12日 11月 2019
昨日は関西宣教区の牧師会。早いもので「今年最後の…」という言葉を聞くようになりました。さて、今日の水曜祈祷会はイザヤ50章から。イスラエルの民は、エルサレムの壊滅とバビロン捕囚は自分たちが神との関係を壊し、他の神々に心をゆるしてしまったからだと思っていました。もう絶望的だ…。そんな自暴自棄に陥る彼らに、神は「このわたしは、あなたを忘れない」と言われます。私たちも思わぬ困難や苦しみにあうと、どうしてこうなった…もう絶望的だ…と思ってしまう。でも、まだ終わりではありません。人間的に不可能だと思う状況も、神にとって不可能なことはないからです。苦難の中でこの事を思い出し、この信仰に生きるとき、私たちの心に確信がわいてきます。「神である主は私を助けてくださる」この希望は失望に終わらない、それが聖書の約束なのです。
11日 11月 2019
11月第二主日、礼拝メッセージはエレミヤ書29:10~。神に背を向け続けるイスラエルの民に、神の審判としてのバビロン捕囚が下されました。エレミヤは壊滅したエルサレムから、絶望の淵に立つ捕囚の民に手紙を送ります。そこには、遠い異国の地バビロンへ引いて行かせたのは主であること、苦難はやがて終わりがくること、苦難の先に主の計画があること、苦難の中でも信仰を持って生きることが書かれていました。私たちも時に、もうすべてが終わった…と思うような苦難を生きなければならない時があります。そんな時、どうか思い出したい御言葉です。「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている。」神は我らに心に留めておられる、忘れずに覚えてくださっている。だからこそ、たとえ明日世界が滅びようと…今日私も希望の種を植えたいと思います。
10日 11月 2019
キッズ&ファミリーフェスティバルvol.9が川西キセラホールで開催されました。テーマは「キャッチ」です。この働きも10年目ですが、去年は台風の影響で中止となったので、9回目のフェスタでした。秋晴れの爽やかな天気のもと、400名を超すご家族が参加してくださいました。Part1は屋外で、さまざまな飲食とゲームの模擬店が並び、Part2は大ホールで、キッズクワイヤー、キッズダンサー、感動のミュージカルと盛りだくさんの内容でした。もちろんバイブルメッセージも語られ、大勢の方々の心に福音の種蒔きができました。準備もなかなか大変で、会場の方にお叱りを受けたりもするのですが、参加した子どもたちとスタッフの先生方の笑顔に励まされて、今年も何とか無事に終了。明日は主の日です。それぞれの教会が祝され、恵みの分かち合いがありますように。
07日 11月 2019
ハートフル英会話のチャペルタイムで聖書のお話しをさせていただきました。そもそも聖書の原典はヘブル語・アラム語・ギリシャ語で書かれていて、日本語版は翻訳です(私たちの教会で使っているのは新改訳聖書2017版)。あとがきには「原語にあくまでも忠実であり、読みやすく、しかも聖書としての品位を失わない訳文」とあります。ただ…少し物足りないのは資料が乏しいこと。一方で、新世界訳(エホバの証人の方が使われる)も第三版が出たようですが、こちらは資料が豊富でなかなか読み手に優しい配慮が見られます。しかも中身を見ると「地は荒れていて何もなかった」「神が送り出す力」「光よ、輝け」など、思い切った改訂がしてありました。読みやすければいい…ということではないでしょうが、最初に手にするのがどの聖書であるか…ここが大きな分かれ目です。
07日 11月 2019
大阪も朝晩がだいぶ寒くなってきました。今朝は台風の被害に遭われた方々を覚えて祈りました。復旧には時間がかかり、ボランティアも不足しているとのこと。私も何とか時間を作って行きたいと思います。今日の水曜祈祷会はイザヤ書43章から御言葉を分かち合いました。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」…よく耳にする聖句が幾つも出てくる章ですが、あらためてみんなで読みますといろいろな感想があって深く考えさせられました。主の道に歩もうとせず、その教えに聴き従わなかったイスラエルの民…。にも拘わらず今、「このわたしが主であり、他に救い主はいない。」と主は悔い改めを迫られる。愛される資格のない者を、無条件に愛される神の愛。人間にとっては矛盾でも、神にとっては矛盾ではない。ここに私たちの希望があります。
05日 11月 2019
