教会内の活動&牧師ブログ

わくわく子ども会2018

6月第3日曜日は父の日歓迎礼拝でした。あらためて教会のお父さんたちに感謝を表しました。使徒信条の講解も今日で完了。また午後からは子ども会があり、段ボール迷路を作って遊びました。初めての子どもたちも来てくれて、たくさんの参加者がありました。「迷子の羊」のお話ししましたが、みんなの心に残ってくれるように祈ります。

花の日を覚えて…

今日も祈祷会の後、「花の日」を覚えて地域の介護施設にお花と賛美のプレゼントに行きました。バイオリンの演奏とワーシップ、最後は「故郷」を一緒に歌いました。「志を果たして いつの日か帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷」3番の歌詞からメッセージをさせて頂き、ともに天の故郷を思い描きました。

平和をつくる者は幸い

今日はトランプ大統領と金正恩委員長の史上初となる米朝首脳会談がありました。世界中が注目した会談でしたが、北朝鮮の完全な非核化や日本の拉致問題に関しては具体的な進展はなかったようです。それでも互いに一歩を踏み出したのですから、過去に戻るのではなく、新たな関係に進んでほしいものです。平和は望むものではなく、つくるものこそ幸いなのですから。

わたしのところに…

…来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」雨上がりの午後、土曜日の子ども会のトラクト配布に行きました。「段ボール迷路って何?」学校帰りの子どもたちに聞かれましたが、それは来てからのお楽しみ。裏面には英会話の案内もあります。子どもも、大人も、一度教会にいらしてみてください。

夕方の礼拝

今日の歓迎礼拝は玉井敦子師を迎えてメッセージを取り次いでいただき、大勢の方々が来会されました。午後は役員会の後、静まって御言葉に聴く夕礼拝がありましたが…どなたもいらっしゃいませんでした。「I am with you... for I am your God.」夕方になって雨脚も強くなってきました。。。でも、いい時間です。

信仰の創始者であり…

完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2)多くのクリスチャンが暗唱している有名な聖句。でも、エホバの証人が使う聖書(新世界訳)には「主要な代理者」とあり、全く違う意味になっています。イエス・キリストを「神の最初の被造物」、また聖霊を単なる「神の活動力」とするのは、知らなかったでは済まない、あまりにも大きい罪と言わざるを得ません。

梅雨の晴れ間

2月に植えたジャガイモを少し掘り起こしてみましたが、案の定まだ収穫は先がいいようです。物言わぬ作物でもこんなに大事に思うのに…五歳の女の子を遺棄した両親はどんな思いだったのだろう。子どもを育てたこともないくせに…とお叱りも受けるかもしれませんが、なんとも痛ましい事件です。聖書は告げます。「わが父母われをすつるとも神われを迎えたまはん。

雨の祈祷会

午後から地域のデイサービスに花と賛美のプレゼントに行きました。皆さん、よく聴いてくださって感謝でした。「白髪は光栄の冠、それは正義の道に見出される。」夜の祈祷会を終えて、花と語らう我が妻…。

心にゆとりを…

今日から大阪もいよいよ梅雨入りでしょうか。夜になって雨足も強くなってきました。するべきことが思うように進まないと気持ちばかりが焦ります。こんな日は箴言の御言葉を思い出しましょう。「急ぎ足の者は道に迷う。」心にゆとりを持ちたいですね。「あなたには確かに将来がある。あなたの望みは絶たれることがない。」雨音を聴きながら祈るのも心が休まります。

Ecce homo

「この人を見よ」という絵と出会った一人の少女。彼女はその絵の周りの言葉に心打たれました。「私はあなたのために命を捨てた。あなたは私のために何を捨てたのか。」昨日はハヴァ―ガルの召天日。本当の奉仕とは神のために為すべきもの。一週間に何時間伝道した、何件訪問した…。自己満足?人からの称賛?奉仕を数字で計るのは本質的に間違いです。

からだのよみがえりを信じて

使徒信条の講解も残すところあと二回。今朝は「からだのよみがえり」をテーマに御言葉を学びました。難解な箇所をなるべく丁寧に語りたいと思っていたら録音を忘れてしまい、後から一人で語り直しました。私の拙い説教を通して、主が働いてくださることを祈るばかりです。今日は新発田の歩くんが久しぶりに来てくれました。

わたしは、あなたの寿命に…

…もう十五年を加える。」神は死の病を患っていたヒゼキヤに15年の寿命を加えられました。人生は最後まで何が起こるかわかりません。サッカーのロスタイム(失われた時間)も、本当はアディショナルタイム(追加された時間)と言うのが正解です。人生も「あと5分しかない」ではなく「まだ5分ある」です。神の御業を体験する時間はまだあります。

