教会内の活動&牧師ブログ

あなたは「教会」にどのようなイメージをお持ちですか?厳かに礼拝を捧げる、敬虔なクリスチャンが集まる、お年寄りが多い、堅苦しい話しを聞かされる、信仰を勧められる…など。確かにそういう面もあるかもしれません。でも、実際に行ってみると、思ったより敷居は高くなく、洗礼を受けてない方も来られていて、年齢も老若男女さまざま…だれもがリラックスして過ごせる場所だと思います。ここではMGBCの日常の様子を牧師の備忘録日記でご紹介しています。ご質問やコメントなどがありましたら、お気軽こちらまでお願い致します。


心は内に燃えて…

イースターの青空に十字架の雲が見えました。メッセージのタイトル「心は内に燃えて」について、夕拝後にある青年が「心ってどこにあるのでしょう」と哲学的ないい質問をしてくれました。心を込めて…心を尽くして…と言ったりしますが、それは感情か…人格か…そもそも場所ではないのか…。はっきりした答えは出ませんでしたが、いろいろ話し合っているうちに時間はあっという間に過ぎ…。でも、不思議とある方は「教会に来る前は気持ちも暗かったのですが、なんだか少し元気が出てきました。」と言って帰られました。エマオの弟子たちもそんな気持ちだったのか。確かなことは主はここにもおられて話しを聞いておられたことです。詩篇119:18「私の目を開いてください」聖霊の内住、聖霊の照明を期待して、私も聖書から心の目を開いていただきたいと思いました。

キッズ&ファミリーイースター2019

今日は復活祭の礼拝で、アンダンテの格調高い特別賛美がありました。メッセージはルカ24:13~、エマオへ向かう二人の弟子の前に復活の主が現れる場面。ルカの丁寧な描写のお陰で、まるで映画のワンシーンを観ているような思いになります。主は失望落胆して歩く弟子たちに、そっと近づいて声をかけられ、聖書から復活の事実を解き明かし、彼らの心を燃やされました。「我らと共に留まれ、時夕べに及びて、日も早や暮れんとす。」目が開かれた彼らは復活の証人としてエルサレムへと戻っていく…。主は今日の私たちにも同じように働いてくださることを感じました。午後からはキッズ&ファミリーイースターがあって、少人数でしたがその分アットホームないい時間が持てました。劇後のメッセージに真剣に耳を傾けくれて、信仰の決心にもみんなが手を上げてくれました。

墓の入口を塞ぐ石…

今日のチャペルタイムは、レイチェルさんが創世記からお話ししてくださいました。彼女の手作り教材のお陰で天地創造がよくわかりました。さて、イースターも近づいてきたので、子ども会で使う「墓の入口を塞ぐ石」を作りました。ここまで大きくはなかったかもしれませんが…新約聖書の時代は石灰岩の壁に墓が掘られ、その入口には男性が2~3人で動かすほどの大きな石が立てかけてあったそうです。イエスがよみがえられた時、すでにこの石は脇に転がされていました。お陰で香料をもってきた女たちは、墓の中に入ることができ、最初の復活の証人となったのです。私たちの人生にも大きな石が立ち塞がることがあります。でも、神はそれを不思議な方法で脇に転がしてくださるのです。午後はCGNTVの集まりがあり、敬愛する先生方に久しぶりにお会いして感謝でした。

失敗から学ばなければ…

今日の祈祷会はⅠサムエル14章から。宿敵ペリシテ人との戦いを前に、イスラエル初代王サウルと息子ヨナタンの言動はすれ違っていました。父と息子、それぞれ信仰に立って行動したはずですが、もう少し互いを信頼して話し合い、祈りながら進めていたら、周囲を悩ますこともなく、違った展開になっていたはず。私たちも「これは良いことだ」「主のためだ」と思って行動したことが、いつの間にか自分の思いが先行して独断的になっていることがないでしょうか。「あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。」教会前を掃除していると、ご近所の方から「お花がきれいですね」と声をかけられ気を良くしましたが、思えば教会の方に相談せずにまた鉢植えを増やしてしまったのはどうなのか…と、早速、自責の念が。失敗から学ばなければなりません。

黙想の家へ…

パリのノートルダム大聖堂で大規模火災が発生しました。原因ははっきりしていませんが、修復には数十年かかるとのこと…。800年も歴史ある世界遺産がたった一日で燃えてしまったのですから、フランス市民のみならずなんとも心痛むニュースです。さて、今日は病院の付添いに行った帰りに、久しぶりにカトリックの黙想の家を訪ねました。静寂な御堂に入ると、自然と祈りの姿勢が整い、心も落ち着き、背筋も伸びるという感じです。今週は「聖週間」ということで何かあるかなと期待しましたが…信者の方が丁寧に説明してくださって、十字架からご復活のことなどいろいろと話せて感謝でした。「父よ。彼らを赦し給え。その為す所を知らざればなり。」しばらく黙想して御堂を後にし、入口の高山右近の銅像に一礼して、途中ミミズクにも見送られながら、帰ってきました。

受難週 Passion Week

土曜日はキッズワーシップ集会ARISE JAPANが福島区民センターで行われ、子どもたちの元気な賛美が響きました。次世代の宣教を覚えて始まったこの働きも10年目を迎え、私自身の出番は少なくなってきました。…ということで、今週からいよいよ受難週が始まります。イエス・キリストの十字架の苦難を覚える一週間。礼拝ではルカ23:43~「十字架の主を見上げて」というテーマでメッセージを聴きました。イエスが十字架上で語られた3つの言葉。「父よ、わが霊を御手にゆだねます」イエスは父なる神の御旨に従って、すべての使命を為し終えて、この祈りの言葉をもって息を引き取られました。昔からユダヤ人には馴染み深い、詩篇31:5の「夕べの祈り」。イエスを信じる私たちも、人生の夕べを迎える時にこの祈りをもって休めるのは幸いです。月曜日は馴染みのお花屋さんへ…。

命の息吹を感じる時期

昨年植えたそら豆はいつの間にか私の身長ほどにも成長しました。少し切った方がいいのかもしませんが。また、スナップエンドウにもたくさんの実がつき始め、あの小さな種がこんなにも大きく成長して実をつけるようになるとは不思議です。一方で、すっかり落葉して枯れ枝のようになっていたキウイ、アジサイ、イチジクにも若葉が出始め、こちらも命の息吹がもどってきました。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。」TDLなどの影響か…「イースター」という言葉もだいぶ浸透してきたようで、最近は「イースターとウサギってどういう関係があるのですか」などの質問をよく聞きます。良い影響なのか、悪い影響なのか、よくわかりませんが💦この時期、ぜひその真意はお近くの教会でお確かめいただければ幸いです(^_^;)

ハートフル英会話春期コース

2019年度のハートフル英会話春期コースが始まりました。三人の方がオブザーバーとしてクラスに入ってくださり、気持ちも新たなスタートです。最高齢は92歳の方でしたが、「英語をもっと上達したくて」という思いに感服しました。日野原重明先生の「いくつになっても創めることを忘れない」という言葉を思い出し、老いとはどれだけ長く生きたかよりも、どう生きたかの証しなのだと感じました。夕方からはキッズクラスも始まって、元気いっぱいの子どもたちがやって来て、教会が賑やかになりました。クラスが終わった後で、彼らと遊ぶのが楽しみです。少し暖かくなって春を感じたオオクワガタも「僕を忘れてないか」とひょっこり顔を出し、収穫が終わった大根もいつの間にか可愛い花を咲かせ…みんな何かとがんばっているので、私も負けじと夜のウォーキングに。

変えるべきは何か…

今日の祈祷会はⅠサムエル記8章から。イスラエルの民は、自分たちの利己的な理由、年老いたサムエルへの不満などから新しい王を立ててくださいと願い出ました。それは民の不信仰の表われであり、サムエルの背後にある主を退けることでした。ここをきっかけにイスラエルの歴史は「王制導入」という大きな転換期を迎えていきます。変えるべきは社会体制だったのか、それとも民の態度だったのか。たとえ神の御心であったとして勇み足にならないようにしたいもの。あらためて自分にも置き換えて考えさせられる箇所でした。午後は土曜日のARISE本番に向けて6時過ぎまでKFSMのミーティング。夜の祈祷会は少数精鋭でしたが、豊かな夕食を頂いた後、しっかり御言葉の分かち合いと祈りの時間がもてました。「しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。

何かと気忙しい日…

年度が替わる春は何かと気忙しいものです。学校では入学式も終わって、そろそろ新学期が始まる頃でしょうか。さっそく学校に行くのが辛い子たちもいるようですが…まぁ無理をしないで、気長に新しい環境やクラスメイトに慣れて行けたらいいですね。私もこの時期、なんか身体も重く、しっかり寝ているのに疲れが取れない感じです。これも「春眠暁を覚えず」の影響なのか。今日は先延ばしにしてきた教会車の乗り換え手続きに奔走しました。今の車も次の車も譲渡していただいたものなので、名変などの手続きが少し厄介で往生しました。そんな日にCGNTVの撮影もあって…てんやわんやの一日。こんな日こそ、「落ち着いて、信頼すれば、力を得る。」です。明日の祈祷会で静まって御言葉を分かち合うのが楽しみ。午後はなが~いKFSMミーティングもありますが💦

