教会内の活動&牧師ブログ

Church Brog


地をさばく方…

教会のデボーションは詩篇94篇から。「なんと幸いなことでしょう。主よ あなたに戒められ あなたのみおしえを教えられる人は。」すべての訓練はその時は喜ばしいものではないが、後には平安の義の実を結ぶ…を思います。2025年の年末を迎えました。今日は友人牧師が自家焙煎コーヒーを淹れてくれてホッと一息。声帯炎で喉の調子が今一つですが、穏やかな年の瀬を感謝します。数えてみよ、主の恵み。今年もお世話になりました。皆さま良いお年を。


私に今あるもの…

12月第四主日、今年最後の主の日を迎えました。今日は新鎌ヶ谷聖書教会から玉井敦子師をお迎えしてメッセージを取り次いでいただきました。使徒の働き3章から。生まれつき足の不自由な人は自分では歩けないのでいつもだれかに運んでもらって『美しの門』のところに来ていました。その日もいつものように神殿に礼拝を献げに来た人たちに施しを求めていたのです。ペテロとヨハネは、そんな彼を見て、「金銀は私にはない。しかし、私のあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言い、彼の右手を取って立たせてあげると、たちまち足に力がみなぎり、歩き出し、飛び跳ねたという話しです。この短いストーリーの中に、今年一年の教会の歩みが集約されているように思いました。今年も大勢の方が教会に来られました。一期一会の方もいれば、続けて来られる方もあり、こんなものかな…と思って帰って行かれた方もいれば、心に温かいものを感じて帰って行かれた方もいました。いずれも主にあっての出会いを感謝します。中でも、神さまとの出会いは一生ものです。また、教会でお会いできるのを楽しみにお待ちしています。

闇はこれに打ち勝たなかった…

小雨の中でしたが、キャンドルサービスに大勢の方が来会されました。イエスさまのご降誕を御言葉と聖歌で辿りました。コンサートでもなく、食事会でもない、毎年同じプログラム、けれども毎年新しい感動を覚えます。ご近所に住むご婦人が『今日初めて来ました。フルートとバイオリンの音色がよかったです。仏教徒ですけどまた来てもいいですかね…』と。『もちろんです』とお答えすると嬉しそうに帰っていかれました。聖なる夜に感謝いたします。


イブ礼拝にお越しください…

今日はクリスマスイブです。イブとはeveningの略。「なぜ24日の夕べに礼拝を献げるのですか」と尋ねられることがあります。聖書では、一日は「朝」からではなく「夕べから始まる」と考えられてきました。それは、光はいつも暗闇の中から始まるという信仰の告白でもあるのです。夜から行われるイブ礼拝、キャンドルサービスには、どなたでもご出席いただけます。初めての方も歓迎いたします。今年のクリスマスは教会でともに聖夜を過ごしませんか。


あなたのための喜びの知らせ…

12月第三主日、朝から小雨の降る中でしたが、大勢の方とともにクリスマス賛美礼拝を献げました。ルカ2章から、救い主誕生の知らせを真っ先に聞いた羊飼いたちに注目して御言葉を聴きました。当時、社会的に身分も低く、名もなき羊飼いたちは、主の使いの言葉、天の軍勢の賛美を聞いた時、どのように思ったのでしょう。幻覚でも見ているのでは…と思ったでしょう。でも、彼らは話し合った末、「この出来事を見届けよう」と出かけていきました。そして、救い主を捜し当てると、御使いの言葉がすべて真実だったことがわかり、神をあがめ、賛美しながら帰って行ったというのです。何度聞いても信仰の原点を思い出させてくれるような箇所です。私も牧師として20年になりますが、最近つくづく自分には愛がないと痛感させられることがありました。その時、自分の心の中が悪臭の漂う飼葉桶のように感じました。そして、イエスさまが飼葉桶に生まれてくださったことが本当に有難いと思わされたのです。午後からはクリスマス祝会がありました。次々と賛美が献げられ、その場にいるだけで心豊かにされ、落ち込んでいた私も賛美しながら帰って行きたくなりました。

キリストと同じ心構えで…

イエスさまが十字架にかかられる時、ペテロは迫害を恐れて「そんな人は知らない」と三度否定しました。イエスさまの十字架の死を目の当たりにして、自分の不甲斐ない信仰を嘆くとともに、復活の主と出会って、彼は新たな再献身へと導かれたのです。そんなペテロが後に書いた手紙。「キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも…」…その一行一行には彼の深い悔い改めと信仰にある確信が込められているのです。


いつでも弁明できる用意を…

12月第三水曜祈祷会、ペテロ手紙第一3章から。激しい迫害の中にある信者たちに、ペテロは慰めと励ましの言葉を送りました。「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだ。」なかなかそう簡単にはできませんが、聖霊の助けを頂いて、祝福を受け継ぐ者としてその生き方が証しになるように心がけたいものです。キリストも一度、罪のために死なれました…ここに謙遜のモデルがあります。


あなたのただ中に来られる主…

12月第二週、今日も朝から冷たい風が吹いていましたが、教会では元気にアドベント第三礼拝を捧げました。クリスマスの起源、皇帝アウグストゥスの勅令、キリニウスがシリアの総督、最初の住民登録と歴史と社会のただ中に救い主がお生まれになったことを心に留めました。神は旧約聖書に預言され、歴史上最も偉大な人物を、弱く疲れ切った若い夫婦に託されました。ヨセフとマリアは互いを労り合いながら、140kmもの旅をし、ベツレヘムを目指しました。ベツレヘムについても、すでに宿屋は一杯で、彼らは仕方なく岩屋の家畜小屋に身を寄せ、初めての出産をしたのです。生まれたばかりの幼子は、体を洗う産湯もなく、飼葉桶に寝かされました。なんとも貧しく惨めな場所…。でも、救い主がお生まれになったことで、そこは神の臨在の座となり、天からの祝福が豊かに注がれたのです。およそ人の目には辛く悲しく思われる状況も、神の目にはすべてが最善の備えられた舞台だったのです。毎年思い浮かべる場面ですが、今年はこの飼葉桶に込められた意味を深く覚えました。午後からの子どもクリスマス会でも大勢のお友だちと一緒にイエスさまのお誕生を喜びました。