趙先生、召天。

昨日、趙顕道牧師の天国歓送礼拝が行われました。趙さんとは神学校の家族寮で親しくさせていただき、最初の奉仕教会も一緒で、とにかく優しくて伝道熱心な先輩でした。52歳…。早すぎる召天に、先生の無念さとご家族の悲しみを思います。命を使うと書いて「使命」と言いますが、まさにご自身の使命を全うされた素晴らしい先生でした。

かれ手を伸べたれば癒ゆ

男は主イエスのことばを信じて手を伸ばし、病いの癒しを体験しました。信仰とは、まさに御言葉を信じて一歩踏み出すこと。雨の日の祈祷会でしたが、証しあり、折り紙でバラの花を作ったり、恵みにあふれる集会でした。来週は、「花の日」恒例の介護施設への問按です。玄関ドアもまずまず奇麗な仕上がりで安心しました。

梅雨の訪れを前に…

前から気になっていた玄関ドアの修繕をしました。築40年の家ですから、いろいろな所に手を加えなければなりません。でも、表面を紙やすりで削り、塗料とニスを塗ったらきれいになりました。もともとが立派な材質だったのです。時々手入れが必要なのは、私たち人間も同じなのかもしれません。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。」(ヘブル12:5)

かつては人間的な標準で…

…キリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。」今日の礼拝メッセージはⅡコリント5:16からでした。人間的な標準でなく、神が自分をどう見ているのか…ここに重きをおきたいものです。また、礼拝後は教会総会がありました。ここでも神の視点を基準とすることの大切さを学びました。

われは我が咎を知る。…

…我が罪は常に我が前にあり」夏目漱石の『三四郎』に出てくる一文です。彼が持っていた英文聖書には、書き込みが幾つもあり、線が付してあったそうです。先の言葉も詩篇51:3からの引用でした。自分が罪人であり、神の敵となっている…そう言われてもピンとこない人が多い中で、教会はそのことを第一に示し、それゆえの和解を語る使命があるのです。

今まで生きてきた中で…

…いつが一番幸せだった?」祈祷会の後、青年たちが話していました。どんな人生にも後悔はつきものなのかもしれません。でも、聖書にはこうあります。「是故に人キリストに在とき…古きは去りて、みな新しく作なり。」変えられない過去を悔やむより、主にあって今が一番幸せだと思えたらいいですね。

コペルニクス的転回

祈祷会は詩篇24篇から「世界は主のもの」というテーマでした。「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。」今日はコペルニクスが地動説を発表した日でした。物の見方が180度変わる、私たちも自己中心から神中心の生活にシフトが必要です。奇しくも明日は彼の召天日…。そんなことを思いながら、講壇の踏み台をDIYしました。

…あなたはお答えになりません。けれども…

…あなたは聖であられ、」人には誤解され、理解されず、どこを向いても取り付く島もない。神も私をお見捨てになったのだ。そんな思いを抱くことが、あなたにもあるでしょうか。魂が苦しみ、もだえる時です。でも、ダビデは「あなたは聖です」と告白しました。神に信頼しきる者は恥を見ず。どんな時も主を賛美しましょう。起死回生の一手がここにあります。

あなたがいてくれてよかった

今日はキリスト教三大行事の一つ、ペンテコステ礼拝でした。国外宣教の報告の後、鈴木雅也先生がメッセージを取り次いでくださいました。鋭い霊的洞察力と小気味よいジョーク、そして丁寧な語り口が印象的でした。

旅に病んで…

…夢は枯野をかけめぐる」(松尾芭蕉・時世の句)人生の終着駅を前に、自分はどんな言葉を残すだろう。私の父は…家族への謝罪の言葉でした。願わくは希望の言葉を残したいものです。この写真の自分を見て「あの頃は若かった」と振り返る日も…そう遠くない未来にある。限られた時間の中で、自分はどれだけの人たちと一緒に福音を分かち合えるだろうか。

すべてのことには定まった時期があり…

…天の下のすべての営みに時がある。」人の一生は、誕生という始発駅を出て、死という終着駅を目指し、定められた軌道を黙々と走る夜汽車のようなもの。生まれるのも、死ぬのも…笑うのも、泣くのにも…万事に時がある。抗うことのできない時の流れの中で、人は何を知るべきなのか。花の命は短くて…。教会の小さな草花も懸命にそれを教えてくれているのでしょう。

モンゴル報告

今日はモンゴル宣教についてお聞きしました。使徒3:6「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを…」から支援と援助の難しさと大切さを学び、動画やスライドもたくさん見せていただきました。世界宣教に目を向ける良い機会となり、予想以上に私たちの遣わされた地域、家族にも共通するお話しでした。感謝します。

主はその宮で私の声を聞かれ…

…御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた。」(詩篇18:4-6)敵の手から救い出されたダビデは、肉体の死、さらにその向こう側にある永遠の死を感じました。「死」を前に、この世のどんな力も無力です。でも、そこでダビデは悟りました。「私が呼び求めると主は助け出される」病や死に近づくほど、人間は自らの弱さを知るがゆえに、神に近くなるように思います。