創立25周年記念礼拝

今日は創立25周年の記念礼拝をささげました。牧落駅前の小さな借家から始まった開拓教会が、今も少しずつ成長をしているのは主の憐れみと多くの方々の祈りのおかげです。感謝いたします。メッセージはルカ22:14~「新しい契約に生きる」でした。イエスが弟子たちと一緒にするのを切に願われた「過越の祭り」は、この地上での「最後の晩餐」であり、古い儀式律法は新しい契約に改められ、今の「聖餐式」の形に受け継がれました。あらためてその起源を学び、今日の聖餐式はいつも以上に感慨深く受けさせていただきました。「これは、あなたがたのために与えられる、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」こうして神の家族の一員として「聖餐式」の恵みにあずかれる幸いを思わされました。全体写真を撮るのを忘れたのは無念です…。

桜を愛でながら…

昨日はキング牧師がメンフィスで凶弾に倒れた日でした。39歳の彼は前日の説教で「私も長生きはしたいが、それよりも神の意志を実現したい」と語りました。彼が生きた時代、苦難、その思い…全てを理解することはできませんが、彼のことを思い出す度に、私自身の召命(Calling)についても考えさせられます。「牧師」とは、私にとって畏れ多い務めです。それは「職業」というより、自分の「生き方」として選ばせていただいたように思います。ならば…ともかく神の名を汚さないように、一つ一つの出会いを大切にして、救われる魂のために、神の意志を実現していきたいものです。今年も満開の桜のトンネルを愛でながら、同じ景色は二度と見られないことを覚えつつ、「一日一生」を心掛けたいと思わされました。トラクト配布もあと少し、読みたい本に手が届くのもあと少し。

ハンナの賛歌

年度初の水曜祈祷会はサムエル記第一1、2章〜「ハンナの賛歌」。ハンナは人生のどん底で、苦しみもがきながら涙の祈りをささげました。「もし、あなたがはしための苦しみをご覧になり、私を心に留め、このはしためを忘れず…」苦しみがあっても、その期限さえわかっていれば耐えることもできますが、何も状況が変わらず、問題が解決されないような時、その苦しみは何倍にも感じるものです。神はなぜ祈りに答えてくださらないのか…悪魔はそうした言葉をもって悩む心を揺さぶってきます。条件的な祈り、取り引きのような祈りはいけないとわかっていても、人間ですから、時にはその弱さがそのまま祈りになって表れてしまうこともあるでしょう。でも、神はそんな私たちの涙の祈りを覚えておられて「サムエル」(神聞きたもう)を最善の時に与えてくださるのです。

新元号「令和」に…

新元号「令和」は、中国古典からではなく、初めて「万葉集」からの引用。「大化」から数えて248番目の元号。明治以降の天皇の代替わりとともに元号が変わる「一世一元」の制度は、世界でも日本だけ。現天皇の退位と皇太子の即位に伴い、5月1日の改元となりますが、今日の発表を日本中が固唾を飲んで見守りました。大阪駅前も多くの人が号外を求めて殺到し、警察や消防が出動するほどの大混乱に。今後、皇室行事、天皇制、元号…など、改めて国民全体で考える機会となるでしょう。私自身も認識を新たにしなければと思っています。「令」には「よい」「平和」という意味があり、読みやすくて書きやすいという印象もあれば、一方で、国語辞典などでは「命令」「政令」という意味もあり、海外では右傾化を懸念する声もあがっていることも留意しておきたいものです。

神が願われる祈り

年度末の主日礼拝をささげました。ルカ18:1~、「いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。」いよいよエルサレムの都が近づいてくる中、主は弟子たちに祈りの大切さを教えられました。神が願わる祈りとは何か…。それは望みを捨てずに祈り続けること、高ぶりを捨てて謙遜に祈ること。絶えず祈りなさいと命じられる方は、絶えず祈りを聞いてくださる方です。今日は午後からスペシャルグレイスタイム(教会総会)もありました。神の家族とともに、昨年度の恵みを振り返り、奉仕者の方に感謝を表しつつ、新年度の展望を語り合いました。元号も変わる新しい年度、さまざまなことが新しく始まる時期。教会では、次の日曜日に創立25周年記念礼拝をささげます。皆さまのお越しを心よりお待ちしております。

中高生キャンプ

二泊三日で中国四国宣教区のティーンズバイブルキャンプに行ってきました。国立吉備青少年自然の家は静かな山の中のキャンプ場でしたが、中高生たちの賛美はとてもエネルギッシュでした💦それでもメッセージの時はみんな真剣な眼差しでしっかり聞く姿勢ができていて、メモを取ったり、何には舟をこいでる子もいましたが、語る方もつい力が入って時間いっぱい話させてもらいました。今回出会った彼らのために続けて祈っていきたいです。もう一つ、キャンプで励まされるのは、教会の先生方や卒業生の青年たちが裏方として奉仕されている姿です。細やかなところまでよく配慮されて、中高生たちの信仰を大事にしていこうという思いが伝わってきました。私も行く前から風邪気味でしたが、なんとか守られ、自分の役割を終えられてホッと一息…。さぁ、次は日曜日の準備です。

収穫が楽しみ…

三月も終わりが近いというのに朝晩はまだ寒いです。東京は桜の開花宣言がありましたが、大阪はもう少し先になるとのこと。今年はなんとか風邪をひかずに乗り切ったと思いきや、このところの忙しさもあってどうやら風邪を引いてしまったようです。マスクもしていたのに…油断大敵です。皆さまもお気をつけください。教会の豆類が元気いっぱい花を咲かせていて、収穫が楽しみになってきました。47年も生きてきて、そら豆がこんな花を咲かせて実を結んでいくことを知りませんでした。まだまだ知らないことばかりです。先日、ある方から「こんな狭い所でよくこんなに育ててますね」と言われましたが、ずぼらな私にはちょうど良い広さだと思います。季節の移り変わりとともに、いろいろな草花と出会ってきましたが、今春はさらに新しい野菜に挑戦しようと思っています。

新しい創造

先週は東京で教団総会と按手式と、ある姉妹の結婚式で証人を頼まれ、何かと慌ただしい一週間を過ごして夜中に帰阪しました。日曜礼拝は玉井邦美先生をお迎えして『新しい創造』というテーマでメッセージをしていただき、大変励まされました。イエスさまが、失敗を繰り返すペテロを新しく造り変えていかれたように、私たちも日々造り変えてくださることを学びました。夕礼拝には、今春から仕事で東京へ旅立つ姉妹と、進学で山形へ旅立つ青年がいて、二人の新しい出発のためにお祈りしました。玉井先生にはそのまま泊まっていただいて、次の日も牧会講義。午後は南アフリカからの青年宣教師が訪問してくれてしばらく話し、玉井先生の流暢な英語にも助けられ、よい時間でした。こういう時こそ、静まって聖書を熟読したいところですが、春は何かと慌ただしいものです…。

神は最高の芸術家…

今日のディボーションは出エジプト記35章から。イスラエルの背信のために神との契約は破られ、もはや神は彼らの中に臨在されることを拒否されました。でも、モーセの必死のとりなしのゆえに契約は更新され、神は再び臨在を約束されたのです。いよいよ幕屋の建設が始まります。「すべて、進んで献げる心のある人に、主への奉納物を持って来させなさい。」様々な飾り物や色とりどりの宝石、その他の資材が集められ、心を動かされた者、霊に促しを受けた者たちがみな、進んで主への奉納物としてもってきました。みんなの心が一つとなって神のことば通りに幕屋が建設されていくのは胸躍るような働きだったでしょう。神は最高の芸術家です。私たちの教会も、新会堂に移って二年目ですが、みんなで候補地の下見に行き、解体を手伝い、引っ越しをした時のことが懐かしいです。

忘れられない一日…

雲の切れ間から柔らかな日差しが差し込む中での礼拝。メッセージはルカ16:19-31「金持ちとラザロ」の譬え話から。「セミは春秋を知らず」短命なセミに春や秋の季節を理解することはできない。同様に、人間に死後の世界を理解することは難しい。仏教では因果応報の考え方に基づく生き方を教える。しかし、キリスト教は神の御旨を受けとっていく生き方を教える。「ラザロ」とは「神が助け」という意味。豊かでも貧しくても、人はみな神の前にラザロであることを忘れてはならない。先週に続いての洗礼式。お母さんのお腹の中にいる時から教会に来ていた女の子。いつも元気いっぱい賛美をし、教会学校でメッセージを聴いてきました。今日、その子が自分の口で信仰を告白し、洗礼を受けました。司式者が最初に泣いてしまうとは💦…本当に忘れられない洗礼式となりました。