平安の義の実を…

38歳の小林富次郎は、事業に失敗し、自殺まで考えましたが、一つの聖書のことばが頭に浮かび、踏み止まりました。「すべての懲らしめは、その時は喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安の義の実を結ばせます。」その後、一念発起して仕事に取り組み『ライオン』を創業、今日の基礎を築きました。今日はそんな富次郎さんの召天日。聖書は今も、私たちの人生を変える力があるのです。


かつての恵み…

12月第二水曜祈祷会、詩篇89篇から。前半は神の恵みと真実で始まりますが、後半は嘆きと祈りで終わる詩。言い知れない目の前の現状に、詩人はかつての恵みは失くなってしまったのですか…と訴えます。でも、変わってしまったのは神の側ではなく、自分の心の側でした。「わたしの恵みを彼のために 永遠に保つ。」ならば、立ち返るところは最初の恵みの言葉です。かつての恵みは、現在の恵みであり、未来の恵み、さらに永遠の恵みであるからです。


あなたのおことばどおり…

12月アドベント第二礼拝。礼拝メッセージはルカ1章26節から。ナザレに住むマリアのもとに突然の御使いの知らせ。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」どうしてそのようなことがあるでしょう…と戸惑うマリア。でも、彼女はこの信じ難い知らせを「あなたのことばどおり、この身になりますように。」と受け止めていきました。大事なのは、理解ではなく、神への信頼です。聖書のことばは今も、私たちを救いへと招いているのです。


聖ニコラウスの日…

秋のさわやかな時期は足早に過ぎ、すっかり冬到来となりました。今日はサンタクロウスの日でしょ…という方が多いと思いますが、聖ニコラウスの召天記念日です。憐れみ深く、貧しい人を助け、子どもをかわいがったニコラウス司教。司教が赤い服を着てトナカイに乗ることはなかったと思いますが、その優しい精神はサンタクロウスに受け継がれていったのでしょう。神さまが私たちにくださった一番素晴らしいクリスマスプレゼントはイエスさまです。


遠くから主を思い出そう…

12月第一水曜祈祷会、エレミヤ書51章から。南ユダの人々にバビロンへの服従を勧めていた預言者エレミヤは、同時に捕囚とされた人々に対してバビロンの滅亡を告げていました。それは人々の目をこの地上の王国から、神の支配に向けさせるためでした。どんなに居心地がよくても、神の御心でないところに居続けるのは良くありません。他人の高ぶりにはすぐに気づいても、自分の高ぶりには気づきにくいもの。罪の誘惑は恐ろしくしたたかです。


インマヌエルの神…

11月第五週、今年もいよいよアドベント(待降節)を迎えました。今日からクリスマスイヴまでの4週間、イエス・キリストのご降誕を喜び、感謝し、待ち望む期間です。礼拝メッセージはルツ記が終わって、マタイの福音書から。ルツの系図からイスラエルの偉大な王ダビデが誕生し、千年もの月日を経て、平凡な大工の息子ヨセフが誕生します。ヨセフはマリアと婚約を誓い合い、ささやかな幸せを願って暮らしていたでしょう。その二人に突然の主の使いの知らせ…。まさに青天の霹靂でした。身ごもったマリアを見て、ヨセフはどれほど苦しんだでしょう。ヨセフは正しい人だった…という言葉に、苦悩の重さが伝わってきます。それでも彼は「思い巡らしていた」というのは、神にその答えを求めていたということです。そんな彼の夢に、神は御使いを遣わして「恐れずにマリアと結婚しなさい…その名をイエスとつけなさい」と言われました。ヨセフはその言葉をまともに受けとめ素直に従ったのです。どれほど勇気のいる決断だったかと思います。クリスマスはそんな平凡な人ヨセフの決心によって成し遂げられていきました。神のなさることは不思議で美しいものです。

始まりは変えられないが…

『遡って始まりは変えられないが、今いる場所から始めて終わりを変えることはできる。』今日が誕生日のC.S.ルイスの名言。どんなに悔やんでも過去を変えることはできませんが、今からの選択と行動は自由に決められます。イエスさまの弟子のペテロも過去に大きな失敗をしました。でも、彼はそこから立ち直って今度は周りの兄弟たちを力づける人になったのです。我とともに老いゆけよ、幸いはなお未来にあり。明日の礼拝にあなたも来られませんか。


秋の深まりに…

箕面は山も近く、綺麗な紅葉が見られます。教会の直ぐ近くにキャンプ場もあって、今日は教会のみんなでバーベキューに。私はのんびりさせて頂きました。人生にも四季があるといいますが、自分は今、どの季節だろうと考えながら…。どんな季節であっても、その日その時を感謝できたらと思います。さて、11月第四水曜祈祷会はエレミヤ書48章から。モアブの高ぶりから、決して他人事ではなく、自分自身を考える時となりました。高ぶりは罪の根です。


祝福はここから広がる…

11月第四主日、収穫感謝礼拝。礼拝メッセージはルツ記から。温かな家庭を失ったナオミとルツ。そんな彼女たちは図らずも親類のボアズと出会います。ナオミの勧めで、ルツとボアズは結婚へと導かれ、男の子を授かっていきました。ルツ記には神の声も天使の姿もありませんが、神の導きは静かに、そして確かに働いていました。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」この同じ主が今日も私たちと共にいてくださるのです。


温かな婚約式…

今週はイベント目白押しの一週間でした。その最後を飾ったのは若いカップルの婚約式。教会員ではありませんが、知人のご家族ということで司式を頼れました。結婚前カウンセリングも積極的に受けてくださり、お互いを思いやる気持ちが伝わってきました。今日は理由あってご家族だけの出席でしたが、とても温かな婚約式で感動しました。さて、明日は教会も収穫感謝賛美礼拝。主に感謝の賛美を献げましょう。午後からはクリスマスの飾り付けです。