私たちは知ろう。主を知ることを…

…切に追い求めよう。主は暁のように確かに現れ、大雨のように私たちのところに来られる。」(ホセア6:3)神を知ることは一朝一夕にはいきません。でも、朝が来ると必ず太陽が昇るように、求める者に神の恵みは必ず現れます。「…義の太陽が上り、その翼には癒しがある。」(マラキ4:2)希望の光は、私たちの暗い心を明るく照らし、癒しをもたらすのです。

オリーブの若葉がそのくちばしに…

…ノアは水が地から引いたのを知った。大洪水の後、ノアが放った鳩はくちばしにオリーブの若葉をくわえて戻ってきました。そのオリーブをノアたちはどんなに喜んだでしょう。教会でも、アーモンド、イチジクに続いて、オリーブの木を育て始めました。昨日の大雨が今日の青空を一層まぶしく感じさせます。

聖徒の交わりを信ず

昨日まで爽やかな天気でしたが、母の日の今日は一日恵みの雨となりました。礼拝では母なる教会での「聖徒の交わりを信ず」というテーマでメッセージを聴きました。「神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて…」午後からのピクニックも中止となりましたが、教会でゆっくり過ごせて感謝でした。

あなたのために祈っています

だれでも、何をしても気持ちが塞ぎ込む…力が出ない…という時があるかと思います。心が疲れる原因はさまざまです。「汝自身を知れ」と言いますが、人間はそれほど強いものではありません。でも、聖書はそんな私たちのために祈ってくださっている方がおられると教えているのです。「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。

木の実と畑の産物

エゼキエル36章「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。…わたしは木の実と畑の産物を増やす。」教会の横で作物を育てるようになって今年は新しいことを学びました。さくらんぼ、キウイ、キャベツ、かぼちゃ、なす、ピーマン、トマト、ジャガイモ…こんなにもいろいろな木の実、畑の産物を造られた神さまはユニークな方です。

神の御目が人の道の上にあり…

…その歩みのすべてを神が見ておられるからだ。」神は私たち一人一人の歩みを常に見守っておられます。英会話の子どもたちも新しいクラスになって少しずつ落ち着いてきたようです。教会の十字架にはあまり関心は示しませんが…いつか「あれなに?」と関心をもってくれたらなぁと思っています。

ヨシュア記8章

ヨシュアは律法の書に記されているとおりに、祝福と呪いについての律法のことばを、ことごとく読み上げた。」主のことばに従って、イスラエルはヨシュアを筆頭にアイの町を攻め落としました。いつの時代も、神のことばに従うなら「祝福」、背くなら「呪い」の原則は変わりません。厳しいようですが…自分の悟りに頼らず、常に心しておきたいものです。

雨が上がるように…

連休明けの雨の日…憂鬱になりがちですね。こんな日は八木重吉の「雨」が心にしみます。「雨の音が聞こえる 雨が降っていたのだ あの音のようにそっと 世のために働いていよう 雨が上がるように 静かに死んでゆこう」29歳で天に召された青年はどんな思いでこの詩を綴ったのか…。今、生かされていることを感謝して、明日また、静かにできることをしていきましょう。

われらは教会を信ず

私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを…」教会には様々な人がいて、様々な考えがあり、様々な喜び、悲しみ、問題があります。そうした多様性の中に、御霊による一致があるのが教会の真の姿ですね。「床がきれいになりました」の言葉が嬉しかった(^_^)

ワックスがけ

5月5日は「ちいろば先生」こと榎本保郎牧師の誕生日。怖がりで病弱だった少年は、イエスさまを乗せて一途に歩む、偉大な伝道者に変えられました。お会いしたことはありませんが、本やメッセージなどで私が人生で最も影響を受けた牧師です。「小事に忠なるものは、大事にも忠なり。」信仰生活はもちろんですが、人生のあらゆることに共通するイエスさまの御言葉です。

至福の時間…

今朝のディボーションはⅡ歴代誌1章。「今、知恵と知識を私に授けてください。」自分に与えられた職務を果たすための識別力と判断力を求めたソロモン。牧師としてこの事を祈られない日々はありませんが、自分の足りなさを痛感する毎日…。そんな私のもとを、今朝はよき信仰のパートナーが訪ねてくださいました。

ヨシュア記2章

今日の祈祷会ではヨシュア記2章を読みました。イスラエルから遣わされた二人の斥候をかくまった遊女ラハブ。窓に結んだ赤いひもは彼女の信仰の表れでした。「Let it be as you say.おことばどおりに…」「信仰」と「行い」は人間が神を体験する両面です。連休の合間でしたが、今日も大勢の方が訪れてくださいました。