ARISEプレ集会:京都

キッズワーシップ集会のプレ集会が京都グローリーチャーチで行われました。4~14歳の子どもたちを中心に、賛美とダンスと祈りで世界が一つになる集会です。GSCの賛美チームがゲームと賛美をよく導いてくださって、メッセージもとても語りやすかったです。子どもたちも目をキラキラさせながらお話しに耳を傾けてくれてました。京都グローリーチャーチもいい教会で、大人の方々もたくさん応援にきてくださって感謝でした。メッセージでは、アンパンマンはなぜ悲しんでいる人たちに自分が傷ついても愛を示せたのか。それはアンパンには新しいパンを造ってくれるジャムおじさんがいたからでは…という話しをしました。「あなたも行って同じようにしなさい。」私たちにもイエスさまがともにおられて、父なる神が新しい愛をくださいます。思い切って愛を示しましょう。

約束に基づいた祈り

祈祷会は出エジプト記32章から。イスラエルの民は、モーセが山の上で神とお会いしている間に、金の子牛で造った偶像を拝むようになっていた。神はそれをご覧になって激しい怒りを燃やし、モーセに向かって「わたしが彼らを立ち滅ぼす」と告げられた。モーセも民の乱痴気騒ぎを見て怒りを露わにするが、それでもそんな彼らのためにとりなしの祈りを捧げていく。「主よ、先祖たちに約束されたことを思い出してください…。」モーセの祈りは、御言葉の約束に基づく祈りだった。神はそんなモーセの祈りを聞いて、わざわいを下すのを思い直された。…果たして、神が人間のように自分がしたことを悔いたり、思い直したりすることがあるのか。朝はご婦人たちと、夜は青年たちと、様々な視点から感想を分かち合って、非常に盛り上がりました。

新会堂での洗礼式

ルカ15:11-24から。このイエスのたとえ話しを読むとレンブラントの作品を思い出す方も多いと思います。彼は波乱万丈の人生を送りました。若くして才能が認められ、画家としての富と名声を手に入れますが、金使いも荒く、横柄な態度はまさ放蕩息子のような生活ぶり。そんな彼に試練が訪れます。やがて五人の子どもたち、最愛の妻…と次々と家族が天に召され、画家としての人気も急落、ついには破産宣告を受けることに。晩年の彼は孤独と貧しさの中で自身も天に召されます。そんな彼の遺作の一つ『放蕩息子の帰郷』は、若い時のような派手さはなく、なんとも言えない平安に包まれた作品です。今日、二人の方が洗礼を受けられました。力強い証しに、教会全体が励まされました。「ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人に勝る喜びが天にあるのです。」新しい信仰生活の始まりです。天における大きな喜びが聞こえてくるような素晴らしい式でした。

備えの日…

明日もこんなお天気だったらなぁ…とつい言いたくなるような穏やかな備えの日。明日はいよいよ新会堂にきてからの最初の洗礼式。二人の方が長い求道生活を経て、新たな信仰生活が始まります。あらためて…これはすごいことです。神を知らず、神に背を向け、神への信仰を否定してこられた方が、それを悔い改め、方向転換し、自らの口で神への信仰を告白される。これまで何度となく信仰を勧めてきましたが、いつも決心がつかなったお二人。牧師としてこれほど感謝で、これほど安堵することはありません。「また、天からこう告げる声が聞こえた。『これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」もちろん、二人の信仰生活はこれから…。天の御国に入るまでは、試練も誘惑もあるでしょう。でも、主にあって、その信仰の訓練を一緒に喜べたらと思います。

桜咲く…

レント(灰の水曜日)を迎えました。昨日からイースターまでの期間を『受難節』として、イエス・キリストの十字架の苦難を覚えます。カトリック、聖公会でも、敬虔なクリスチャンたちは、この期間を意識して、断食や食事の節制、チョコレートやSNSまで好きな物を控えたりと何らかの形でレントを守るそうです。聖書にあまり精通していない方々にとっては何のことやら…と思いますが、イースター前のこの時期というのはなんとも厳粛な気持ちにさせられます。苦難なくして喜びなし。十字架なくして復活なしです。礼拝メッセージも、エルサレムの十字架を目指す主イエスの姿がテーマになってきました。今、苦難の中を通っている方こそ、この主の御姿から励ましと慰めを受け取ってほしいと思います。今日、教会横の小さな桜も花を咲かせました。復活の春はもうすぐです。

幕屋と祭司…

祈祷会は出エジプト記28:1-14から。イスラエルの民はエジプトの奴隷から救い出され、シナイ山で十戒を授与された後、幕屋建設と祭司制度について命じられました。「幕屋」は、荒野を進むイスラエルの民の真ん中に神がともにおられることを表わすものであり、また「祭司」は、神と人との間の仲保者、とりなしの祈りをささげる者でした。ここから特に、私たちの心の中にも神がともにおられること、また私たち一人一人に「祭司」としての役割があることを心に覚えました。昔も今も、神の民に求められているのは、神のご命令に全く従うことです。それでもどうしても古い自我が頭をもたげてくるわけですが…大祭司であるイエスのとりなしに支えられて歩んでいきたいものです。「キリストはいつも生きておられ、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」祈祷会の後は、若いママのお手伝いに子守役をかって出ましたが、いつの間にか椅子に座って…私も一緒に寝てました。

神はよりよい世界を造られたのか…

昨夜の雨が止んで、今朝は爽やかな天気となりました。昨春はジャガイモが、今冬は大根がよく取れました。教会の青年や子どもたちが楽しそうに収穫し、ご婦人方が今夜のおかずに…と喜んでくださるのが、何よりの報酬です。神はよりよい世界を造られたのかというテーマについて。ならば、なぜこの世界に悪や争いや悲しみがあるのか。神は過去も現在も未来も全てをご存知であるなら、なぜ病気や戦争や自然災害が起こるのか。天国ではもはや罪がないのであれば、なぜ最初からそうされなかったのか。神はこの世の不条理をどう見ておられるのか…。「天が地よりも高いように、…神の思いは、私たちの思いよりも高い。」人間には到底知り得ない領域があることは承知していますが、そこで悩み、苦しんでいる方がいる限り、一歩でも近く…神の御旨に近づきたいものです。

神の国の食卓で

今日の礼拝はルカ13:22-30から。牧師としてよく聞く質問の一つは「クリスチャンしか救われないのですか」というもの。確かに日本のクリスチャン人口は全人口の1%、残りの99%はどうなるのか…。イエスにもある人が質問します。「救われる人は少ないのですか」イエスはその場にいた人々に向かって答えました。「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。」彼が単に好奇心で質問したのなら、イエスの答えはあまりにも峻厳に聞こえたでしょう。「救い」には真剣さが必要であり、神の定められた時があり、招きに応える者が受けるものです。まさに救いに王道なし。救いにあずかった者たちには神の国の素晴らしい食卓が用意されています。今日の「聖餐式」もまた、約束を思いださせる恵みの時でした。午後からは洗礼準備会、囲碁クラス、バイブルクラス、卓球クラス…と夕礼拝まで盛り沢山の一日に感謝です。

神の性質を考え直す…

今朝は寒さもひと段落。チューリップの花、そら豆の花が徐々に咲いてきました。教会の小さな畑も徐々ににぎやかになって楽しみです。朝のディボーションは創世記1:27「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。」神が万物を創造し、最後に人間をご自身のかたちとして創造されたのは、あらためてすごいことです。「神のかたち」とは、「神のimage」「神のご性質」と考えてよいでしょう。他の動物にはない、特別なことです。つまり人間は創造の初めから、神との特別な関係にあったのです。その私たちが「神」を誤って認識していることはないか、自分の都合に合わせた「神」に仕立て上げていることはないか。思い切って神のご性質を考え直す、見つめ直すチャレンジを受けました。…新たな気づきに感謝です。

神がいるなら、なぜ…

今日は朝から冷たい雨となりました。外は寒いですが、ハートフル英会話のクラスからは和やかな会話が聞こえてきます。午前中はレイチェルさんのクラス。今日はチャペルタイムもあって、創世記からアブラハムの話しをされました。「初めに神が天と地を創造した。」聖書は難解なところもあるのですが、カラフルな視覚教材にみなさん興味津々に耳を傾けておられました。夕方からはホゼア先生のクラス。元気いっぱいの子どもたちが楽しく英語を学んでいました。最後のクラスの子どもたちを見送った後は、外の雨もすっかり止んで…ひっそりと咲く花たちに目が留まりました。『神がいるなら、なぜ…』Amazonでだいぶ前に注文していた本でしたが、こんな忘れた頃に届くとは…。すぐには読み切れないと思いますが、読みたかった本…今夜はこれを読んで休もうと思います。