どちらが成就するか…

11月第三水曜祈祷会、エレミヤ書44章から。ユダの残りの民はエレミヤのことばを聞かず、エジプトへと下っていきました。そこで父祖たちがしていたように天の女王に犠牲を捧げ、自ら同じ過ちを繰り返し、滅びの道へと進んでいきました。神のことばと人間のことば…。どちらが真実かは考えるまでもありません。今日は有志で近所の老人ホームに行ってきました。みなさん喜んでくださって感謝でした。


あなたを贖う主…

11月第三主日、さわやかな秋の風が吹く一日、今日も天地万物を創造された主に心からの礼拝を献げました。メッセージはルツ記4章1ー12節から。ルツのプロポーズを受け入れたボアズは早速、門のところへ上っていき、そこで買い戻しの権利のある親類を待ちました。すると、ちょうど、その親類が通りかかって、ボアズはナオミとルツのことを相談したのです。ボアズは胸の高鳴りを抑えつつ、言いました。「あなたがそれを買い戻すつもりなら、それを買い戻してください。けれども、もし、それを買い戻さないのなら、私にそう言って知らせてください。」ボアズはルツとの出会いは神の導きだと信じていました。だから天命を信じて、人事を尽くしたのです。考えてみれば、不思議です。ルツが落ち穂拾いに行った畑でボアズと出会うこと、買い戻しの権利ある親類がその日に通りかかったこと、長老たちがそこに居合わせて証人となってくれたこと、すべてが偶然ように思うところですが、神の摂理の中ですべてが必然だったのです。神の御思いは、私たちの願うところ思うところのすべてを遥かに越えて高くあります。この神の導きに、私たちも応えようではありませんか。

一時的な繁栄のはかなさ…

教会のデボーションはエレミヤ書40章から。ついにエルサレムはバビロンによって陥落し、第三次捕囚が始まりました。その中でバビロンの王はゲダルヤをユダの総督として任命し、彼のもとでユダヤ人に一時的な繁栄が戻りますが、それも数年のこと。ここまでエレミヤが命がけで語ってきたことは何だったのか…と思うようなエルサレムの滅亡が描かれていきます。「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。」聖書は今も、私たちに告げているのです。


揺れるゼデキヤ王の心…

11月第二水曜祈祷会、エレミヤ書37章から。バビロンの王ネブカドネツァルに任命され、南ユダの最後の王となったゼデキヤ。傀儡政権のはずが、バビロンに降参するか抵抗するか迷います。ゼデキヤはエレミヤを預言者と認めていたので、主に祈ってくださいと頼みますが、うわべだけの信仰ではどうすることもできませんでした。どっちつかずの信仰ではいざという時に役に立ちません。「主を求めよ。お会いできる間に。」私たちも切に主を求めましょう。


あなたが幸せになるために…

11月第二主日、朝から恵みの雨が降る中、今日も大勢の方が教会に集い、主なる神さまに礼拝を献げました。礼拝メッセージはルツ記3章から。姑ナオミは、嫁ルツが幸せになるために大胆なアイディアを提案しました。それは、ボアズが寝ている足元をまくって、そっと寄り添い、結婚を申し込むことでした。それが、当時のイスラエルのプロポーズの一種であるとは言え、なんとも際どいことに変わりはありません。もしそれが誰かに知られたら、ルツだけでなくナオミもこの町にいられなくなり、ボアズにも迷惑がかかったでしょう。様々な心配が頭を過り、足の震えが止まらなかったでしょう。でも、ルツは姑のナオミを信頼し、ボアズの誠実さを信頼し、そして何よりここまで導いてくださった主を信頼して、踏み出していったのです。するとボアズは、ルツの申し出をすべて聞き入れました。ただし、二人が結婚するためには、もう一人の買い戻しの権利のある親類と話しをしなければなりませんでした。彼もまたルツを幸せにするために行動を起こしていったのです。ルツ記はいよいよ次週クライマックスを迎えます。今日も2人の新しい方が教会に来てくださり、感謝でした。

起・承・転・結…

話や文章をわかりやすく伝える形式として、起承転結があります。漢詩の句の配列の名称です。起句で書き起こし、承句はそれに続け、転句で転じ、結句で全体をまとめる。短いものだと、新聞の4コマ漫画やテレビのCM、推理小説から映画に至るまで、起承転結の要素がしっかり含まれているストーリーには私たちをワクワクさせたり、ドキドキさせたりする不思議な魅力があります。ルツ記4章はまさにそんな物語。ぜひ明日、教会で転句の3章に聴きましょう。


あなたにとって不可能なことは…

11月第一水曜祈祷会はエレミヤ書32章から。バビロンに占拠された土地を、捕囚後に向けて購入しなさいという不思議な神の預言。今はわからなくても、神のことばは時至って実現することを思います。そして、今日もハートフル英会話がありました。レイチェル先生がおもしろいゲームを考えてきてくれるので、大人も子どもも楽しみながら自然な英語が身につきます。聖書もこんな感じで学んでみてもいいかもしれません。今日も夕焼けが綺麗でした。


不思議な出会い…

11月第一主日、さわやかな秋晴れの一日、今日も多くの方とともに主なる神に礼拝を献げました。礼拝メッセージはルツ記2章、ルツとボアズの出会いの場面から。ルツは姑ナオミとの生活の糧を得るために、落ち穂を拾いに行きます。当時の落ち穂拾いは、のんびりした雰囲気というよりは、生きるためにみんな必死だったと思います。そんなところにモアブ女のルツが出かけていくのは相当な覚悟が必要だったでしょう。でも、彼女たちが生きていくためにはこの道しかありません。「ルツは出かけて行って、刈り入れをする人たちの後について畑で落ち穂を拾い集めた。それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑であった。ちょうどその時、ボアズがベツレヘムからやって来て…」「はからずも」「ちょうどそのとき」は、それが偶然ではなく、神の導きであることを表しています。ボアズは懸命に働くルツに目を留め、彼女に特別な配慮を示しました。夕方、たくさんの大麦を背負って帰ってきたルツを見て、姑ナオミはさぞかし驚いたことでしょう。こうして消えかけていた彼女の信仰も、再び力を取り戻して行ったのです。出会いは、神が与えてくださる賜物です。