もうひとりの助け主

今日の礼拝では「もうひとりの助け主」というテーマでメッセージを聴きました。聖霊は主イエスの願いに応えて、父なる神が遣わされたもうひとりの助け主です。この方が主の栄光を現わし、私たちを真理に導き、絶えずともにいてくださるのです。「御霊はわたしの栄光を現わします。」目には見えずとも…聖霊は私たちを養い育て、日々造り変えてくださっているのです。

その剣を鋤に…

その槍を鎌に打ち直す。…もう戦うことを学ばない。11年ぶりに南北首脳会談が行われ、隣国が非核化の実現に向けて重要な局面を迎える中、日本は野党審議拒否による国会の空転という異常事態。私たちはどうか…。それでも主は「父よ。…その為すところを知らざればなり。」ととりなして祈ってくださるのだろう…。

なんぢらの足を洗ひたれば…

汝らも互いに足を洗ふべきなり。昭和のキリスト者を代表する長谷川保さんは、この御言葉から聖隷グループを創設し、日本最初のホスピスなど社会福祉事業を推進されました。次の日曜日は長谷川兄の召天日。主イエスが弟子たちの足を洗われたように、私たちも互いに足を洗いあう…愛の実践。草花を愛するごとく「千里の道も一歩から」、まずは身近な人から取り組むべしですね。

雨の日も恵みに…

今日は朝から雨…。やや堅苦しい話しが続いた牧師会が終わって、急いで帰宅。案の定、雨で倒れかかったジャガイモにビニールをかけました。雨は天からの恵みであるのは違いないのですが…そう思えない時があるのは人生も同じ。「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ…雨を降らせてくださるのです。」収穫までもう少し。今はそう思えなくても…これも恵みに。

タバコとお酒

「キリスト教はタバコもお酒もダメなんですか?」よく聞かれる質問ですが、「聖書は直接禁じてはいません。私も苦労しましたが、悪い習慣ならばやめられた方がいいのでは…」と答えます。マナーにも気をつけましょう。今日も教会の前だけで8本の吸い殻が落ちていました。「自分にしてもらいたいと望む通り…

創立24周年記念礼拝

今日の礼拝は、水野姉の救いの証し、Ⅱコリント5:1-10からメッセージを聴きました。「善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受ける」私たちもキリストの裁きの座に立つ日が訪れます。生きている間に何をし、何を考えたか…最後の審判で明らかになることを覚えていたいと思います。

まどろむこともない

プランターの花たちが元気がなくて、一日に何回も様子を見に行きます。ただ、元気に咲いていてくれるだけでいいのですが…。「見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」私たちが無防備に眠りに落ちてしまっても、神さまの見守りはまどろむことも眠ることもないとのこと。感謝ですね。

実を結ばないいちじく…

イエスの譬え話の一つ。三年も実を結ばないイチジクの木。主人はこんな木は切り倒してしまえと番人に言います。でも、番人は「もう一年そのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。…それでもだめなら…」と頼みました。イエスはこの番人として今もとりなしてくださっているその一方で、神の裁きも確実に臨むことを教えているのです。

外なる人と内なる人

パウロは、「外なる人」は日ごとに衰えても、「内なる人」は日ごとに新しくされていくと言いました。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」私も洗礼を受けて20年が経ちました…。まさかこの歳になってガーデニングに凝り出すとは思いませんでしたが、これがなかなか奥深い。

創世記46章

今日の祈祷会は創世記46章からエジプトに向けて出発するヤコブの信仰を学びました。「このわたしがあなたといっしょにいく」力強い約束です。今日は長期入院されていたある兄弟も久しぶりに教会に来てくださって感謝でした。もう一つ感謝で、エレク―トンの献品がありました。日曜日の創立24周年記念礼拝が楽しみです。

それを、ここに持って来なさい

大勢の群衆を前に、手元にあるのは五つのパンと二匹の魚…。「これだけしかありません」と弟子たちはイエスに報告すると、イエスは「それを、ここに持って来なさい」と仰いました。イエスが言われた「それ」とは何か、「ここ」とはどこか。何をしても無駄…と思う先に、イエスの御心はあるのかもしれません。

神の右におられる救い主

今日の礼拝では使徒2:29-36から「神の右におられる救い主」というテーマで学びました。キリストは天の王座に着かれ、万物を支配し、私たちのためにとりなしておられます。今日4/15はタイタニック号が沈没した日。「絶対に沈まない船」という人間の奢りは悲しい結末となりました。次の世代の私たちがそこから何を学ぶかです。聖書はこう告げます。「上にあるものを求めなさい。

ARISE JAPAN 2018

今年もキッズワーシップ集会 ARISE JAPANを、京都・大阪・兵庫の三都市で同時開催しました。4~14歳の子どもたちを中心に、次世代のクリスチャンを励まし、育てる集会です。私は京都の集会を手伝いに行きましたが、子どもたちも楽しそうでとてもいい雰囲気でした。次世代宣教、超教派だからこそできることがあります。

