私たちの平安の根拠…

教会のデボーションはヨハネ20:19から。昨日は、泣いていたマグダラのマリアに「なぜ泣いているのですか」とイエスさまが声をかけられたところからでした。私たちも悲しみに暮れて、目の前が真っ暗になってしまうことがあります。でも、そんな時こそ、ともにおられるイエスさまの御声を聴くことがあるのです。今朝の箇所でも、弟子たちがユダヤ人を恐れて戸に鍵をかけて肩を寄せ合っている所に「平安があなたがたにあるように」とイエスさまが声をかけられました。それは、イエスさまは今も生きておられて、私たちの状況をよく知り、側に寄り添って声をかけてくださることを暗示しています。トマスは『自分の目で見て、手で触ってみるまでは決して信じない』と言っていました。同じようなことを今もよく耳にしますが、イエスさまは「見ないで信じる人たちは幸いです。」と言われました。悲しみや痛みの中にある方に、主の御声が聞こえるように祈っています。