バビロンの王のくびき…

10月第五水曜祈祷会、エレミヤ書27章から。主はエレミヤに「バビロンの王に首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ」と命じました。エレミヤは人々が聞きたくない主の言葉を告げなければならず、人々が聞きたいのは偽預言者たちが語る楽観的な未来でした。今年もある方に言われました。『ハローウィンはキリスト教の行事ですよね』楽しい雰囲気に水を差すようですが…『違います』と答えます。カボチャのお化けの話しは聖書にはありません。


あなたこそわが神…

10月第四主日、小雨の降る朝、いつものように大勢の方と一つ心で、礼拝を献げました。メッセージはルツ記1章から。異国の地で夫を亡くし、息子を亡くし、孤独の身となったナオミ…。そのナオミに寄り添って一緒にベツレヘムへと帰っていくルツ…。「なが神はわが神、なが民はわが民」旧約聖書の中でもひと際美しい物語。そこには苦難の中でも神への信頼を失くさずに歩んだ信仰者の姿が描かれています。主はご自分の民を必ず顧みてくださるのです。


生きていれば…

アウトだと思っても一塁まで駆け抜けろ。少年野球の時に言われた言葉をふと思い出しました。最後まで何があるかわからないのが人生です。今は、諦めたらそこで試合終了…というのもありますが、本当にそうだなと思います。そんな気持ちになれない時もあるかもしれませんが、そんな時こそ助け合って分かち合ってイエスさまに一緒に祈りましょう。主は必ず苦しむ者の祈りを聞いてくださいます。生きていれば、最後まで何があるかわかりません。


地よ、地よ、地よ、主のことばを聞け…

10月第四水曜祈祷会、今朝はグッと気温も下がって上着を着ないと寒いくらいの一日でした。エレミヤ22章から。自分の利得ばかりを追い求めるユダの王に神のさばきが告げられます。但し「地よ、地よ、地よ、主のことばを聞け。」という言葉には、今ならまだ間に合う…という神の深い愛を感じました。今日から日本初の女性総理が誕生。世論調査の内閣支持率は71%と好発進。性別よりも、今後の活躍に注目が集まるようにお祈りしたいと思います。


見よ、その日が来る…

10月第三主日、ときどき小雨の降る一日、今日も大勢の方が集い、ともに主の御名を高らかに賛美しました。礼拝メッセージはマラキ書4章から「見よ、その日が来る」をテーマにみことばを心に留めました。神殿再建後も厳しい生活が続く中でユダの民の信仰は形骸化していきました。でも、そのような中にも、主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちがいたのです。神は彼らを「わたしの宝の民だ」と言われ、格別に憐れまれました。預言者マラキは告げます。主のさばきの日は必ず来る。それは「…藁となる。…焼き尽くし、根も枝も残さない。」とあるように峻厳で中途半端なものではありません。厳しい言葉の裏側には、悔い改めを迫る神の愛を感じます。「しかし…わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。」暗闇の中に生きる私たちに、いのちと光をもらす義の太陽はイエス・キリストです。時代がどうあろうと、人々の価値観がどう変わろうと、この信仰に立って、主の再臨を待ち望みたいものです。今日は午後からはぶどうの樹&オリーブの樹があり、男性、女性、青年に分かれて日々の恵みの分かち合いをしました。サプライズのお客様もあって、恵みいっぱい主日でした。

聖書は不思議な書物…

毎週木曜日はハートフル英会話。今日も教会堂から楽しそうな会話が響いていました。隔週のチャペルタイムではレイチェル先生のショートメッセージがあります。How many books are in the Bible ?永遠のベストセラーの聖書について、こんなミニ知識も知れます。聖書は単に宗教を学ぶためでなく、歴史や文化や芸術を理解する上でも欠かせない本。それが時代も地域も人種も違う人々によって書かれ、一つのメッセージに集約されるのも不思議な書物です。


エレミヤの心の揺れ…

10月第三水曜祈祷会、エレミヤ書20章から。祭司パシュフルはエレミヤを打ち、神殿の門にある足枷につなぎました。それはエレミヤが神のことばを忠実に語ったからでした。真実を語ったがゆえに迫害にあう…。エレミヤは思わず「主よ。あなたは私を惑わしました。」とつぶやきます。だからと言って、信仰を捨てることもできず…苦悶の日々が続いたのです。信仰者であっても心が揺れ動くことはあります。主はそんな私たちの心の内もご存知なのです。


ソフトボール大会2025…

関西宣教区第23回ソフトボール大会がありました。天候も守られ、遠くは静岡県やアメリカからも大勢の参加者がありました。準備運動から始まって、午前中は教会対抗でお楽しみの試合で、午後からは真剣勝負のトーナメントが行われました。今年は奇跡的に優勝は箕面めぐみ聖書教会、準優勝は茨木聖書教会。最後は時間切れのジャンケン勝負でしたが。とにかく大きなケガ人もいなかったことに、主催者側としてはホッとしています。主に感謝です。


神に立ち帰る道…

10月第二主日、台風の影響もなく、曇り空でしたが、穏やかな一日でした。今日も大勢の方々が教会に集い、礼拝を献げました。礼拝メッセージはマラキ書3章から。神殿を再建したユダの民でしたが、厳しい現実の中で、神に失望していました。『神の栄光などどこにも見られないじゃないか』と。次第に礼拝は形骸化し、神への献げものも軽視されていくようになりました。神はそんな神を侮り、神を侮辱し、律法を軽視する民に裁きを告げるとともに、変わらない愛を示されたのです。「わたしはあなたを愛している。わたしに帰れ、そうすれば わたしも帰る」どんなに神に背を向け、神から遠く離れてしまったように思っても、神はあなたがたを変わらずに愛している。わたしのもとに立ち帰ってきなさいというのです。「天の窓が開き」とは、閉じられていた祈りの門が開かれることを意味します。また、神は「十一の一をもってわたしを試してみよ」とは、神の命令には約束が伴うことを教えているのです。私たちもこの道を信じて進んでいきましょう。今日も礼拝後はバイブルクラス、囲碁将棋クラス、第三礼拝まで駆け抜けた一日でしたが、恵みいっぱいの主の日でした