落ち着いて、信頼すれば…力を得る。

ここ数日でカルト宗教に関する本を読み直しました。なかなか勉強不足で申し訳ありませんが…この春も宗教に関する心配を抱えている方(家族)は少なくありません。自分の心に蓋をしないで、立ち止まる決心、相談する勇気をもちましょう。もし私でもよければ、できる限りお力になりたいと思っています。

創世記42章

今日の祈祷会では創世記42章を読みました。兄弟の嫉妬からエジプトに売り飛ばされてしまったヨセフ…その彼がエジプトの総理大臣となって兄弟と再会するなんて神の計画は不思議です。同様に、宗教全般に否定的だった私が今こうしてCGNTVで聖書のメッセージを語っているとは…。まさに神は奇跡をなさる方です。

しかし、成長させたのは…

野菜の成長ぶりを見ながらも、いろいろ考えさせられます。子どもたちが種を植えて、私が水を注ぎましたが、やはり成長させたのは主でした。当たり前ですが…牧師も人を信仰に導く道具にすぎず、決して人に罪を悔い改めさせ、信仰を与える者ではありません。「私たちは神の協力者」と言わせて頂けるだけで…感謝です。

任命式&kids&Family Easter

今日の礼拝では「天に上られた救い主」というテーマでメッセージを聴きました。復活の主は、天においてはとりなしを、御霊においてはいつもともに歩んでくださる方です。新年度を迎えて、今日は役員&執事&教師の任命式と子どもたちの進級式があり、午後からはKids&Family Easterもあって恵み一杯の一日でした。

Kids Easterに向けて

朝の水曜祈祷会では創世記38章から、夜の祈祷会ではルカ24章から御言葉を学びました。主の目に悪しきことを為す者には厳しい裁きを、また、主の前に目が遮られている者には気づきを。…聖書はなんとも一筋縄ではいきません。でも、だからこそ謙虚にされます。さて、いよいよ次の日曜日はKids&Family Easter!ご家族お揃いでいらしてください。

中島夫妻の来訪

新年度がスタートし、ジャガイモも元気に育つ中、たまった宿題に取り組んでいます。今日は新社会人の方も入社式などでしょうか。そんな中、私たちの教会ではおなじみの中島夫妻が来訪してくださいました。法務省〇〇に務める傍ら、博士論文に取り組まれ、見事学位を取得されました。いつお会いしても本当に謙遜な方です。

イースター歓迎礼拝

桜の花が満開の時期にイースターを迎えました。Ⅰコリント15章から「よみがえられた救い主」というテーマで御言葉を学び、バイオリンの特別賛美、ポットラックがありました。初めての方や久しぶりの方も来られて、ともにイースターの喜びをお祝いしました。

Good Friday

イエスさまが十字架刑に処せられた金曜日を迎えました。古来クリスチャンたちは、この悲しむべき日を"Good Friday"と呼んできました。「しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。」人生に苦難はつきものですが、この方ほど厳しい苦難を通られた人はいないでしょう。しかも、それは私たちの罪を代わりに背負うためだったと聖書は告げるのです。

ルツ記3章

昨日の祈祷会ではルツ記3章から学びました。不道徳な時代にも健気に生きるナオミ、ルツ、ボアズの信仰に教えられました。春を迎え、教会横の野菜たちも芽を出して葉をつけ始めました。ここでは12種類の野菜をプランターなどで育てていますが、環境にも負けず…日の当たらない所でも健気に育つジャガイモたちに励まされます。子どもたちと収穫するのが楽しみです。

チャレンジャーキャンプ2018

絶滅が危惧されるクリスチャン中高生が参加するキャンプがありました。新年度に向けて期待と不安を抱える彼らを覚えて…朝の散歩で山に登り、「あなたの若い日に創造者を覚えよ。」が聞こえてきました。

スペシャルグレイスタイム

今年度最後の主日は受難週でした。「その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行ってみことばを宣べ伝えられたのです。」1ペテロ3:18から「よみに降られた救い主」というテーマでメッセージを聴きました。午後はスペシャルグレイスタイム(教会総会)があり、昨年度の恵みと新年度のビジョンを語り合いました。来週はいよいよイースター。畑の野菜も芽を出し始めました。

第69回教団総会

日本同盟基督教団・教団総会がIOSガーデンで行われました。同盟教団の各部局の議案が可決承認され、新教職理事も選出され、いよいよ新年度が始まります。「神は神の会議の中に立つ」真中におられる主の導きの中で、すべての事柄が取り決められたことを信じます。さて、私たちの教会も、来主日が教会総会です。