恐れのある日に、私は…

今日の祈祷会は詩篇56篇から「恐れの日に、私は、あなたに信頼します。神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。」サウルに命を狙われ、ペリシテ人の地でも苦境に立たされたダビデ。しかし、それでも彼は主への信頼を失くさずに、自らを鼓舞するかのように…神にあって希望を持ち続けました。その保証は幼い頃から培ってきたみことばの約束のみ。あとは「人事を尽くして、天命を待つ。」です。試練の時が神を呼ぶ時。神はそんなダビデを最後まで見捨てることはありませんでした。冬の寒さに耐え抜いた野菜たち…。ソラマメは春の訪れを感じて小さな花を咲かせ、白菜も形はともかくそれなりに青々と茂ってきて、大根は小さいながら瑞々しい味わいと好評です。午後からはKFSMミーティングがあり、同労の先生方と4時間…次世代宣教について熱く語り合いました。

あなたの重荷を主に…

今日も穏やかなお天気で、太陽の日射しを浴びると花たちも喜んでいるように見えます。花を育てるのは私の役割で、写真を撮るのは妻の担当なのですが、彼女の方は日ごとに上手になっていくようです。「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装ってはいませんでした。」思わずそんな御言葉が浮かんでくるほど…教会の小さな草花も、よく見ると神のきめ細やかなデザインで装ってもらっているのがわかります。「今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、どんなに良くしてくださるでしょう。」草花の命は短い…でも、彼らは今日一日を精一杯生きています。私たち人間も負けてはいられません。今日は聖書を学ぶ会があって、三人の姉妹が出席してくださり非常に有意義な時間がもてました。

心配しなくていい…

昨日は暖かな日射しが差し込む教会に賛美リーダーの歌声が響いていました。その甲斐あって今日も礼拝では心と霊が励まされる力強い会衆賛美が捧げられました。礼拝メッセージはルカ12章から。何かと先の事を心配する私たち…。イエスはそれを知っておられて「…心配したりするのはやめなさい」と。それは、だから何もしなくていいという怠惰の勧めではなく、あるいは、運命論として諦めて生きなさいということでもありません。むしろ、明日のことは誰にもわからないのだから、神への期待をもって今日一日を生きなさいということでした。午後からは洗礼準備会と諮問会がありました。三人の求道者の方が自分の言葉で信仰を告白し、祈りを捧げられる姿に主の導きを感じました。夕拝にも四人の方が来てくださって、三度目のメッセージからも力と慰めを戴きました。

私をあわれんでください…

枯れ枝に蕾が膨らんでいました。枯れて死んでしまったように見える木でも、そこから新たな命が生まれる。死はすべての終わりではない…そんなメッセージを伝えてくれているようです。冬から春へと移り変わるこの時期は、キリストの十字架と復活を思い出させます。今朝は詩篇51篇から。「神よ 私にきよい心を造り、揺るがない霊を 私のうちに新たにしてください。」ダビデはバテシェバとの姦淫罪を預言者ナタンに指摘され、言い逃れのできない罪の現実にありました。それでも彼は神の恵みにより頼み、「私を憐れんでください」と徹底的に心砕かれて罪の赦しを求めたのです。私たちも同じ罪人…。ダビデを責めることはできません。でも、そんな私たちを贖われた主がこう言われるのです。「わたしはあなたのために命を捨てた。あなたはわたしのために何をしたか。」

苦難の日はわたしを呼び求めよ

昨日は長嶋茂雄さんの誕生日でしたが、ちょうど立教大学時代に同期だったという方が教会を訪ねてくださって、しばらくお茶を飲みながら不思議な導きを感じました。また今朝も、私にとっては特別な方とのお交わりが与えられ、「人間はもっと虫を大事にするべき」とご教示くださった言葉がとても心に響きました。確かに目先の事にこだわって、神の大きな計画に目を向けることを忘れがちです。そして、今日の御言葉は詩篇50篇15節「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。」神は、形式的・儀式的なささげものより、心からの祈りを求められる方です。砕かれた謙遜な心、神を認め、神を信じようとする熱心な祈りこそ、神は待っておられる。人間の限界は、神との機会の時でもあります。今夜は北海道で震度6弱の地震…。主の平安を心から祈ります。

人よ、悟れ…

今日の祈祷会は詩篇49篇から。「人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅び失せる獣に等しい」生きとし生ける者すべてに訪れる死。ゆえに「死」は我らに問う。死はすべての人の終わりであるが、死はすべてのことの終わりであろうか、と。「死」は本来神との断絶・分離を意味し、いかなるものをもってしても、自力で神の側に渡ることはできない。ただ一つの道、イエス・キリストを信じる者のみが、御国で神の懐に安らう。聖書には、神に従うならば神の祝福が臨むとあるが、現実は、善者必ずしも栄えず、悪者必ずしも滅びず…。まことに不条理に思える世である。でも、かくなる世にあっても、信仰を働かせ、近視眼的ではなく、永遠を見据えて生きよと聖書は教える。答えはその先にある。今朝は神の家族、そして、ある兄弟の癒しを覚えて特に祈りました。

穏やかな日の会議…

今朝の御言葉はマタイ5:5。「柔和な者は幸いなり。その人は地を受け継ぐから。」柔和な者とは、まさにイエスさまの生き方を指しています。高ぶる者ではなく、へりくだる者でありたいものです。今日のように天気がいいと花たちも活き活きとして見えます。午前中にある方のお見舞いに行って少しお話をして手術の無事を祈り、その後、松原聖書教会へ向かい宣教区運営委員会に出ました。新年会もかねてということで豪華なお食事を用意していただき、おかげでお腹も膨れて午後からの会議では少し居眠りをしてしまったようです。反対側の席に座っていた先生に写真を撮られていました。そんなこんなで月曜日はやや疲れ気味ですが、関西宣教区の牧師会は終始和やかな会議なので、心身ともに癒されて帰ってきました。さあ、今週も謙遜さを学び、主に仕えていきましょう。

何度読んでも新たな気づき…

ルカ9:10-17『五つのパンと二匹の魚」。日も暮れてくると弟子たちは、五千人以上も集まった群衆を解散させてくださいとイエスに進言します。イエスは「あなたがたが、あの人たちに食べる物をあげなさい」と命じると、彼らは「五つのパンと二匹の魚しかありません」と答えました。現実の問題に圧倒される弟子たちと自分が何をするかをよく承知していたイエス。四福音書の記者がいずれも記した不思議な奇跡。その結果は「人々は食べて満腹した」です。何度読んでも新たなことに気づかされる箇所。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」一粒の種が(こんな小さな畑でも)実を結び、多くの人を喜ばせる…。それもまた神のなさる奇跡の一つと言えるでしょう。

今日が人生最後の日だと…

「今日が人生最後の日と思って生きなさい」という本を何度も読み返します。最後の日を正しく迎えるために一日一日をきちんと終えていく、なんでもない今日に感謝できる人は本当の幸せを知っている、明日の自分に宿題を残さず今日を生きる…など心に残る言葉がたくさん綴られています。先日、競泳女子の池江璃花子選手が白血病と診断されました。18歳の彼女がツイッターで綴った「神は乗り越えられない試練は与えない」という言葉が、彼女をはじめ同じような病と闘っている方々の支えになることをお祈りします。M.ルターも「たとえ明日世界が滅ぶ(人生最期の日)としても私はリンゴの木を植えるだろう」と言いました。リンゴの木が実をつけるには時間がかかる。でも、今日できることを精一杯していく…。そんな生き方をされている方を、私は心から尊敬します。

ハートフルな一日…

木曜日はハートフル英会話の一日。教会は祈りや聖書を学ぶだけではなく、人と人とが出会い、互いのフレンドシップを深める所でもあります。大人のクラスでは授業の後にチャペルタイムがあり、講師の先生の完成度の高い手作り教材に感心しました。子どものクラスではバレンタインに因んだオリジナルカードを作り、ネイティブの英語にも自然な会話ができていました。「亘先生、これどうぞ…」と私まで手作りチョコをもらって、子どもたちの優しさに感謝でした。今日はまた、特別な良い知らせもありました。ずっと祈ってきた婦人の方が「やっと抗がん剤治療から解放されました」と本当に嬉しそうに、教会へ報告に来てくださいました。「喜ぶ者とともに喜び、泣く者とともに泣きなさい。」出会いは財産と言ったりするそうですが、教会とはまさにそういう場所です。

救いは約束に基づくもの

今週は少し寒い日が続きましたが、来週は温かくなるとのこと。三寒四温の中…健気に春の訪れを待ちわびる小さな花たちを見ていると、私たちの人生も同じだな…と。昨日の祈祷会はガラテヤ3:15-29より。救いの約束は、アブラハムの時代から変わることなく、今日の私たちにも与えられています。それは、律法を守るとか正しく生きることで与えられるものではなく、ただイエス・キリストを信じる信仰によるものです。「教会の人たちは、皆さん良い方ばかりですよね」と言われる方がありますが、決してそんなことはありません。強いて言えば、神の約束をずっと待ち望んでいる者たち…と言えるのではないでしょうか。「信仰とは何か?」ある方の質問で、あらためてみんなで考えました。神のいない世界ではなく、神がおられる世界を生きる、ここに尽きるように思います。