歴史を導く主の支配…

ユダの民は、まことの神を礼拝しながら他の神々も礼拝していました。先祖から続く偶像礼拝はさらに進み、主を悲しませているというのです。それなのに民は悔い改めるどころか、私たちのどこが悪いのですかと開き直っている有様。罪に気づかないというのは本当に悲しいことです。これを現代で考えるなら、AIや機械に頼りすぎることもそれに近いと思います。私自身も、パソコンやスマホから離れて、もっと聖書や祈りの時間を取りたいと思います。


秋の研修会…

秋の研修会がありました。今回は松原湖と浜名湖の二会場で開催されました。賛美も礼拝も発題も心一つに行えて、ご奉仕くださった先生方のご苦労を思いました。また、新しい宣教について有意義な意見が交わされました。状況はますます厳しくなりますが、暗闇がその暗さを増す時代だからこそ、福音がより一層輝くようにも思います。何より同労の先生方との交わりに大いに励まされて帰阪しました。


変わらない神の愛…

10月第一主日、小雨の降る朝でしたが、午後からは雨も上がりさわやかな風が吹いていました。今日も初めて来られた方も久しぶりに来られた方も大勢の方がともに集い、三回の礼拝を献げました。メッセージはマラキ書1章から「わたしはあなたがたを愛している」という神の溢れる愛で始まります。この動詞は完了形でした。でも、民の心は動きません。「どのように、あなたは私たちを愛してくださったのですか」その時代、神殿再建によって一度は引き上げられた民の信仰でしたが、なお続く貧しさや困難の中で次第に衰えていました。その結果、祭司をはじめ民の礼拝は形骸化し、神への献げ物も律法の遵守も軽視され、神への背信行為が繰り返されていたのです。そんな罪に無頓着になっている民の心を呼び覚ますために、神はマラキを預言者としてお遣わしになりました。時に過激とも思える辛辣な言葉で主の怒りを伝える一方で、厳しい言葉の背後には神の溢れ出る愛が示されています。愛するからこその厳しい言葉です。どんなに時代が変わっても変わらないもの、それが神の愛です。人生は悲喜こもごもですが、私たちもこの愛に信頼して歩んでいこうではありませんか。

今日が人生最後の日だとしたら…

教会の男性グループの会で、ある方がお題を出してくれました。今までの人生で一番嬉しかったことは何か…今日が人生最後の日だとしたら何をしたいか…天国に行ったら何をしたいか…。一人一人の思いを伺いながら、深い分かち合いができました。目まぐるしく変化する時代、私たちも自分の死や終わりを意識する時、『何が変わらないものか』という問いが浮かんでくるのではないでしょうか。聖書は、それが神の愛であると気づかせてくれるのです。


主の語りかけを聞く…

10月第一水曜祈祷会、エレミヤ書7章から。主はエレミヤに主の宮の門に立って、主のことばを叫ぶように命じられました。「あなたがたの生き方と行いを改めよ」ユダの民は偶像礼拝や主が忌み嫌うことをしていながら、形だけは礼拝を献げに来ていました。エレミヤの叫びなど馬耳東風だったでしょう。主のことばを真剣に受け止めることを忘れた礼拝は空しいもの。主へのいけにえは、砕かれた霊。打たれ、砕かれた心です。いつも耕された心でいましょう。


主をほめたたえよう…

9月第四主日、暑かった夏から爽やかな秋に季節が移り変わろうしている一日、今日も週の初めに主なる神に礼拝を献げました。メッセージは詩篇103篇1ー5から。「わがたましいよ 主をほめたたえよ。わたしのうちにあるすべてのものよ。…主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」ダビデはこの詩篇をどんな時に詠んだのでしょう。きっと順風満帆な日々ではなく、心が折れてしまいそうな苦難の日々だったのではないでしょうか。ここまで導いてくださった主は、どこかにいなくなってしまったのか…。ダビデはそんな自分の全存在に向けて、主をほめたたえよ、主に感謝をささげようと呼びかけました。自分が体験してきた主の恵みを一つ一つ数えて、主が良くしてくださったことを思い出していました。私たちはどうしても「失ったもの」を数えやすものです。自分が罪咎を赦されていること、滅びの穴から救い出していただいたこと、この先の人生も主がともにてくださることを思い出す時、感謝が湧いてくるのです。今日も午後からはぶどうの樹&オリーブの樹、夕礼拝、青年夕食会…まで主の恵み盛りだくさんの一日でした。今週も主をほめたたえて歩みましょう。

神われらとともに在す…

まだ日射しは強かったですが、爽やかな秋風の中、墓前礼拝を行いました。やがてすべての人が死という現実に向き合わなければなりません。20世紀最も重要な哲学者と言われたハイデッガーは『人間は死へと向かう存在である』と言いました。でも、クリスチャンはそこが違います。『人間は永遠のいのちへと向かう存在である』天においても地においても、神われらとともに在す。お墓は人生の終着駅ではなく、神を信じて生きた者たちの信仰の証しです。


兄弟愛をいつも持っていなさい…

今日は台湾の教会のダニエル牧師夫妻と役員夫妻が訪問してくださいました。私たちの教会の歴史や礼拝の様子に関心を持ってくださり、台湾の教会の実情についても詳しくお聞きしました。日本のクリスチャンは全人口の1%ほどですが、台湾は全人口の約5%、都市部では10%がクリスチャンとのこと。二時間程の予定が、気づけは三時間を優に超えておしゃべりしていました。国は違っても、同じ神さまを信じる者として、兄弟愛を感じ、感謝な時間でした。