正しい求め方

今日は春の歓迎礼拝で、玉井邦美師がメッセージとりついでくださり、午後も講演会で「教会」をテーマにお話しいただきました。クリスチャンと言えども、信仰と不信仰を行きつ戻りつすることがあります。「信じます。不信仰な私をお助けください。」そんな時こそ、正しい求め方をしなければなりません。

銀から、かなかすを除け。

そうすれば、練られて良い器ができる。」大きな鉱石から純粋な銀を取り出すためには、粉々に砕いて、溶かして…というプロセスがあるそうです。神は私たちの心から「かなかす」を取り除くために、あえて試練や困難を通らせるのかもしれません。試練には意味がある、です。教会掃除をしながらそんなことを考えていました。

英会話の子どもたち

英会話のKids class冬期コースが終わりました。子どものころから外国人とふれあい、楽しく英語を学べるのは幸せなことです。毎週木曜日に来てくれる子どもたちは本当にかわいい子たちでした。このメンバーでのクラスも今日が最後と思うと…淋しいです。明日は小学校の卒業式とのこと…どうかお天気が守られますように。

出会いと別れ

今日の祈祷会は創世記34章。国会では文書改ざん問題が噴出する中、聖書は人間の罪の現実を赤裸々に記していました。午後はKFSMのミーティングがあり、京都代表だった先生の転任、新しく沖縄から来られた先生がスタッフに加入。別れと出会いです。日本の牧師も約9割が50歳以上という現実を思うと次世代宣教と信仰継承は最重要課題です。

春近し…

礼拝を休まれた兄姉、手術後の兄弟、受験を前にする青年、出産を控えた姉妹…一人一人を覚えて祈りました。「息あるものはみな主をほめたたえよ。」今日は気温も20℃まで上がり、花々も咲き始めました。春近しです。

私たちのための十字架

東日本大震災から7年が過ぎました。復興を覚えて祈るとともに…受難節ということもあって礼拝では「十字架」をテーマにメッセージを聴きました。今日も、久しぶりに訪れた姉妹と教会総会の資料準備、午後は野菜の種蒔きと卓球、そして役員会と…朝の礼拝から夜の夕拝まで多くの方々が来会されました。

子どもたちのように…

雨の一日。英会話の子どもたちはどこかエネルギーがあり余っているようすでした。でも、ホゼア先生は忍耐強く、ユーモアを交えてクラスをしてくださって感謝です。イエスさまも弟子たちに「子どものようにならないかぎり、決して天の御国には入れません。」と教えられました。子どもから教わることがたくさんありますね。

Student Impact 来訪

今日の祈祷会にはStudent Impactの学生たちが活動報告と証しに来てくれました。福岡、神戸、京都、名古屋…それぞれ置かれた場所は違いますが、主にあって恵みを分かち合えるのは幸いです。「収穫は多いが、働き手が少ない。」一人でも多くの学生が真の神と出会い、救霊に導かれ、訓練を受け、派遣されることができるように、最後は一緒に祈って終わりました。

暗を歩みて光を得ざるとも…

主の御名に信頼し、自分の神により頼め。」私たちの前に置かれた道。一つは、神の光を持たずに自分の知恵や力によって進もうとする道。もう一つは、たとえ光のない暗闇の中を歩む時にも主に信頼しより頼んで進む道。信仰の道は、実存的な出会いの道です。神との出会いを、一人でも多くの方が選んでほしいと願っています。

あなたはユダヤ人の王なのか

総督ピラトの質問に、イエスは「あなたはそう言う」と答えられました。肯定でも否定でもなく、それはあなた自身が考えること…ともとれます。結果的に、ピラトは打算的な判決を下しましたが…決して他人事ではありません。「為すべき正しいことを知っていて…」心しておきたい御言葉です。インドネシアから帰国した学生から、お土産に聖書を頂きました。

祈祷会での分かち合いから

今日、卒業式を迎えた娘が「絶対に観に来ないでよ」と母に…。それでも隠れて式に出席した母に「今日やっぱり来てたでしょ」と娘が…。「来ないで」という子ほど、探しているのかもしれません。時々素直になれない私たちと、それでもともにいてくださる主との関係にも通じる話しでした。さぁ、種まきは今度の日曜日です!

