What would Jesus do ?

  神さまと出会う前の自分はどんな問題があったかを考えてみました。中学生の頃です。今では想像もつかないほど勉強を怠り、自分勝手に友達と遊び呆け、また家族ともとてもよく喧嘩をしていました。親が注意してくれていることに不条理にも腹を立てて、感情的になって怒鳴り散らすことも実は多々ありました。今、冷静になって思い返せば、中学性の頃の自分は特に自己中心的で、自分さえよければいいんだ、傲慢にも思っていたような気がします。

 そんな荒れ果てた中学生時代でしたが、高校生になって漠然と「神さま」というものを意識するようになりました。自らを追い込んだ受験、元気だった祖母の認知症…「自分一人じゃ、なあんもできんのじゃ」と無力さを思い知らされた時でもありました。教会に行き始めたのは、そんな時代でした。今、思えば、これも不思議な導きです。高校時代は勉強に多少熱心だった僕でしたが、仲良くして頂いていた英語の先生が近所の教会の知り合いだったのです。英語を話す環境も欲しい!と思った僕はお邪魔することになりまし

 そこで生まれて初めて世界じゅで何世紀にも渡って読まれてきた「聖書」を開きました。そこで初めて聖書を開いてから、イエスさまを信じるまでは長くはかかりませんでした。当時の僕は「救い」というよりは「癒し」を求めていたような気がします。「お婆ちゃんのことをどうかお願いします」「受験がどうかうまく行きますように」…。

 そして、イエスさまを信じて変わったことと言えば、家族とケンカすることがなくなったことです。何よりまず、あらゆることに感謝をするようになりました。一日生き延びたことに感謝、食事が与えられていることに感謝、テストの点がよかったことに感謝。こうして感謝を述べるときに、やはり僕を造ってくれて、いつでも支えてくれる神さまを伝えずにはいれませんでした。この感謝の思いが洗礼を受ける後押しになってくれたような木もします。 今ももしかしたら「救い」よりも「癒し」を求めている自分があるかもしれません。ですが、冷静になって考えてみれば、何より恵みは「救い」であること間違ないはずです。僕の好きなレミゼラブルにも出てきた、where chains will never bind you.「 二度と鎖に縛られることのない場所」.教会に通い始めたころは「天国」というものがピンとこずに、そのためにイエスさまの血による「救い」を理解しようとしていなかったのかもしれません。今は天国というものを心から信じ、それがイエスさまからの命を懸けた一番の贈り物であることを心得、それゆえ些細な悩み・思い煩いは片っ端から神さまにゆだねることができています。 19歳になったばかりの人生、これからも多くのことがあることは間違いありません。そのあらゆる場面でイエスさまのことを思い、「イエスさまならどうするか」を考えていきたいと思います。そして、願わくは、家族にも周りの人にも伝道をしていくことができるように!祈り続けていきます。

 好きな言葉ではありませんが、好きな英語のフレーズがあります。When life is tough, pray, when life is good, pray.「逆境の時には祈りなさい。順風の時にも祈りなさい。」どんな時でも信頼して、これからを神さまとともに歩んでいきます。

 

10代 学生