も、礼拝メッセージも…目新しいことばかりで覚えるのに大変です。私も26歳の頃、初めて教会に行った時そうでした。こんなに何もかもチンプンカンプンで、他の人たちについていけるか心配になりました。また、周りの方々がとても立派に見えて、自分のような未経験の新参者が場違いなところに来てしまったと思ったものです。それでもこうして今もクリスチャンとしていられるのは、ひとえに主の恵みと憐れみによるものです。「ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」三歩進んで二歩下がるような信仰生活でも、復活の主はともに歩んで助けてくださいます。どうか無理しない信仰生活で、一つずつ楽しんでください。
04日 4月 2021
4月第一主日はイースター記念礼拝でした。今もなおコロナ禍が続く中ですが、復活の主をほめたたえ心からの礼拝をささげました。イエスさまは十字架の上で死に、その日のうちに墓に葬られました。週の初めの日、マリヤたちが遺体に香油を塗ろうと思って墓にくると、御使いが現れ「ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。」と告げました。そして、恐ろしくはあっても喜びに包まれた彼女たちの前に、よみがえられたイエスさまが現われてくださったのです。何事も科学的証明が求められる時代、復活の知らせは多くの方には信じがたいことでしょう。それは、世界で最初のイースターも同じでした。でも、私たちにとっての「ガリラヤ」、信仰者の原点はやはりイエスさまの復活にあることを再確認しました。短い時間の中でしたが久しぶりにお会いする方や初めて礼拝に来てくださった方々がいて、本当に祝福にあふれる一日でした。
01日 4月 2021
昨日は受難週の水曜祈祷会でした。詩篇94篇は「復讐の神よ、光を放ってください。…高ぶる者に報復してください。」という悪しき者に対する詩人の嘆きの祈りで始まります。彼らは、神を侮り、放言、横柄、不法を行う者たちでした。信仰者であっても、理不尽な扱いを受けたり、いわれのない非難を受けたりすれば、腹立たしく思うこともあります。ただそうした思いを抱きつつも、問題はそれをどのように処理するかです。詩人は祈りの中で、導かれていきました。「なんと幸いなことでしょう。主よ、あなたに戒められ、あなたのみおしえを教えられる人は。…まことに主は、ご自分の民を見放さず、ご自分のゆずりの民を、お見捨てになりません。」復讐してくださいという願いは、祈りのうちに、主が最善をなしてくださるという確信に変えられていきました。自分で行き過ぎた報復をする前に、一呼吸おいて…祈りのうちに魂が取り扱われる幸いにあずかりたいものです。