教会では月に一度、聖餐式を行います。聖餐は、主イエスが十字架にかかる前夜、弟子たちと最後の食事をとる時、パンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与え、また、杯を取って弟子たちにお与えになり、主が再び来られる日までこれを守るようにと定められた礼典です。救い主イエス・キリストを信じ、洗礼を受け、キリストのしもべとしてふさわしく生きることを願っている方なら、だれでも与れます。時々、「ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになる」という御言葉を聞いて、聖餐を辞退される方もいますが…そういう時は、示される罪があるば、それを告白して、むしろ聖餐に与りましょうとお勧めします。なぜならこの式は、私たちの救いがただ主の恵みでしかないことを覚える時でもあるからです。
04日 11月 2019
今日は朝からさわやかな秋晴れとなりました。いつも洗礼式は日曜日の礼拝後ですが、ご本人の希望で月曜日に行いました。その理由は大きく二つ。一つは今日がご自身にとって特別な日であること、もう一つは30年来の友人である牧師が来日するので、ぜひその先生に洗礼をお願いしたいということでした。休日だったのですが、教会からも数人の方々が出席してくださって、とてもアットホームな洗礼式でした。「このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」洗礼式はイエスさまご自身が公生涯を始められる時に定められた礼典。私たちクリスチャンにとっても、イエスさまの歩みに倣う、新たな信仰生活の始まりです。私も20年前の自分の洗礼式を思い出しながら、感慨深く司会をさせていただきました。心から祝福をお祈りいたします。
03日 11月 2019
11月最初の主日、礼拝メッセージはエレミヤ書1章~。神はご自身の計画の中で、必要な時に必要な人を召し出されます。エレミヤは最初、主の召しを否定的に受け止めました。「私はまだ若くて、どう語ってよいか…」それは単なる年齢的なことだけでなく、人間的な基準による自己判断でした。主はそんな彼のことをよくご存知の上で、召し出され、「わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出す」と約束されたのです。どんなに現実として前途が困難に思えても、主がともにおられるなら心配はありません。神が求められるのはただ一つ、呼びかけられる主の声に聴き従うことです。今日も教会には子どもからご年配の方まで大勢の方が来てくださり、礼拝後はバイブルクラスや囲碁クラスがありました。夕礼拝にはどなたも来られませんでしたが、また来週お待ちしています。
31日 10月 2019
巷ではハロウィンかもしれませんが、クリスチャンにとっては宗教改革記念日です。はじまりはカトリック教会に対するマルティン・ルターの95箇条の質問状でした。世の中では一般的とされていることでも、おかしいことに「おかしい」と声をあげたルター。あれから501年。日本のテレビでは渋谷のハロウィンの熱狂ぶりが放映されますが、なんとも虚しい気持ちに…。あれはやっぱりおかしいですよね。今日はステファン宣教師が教会を訪問してくださって、しばらくお交わりしました。世界各地の教会を見てこられた先生のお話しは、クリスチャンとしての希望は何か、牧師にとって何が一番大事なことか、聴いているだけで胸が熱くなってくるようでした。「イエスさまが歩まれたように、僕たちも歩みたいね」突然の訪問でしたが、神さまのタイミングに本当に感謝な時でした。
31日 10月 2019
今日の水曜祈祷会はヘブル10:19~「こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。」イエスの流された血潮は、私たちの罪を聖め、天の御国の扉を開き、私たちに神の子どもとされる特権を与えられました。それゆえ著者は、私たちに全き信仰を持って真心から神に近づこうではありませんかと勧めるのです。自宅で一人で祈るのもいいですが、やはり教会で一緒に祈るのは、また特別な恵みの中にいることを感じます。今日は一人の姉妹がスペインの旅行から帰って来られ、サグラダ・ファミリアを訪れた写真を見せてくれました。着工から完成まで300年はかかると言われた建設工事も急ピッチで進められ、あと8年で完成というところまできているそうです。建築家ガウディの信仰の証し。私も生きている間に一度は訪れてみたい場所です。

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