17日 7月 2019
だれもが、何か不安で物足りない人生より、いつも充実した意義ある人生を送りたいと思うものですが、なかなかその道を見出せないという方も少なくありません。多くの人は、自分以外に頼れるものはないから、自分の力でやっていくしかないと考えます。まして、神に頼ることなど…と思われるかもしれません。でも、聖書はこう告げます。「人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かにするのは主である。」私たちの人生を確かなもの、価値あるものにするのは、主なる神だというのです。もしお手元に聖書がある方でしたら、試しに「箴言」を一日一章ずつ読まれてはいかがでしょうか。できたらネットではなく、書物で、特に若い世代の方にお勧めしたい!もちろん、あらゆる世代の方に…。教会もそのお手伝いをいたします。ぜひ一緒に探求してみましょう。
15日 7月 2019
7月第ニ主日の礼拝。ヨハネの黙示録3章~フィラデルフィアの教会に宛てた手紙から。キリスト教信者に対する風当たりの厳しい時代、「兄弟愛」の意味を含む町名の教会は肩を寄せ合いながら助け合っていたのでしょう。この教会は小さな群れだったようですが、世と妥協せず、迫害にも屈せず、しっかり主の言葉を守り、主の名を否まずに歩んでいた教会でした。イエスも「からし種」を譬えて教えられたように、教会も信仰も大小の問題より、そこに命があるかないかが最も重要なことです。「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」今日は午後から大和郡山めぐみ教会の献堂式に出席してきました。祝福を祈りつつ、主のご計画に大いに期待します。おかげさまで夜の夕拝にも間に合って感謝でした。
11日 7月 2019
イエスの話された譬え話の一つに「実を結ばないイチジクの木」があります。ある人がぶどう畑にイチジクの木を植えましたが、待てど暮らせど実はならず三年が過ぎました。主人は番人に「もう、切り倒してしまいなさい」と命じますが、番人はあきらめずにこう言いました。「ご主人様。今年一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。それで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。」何とかの顔も三度までと言いますが、主はもう一年そのままに…もう少し待ってください…とあきらめずに祈っておられるのです。生きている限り、私たちの人生は苦難の連続です。辛いことや悲しいことは次々と起こります。でも、そんな毎日をともに苦しみ、何か一つでも希望の実を結べるように待っておられる方がいるのです。
11日 7月 2019
祈祷会はマタイ21:33~。イエスは祭司長たちによく譬えを用いて話されました。その方が聴き手により効果的に、そして印象深く伝わるからです。ある家の主人が大切なぶどう園を農夫たちに貸して旅に出た。収穫の時が近づいたので、主人は自分の収穫を受けとろうとして、農夫たちのところにしもべを遣わしたが、農夫たちは次々としもべたちを殺してしまった。そこで主人は息子なら敬ってくれるだろうと思って遣わしたのですが、その息子も殺されてしまったという話しです。主はここで「家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった。」という旧約聖書を引用されました。まさに主は人々に捨てられ十字架にかけられましたが、その死と復活が要の石となって神と人とを繋ぎあわせたのです。最後まで悔い改めを迫られた主の忍耐と憐れみ深さが伝わってきました。
10日 7月 2019
ある青年から「聖書は女性教師(役員)を禁じてるのではないですか」と質問を受けました。一つの根拠は「私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。むしろ、静かにしていなさい。アダムが初めに造られ、それからエバが造られたからです。」です。手厳しい言葉ですが…パウロはこれを時代的状況というより、創造の秩序から語っているというのがポイントです。正直、私は勉強不足でしたが、今回この件に関して各教派、神学者の間で様々な意見があることがよくわかりました。私たちの同盟教団も1988年の総会で女性正教師を認める決議をし、その頃の先輩牧師の論文なども読みましたが大変勉強になりました。あらためて女性教職(役員)は神の御心だと確信します。「男も女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。」