ホッとする一日…

今日は凛々しいワンちゃんが教会を訪ねてくれました。バレンタインのチョコレートまで届けてくれましたが、あまりに可愛いので食べるのを躊躇するほどでした。午後は関東からのお友だちがちょっと立ち寄ってくれて、どこに行くかと悩んだ末に…伊丹空港スカイパークへ。お天気はイマイチでしたが、時間を忘れて大迫力の飛行機の発着陸を眺めていました。月並みですが、あんな大きな物がよく飛ぶものだ…とあらためて感動するとともに、伊丹空港と言えば一日370回もの飛行機の発着があるとのこと。私のような無責任な見物人とは違って、地元住民の方々のご苦労が心配になりました。教会としては特に何もない一日。こういう日もたまにはいいものですね。

キッズ&ファミリーバレンタイン2019

今年もキッズ&ファミリーバレンタインがありました。子どもたちは少人数でしたが、大人の方にも手伝っていただいて、ゲームも大盛り上がりでした。メッセージは使徒の働き20:35『受けるよりも与えるほうが幸いである』から。どうして受けるよりも与える方が幸いなの…?みんなで一緒に考えました。そこで、まず神さまがそれを喜ばれるから、自分も相手も一緒に喜べるから、天国に貯金することだからと3つの話しをし、その後、一つのチョコレートを分け合って食べました。そして、お楽しみの手作りパフェでは、山のようなトッピングをふんだんに盛って飾って食べました。お腹いっぱいになった後は、夕礼拝が始まるまでしっかり身体を動かしての遊び…と、朝からノンストップの一日でした。夕食後はさずがに少し疲れたのか…なんとも行儀の悪い姿で寝てました。

賛美礼拝をささげよう

カルヴァンは「賛美とは音楽をともなった祈りである」と言ったそうです。賛美リーダーの方が「十数年ぶりに再会した兄弟とこうして一緒に奉仕ができる不思議を感謝します」と証しされたことにも感動しました。ルカ7:36-50。罪深い女は、イエスの足元に高価な香油を塗りにきました。それを冷ややかな目で見ていたパリサイ人シモンは、自分は正しい人間だと思っていました。そこでイエスは、ある金貸しが500デナリと、50デナリの借金をした者たちをそれぞれ帳消しにしてあげたという譬えをもって悔い改めと信仰を迫りました。多く赦された者は、多く愛する。少ししか赦されない者は、少ししか愛さない。自分はどちらの立場にあるか。「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心していきなさい。」どんな罪人にも感謝と賛美の恵みを与えてくださる主をほめたたえます。

今日は牧師会…

大阪も風は冷たいのですが、北日本の観測史上最低気温の寒波に比べたら、まったく穏やかなものです。教会の草花も春の訪れを感じてか、蕾が膨らみ、花も活き活きとしてきました。昨日は気の早いオオクワガタもひょっこり顔を見せてくれて…温かくなるまでもう少しの辛抱です。今日は親しくしている牧師6人で、今年最初の会合を持ちました。テーマは「教会」に関するさまざまな事柄。時に真剣に、またざっくばらんに…学び合い、分かち合い、祈り合える同労の先生がいるのは本当に感謝です。そして(唐突ですが)明日は私立高校の入試日です。関東は雪がチラつくようですが、教会の受験生たちも寒さに負けずがんばってほしいと思います。「恐れるな。わたしがあなたとともにいる。」こんな時こそ御言葉を思い出して、実力を出しきれるように心から祈っています。

祭りを行なう意義…

今日の祈祷会は出エジプト記23:14-33。神はエジプトを脱出したイスラエルの民に十戒を与え、また一年に三度、主のために祭りを行なわなければならないと命じられました。ヤハウェなる神の前に祭りを行なうこと、主の御前に立つことは、彼らに与えられた特権でした。ただし「祭り」は、単に行えばいいものではなく、大事なのはその内容だったのです。それは今日のクリスチャンが行なう「聖餐式」にも通じることです。聖餐式は、主イエスが「わたしを覚えてこれを行ないなさい」と定められた聖礼典であり、私たちに与えられた特権です。パンとぶどう酒は、私たちの罪のために裂かれたキリストの身体、流された血潮を表しています。私たちクリスチャンにとって大切なこの記念日を心からの感謝をもって、形骸化という誘惑に陥らずに、恵みにあずかっていきたいものです。

希望を与えるために…

「他人の『死』は経験できても、自分の『死』を経験することはできない(ハイデッガー『存在と時間』)。今、十分に幸せでも、社会的に活躍していても、多くの日本人は「死んだら終わり」というニヒリズムを抱えているのではないでしょうか。この殺伐とした状況から逃れ、宗教や精神世界に救いを求めても、心から納得できる答えを見出せる人は稀のようです。自分の「死」と向き合うことは、「生」の意味を真剣に見つめ直すことでもあります。以前、ある学生が「希望など持っても失望させられるだけ…」と言っていたことが忘れられません。神は、私たちが宗教を持っているかどうかに関係なく、すべての人を愛し、慈しみ、助けたいと願っておられます。その神のことばである「聖書」は、私たちに希望を与えるために書かれた本です。ぜひ一緒に読んでみませんか…。

称賛と排斥の中で…

今日の礼拝ではルカ4:14-30から「称賛と排斥の中で」というテーマでメッセージを聴きました。ガリラヤで宣教を開始されたイエスさまは、カペナウムの町では称賛され、故郷のナザレでは排斥されました。そこには人の噂に左右され、結果で全てを判断する人間心理の本質が描かれています。イエスさまの言葉は、人の噂よりも「今日」主を信じる決断をすること、しるしよりも御言葉をそのまま信じること、頑なよりも柔らかな心で信じることを教えていました。私たちも目の前の結果だけですぐに一喜一憂しないで、その先に現される神の御心を求めていきたいものです。礼拝後は、CS教師会、洗礼準備会、バイブルクラス、囲碁クラス、夕礼拝と(卓球と)…学びと交わりにそれぞれの方が自由に過ごされました。今日も、恵みと祝福に満たされた日曜日を感謝いたします。

節分の豆を打つなら…

「教会でも『豆まき』をするんですか?」と、ある年配のご婦人から。確かに、どこかの神社や仏寺では有名人や政治家が法被を着て「鬼は外、福は内~」と参詣人に豆をまいている光景を目にしますが…教会では特にしません💦本来『節分』とは、読んで字のごとく「季節の分け目」(変わり目)のこと、つまり一年に4回の節分があるわけですが、今日ではもっぱら立春前日を指すようになりました。昔から季節の変わり目は「悪鬼病魔」も横行すると考え、豆でもぶつけて家の外に追い出そうと思ったようですが…本物のサタンはこの行事をどう見ているのでしょう。ほのぼのと目を細くして「どこ吹く風」と安心しきっているのでは。クリスチャンは、「豆」は「摩滅」だなどという子ども騙しの語呂合わせやお面をかぶった鬼ごっこのお芝居ではなく、この世を支配し、私たちの心中にもどっかりと居座るサタンを打ち滅ぼすために、主イエス・キリストの御業により頼むしかありません。「まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」「鬼は外、主に栄光!」豆を打つなら、おのが心にでしょう。

雨の日もまた神の恵み…

今日はハートフル英会話がありました。このところ関西から関東にかけて空気もカラカラの状態が続いていたので恵みの雨です。これでインフルエンザの流行も少しは収まるでしょう。「事物が合目的な連関において正常にその機能を果たしている時、その事物は我々に全く目立たず、その存在を意識することもないが、それが何らかの理由でその機能を果たさず、合目的な連関が損なわれる時、我々はその存在を強烈に意識するようになる」(ハイデッガー『存在と時間』)。それは家族、健康、日常生活にもあてはまるように思います。人は順境にある時は「生」というものを意識したり、その意味や価値について深く考えることは少ないですが、一度逆境に陥ると途端に「生」というものを強烈に意識したり、その意義や目的について思慮を巡らすようになる…。ならば、人生には晴れの日よりも雨の日こそ大事なのかもしれません。「主は恵みの倉、天の窓を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。」要はその雨をどう受け止めるかの問題なのです。

神は我らの避け所…

冬晴れの朝、星空が奇麗な夜、水曜祈祷会は詩篇46篇から。「神は我らの避け所、また力。苦しむ時、そこにある助け。それゆえ、我らは恐れない。」宗教改革者マルティン・ルターもこの御言葉によって力強く支えられ、歴史に残る偉業を成し遂げました。人生には時に、思わぬ苦難が立ち塞がるものです。善人にも悪人にもそれは同じ。その時、人は「なぜ…」と心でつぶやきますが、神はそれにお答えにはならず、ご自身を知れと告げられます。「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」人間中心的な物の見方から、神中心の見方に変える時、人生の難問も一つ一つ解けていくのではないでしょうか。

