教会内の活動&牧師ブログ

あなたは教会にどんなイメージをお持ちですか?厳かに礼拝を捧げる、敬虔なクリスチャンが集まる、お年寄りが多い、堅苦しい話しを聞かされる、信仰を勧められる…など。確かにそういう面もあるかもしれませんが、実際に行ってみると、思ったより敷居も高くなく、堅苦しい決まりもなく、洗礼を受けていなくても大丈夫、老若男女だれもがリラックスして過ごせる場所です。ここでは、MGBCの日常の様子を牧師の雑感、備忘録日記でご紹介しています。(何かご質問やコメントなどがありましたら、お気軽にこちらまでお願い致します

疲れやすい変化の時期…

4月は年度替わりで、大人も子どもも周りの環境や関わる人が大きく変わる時期です。また、朝晩の気温の変化も大きいので、体調のコントールも難しい時期。ただでさえ、気づかないうちに疲れやストレスをためやすいのに、今年に限っては新型コロナウィルスの影響で、張りつめた思いで生活をされている方が多いのではないでしょうか。私も朝起きて、まず自分の体調に変化がないかを確認する習慣がついてきました。今日もまた箕面市で新型コロナに感染された方が確認されましたが、もはや自分を含めて、いつどこでだれが感染者でも不思議ではありません。政府の専門家会議もこのままではオーバーシュートの前に医療崩壊が起こるとの見解を示しました。「いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。」最も安全なシェルター、それは全能者なる神の懐です。

希望の種を植えよう…

新型コロナウィルス感染症の世界への影響は、感染者数882,106人、死者数44,136人、回復数185,067人、軽症者619,155人、重症者33,748人、世界190の国々に広がりました。主の慰めと癒しを心よりお祈り致します。そうした中で、日本はまだ非常事態宣言は出でいませんが、今日も東京都の一日の感染者は過去最高の97人に、大阪府は都立学校の休校を5月6日まで延長することを決めました。先のことを思うと気持ちも滅入ってきそうですが、今日は天気も回復したので新しい野菜の種を買ってきました。種は希望の象徴です。種は蒔かれると、一時的に種としての自己は失われますが、それによって新しい収穫が期待できます。「一粒の種が地に落ちて死ななければ…」希望の実を結ぶために、私自身も今ここにあるものを失う覚悟で前に進むことが必要であることを思わされました。

そうすれば…救われます

4月最初の水曜祈祷会。今日はLINEのグループ通話を使って、鹿児島に帰省中の姉妹も、しばらく教会を休まれていた兄弟も、多くの方が参加してくださいました。試験的な取り組みでしたが、聖書を輪読し、祈りの課題も分かち合って、良い交わりができました。今日の箇所は詩篇80篇~。詩人は、あの繁栄していた時代を思い出して、主に祈りをささげました。「神よ 私たちを元に戻し、御顔を照り輝かせてください。そうすれば 私たちは救われます。」国が滅ぼされ、絶望のどん底を味わって初めて、過去の過ちを反省するようになったイスラエルの民…。人は、落ちるところまで落ちないと気づかないということがあります。でも、そこまで行けば、あとは上を見上げ、御顔を仰ぎ見るだけです。全てのできごとの背後には神がおられる、そう信じればこその祈りなのです。

今ここにない未来…

希望に向かっていく時、人は変革を余儀なくされる。変化をただ得るわけにはいかず、変化する時に何かを失わなければならない。つまり「今ここにあるもの」を捨てて、「今ここにない未来」を獲得しようとすることである…今日はこの言葉が心に留まりました。教会の中には大病と戦っている方々がいます。そうした方々を少しでも励ましたいと思ってブログも更新していますが、なかなかパソコンを開くのも難しいとのこと…。今は新型コロナの影響もあってご家庭を訪問することも躊躇してしまいます。日本政府は緊急事態宣言を発令するかどうかが焦点になっています。非常時における礼拝・祈祷会も新たに心積もりしておかないといけません。まずは明日から試験的にLINEでの水曜祈祷会を始めます。何より希望を失わずに『今ここにない未来』に向かって進みたいと思います。

主よ、いつまでですか…

詩篇79篇~「主よ、いつまでですか。とこしえに、あなたはお怒りになるのですか。」人生には『いつまでですか…』と神に訴えるような時があります。日常が奪われ、混乱した状態の中で、神の怒りは、際限なく続くように感じられます。新型コロナウィルスによる世界の死者数が3万人を超え、今朝の志村けんさんの訃報にもショックを受けられた方も多いのではないでしょうか。教会も70歳以上の方が来られますので、あらためて感染予防のために最大限の配慮が必要なことを思わされました。主よ、いつまでですか…。それは、すべてをご存知であるお方が聞いていてくださるからこその言葉です。私たちが苦しんでいる時、神はどこか遠くからその様子をながめていることはなく、苦難のただ中で、ともに苦しんでくださっているのです。今こそ、救いの神に助けを求めましょう。

本当に恐れるべきは…

オリンピック中止の発表と同時に、新型コロナの感染者数は急増してきました。箕面市でも4人目の感染者が確認され、身近なところまで迫ってきている感じがします。こうした中で終末を感じているという方も多いのではないでしょうか。イエスさまも弟子たちに「終末のしるし」について質問された時、戦争、暴動、大地震、飢饉、疫病…が起こると答えられました。ただそこで言われたことは、私たちがこれまで経験してきたものとは比べ物にならない、さらに過酷なもの。人間の想定など遥かに超えた天変地異です。今こうした状況下で本当に恐れるべきは、何の霊的平安もなく、かの日に神の御前に立つことです。「私たちはさばきの日に確信を持つことができる」過度な情報に振り回されないで、正しく恐れることを学びたいものです。終わりの日は突然訪れるのですから。

神の愛のうちに…

三月の第五主日。大阪府も週末の外出自粛要請が出る中、主の憐れみのうちに礼拝を献げることができました。あらためて週の初めの礼拝は、自分にとってかけがえのない時間であることを再認識している方も多いのではないでしょうか。教会に行きたいけど、他の人のことも考えてあえて自宅で礼拝を献げている方々もいます。『主よ、憐れんでください…』と祈っていると、小さな女の子がそっと手紙を渡してくれました。『がんばれ』そのさり気ない優しさにとても勇気づけられました。「神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。」こうした状況下にあっても、この御言葉が真実であること、そして、自分も今この交わりの中におかれていることの感謝が溢れてきました。今の地上の歩みは、毎日が永遠への備えなのです。

私が弱り果てたのは…

詩篇77篇~。詩人はいつ終わるともわからない苦難の中で主に叫び求めますが、答えはありません。過去の記憶を思い起こして平安を得ようとしてもダメでした。世界各地で外出禁止令が出るなど、新型コロナウィルスと人類との戦いも新たなステージに入ったように感じます。ここからオーバーシュート(爆発的患者急増)になるか、終息に向かうのか…瀬戸際と言っても過言ではないでしょう。予想もしなかった3月でしたが…何とか守られたことを感謝して、希望をもって4月を迎えたいものです。「私が弱り果てたのは、いと高き方の右の手が変わったからだ。…私はあなたのなさったすべてのことを思い巡らし、あなたの御業を静かに考えます。」詩人が冷静さを取り戻したのは生ける神を思い出したからです。苦しみは永遠には続かない。苦難の先には栄光が待っているのです。