小さい秋見つけた…

童謡「小さい秋見つけた」の作詞家佐藤八郎さんは子どもの頃、体の不自由もあり、家に引きこもりがちでした。きっと外に遊んでいる子どもたちの声を羨ましく耳を澄ましていたら、そこへ秋の訪れを象徴する百舌鳥の泣声が聞こえてきたというのです。クリスチャンのお母さんはそんな彼をよく教会に連れて行かれたそうです。彼が21歳の時、お母さんは天に召されたましたが、この歌の歌詞には彼が母と過ごした大切な思い出が投影されているようです。


私を守られる方…

9月第三主日は、召天者記念礼拝でした。イエス・キリストへの信仰を持って先に召された方々を覚えつつ、天においても地においても同じ神さまの御名をたたえました。メッセージは詩篇121篇から。『都上りの歌』は、旧約聖書の時代、エルサレム神殿を目指す巡礼者たちによって歌われました。彼らが出発しようとすると、その先には赤茶けた岩山が連なっていました。バスも電車もない、寒暖差の激しい環境、足元も悪く危険と隣り合わせ、山賊たちがたむろしている所もある…。思わず口をついて出る言葉がこれでした。「私の助けはどこからくるのだろうか。」でも、彼らはすぐに自ら答えます。「私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」山々が連なっていても、それを造られた神がともにいて助けてくださるのです。彼らを見送る者たちも祈りをもって送り出します。「主はあなたを 行くにも帰るにも 今よりとこしえまでも守られる。」主の守りは、ただ単に巡礼の旅だけに留まらず、それを超えた全生涯を指し、更には今よりとこしえまでも続きます。この世の旅路はいろいろありますが、先に召された方々も同じ御手の中に、私たちもともにそこへ向かう旅人です。

結局のところ、もうすべてが…

伝道者の書12章から。本書は「空の空」で始まり、神なき人生の空しさを綴り、最後の章で「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」と締め括ります。死の間際に神を信じると決心するのも幸いなことですが、人生で最も若い今日という日にその決心ができるなら更に幸いな人生が用意されていることに気づかれるでしょう。「神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」明日は召天者記念礼拝。どなたでも自由にご出席ください。


神の家族なのです…

教会では毎週木曜日にハートフル英会話教室(大人、キッズ、中高生)を行っています。講師の先生はお話し上手。みなさん自然な会話の中から使える英語が身についていくようです。隔週でチャペルタイムがあって、今日は『教会とは神の家族』という話しをしてくださいました。私たちはみな違いがありますが、キリストにあって神の家族なのです。ハーブティーとレモン水を混ぜる視覚教材もわかりやすかったです。ただいま無料お試しクラスを受付中です。


すべての人が時と機会に出会う…

9月第三水曜祈祷会、伝道者の書9章から。人生はいつ何が起こるか誰にもわかりません。何かが起きても、それが幸いなのか不幸なのか、人には分かりません。でも、すべての人に同じ結末である死が臨む…それゆえ「すべての人が時と機会に出会う。」とあるように、神の時と機会を逃さないようにしたいものです。過ぎ去った日々はやり直しがききませんが、これから歩む日々には希望があります。神とともに歩む人生こそ、すべてに意味があるのです。


今日から後のことを…

9月第二主日、残暑厳しい中でしたが、今日も大勢の方が集い、恵みに溢れる一日でした。礼拝メッセージはハガイ書2章から。何事も新しいことを始めて壁にぶつかり、心が折れそうになることがあります。そんな時、だれかの一言によって勇気づけられ、続けることができたという経験があると思います。人生七転び八起き。バビロン捕囚から解放され、エルサレムに帰還したユダの民が目にしたのは、神殿の石垣も崩され、田畑も荒れ果てて、廃墟となったした街並み、しかも近隣諸国からの妨害に生活苦も重なるという厳しい現実でした。そんな中、まず自分たちの生活を何とかしなければと思うのは無理もありません。でも、神は預言者ハガイを遣わし、「あなたがたの歩みをよく考えよ」「この場所にわたしは平和を与える」と言われ、民はそれを聞くと奮い立って、エルサレム神殿の再建に着手しました。神の言葉に従って踏み出した「今日から後のことをよく考えよ」「わたしがあなたを選んだからだ」というのは、今日の私たちにも通じる神のメッセージです。過去を変えることはできませんが、神に従う未来は自分で選ぶことができます。神はそれを大いに喜ばれるのです。

蟪蛄春秋を識らず…

セミは夏の間、必死に鳴いて過ごし、秋までに死んでしまうので春秋を知らず、今が夏であることも知りません。私たちも、経験や知識にないことは理解できず、美しい天国の話しをしてもよくわからないのも無理はありません。でも、聖書は神の前に立つ時の心構えについて告げています。「母の胎から出て来たときのように、裸で、来た時の姿で戻って行く。…何一つ持って行くことはない。」地位や富や名誉でもなく、私たちの必要なのは神への信仰です。


すべては神の御手の中で…

9月第二水曜祈祷会、日中の暑さはまだ暑いもの、日が暮れるのが早くなってきました。伝道者の書2章~。知恵や知識が多くなれば、悩みや苛立つも増す。ならばいっそ快楽を追い求めようというのですが、すべては空しく風を追うようなものだったとあります。伝道者が言わんとするのは、結局のところ神なき人生の空しさです。「実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか。」ハートフル英会話秋期コースも始まりました。


仕事に取りかかろう…

9月第一主日、朝晩に少し秋を感じる季節を迎えました。今日も主なる神をほめたたえ、心からの礼拝を献げました。メッセージはハガイ書2:1ー9から。神殿修復工事の再開から一か月が過ぎました。近隣の異邦人たちの妨害を受けながら、重機もない中での作業は並大抵なものではなかったでしょう。一人一人が献身の思いをもって臨まなければ成し遂げられなかったでしょう。神はハガイを通して、そんな彼らに勇気と確信をお与えになったのです。「強くあれ。仕事に取りかかれ。わたしがあなたとともにいるからだ。」これを超えるのは簡単じゃない…自分にできるのだろうか…そう不安を抱いている者に「強くあれ」と言うだけでは重荷となるだけです。私たちには強くあるための根拠が必要です。「わたしがあなたとともにいるからだ」神の臨在は、自らの小ささ、弱さを認める者にこそ大きく迫って来るものです。神はご自身を信頼し、より頼む者を決して見放さず、見捨てることはありません。私たちも、後ろを振り返らず、横も下も気にしないで、前だけを向いて、今なすべきことをしていきたいものです。主の約束を信じて、今週も一つ一つの仕事に取りかかりましょう。