荒野での誘惑

昨夜から降り出した雪は、朝には天気も回復し、いつもどおり礼拝がささげられました。ルカ4:1-13。洗礼を受けられたイエスが御霊に導かれて、荒野で悪魔の誘惑を受けられた場面。悪魔は四十日間の断食を終えたイエスに近づき、パンの誘惑、栄華の誘惑、神を試みる誘惑と次々と襲い掛かりました。イエスはそんな悪魔の誘惑を、御言葉をもって退けられたのです。「人はパンだけで生きるのではない。」イエスは、人はパンなど要らないとは言われません。むしろ、人間にとってパンが必要なのはよくご存知だったはず。では、この言葉の真意は?それは、人はパンだけでは生きられず、神を仰ぎ、神の御言葉に立ってこそ本当の意味で生かされることです。自分本位の信仰は、サタンの思うつぼに…。でも、立ち返って、主イエスのお姿を思い出すなら、必ず道は開けるのです。

人からしてもらいたいと…

囲碁の基本に「堅く打てば速度に劣り、速度を主にすれば薄くなる」というのがあります。答えを急ぐほど答えが遠のく、という経験を何度もして来たのに、生まれもった性格はそう簡単には直らないのか…。気持ちを落ち着かせようと、朝から畑の土作り、午後はトラクト配布と体を動かしても、心のわだかまりは晴れず。そんな時、思い出す聖書の言葉。「人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。」それが簡単なことではないのはわかっていますが、確かに今の自分に欠けている思い。あれこれ仕事が重なって、気持ちに余裕がなくなるのは、理の当然。もう一度、頭を冷やして仕切り直しです。「落ち着いて、信頼すれば、力を得る。」(イザヤ30:15)

主を試みたイスラエル

出エジプト記17:1-16。イスラエルの民は、シンの荒野で「マナ」という不思議なパンを与えられ、次にレフィディムという場所で飲み水がないという試練に遭遇しました。一難去ってまた一難。民はここでも、モーセと争い、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか。」と言って、主を試みたのです。目の前の問題に心を奪われ、すぐに主の助けを疑ってしまうのは、私たちにも心当たりがあることでしょう。でも、そんな私たちが思い出したいのは、御言葉の約束です。「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。」岩から水を出された神は、今日も私たちが信仰をもってご自身の名を呼び求めることを待っておられるのです。

霊をすべて信じてはいけません

愛する者たち、霊をすべて信じてはいけません。偽預言者がたくさん世に出て来たので、その霊が神からのものかどうか、吟味しなさい。」使徒ヨハネの手紙には、「偽預言者」「反キリスト」「惑わそうとする人たち」という警告の言葉が記されています。いつの時代も、本来のキリスト教とは違う異端的な教えが出現し、幾つもの誤った教えや教祖(先生)と呼ばれる人たちが悲しい結末を残しました。現在もお電話などで「カルトの見分け方を教えてください」という相談は後を絶ちませんが、本人が自分で考え、立ち止まろうと思わない限り、なかなか難しい問題です。「吟味しなさい」とは「試してみなさい」とも訳せる言葉。そこでの教えが本物かどうかより、今、日々自分がしていることが本物かどうかを、隠していないで…試してみる勇気が必要なのではないでしょうか。

信仰の原点に立って…

約400年の沈黙の時代が終わり、バプテスマのヨハネの登場をもって新たな時代が幕開けしました。ヨハネは荒野で人々に神の言葉を宣べ伝えます。「主の通られる道をまっすぐにせよ。…悔い改めにふさわしい実を結べ。斧もすでに木の根元に置かれている。」彼の言葉に心打たれた者たちは悔い改めのバプテスマを受けました。ヨハネの宣言は、今日の私たちにとっても信仰の大切な原点を指し示しています。教会生活が長くなると、ついこの原点を忘れて、目の前の問題や枝葉のことに思いが向きがちです。洗礼準備会に真摯に取り組まれる方々の姿から、あらためて御言葉に向かう姿勢を教えられました。教会の畑では大根が収穫時期、夕拝後は卓球で汗を流しました。

安心して帰りなさい…

いよいよ明日からセンター試験が始まりますね。受験生の方々の健闘を心から祈っています。マルコ5:25-34。十二年の間、長血を患っていた女性が、イエスのもとを訪ねました。彼女は多くの医者からひどい目に会わされ、持ち物を使い果たしても、かえって悪くなる一方でした。そんな彼女が「イエスにさわることでもできれば…」という一縷の望みを持って、多くの群衆に遮られていても、あきらめずに手を伸ばし、イエスの着物にさわりました。すると、たちまち痛みが直ったことを体に感じたのです。一体何が起きたのか…彼女もすぐに理解できなかったでしょう。「だれがわたしの着物にさわったのですか。」と言って辺りを見回しているイエスの姿を見て、彼女は恐れおののいて出ていき、泣きながら…ひれ伏して事の次第を話しました。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、健やかでいなさい。」イエスの優しい笑顔が目に浮かぶような箇所です。彼女のあきらめない思いが奇跡を生みました。信仰をもってふれることが大事なことでした。彼女は病の癒しとともに、何より「安心して帰りなさい」という祝福の言葉をいただいて、新しい人生を歩み始めるのです。

わたしに何をしてほしいのか…

阪神淡路大震災から丸24年。決して当たり前ではない日常生活を、感謝して過ごしたいものです。ルカ18:35-43。イエスが自分のすぐ近くをお通りになると聞いた盲人は、思わず「ダビデの子のイエスさま。私を憐れんでください。」と叫びました。弟子たちは彼をたしなめますが、イエスは立ち止まってそばに連れてくるように命じられ、彼に問われました。「わたしに何をしてほしいのか。」彼は答えます。「主よ。目が見えるようになることです。」イエスはなぜこんな問いかけをしたのか…。彼の目が見えないことも、それゆえに彼が物乞いをしながら、どんな辛い人生を送ってきたのかもわかっておられたはず。それでも彼の口からお聞きになられたのはなぜか。「『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。』彼はたちどころに見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。」イエスの言葉は、彼の人生を一変させました。聖書は約束します。彼(キリスト)に信頼する者は、決して失望することはない。絶望の人生を変えるカギは、ここにあるのです。

水曜祈祷会&KFSMミーティング

今日の祈祷会は出エジプト記12章から「さばきの時」というテーマで御言葉を学びました。ついにイスラエルの民がエジプトから救い出される日がきました。主は、過越しの祭りと種なしパンの祭りを定められ、エジプトの初子を打たれました。イスラエルの民は、主が命じられたとおり、傷のない小羊の血を鴨居と二本の門柱に塗りました。すると、わざわいが過ぎ越していったというのです。イエス・キリストの十字架の贖いの型がここにあります。この日、ファラオの頑なさによって殺された初子たちの死をどう受け止めるか、今日の聖餐式をどのような心持で受けているかなど…救済論から教会論まで分かち合いはいつも以上に広がりました。朝の祈祷会は十数人来られましたが、夜はちょっと寂しい…私たち夫婦だけの祈祷会でした。

今年初となるキッズ&ファミリーサポートミッション(KFSM)のミーティングがありました。KFSMは、次世代宣教を目的とした超教派の団体。聖霊派、福音派…それぞれ教団は違いますが、敬愛する先生方です。今日も数人の欠席者がありましたが、和気あいあい、時に真面目に、熱のこもった委員会となりました。4時間以上の会議なのですが、不思議と疲れません。この働きもいよいよ10年目。「委員も世代交代を考える時期に来ているのでは…」と誰かが言いましたが、もうしばらくは、教会ネットワークの拡大と草の根的な活動を続けていかなければならないように思います。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。」主のもとに一人でも多くの子どもたちを!同じビジョンを共有できる仲間がいることは本当に感謝です。


新年聖会&成人祝福式

関西宣教区恒例の新年聖会が茨木聖書教会でありました。宣教区としては最も大勢の方が集まる行事です。今回は講師の先生がマタイ伝と使徒の働きの二カ所から「本音と建前」というタイトルで語られましたが、実に霊的な示唆に富んだメッセージでした。「本音」は「真実」で、「建前」は「嘘」というが、本当にそうだろうか。私たちが本当だと思っている「本音」にも、実は罪の影響が入り込んでいること、逆に、偽りだと思っている「建前」にも、誠実に生きようとする思いが見られること、果たして自分はそれをどう使い分けているかなど…考えさせられました。信仰者はとかく形式的で表面的な信仰生活に陥りやすいこと、自分は何を恐れ、何を意識するべきなのか。新年聖会にふさわしい、誠にピリッと引き締まるようなメッセージでした。その後は、成人祝福式があり、牧師たちが手をおいて祈りました。新成人の初々しい言葉を聴きながら、自分自身もこの一年、為すべきことができるようにと気持ちを新たにさせられました。

