だれが知るだろうか…

受難週の水曜日、マタイとマルコの福音書には、自分が持っている精一杯のものを献げたマグダラのマリヤと主イエスを裏切って金銭を得ようとしたイスカリオテのユダが対象的に描かれています。ご自分の十字架の死が迫る中、主イエスはこの二人をどのように見ておられたのか…。今日の水曜祈祷会は、教会には集まらず、LINEグループ通話を使って行いました。伝道者の書6章~「だれが知るだろうか。影のように過ごす、空しい人生において、何が人のために良いことなのかを。」神を知らず、神を求めない人生…それは何と空しい人生でしょう。何が人のために良いことなのか…結論は最終章まで明かされずに進みますが、今、この新型コロナウィルスの苦難のただ中にある私たちもじっくり自己吟味したい御言葉です。マグダラのマリヤはその答えをもっていたのでしょう…。