御名の栄光のために…

教会のデボーションは詩篇79篇から。「私たちは あなたの民 あなたの牧場の羊です。」クリスチャンになるとは、つまり神の民に加えられることを意味します。元々はそうでなかった者がイエスさまの十字架の贖いのゆえに、ただ信じることでその特権が与えられる。その救いの尊さを知れば知るほど、その生き方も変わっていくでしょう。今日はマザー・テレサの召天日とのこと。神の心を我が心とする…。それは素晴らしい人生です。御名の栄光のために。


福音のために…

私は福音のためにあらゆることをしています。私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。」まだまだ残暑厳しい中ですが、夜になると秋の虫も鳴き始めて秋が近づいているのを感じます。教会も夏のプログラムがひと段落して、次の秋のプログラムの準備が始まりました。私自身は水曜祈祷会のお休みをいただいて、静岡県の浜名湖で研修会の奉仕がありました。3泊4日、補教師の先生方と一緒に学び、一緒に考え、一緒に祈る時が持てて感謝でした。十数年前を思い出して、初心を思い出せて頂いたように思います。「福音」とは良き知らせという意味ですが、クリスチャンになる前の私は全く知りませんでした。すべての人は生まれながら心に原罪をもって生まれてきます。罪を犯す人間は裁きを受けなければなりません。でも、神はご自分のひとり子であるイエスさまをこの世に送り、十字架にかけられるほど、私たちを愛されました。この方の血によって、私たちは裁きに合うことがなく、罪が赦され、永遠のいのちが与えられるのです。ほかに条件は要りません。この福音のために私は牧師となりました。ぜひこの福音を心で信じて、受け取って頂きたいと願っています。

万軍の主は言われる…

8月第五主日、今日は献堂8周年記念礼拝を献げました。1994年4月、小さな家庭集会に数人の姉妹が集まって教会の歩みが始まりました。それから少しずつ礼拝に集う方々が起こされ、MKMビルのテナントに引っ越しをしました。広くなった分家賃は跳ね上がり、まだ始まったばかりの教会には重くのしかかっていたでしょう。それから20年という月日が過ぎ、神の家族はこの地に主の御名をかかげる教会堂を建てたいというビジョンが与えられました。その後、人数の増減があったり、牧師の交代が続いたり、いろいろなことがありましたが、教会は祈り続けていました。そして、2017年、箕面の山を間近に見ながら阪急箕面駅から徒歩13分ほどの建物を購入したのです。古い建物がリフォームされ、外の覆いが取り去られた時に見た光景を、新しい教会で献げた最初の礼拝を、最初の洗礼式を、あの感動を私はずっと覚えています。あれから8年が過ぎました。教会は多くの人が集うようになり、多くの人が救われ、多くの証しを見せていただきました。これからも神のご計画には続きがあります。「万軍の主はこう言われる。わたしは、あなたがたとともにいる。」という約束とともに。

イザヤの預言…

8月第四水曜日、デボーションはⅡ列王記19章から。北イスラエルを滅ぼしたアッシリヤ軍は次に南ユダに侵攻してきました。これを受けてヒゼキヤ王はイザヤのもとに使者たちを遣わし、大胆に助けを求めました。そんなヒゼキヤの姿は私たちにとっても良い模範です。私たちも大胆に神に近づき、神がどんなお方で何がおできになるかを信頼して祈り求めましょう。「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる」私たちの救いも主が成し遂げてくださるのです。


苦難の中でも喜んで…

8月第四主日、今日も猛暑の中でしたが、大勢の方が集まって礼拝を献げました。礼拝メッセージはハバクク書3章から。主の前の静けさから、ハバククは神への祈りに導かれました。ハバククは、神の裁きはまずはエルサレムに、そしてバビロンに下るとの宣告を聞いて恐れを抱きました。でも、ここではそれをやめるようにと願うのではなく、それが御心であるなら…この数年のうちに実行してくださいと祈願したのです。「激しい怒りのうちにも、あわれみを忘れないでください。」聖であり義である神は、愛であり憐れみ深いお方です。裁きは主から来るのであれば、その中であわれみを求める私たちの祈りにも必ず答えてくださいます。「わが子よ、主の訓練を軽んじるな…」というヘブル書12章のことばを思い出します。苦難はだれだって避けて通りたいものです。でも、その苦難がその人を成長させる。キリストに似た者へと造り変えてくださる。苦難は苦難で終わらない。必ず意味がある。神の目的がある。そんなことを思わされました。午後はぶどうの樹(女性の集い)とオリーブの樹(男性の集い)があり、夜は青年会がありました。今日も恵みあふれる一日に感謝です。

わたしの命令と掟を守れ…

教会のデボーションはⅡ列王記17章。ついに北王国最後の王ホセアが即位します。この後、イスラエルは神のことばを聞き入れず、偶像に仕えていったので、主はアッシリアによって滅ぼされていきました。預言者を送り続け、何度も悔い改めを迫っていたのですが、最後は断腸の思いだったでしょう。主の御旨は、裁きではなく回復、罪人の悔い改め、救いです。私たちも決して他人事や昔話ではなく、今自分への問いかけとして聴いていきたいものです。