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうち、また『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。」平成最後の新年聖会&成人祝福式が終わり、妻と夜のウォーキングに出ました。今年一番の寒さということでしたが、「梅のつぼみが膨らんできたね」と話しながら、季節の移り変わりを感じました。思えば私自身は26歳の時に初めて教会に行き、初めて聖書を読みました。何もかもが初めてで、教会は全く自分の知らない世界でした。そこで様々な「出会い」と「別れ」がありました。あれからもう20年以上が過ぎるのか…と思いながら、牧師という務めに今あることに主の不思議な計画を思います。月も太陽も、木々も花も、自分自身も、出会いも別れも…何ひとつ偶然に存在するものはありません。主の御思いをすべて知り得ることなど到底できませんが、求め続ける思いは失わないでいたいと思います。


厳しさの中にも…

今日の礼拝には、神学生時代の恩師を招いて「命令のことば」というタイトルでメッセージをとりついでいただきました。ほんの50日前まで十字架の前で恐くて震えていたペテロが、聖霊に満たされて大胆に御言葉を語る姿を、また「悔い改めて」「バプテスマを受けなさい」という神の命令形のことばを私たちがどう聴き語っていくかなど…あらためて考えさせられました。午後の分かち合いでも、一人一人が厳しさの中にも励ましと慰めを受け取られたようでした。礼拝の聖書朗読の指導もしてくださって…。神学生時代も、とことんつきあってくださった先生の姿を懐かしく思い出しながら、この先生のもとで指導をうけることができて本当に良かったと思わされました。

礼拝に備えて…

普段こんなことはないのですが、今朝はあまりの寒さに4時ごろ目が覚めました。それから教会の一人一人のことを覚えて祈りながら、先日の朝起会のご婦人のことも思い返しました(笑)。また、立ち寄ってくださったら…と思います。午前中は明日の礼拝に備えて掃除の奉仕に来てくださった方々と祈りの時間を持ちました。明日は私が神学生時代にお世話になった先生をお招きします。厳しさと優しさの両面を教えてくださった先生です。私は説教準備がない今日のうちに、玄関のお花をちょっとカラフルにし、ついでにナス、ピーマン、ミニトマト、白菜のプランターの土を新しくして、また教会の子どもたちと一緒にジャガイモでも植えようと思います。

英会話の一日…

ハートフル英会話の冬期コースが始まりました。今日の大人のクラスはピンチヒッターで、ドイツ人の先生が担当してくださいました。彼女は前回も来てくださったので、皆さん顔なじみの先生です。(私の主観ですが…)歯に衣着せず、はっきりと話される先生で、「先生と話していると気持ちがいいです」と言われる生徒の方もいます。いずれにしても「新年の挨拶」も大体終わって、新しい一年が本格的にスタートです。夕方からは久しぶりに元気一杯のキッズたちと激しいコミュニケーションをとって少々疲れ気味ですが…今日もいろいろな方が教会を訪ねてくださって感謝でした。今夜は、来月訪日されるメルケル首相の信仰観・人生観を読んで休もうと思います。

カエルによるわざわい

出エジプト記は、聖書全体で語られる神の救いの計画を知るために重要な書簡の一つです。主は、エジプトの苦役からイスラエルの民を救い出すためにモーセをお立てになり、ファラオのもとに遣わしました。でも、ファラオは一度は心を入れ替えますが、「のど元過ぎれば…」で結局は拒み続けたのです。大量の蛙をはじめ、エジプトに下された「十のわざわい」をどう考えるか、繰り返し出て来る「わたしは彼の心を頑なにする」をどう理解するかなど…分かち合いは「神の選びと人間の自由意志」にまで広がりました。神の御旨を学ぶのは、人間が思うように一筋縄ではいかない箇所もありますが、だからこそ祈りつつ、謙遜にされていくように思います。小さなお友だちも「向きを変えて子どもたちのようにならなければ…ね。」とイエスさまの言葉を教えてくれているようでした。

今年最初の主の日…

2019年最初の主の日を迎えました。箕面めぐみ聖書教会は若村和仁牧師が特別賛美と説教をしてくださいました。大家族の来会に、教会が一段とにぎやかになった様子が目に浮かびます。私たち夫婦は冬休みを兼ねてそれぞれの実家へ帰省。母も随分歳をとったものだと思いつつ、元気に迎えてくれて感謝でした。年初めは恒例の講壇交換で、私は原市場聖書教会で説教の奉仕をさせていただきました。山の麓にある小さな教会ですが、とても温かい雰囲気がする教会です。何はともあれ無事帰阪…。さぁ、新しい一年が始まります。

新年礼拝2019

明けましておめでとうございます。2019年が美しい日射しとともに始まりました。今朝の教会周りのあまりのゴミの多さに何とも言えない気持ちになりましたが…気を取り直して、ルカ2章の女預言者アンナの信仰から「希望ある人生を生きる」というテーマでメッセージを聴きました。人口減少・高齢化の問題を抱えた今日において、彼女のような生き方は老後の人生にも希望を与えます。84歳までやもめ女としての悲しみを背負いながら、断食と祈りをもって宮から離れず、夜も昼も神に仕えていたアンナ…。神はそんな彼女のことをいつも見守り、幼子イエスに最初に出会う素晴らしいご褒美を与えられたのです。私も礼拝後に、かわいいご褒美をもらって感謝でした。

2018年最後の主日礼拝

2018年、最後の主日礼拝をささげました。今日はルカ2章21節~「シメオンの信仰」から、いつも御霊に導かれて生きること、最後まで自分の使命に生きること、揺るがない信仰をもって生きることを心に留めました。今年も、いろいろなことがありましたが…主にあってすべて祝福と恵みに変えていただきました。40代も半ばを過ぎると、本当にあっという間に一年が過ぎていくように感じますが、決して当たり前ではない毎日を感謝しつつ、これからも神の家族の祝福を覚えて祈っていきたいと思います。教会のブログもいつも観てくださってありがとうございます。新しい年も宜しくお願いいたします。皆さまのご家庭の上に主の祝福を心よりお祈りいたします。

失敗を益に…

今年はキャンドルサービスの説教中に、最後の原稿が一枚足りないことに気づきました。確認したつもりだったのですが、後の祭りでした。不愉快にさせてしまった方には申し訳なく思います。普段から私の説教は「話しが長い」とよく言われるので、今回は神さまが最後の一枚を隠されたのかもしれません。いずれにしても、この経験も次に活かさなければならないと思わされました。ただ一つ、原稿がないと分かってからの方が、顔をあげて、聴衆の方を見ながら、何か自由を感じたのは不思議な感覚でした。この失敗も益に変えてくださることを主に期待します。

腹を立てるな

今年最後の祈祷会は詩篇37篇から学びました。「悪を行なう者に対して腹を立てるな。不正を行なう者に対して妬みを起こすな。」なぜ悪を行なう者が栄えて、神に対して正しく生きようと思う者が不幸な目に遭うのか。それなら神を信じていてもいなくても同じこと。…本当にそうでしょうか。何が悪で何が正しいか、何が幸いで何が不幸なのか、公平に裁かれる方は誰なのか。「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。」悪者の栄えは一時的で、正しい者は御国を受け継ぐ。ここに真理があります。

神を知って何か得しますか…

ペテロは主イエスから「人間をとる漁師にしてあげよう」と言われて弟子となりましたが、私の場合はどうやら「野菜を作る農夫にしてあげよう」との召しだったのかもしれません。大事に育てた冬の野菜で、明日は青年たちと鍋パーティーです。クリスマスが終わってホッと一息というところで、ある方から上記の質問を頂きました。得しかないように思うのですが、最終的には天国に行くまでわからないかもしれませんね…。他にも言いたいことはたくさんありますが、明日のディスカッションのテーマにしたいと思います。

祭りの大いなる終わりの日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来なさい。」朝のディボーションで読んだ聖書箇所でした。クリスマスの片づけを始めようかなと思っていたら、教会の看板を眺めておられる素敵なご婦人がいて少し立ち話しをさせて頂きました。「どうぞ中を観てください…」とお声かけしましたが、少し中を覗かれて「大丈夫です」とご遠慮されました。やはり一般の方が教会の中に入るというのはなかなか勇気がいるものなのではないでしょうか。聖書を学ぶにしても、お祈りをするにしても、皆さんに気軽に立ち寄って頂ける場所でありたいですね。


メリークリスマス

今年のクリスマス礼拝ではルカの福音書2章からメッセージを聴きました。何度も読んできた箇所ですが、またあらためて「飼葉桶の救い主」から教えられました。「飼葉桶」と言えば、罪と争いと苦難に満ちたこの世を表わし、また私自身の心を表していると覚えてきましたが、もっとより深い神の御旨と嘆きと悲しみを感じました。「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」この方を知り、この方を心に受け入れさせて頂く恵みを思いつつ、クリスマス祝会、キャンドルサービスと、多くの方々とともに幸いな時を過ごせたのは感謝でした。

英会話クリスマス会

今日はハートフル英会話のクリスマス会でした。大人のクラスはおいしいランチをいただきながら、バイオリンの演奏でクリスマスキャロルを堪能しました。キッズクラスは自分でデコレーションしたクリスマスケーキを食べて、ゲーム!ゲーム!ゲームで盛り上がりました。今日も多くの方々が教会を訪れてくださって本当に感謝でした。教会を訪れるきっかけは様々だと思いますが、もし一度行ってみようかな…と思われたら、クリスマスはとてもいい機会です。洗礼を受けていない方も、まだクリスチャンでない方も気軽にお越し頂ければと思います。We hope you will join us for the service next sunday. Please invite your family and friends. We hope you can come.

