カテゴリ:2019年上半期



2019/05/21
今朝は少し晴れ間も見えたのですが、午後からは曇り、そして夜からは激しい雨となりました。昨日は奈良での奉仕が終わって急いで帰りましたが、教会はガラーんと静かなものでした。来会者の名前を見ながら、あの方が来られた…あの方はお休みだった…と一人一人の顔を思い浮べながら、話せなかったなぁと。人生はなかなか願ったようにはいかないものです。どうして自分だけ…と思うこともあります。イエスのご生涯も、弟子たちにも見捨てられ、自分は十字架刑で死んで逝く…人の目には辛いだけの人生だったと見えるかもしれません。でも、その先には復活の朝があり、永遠のいのちの希望が用意されていたのです。人生は最後まで何があるかわからないもの。昨日の夕拝にも…結局、主は5人の兄姉を導いてくださって、いつも以上に話しも弾み、嬉しい交わりとなりました。
2019/05/19
今日の礼拝は大和郡山めぐみ教会との講壇交換で、MGBCのメッセージは正村師がとりついでくださいました。マタイ5:14-16、「あなたがたは世の光です。」光は暗闇が深いほどその輝きを増すもの。光そのものであるイエスは「あなたがたが世の光です。その光を人々の前で輝かせなさい。」と仰られた。それはまるで月が太陽の光を反射して輝くように…主を愛するあなたがたも光輝くのですとのこと。正村牧師らしい穏やかな語り口から、聖書の真理がはっきりと語られました。午後の交わりでも牧師を囲んでメッセージの恵みをさらに深く分かち合い、子どもたちはアサガオの種蒔き&そら豆の収穫に興味津々だったようです。私は大和郡山めぐみ教会の皆さまに温かく迎えていただき、心も身体もお腹いっぱいで帰ってきました。奈良でも「神の家族」の幸いを感じた一日でした。
2019/05/17
いのちのことば社の本多さん(妻の従兄弟)が教会を訪問してくださいました。『新改訳聖書』が約半世紀を経て全面・大改訂され、実に読みやすくなったなぁと思っていましたが、今日いろいろとお話しを聞いてさらにその具体的な長所がわかりました。聖書の原典はヘブル語・ギリシャ語で書かれていますが、どれだけ忠実に訳されているかが重要なポイントです。ルターの宗教改革から丁度500年に完成したのも神の不思議な計らいでしょう。日本語でこれだけのものが読めるなんて…翻訳改訂作業に関わってくださった学者・先生方の多大なるご尽力に心から感謝いたします。「聖書」は永遠のベストセラーであり、人生を大きく変える力がある書物です。ぜひ手に取ってご一読をお薦めいたします。どんなものがあるの?価格は?…購入される際は、まずは教会までご相談ください。
2019/05/16
そら豆が収穫の時期を迎えようとしています。一説によると、ベストの時期は三日間だけ。こういうのは苦手です💦今日はハートフル英会話があり、午前クラスにはオブザーバーの方がきてくださいました。M.ブーバーは「人生は出会いで決まる」と言いましたが、何事も初めの一歩が肝心ですね。午後クラスでは最後にレイチェル先生のバイブルアドベンチャーがあり、旧約聖書の難しいところでしたが、約500年間のイスラエルの歴史をほんの15分で見事に解説してくれました。聖書は「昔、昔、あるところに…」という創作話ではなく、まさに天地創造から始まる人類の歴史であり、神のアドベンチャーが詰まった書物です。文字を読んで理解するのもいいですが、こうして視覚教材を使って学ぶのも楽しいです。皆さまに「英語」とともに「聖書」とも良き出会いがありますように。
2019/05/15
洗礼後の学びをしました。諸先輩方が謙遜に学んでくださる姿勢に頭が下がります。今日の水曜祈祷会はⅠサムエル19章~、サウロはダビデに殺意があることを公言すると、息子ヨナタンはそんな父を諫め、彼は何も悪い事はしていないと説得します。でも、サウロの嫉妬は留まることを知らず、ダビデは何度も命を狙われていったのです。思えば、聖書にある最初の殺人も、兄弟間での嫉妬が原因でした。人間は一歳頃から嫉妬心が芽生えるとのこと。自分勝手な心は、教えられなくても芽生えてくるもの。だからこそ人はみな、愛の源であるキリストとの出会いが必要です。祈祷会後はKFSMミーティングでOne Hopeの紹介がありました。「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ。」神が造られたすべての子どもたちにイエスさまを伝えたい、スタッフの方の熱い思いを感じました。
