14日 6月 2019
今朝、同盟教団の理事長をはじめ…数々の尊い働きを担ってくださった吉持章先生が天に凱旋されました。83歳でした。先生の火の出るような熱いメッセージや力強い言葉にどれだけ多くの方々が励まされ、信仰に導かれたことでしょう。神学校のチャペルで、「覚悟のない者は、今すぐ荷物をまとめて帰りなさい。」と仰っておられたのが懐かしいです。そんな先生の歯切れのよい説教が大好きで、テープも何本も持っています。人生の様々な場面で、先生に個人的に声をかけてもらいましたが、その度に的確なアドバイスをいただき、いつも背筋がピンと伸びる思いがしました。「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」吉持先生にピッタリの御言葉です。尊敬する先輩牧師には到底追いつけませんが、私も走るべき道のりを走り通したいと思います。
13日 6月 2019
今朝も祈りから一日が始まる。教会の一人一人を思い浮かべ、特に病の中にある兄姉、子育て中の親子、年配の方々、仕事や人間関係で心身ともに疲れ切った方々、道が開かれず悩みの中にある青年たち…を覚えて祈りました。教会に傷ついて離れてしまっている方もおられます。また、牧師につまずいて教会にけないという方も少なくありません。自分もその一人ですから、本当に申し訳ない思いでいっぱいですが、ぜひまた帰ってきてほしいと思います。「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。」ここで種蒔く者と刈り取る者が同じ人とは限らない…とある本に書いてあり、慰められました。今日も何もできないという思いから、今日できることを一つずつやろうという思いが湧いてくるのは、きっと誰かが自分のためにも祈ってくださっているからだと思います。
12日 6月 2019
今日の祈祷会はマタイ12:1~。「安息日」は労働してはならないという消極的な面もありますが、神の御心を行い、神の御もとで安らうという積極的な面もあります。神が喜ばれるのは、形だけの礼拝より、真実の愛です。大事なのは、安息日のために人間が造られたのではなく、人間のために安息日が定められたこと。人間には心と魂の休息が必要です。そして、真の休息は神の御もとにあるということです。祈祷会の後は、6月の花の日を覚えて、恒例の介護施設にお花と賛美のプレゼント(Ⅰ)に行きました。バイオリンとフルートの演奏、聖歌隊の賛美、ショートメッセージ…心を込めてプレゼントさせて頂きました。「詩と賛美と霊の歌をもって互いに語り合い、主に向かって心から賛美し、歌いなさい。」喜んでくださった一人一人を覚えて、感謝の祈りを捧げました。
11日 6月 2019
今年は二年目ということもあってジャガイモの収穫量はもう一つでしたが、小さいジャガイモも結構おいしいものです。次の野菜のために、石灰をまいて、腐葉土を入れて、鶏糞と堆肥を混ぜて…と土壌作り。教会の子どもたちが「エダマメ食べたいな~」と言っていたので、時期を見て植えてみようと思います。さて今朝の御言葉は、マタイ11:25~「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。」でした。聖書の中で最も広く知られ、多くの人を慰めてきた御言葉の一つ。人はみな、本質的に心と魂の休息を必要としています。心身ともに休みたい…でも、なかなかそうもいかない。だからこそ、誰もがこの御言葉を聞くと心の深くに潜んでいる思いが呼び覚まされるような気持ちになるのではないでしょうか。イエス・キリストのもとに本当の安息があるのです。
10日 6月 2019
今日は午前中に日本福音主義神学会の基調演会に行きました。副題は「キリスト教と象徴天皇制民主主義」。おもにキリスト者として象徴天皇制をどう考えるか、歴史的な経過とともにキリスト教がどう関わってきたのか、どこに今後の神学的課題があるのかを学びました。神学生時代の恩師の講演でもあり、テーマにも関心があったので、休日でしたが…少し早起きして行けてよかったです。小さめの会場でしたがほぼ満席で、知っている牧師も何人も来られていて関心の高さがうかがえました。日本に住む一人のキリスト者として、自分なりにももっと勉強しなければと良い動機付けになりました。午後からは、教会員の方の家を訪問し、帰ってからは野菜の手入れ、そして早速「天皇制」に関する本を幾つか注文して、次の日曜日のわくわく子ども会に向けてトラクトの準備をしました。
09日 6月 2019