たとえそうでなくても…

ダニエル記3:18の御言葉。私たちの人生には絶えず試練や苦難が襲ってきます。それはクリスチャンも同じです。でも、忘れないでください。「お前など死んでしまえ」「この世に希望などない」と囁くのはサタンの声です。たとえ火の中に投げ入れられても、神はあなたの苦しみをともに担っておられるのです。

人生には段階がある

しかし価値ある人生は、決して平坦ではない。」ヒルティの言葉。山あり谷ありだからこそ人生は価値がある。今日の礼拝でもヨハネ4:46-54「イエスの第二のしるし」を学びました。信仰にも段階があります。癒しを求める信仰から、ことばを信じる信仰、御力を確信する信仰へ。さぁ準備も整い、何を植えますか…。

教会に近ければ…

「教会に近いほど、神様から遠くなる」The nearer the church the farther from God. ちょっと意地悪な諺を聞きましたが、確かに…礼拝を大事にする方にとって距離はあまり関係ないのかもしれません。教会の近くの桜並木ももう間もなく開花です。お近くの方も遠くの方も、このトンネルを通って教会にいらしてください。

神の御心を行なう者に

今日の祈祷会ではⅠヨハネ2章から「神の御心を行なう者に」というテーマで学びました。午後はKFSMミーティング。ARISE JAPANも近づいてきました。神の御心とは何か…考えさせられる一日でした。

よい芽がでますように

今日は宮脇聡史先生が礼拝メッセージをとりついでくださいました。揺れ動く世界をつなぐ神のことばから、「挨拶」の大切さをあらためて学びました。午後からは子どもたちとジャガイモの種芋を植えました。どうなることでしょう。「百倍…六十倍…三十倍の実」を祈りつつ育ててみます。

行け、あなたのその力で。

朝、明るくなるのが早くなってきました。教会の子どもたちが次々と体調を崩しています。また、妊婦の姉妹、子育て奮闘中のママ、リハビリの祝福、足腰を痛めている兄姉、受験生、インドネシアに出発する学生、仕事&将来を求めている青年、家族の救い、明日のチャリティーライブ…一人一人を覚えて祈りました。

平安な老年を迎え

今日の祈祷会では創世記25章からアブラハムの生涯の終わりを読みました。75歳の時に神の召しに従って出発したアブラハム。その後の百年はなんとも波乱万丈の人生でしたが、そんな彼が平安な老年を迎えたというのは希望です。寒さにひたすら耐える植物たち…彼らもまた温かな春が待ち遠しいでしょう。

水を汲みし僕どもは知れり

今日の賛美礼拝では、たくさんの賛美をささげ、カナの婚礼から「水を汲むしもべ」について学びました。午後はキッズ&ファミリーバレンタインがあり、子どもたちと一緒にゲームをし、おやつを食べ、「愛」について考えました。夕礼拝では、ご褒美のような12名の青年たちとともに熱い分かち合い…感謝な一日でした。

知恵が多くなれば…

悩みも多くなり、知識が増す者には苛立ちも増す。子ども会のメッセージを準備しながら、ふとこの御言葉が頭に浮かびました。いろいろ学ぶことは大切ですが、最も大切なのはその土台ではないでしょうか。そう思いながら、明日も聖書の学び会があります。…わきまえのない者として悟りを求めたいと思います。

イサクとイシュマエル

今日の祈祷会では創世記21章からイサクの誕生とイシュマエルへの憐みを学びました。高齢のアブラハムとサラに与えられた約束の子イサク。大きな祝福と同時に新たな課題も…。それが私たちの人生なのかもしれません。「人の播く所は、その刈る所とならん。」いずれにせよ、この御言葉は心に留めておかなければなりません。

なぜ神を信じるのか

二月の第1主日、懐かしい訪問者がありました。礼拝では「乙女マリヤより生まれし主を信ず」というテーマで御言葉を学び、夜は青年たちと「なぜ神を信じるのか」について語り合いました。「あなたのおことばどおり、この身になりますように」あらためて…マリヤの直ぐな信仰、ここが出発点だと思いました。

幸いなことよ

すべて主に身を避ける人は。昨日の祈祷会では、詩篇2篇から御言葉を学びました。主の「定め」の中にある「きょう」を信じて歩むことの大切さを思いました。。「天の下のすべての営みに時がある」こんな日の当たらない所に種を植えても…とも言われますが、6月ごろに教会の子どもたちと一緒に収穫を喜べたらと思いつつ、今は信じて種を蒔こうと思います。

ひとり子なる神を信ず

多神教を尊重する大らかな宗教観を持つ日本人には、キリスト教のような一神教は偏狭に感じるかもしれません。でも、宗教心自体は大切だと思います。キリスト教も、実はふところが広く、奥が深い宗教です。「今わが知るところ全からず、然れど…」先週の「門番」のような雪だるまは…暖かな日差しに見事に溶けていました。

惑わしの時代

オウム真理教による地下鉄サリン事件の裁判が終結しました。…とはいえ、教団は今も危険な体質を維持しつつ、組織拡大に努め、総資産も10億円超とのこと。「わたし(キリスト)の名を名のる者が大ぜい現われ…」キリスト教系だけでなく、仏教系、神道系にもカルト的な組織はたくさんあります。どうぞご注意ください。