2019/05/13
今日は母の日歓迎礼拝でした。母の愛は海よりも深い。日ごろの感謝を込めてお花をプレゼントしました。ヨハネ21:15~、イエスが捕らえられるのを見て恐くなったペテロは「私はあの人を知らない」と三度否定しました。復活の主はそんなペテロの心を知って、ご自分から近づき「あなたはわたしを愛しますか」と声をかけられたのです。それは彼の傷ついた心を癒し、彼との関係を回復し、再び立ち直らせるためでした。ペテロは失敗を通して心砕かれ、赦され、受け入れられる経験を通して成長を遂げていったのでしょう。午後からは春の教会ピクニックへ。参加者約20名。近くの公園でランチを食べ、その後は子どもと大人の混合で、しっぽ取り、だるまさんが転んだ、水風船…とにかくよく走りました💦夕拝後は青年たちと聖書研究に…恵みあふれる一日に感謝でした。
2019/05/10
何もしてくれなくてもその存在自体が愛しかった、まさに「doing」より「being」を教えてくれたオオクワガタが天寿を全うしました。最後に身長を測って土に還してあげようと思います。…今まで一緒だった人がいなくなるというのは寂しいものです。去っていく方も辛いでしょうが、残される方も辛い。仕事を辞めたい…という青年とお茶を飲んだ後、少し前にある方から「教会をお休みします…」と言われたことを思い出しました。教会も人の集まりですから、いろいろなことがあります。価値観も考え方も違うので、時にぶつかることもあります。かく言う私も言葉でよく失敗する者です。それは「あなたがたも互いに愛し合いなさい」と繰り返しあることから聖書の時代も同じだったのでしょう。それでも教会は主のもの。主にあって、少しずつでも自分も変えられたいと思います。
2019/05/09
水曜祈祷会はⅠサムエル記15:1~「今、行ってアマレクを討ち、そのすべてのものを聖絶しなさい。容赦してはならない。」サウルはイスラエルの民を攻撃してくるアマレク人を聖絶するように命じられました。「聖絶」とは神のものとしてささげることを意味します。それにしても…あまりにも峻厳な神の命令。サウルも結局、アガグ王を生け捕りにしたり、つまらないものだけを聖絶するなど神の命令を割引きました。祈祷会メンバーからも「神の命令とは言え、乳飲み子まで殺すなんて…自分にはできない」「サウロはアマレクを赦してくださるように祈るべきだったのでは…」といろいろな意見が出ました。信仰者でも簡単には腑に落ちない箇所ですが、今日の私たちの罪との戦いに置き換えたらどうでしょう。自分が絶つように命じられているものは何か…考えたいものです。
2019/05/07
今日も朝から良い天気になって、草花は喜んでいる様子でした。なかなかできなかったプランターの土のリサイクルに手をつけました。まず古い土はこうしてビニールシートの上にあけて、太陽の光に当てながら苦土石灰で消毒。そして、本当はしばらくこのまま数日置いておくといいのでしょうが、スペースもないので…夕方にはフルイにかけてゴミや根っこを除き去り、土壌改良剤を混ぜて完了です。同じ土のようでも、目には見えない病原菌やカビなどがいる場合があって、そのままだと草花も作物も生育が悪くなります。人間も似ているところがあります。重箱の隅をつつくように枝葉末節をこだわっているより、「根っこ」から…もっと言えば「土壌」からやり直さないと根本的な気づきには至らないのでしょう。電話でカルト宗教の相談を受けながら、そんなことを思いました。
2019/05/06
風薫る五月、2000年前のティベリヤ湖畔も新緑も眩しくさわやかな風が吹いていたのでしょう。そんな光景を思い浮かべながら、復活の主がガリラヤに帰った弟子たちの前に姿を現わされたところからメッセージを聴きました。主はガリラヤ湖の岸辺に立ち、一晩中網を打って何も捕れずに帰ってきたペテロたちを迎えられます。主は彼らに近づいて「舟の右側に網を打ちなさい…さぁ来て朝の食事をしよう…」と声をかけられました。目に浮かぶような記述です。弟子たちはこの時の出来事を忘れることはなかったでしょう。主は今も生きておられ、今日の私たちにも同じように声をかけ、ともに歩んでくださるのです。今日は午後からバイブルクラス、囲碁クラスが行なわれ、子どもたちは近くの公園へ…。夕拝にもパワフルな方が来会され…主にある豊かな交わりに励まされました。

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