今日はペンテコステ礼拝(聖霊降臨日)でした。イースターから数えて50日目に、弟子たちの上に聖霊が降り、初代教会が誕生したことを祝う日です。ヨハネの黙示録2:8~「死に至るまで忠実で」というテーマでメッセージを聴きました。私たちはすでに富む者とされ、どんな苦難も必ず終わりがあり、信仰者には勝利の冠が約束されています。だから主は、死に至るまで忠実でありなさいと命じられるのです。厳しい命令は、神の愛の証し。でも、忘れてはならないのは、私たちがこの生涯を貫くことができるのは、神を愛するという動機があるからです。そしてこの動機をくださるのが、聖霊の働きなのです。午後からはリーダー会&役員会、子どもたちとジャガイモ掘り、夕礼拝の後には久しぶりの兄弟が顔を見せてくださいました。今日も恵み盛りだくさんの一日に感謝でした。
08日 6月 2019
朝の送迎の仕事では少し難儀しましたが、ずっと真夏日が続いたので花たちは喜んだでしょう。こんな日に限って雨に当たりながら葡萄棚を準備しようと思い立ったり、鉢の場所を変えてみたり…と雨の日は少し変わったことをしたくなります。それも金曜日で教会の集会もなく、比較的のんびり過ごせたからそう思うものの、もし日曜日なら礼拝に来られる方の足元が心配で雨の日を残念に思ったはず…。人間は何と状況に左右されるものでしょう。「雨もまたよし、晴れればまたよし」といきたいもの。もともとは禅の言葉のようですが、「雨」も神の被造物と思えば、感謝の気持ちがわいてきます。「神が造られたものはすべて良いもので、感謝して受けるとき、捨てるべきものは何もありません。」近視眼的にならず、どっしりと、少し広い視野で物事を捉えていきたいものです。
06日 6月 2019
6月最初の祈祷会はマタイ9:27~38「いつくしみ深い主」というテーマで御言葉を学びました。目の見えない二人の盲人は、イエスさまに憐れみを叫び続けました。主はそんな彼らに「あなたがたの信仰の通りになれ」と癒されたのです。彼らはどんなに嬉しかったことでしょう。当然黙っていられるはずがありませんが、主はそんな思いをよくわかった上で「だれにも知られないように…」と厳しく命じられました。えっ?どうして?と思うところ…。でも、いつくしみ深い主の御思いは、私たちの思いより遥かに高いのです。病の癒し以上に大切なことがある、羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れている者たちが大勢いる、収穫は多いが働き手が少ない。私たちを見て深く憐れまれる主は、今日も救われる魂を、ご自分の御業に献身する者たちを探しておられるのです。
04日 6月 2019
さつまいも、カボチャ、キャベツ、ピーマン…と段々とそれらしい形に成長してきました。さて、ヨハネの黙示録にはエペソにある教会に宛てた手紙に、当時の誤った新しい教えに対する警告が書かれています。いつの時代も、キリスト教の名を語りながら誤ったことを教えるグループがあるものです。「十字架にかかったイエスは、救いを完成できなかった」「旧約、新約、そして今はさらに新しい時代が来ている」「既成教会は古い教えで、今はもっと進んだ新しい教えがある」etc…今までのは古い、新しい方がいいに決まっているという言い回し。異端が常套手段とする危険な手口です。「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなった、その人。」特に若い世代の方々に、違いが分かりにくいからこそ慎重に決断してほしいと思います。
03日 6月 2019
6月第一主日、まだ誰も来ていない時間に一人で祈って礼拝に備えました。メッセージはヨハネの黙示録2:1~。日々厳しい迫害を耐え忍んでいたエペソの教会に、主は「わたしは…知っています」と手紙を送られました。彼らは行動面でも知識面でも立派な信仰をもっていましたが、一つだけ「あなたは初めの愛から離れてしまった」と告げられたのです。それは教会として致命的なことでした。そこで主は、彼らにどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさいと命じられました。人はみな、知らず知らずの内に道を間違えてしまっていることがあるのではないでしょうか。自分の誤りを認めて、向きを改めるのは容易いことではありません。でも、その事に気づかせて頂けるのは、まだ立ち直るチャンスがあるということ。厳しい言葉は切なる愛の表われなのです。

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