ことばは人となって…

教会の周辺には、ほぼ毎日同じくらいのタバコの吸い殻が落ちています。この間はまだ火がついているものもありました。教会もゴミを出しますからお互いに気を付けたいものですが…「言は肉体となりて、我らのうちに宿りたまえり。」の御言葉が心に浮かびました。神の目にこの世界と私たちはどう映っているのでしょう。

キリストの苦しみの欠け…

今日の祈祷会ではコロサイ1:24から「キリストの苦しみの欠け」について話し合いました。ここはルターが糾弾したカトリック教会の免罪符にもつながる箇所。御子による救いは完全…ならば「欠け」とは何を意味していたのか。何はともあれ、寒さを少しでも補えたらと思い、テーブルをコタツにしてみました。

過ぎたるは猶及ばざるが…

「全能なる神には自殺も可能なのでしょうか」ある青年の何気ない質問に言葉が詰まりました。神を身近な存在に感じるはいいのですが、過ぎたるは猶及ばざるが如しです。日本の自殺死亡率も低下しているとは言え、国際的には高い水準にあります。特に20代が増えているとのことですが、ぜひ「あなたの若い日に」創造者である神との出会いがありますように。

全能の父なる神を信ず

一月第三主日、昨日まで暖かい日が続きましたが、今週からまた最大寒波が訪れるようです。極東ロシヤでは-65℃を記録したとのこと。インフルエンザも流行っている中、体調管理には十分に気をつけたいものです。今朝の礼拝ではマルコの福音書から「全能なる父」を学び、午後はバイブルクラス、囲碁クラス、卓球クラブ、そして夕礼拝と…恵みにあふれる一日でした。

衣食足りて…

現代の日本は、衣食足りて…神を忘れるという時代ではないでしょうか。聖書を読もうと思えばいつでも読める、パソコンなどでもメッセージは聴ける、神のことばが身近にあるのに、神のメッセージが個人に届いていない…。「主のことばを聞くことのききんである」朝の祈りの時間に、そんなことを思いました。

KFSMミーティング

今年もキッズ&ファミリーサポートミッションの活動が始まりました。2010年から始まり、子どもたちへの伝道と信仰継承をサポートするのが目的です。今日も7人の牧師先生方が集まってミーティングを持ちました。「受けるよりも与えるほうが幸いである」教派を越えて多くの子どもたちに福音を伝えていきます。

松丸先生デプテーション

ウィクリフ総主事・松丸嘉也先生がデプテーションに来てくださいました。PNGでの15年間の宣教師としての働きとウィクリフ聖書翻訳の働きについて報告していただきました。どれもこれも貴重なお話しで、特に聖書翻訳の大変さ、また、その聖書を手にされた方々の喜びの表情が心に残りました。聖書が読める感謝とともに祈りの重要性を教えられました。

我らは信ず

1月第二主日今日も多くの方が礼拝に来られました。小正月で神社に行ってきました…という方もいましたが💦礼拝ではアレオパゴスでのパウロの説教から御言葉を学びました。「あなたがたが知らずに拝んでいるものを…」パウロのような大胆さが、時には必要です。さて、明日は特別なゲストが来会してくださいます。

祈祷会も始まりました

日本海側を中心に最強の寒気が到来して、今朝は大阪でも薄っすら雪が積もりました。そんな寒い中ですが、昨日の祈祷会には13名の方が集い、祈祷会も始まりました。「みな心を合わせ、祈りに専念していた。」ハートフル英会話・冬期コースもいよいよ今日からスタート。来られる方々の足元が守られますように。

新年聖会

関西宣教区の新年聖会がありました。毎年、教会紹介の時間があるのですが、今回は箕面めぐみ聖書教会がテーマソングをメドレーで賛美しました。新会堂建設までの経過もスライドで紹介しながら、主がなしてくださった御業を証しさせていただきました。宣教区の温かい祈りと尊い献げものに心から感謝します。

講壇交換

今年最初の主の日は、恒例の原市場聖書教会との講壇交換でした。MGBCでは若村和仁先生が「あなたの罪は赦された」というテーマで…熱くメッセージを語ってくださいました。私も温かく迎えていただいて感謝でした。さあ、公現祭も過ぎて降誕節も終わり。寒さはこれから…気をつけていきましょう。

土作り&曲作り

2018年の年間テーマは「みことばに生きる教会」です。今年一年の歩みを思い巡らしながら、土作りに汗を流しました。2月にはジャガイモを植えようと思っています。また、ユナ姉も年間聖句を眺めながら、曲作りに取り組んでいました。もうすぐエペソ1:23からテーマソングが誕生します。ご期待ください。

神の約束を信じて

2018年の元旦を迎えました。さわやかな青空が広がる朝、我らの主に礼拝をささげて箕面めぐみ聖書教会の新しい歩みが始まりました。いつものメンバーに加えて、ひさしぶりの顔ぶれもある中で、力強い神の言葉をいただきました。今年はどんな御業を見せていただけるのか、今から楽しみです。