08日 7月 2019
梅雨晴れの朝、7月第一の主日礼拝を捧げました。メッセージはヨハネの黙示録3:1~。復活の主はサルディスにある教会に、「あなたは生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。目を覚ましなさい。」と手紙を送りました。人はあなたの行いを評価しても、神の目にはすべてがほどほどで中途半端だというのです。「目覚めなさい」とは裁きの言葉ではなく、やり直すチャンスがあるという神の招きの言葉でした。主は最後まで信仰に歩み続ける者を求めておられ、白い衣を着せてくださり、いのちの書に名を記し、父なる神と御使いたちの御前で名を呼んでくださるのです。今日は午後から聖歌隊のレッスンがありました。美しい合唱はファミリーコンサートで聴くことができます。また、夕礼拝の後は青年たちと神学談義。テーマは女性教職論。実に考えさせられる分かち合いでした。
05日 7月 2019
今日はハートフル英会話春期コース(大人)が最後のクラスでした。チャペルタイムではレイチェル先生の手作り教材によって、天地創造から人間の堕落、イスラエルの罪の歴史、救い主の誕生、十字架、復活、聖霊降臨、世界宣教、そして新天新地へと続く壮大な神のメッセージがよくわかりました。聖書の最後のページは「終わり」ではなく、「主イエスよ、来てください。」で閉じられます。つまりこの物語にはまだ続きがあって、今日の私たちがこの神のメッセージをどう受けとめるかが問われているのです。この地上の世界は永遠ではありません。必ず終わりの時が来て、人はみな神の前に立つ時が訪れます。その時になって慌てふためいても…。でも、生きていて神を信じる者は、決して死ぬことがなく、永遠のいのちが与えられる、それが最も重要な神のメッセージなのです。
03日 7月 2019
祈祷会はマタイ19章~、パリサイ人たちはイエスを陥れようと「離婚」について質問しました。申命記24:1には、何か恥ずべき事を発見した場合には離婚状を書いて離縁できるとあります。「何か恥ずべき事」とは何か。当時の律法学者の間には、姦淫だけを指す、あるいは、もっと広い意味もあるの二つの立場がありました。いずれにせよ、主はそこで彼らの質問に直接答えず、その根源的な「結婚」とは何かを明らかにされたのです。「それゆえ…ふたりは一体となるのである。」つまり結婚とは男と女に造られた者たちが本来の一体性を回復することであり、それゆえ主は「神が結び合わせたものを人が引き離してはならない」と教えられたのです。今日の離婚原因の一位は「性格の不一致」とのことですが、あらためて結婚、離婚、独身について聖書から見つめ直したいものです。
01日 7月 2019
マタイ18:1~、弟子たちはイエスに従いながらも、自分たちの中で誰が一番偉いのかという思いが絶えずありました。この時も、イエスがペテロとヤコブとヨハネだけを連れて山に登られたことやペテロの分の税金を払うことなど、他の弟子たちは面白くなかったでしょう。彼らの関心は神の国の完成よりも、自分たちの地位にあったのです。そこでイエスは小さな子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、あなたがたも悔い改めて子どものようにならなければ御国に入ることはできないと教えられ、さらに子どものように自分を低くする者が御国で一番偉いことを説き明かされたのです。多くの人は人生に勝とう勝とうと頑張ります。でも、「負けて勝つ」とも言いますが、時に「負け」を認めることは「勝つ」こと以上に意味があります。最後に勝つために、今、何をするかです。
01日 7月 2019
今日は歓迎礼拝で高橋渉先生をお迎えしてメッセージをとりついでいただきました。高橋先生にとっての初めての外部説教ということでしたが、エゼキエル書から「破れ口に立つ者に」というテーマで、救いと献身のお証しも交えて語ってくださいました。神はこの時代も、破れ口に立つ一人の人を捜しておられること、私たちもそこに召されていることがよくわかりました。おかげで私も、念願の子ども礼拝でのメッセージをすることができて感謝でした。午後も昼食を挟んで高橋先生にはそのまま残っていただき、フェローシップタイムで非常に活発な意見が飛び交い、私は子どもたちと一緒に卓球・バトミントンに汗を流し、そして紙コップゲームで盛り上がりました。時折、強い雨が降る一日でしたが、今日も夕礼拝まで大勢の方が来会されました。また新しい一週間が始まります。

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