あなたのおことばどおり…

まだ幼さの残るマリヤに突然の御使いの知らせがありました。「主があなたとともにおられます」マリヤは戸惑いつつも信仰をもって心に受け止めたのです。「あなたのおことばどおり、この身になりますように。」世の常識や自己判断に凝り固まっていたら、こうした受け止め方はできないでしょう。分かる分からないという次元ではなく、お言葉ですからというマリヤの決断がクリスマスの大きな奇跡をもたらしたのです。今日はCGNTVの撮影日。何回撮っても緊張しますが、そんな小さな者の奉仕も用いられれば幸いです。

今日の祈祷会では、箴言31章から学びました。「しっかりした妻をだれが見つけられるだろう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。」結婚して夫婦になるというのは本当に不思議なことです。別々の人生を歩んでいた者が一つの人生をともに生きるようになる。それが神によって導かれたものだと思うならなおさらでしょう。箴言の最終ページにある、良き妻、良き母の理想像は印象的です。夫婦は社会の最小単位と言いますが、あらためてその大切さを心に刻みました。午後からは二回目のキャロリングに祈りをもって出発。二カ所のディサービスでクリスマスキャロルを歌い、聖書からメッセージをさせていただきました。クリスマスの喜びを一緒に分かち合えて感謝でした。


あなたはどこにいるのか

アドベント第三礼拝は玉井邦美牧師を迎えてメッセージを取り次いで頂きました。神との平安の中にいた人間が、サタンの誘惑に堕ちて、自ら神のもとを離れていった罪の始まりを学びました。今日も誰もが本当の幸せを求めながら、なかなかそれを見出せずにいます。原因は罪の問題に関係しています。「あなたはどこにいるのか」神は全てをご存知の上で人間に呼びかけられました。この神の呼びかけは昔も今も同じです。聖書には「キリストは失われた人間を捜して救うために来られた」とあります。クリスマスは、全ての人間が神との麗しい関係を思い出し、再び自分が本来いるべきところに立ち返る決心をする日です。

愛のために…

今もしあなたが苦難の中を通らされているなら、それはほかの誰かの慰めのためではないでしょうか。苦難の経験は同じ苦難を通った者にしかわからないものです。だから、耐え難い苦難の中でも…どうか希望を捨てないでください。私たちの苦難は誰かの苦難と決して無関係ではないはずです。私たちは何のために生れてきたのか…。それは愛に生きるためです。イエスはそれを教えるために、すべてを捨ててこの世にお生まれになりました。クリスマスはそのイエスの誕生を記念し、覚える日なのです。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。

あなたの涙を覚えています

まことに、御怒りは束の間。いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」大阪もいよいよ本格的な寒波襲来です。カルガモの親子でしょうか。教会近くの池で寒空にも負けずにすいすい泳いでいるのを妻が撮影しました。神に見捨てられたように思うことがあっても、それは束の間のこと…トンネルの先には必ず出口があります。一方、試練の中でも、心を砕いて主に信頼する者には、主が永遠の恵みを備えてくださいます。主は私たちが流した涙を覚えておられます。そして、恵みの中を歩む者には、必ず喜びの朝が訪れるのです。

あなたの泣く声、あなたの目の涙を止めよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。」人生には、どんなにがんばっても報われない、結果が同じならわざわざ厳しい道を進むことに何の意味があるのか…そう言いたくなることがあります。でも、聖書は「あなたの労苦には報いがある。あなたの将来には希望がある。」と告げるのです。確かに、私たちに未来を変えることはできませんが、未来を治めている方を知っているのは幸いです。主はあなたの涙に報いてくださるのです。


銀から金かすを除け

そうすれば細工人に、良い器ができあがる。」今日の祈祷会では箴言25章から学びました。神は事を隠される方であり、それを探り求めるのが私たちの務めの一つです。また、銀から金かすを除くように、主は私たちを良いしもべとするために余分なものを取り除かれます。朝も夜も一人一人が御言葉から教えられたことを分かち合い、それぞれに示されたことを適用しました。今夜は神学生も加わってくださって、話題は「献身」についても分かち合うことができて、実に感慨深い祈祷会でした。

燃える炭火

今日は全国的に真冬の寒さとなりました。明日の祈祷会の準備をしながら、ある御言葉が心に留まりました。「なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」牧師という仕事にもいろいろな事があります。自分の恥を晒すようですが、礼拝後に男性の方から殴られたこともあります。理由はともかく…周りで見ている方がいたので事なきを得てよかったのですが、さすがにショックでした。もう少し落ち着いたら、また別の形でお会いして祈り合えたらと思います。

主はあなたを忘れない

アドベント第二礼拝はイザヤ書からメッセージを聴きました。神は私たちが思っている以上に、私たちのことを愛してくださり忘れることなど決してないことを学びました。それは、母親が幼子を思う以上に、両方の手のひらに刻んでおくほどにとあります。人間は忘れっぽいものです。過去の記憶も薄れゆき、手のひらから零れ落ちるように次々と消えていきます。でも、それも神が人間に備えてくださった憐みなのかもしれません。楽しい思い出に執着することもなければ、悲しい思い出をいつまでも背負っていくこともない。私たちが忘れても、神は忘れない。ただ「わたしは彼らの咎を赦し、彼らのを罪を二度と思い出さない」と約束してくださる。人間には矛盾でも神には真実である。今日は午後からキッズ&ファミリークリスマスがありました。今年も全員参加の降誕劇は見事な完成度。ゲームとメッセージは英会話のレイチェル先生。子どもたちの笑顔が何よりも大きな祝福でした。

明日に備えて…

明日からアドベント第二週、イザヤ書からのメッセージです。祈りつつ準備しながら、ある女性の方からの一言が心に残っています。「あなたのメッセージは怒っているみたいに聞こえる」教会には耳の遠い方もおられるので、少し強めに話していますが…確かに貴重なご意見です。気をつけます。明日の午後はいよいよキッズ&ファミリークリスマスです。トラクト配布も完了し、お天気も大丈夫そうです。今年はゲームとメッセージを英会話のレイチェルさんが担当、日本語の通訳もあります。子どもたちによる降誕劇もなんとか準備できたようで、リース作りも本格的な物になりそうです。たくさんのご家族と一緒にクリスマスをお祝いできるように祈っています。

敬天愛人

内村鑑三は『代表的日本人』の中で、「わが国の歴史的偉人をふたりあげるとすれば、わたしはためらいなく、太閤豊臣秀吉と西郷隆盛をあげる。」と記しました。特に「敬天愛人」を重んじる西郷隆盛に関する記述は、その言葉や生き様に感銘を受けました。その西郷さん、実は極秘に洗礼を受けていた…という諸説もあるようですが、真実は天国にいかないとわかりません。このクリスマス、教会では3人の方の洗礼を期待しています。クリスチャン人口が全人口の1%にも満たない日本で、クリスチャンとして生きるという決断は何とも尊いものだと思います。

キャロリング&祈祷会

朝の祈祷会はヨエル書2章から御言葉を学びました。神は預言者を通して、背信の民に向かって悔い改めを迫りました。「主が思い直して、あわれみ…」心を尽くして立ち帰るなら、主は思い直してくださるというのです。神は、懲りない私たち人間をどれほどの忍耐をもって愛してくださっているのでしょう。この神の無償の愛は、生きとし生ける全ての者に注がれているのです。クリスマスは全人類のために救い主が誕生したことを喜び祝う日。今年もこの喜びの知らせを伝えに地域の介護施設にキャロリングに行きました。

夜の祈祷会は詩篇139篇からでした。神はすべてのことを知っておられ、すべての場所でともにおられ、すべてのことを可能とされる方です。突然の受胎告知を聞いたヨセフとマリヤもどんなに複雑な思いだったことでしょう。でも、彼らは戸惑いつつも…「神にとって不可能なことは一つもありません。」とその状況を受け止めていきました。私たちにもそれぞれに為すべき使命があります。神への信仰こそが、私たちの希望の一歩を踏み出す原動力となるのです。


アドベント第一礼拝

アドベントを迎え、一本目のキャンドルに火が灯りました。イザヤ書40章から「おどろくべきメッセージ」というテーマで御言葉を聴きました。温かく華やかな時期を過ごす一方で、孤独や不安を感じている方もいます。また、何かと慌ただしい毎日の中で、雰囲気だけのクリスマスはひと時の慰めにしかなりません。「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」神からのメッセージにこそ、真の慰めがあります。私たちの全てをご存知である方が、「わたしの民」とあなたに声をかけて招いておられるのです。


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