私にはできません…

8月第三主日は宣教区の講壇交換がありました。神戸恵みチャペルの奥山仰輝牧師を迎えて、メッセージを取り次いでいただきました。奥山先生は同盟教団でも若手中の若手ですが、落ち着いた語り口で、御言葉を丁寧に説き明かしているのが印象的でした。『私にはできません』というタイトルも実に意味深で、私も夕礼拝でじっくり聴かせて頂きました。午後のプログラムは何もなかったのですが、青年たちが率先して小さい子どもたちの夏休みの宿題を見てくれました。今週は浜名湖バイブルキャンプもあるので、みんなでがんばったようです。キャンプの祝福をお祈りしています。私は13年ぶりの神戸恵みチャペルでのメッセージでした。温かな交わりとよく整った礼拝式の中でとても豊かな礼拝を献げられました。以前に比べると新しい方も増えて、教会が成長し、祝福されているなあと感じました。奥山先生ご家族を迎えて、教会もいよいよ宣教に前進していかれるのだと思います。私のことも覚えていてくださる方もおられて励まされました。昼食をいただきながら、時間も忘れて話していたので、夕拝に遅刻して帰ってきました。宣教区の交わりを心から感謝いたします。

恵み、あわれみ、顧みて…

教会のデボーションはⅡ列王記13章から。北王国はエフーの改革の後も、神に背き続ける道から離れようとしませんでした。周りがみんなそうだからという理由で世の価値観に流され、立つべき真理を見失ってしまうなんてことがないようにと思いますが、言うは易し、行うは難しです。それでも主は、私たちを恵み、あわれみ、顧みてくださると聖書は約束する。神の前に礼拝を献げましょう。それは罪人である私たちにとって何とも大きな特権なのです。


戦後80年を心に刻む…

今年も終戦記念日を迎えました。戦後80年の節目の年、戦後生まれの人口が全体の9割に近づき、実際に体験された方の数はいよいよ少なくなってきました。アジア太平洋戦争における日本人の死者は310万人、アジア全域の死者は2000万人とも言われる尊い命が失われました。先日は、山口陽一師の『戦争責任の本質、戦後80年に考えること』のオンラインセミナーがあり、戦時下におけるキリスト教団の戦争協力と偶像礼拝についても考えました。献金を集め、海軍・陸軍に戦闘機を献納し、教団統理が伊勢神宮に参拝し、その発展を祈願する…。日本同盟基督協会もこれに加わりました。当時それを明らかな罪だと認識し、バアルに膝を屈めなかった牧師たちは酷い迫害にあいました。自分がその時代に生きていたらどうしていただろうか…。今は教団の過去の罪を悔い改め、二度と繰り返さないように、キリスト者として社会的責任を果たし、平和をつくる者となれるようにいよいよ切に祈りたいと思います。


その信仰によって生きる…

8月第二主日礼拝、九州北部で相次いで線状降水帯が発生し、記録的な大雨となりました。関西も雨となりましたが、連日の猛暑が続いたので植物は喜んでいたと思います。今日の礼拝メッセージはハバクク書2章から。南ユダの不義を裁くために、神はカルデア人を立ててさばきを下されることを告げました。ハバククは、神と人々の間に立ってとりなしの祈りを献げます。こうして彼は「物見のやぐら」「砦」に立って、神が自分の訴えについてどう何を語られるかを待ちました。神はそんな彼に「もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。…正しい人はその信仰によって生きる。」と答えられたのです。大事なのは、神はここでハバククに納得ではなく、ご自身への信頼を与えようとされたことです。信仰生活の要は、何といっても私たちが神を信頼できるかどうかです。そして、神は信頼に足る方なのです。今日は午後から恒例のファミリーコンサートがありました。子どもから大人まで18組のエントリーがあり、みんな思い思いの形で賛美を献げました。今週は大型連休ということで、水曜祈祷会もお休みですが、ご家族での良い交わりの時となりますように。

「The Mission」を観て…

今から40年も昔の映画『The Mission』を観ました。1750年、主人公は南米の先住民に命がけでキリスト教を伝えた二人の宣教師、音楽を通じて心が通い合い神を信じていく人々。やがて教会が立ち、村全体が変えられていく光景は胸が熱くなりました。クライマックスはなんとも悲しい結末に終わりますが、今夏ぜひお薦めの作品です。明日は教会でファミリーコンサートがあります。映画のテーマ曲にもなっている『ガブリエルのオーボエ』も楽しみです。


信仰によって見えるもの…

8月第一水曜祈祷会、Ⅱ列王記5ー6章から。アラムの軍の長ナアマンの癒しからは謙遜になることの大切さ、ゲハジからは神を侮ることの不遜について学びました。また、神は私たちの日常の細部にまでも気を配ってくださり、国家的な問題においても介入してくださることが描かれていました。そんなエリシャたちにも万事休すの場面がありましたが、彼らが信仰の目をもって見ていく時、彼らは勝利を得たのです。私たちの信仰の目を開くのは聖霊です。


主よ、いつまでですか…

8月第一主日、いよいよ記録的な暑さが続く中ですが、今日も大勢の方とともに礼拝を献げました。メッセージは旧約聖書のハバクク書から御言葉を学びました。ハバククは、南ユダがバビロン軍によって滅ぼされる直前まで預言者として活動しましたが、偶像礼拝と暴虐と暴行が蔓延る時代にあって厳しい時代を生きました。彼は神に代わって人々に語りかけるのではなく、人々に代わって神に問いかける預言者でした。「主よ、いつまでですか。…なぜ黙って放っておかれるのですか。」ハバククの苦悩は、あらゆる時代の神の民の嘆きのように思います。いつの時代も、世界中の不条理な現実、また個人的にも理不尽に思う事柄は後を絶ちません。原因はいろいろな人が尤もらしいことを語ってきたかもしれませんが、何より人間の罪が根幹にあることを聖書は告げています。私たちはこの世界を治め、歴史を支配しているのは神であることを知っていますから、神からの解答を切に求めるものです。神の方法はしばしば不思議なもので、私たちには不可解で、私たちが思う以上に遅れることがある。それでも、遅くなってもそれを待てと言われる主に期待して待ち望みたいと思います。

喜びをもって彼らを愛する…

7月第五水曜祈祷会、今朝はカムチャツカ半島でM8.8の巨大地震が発生し、日本列島にも津波警報が発令されました。現地では建物の損壊や多数の負傷者も出ているようですので、憐れみ深い主の御手をお祈りします。祈祷会ではホセア書14章から。ホセアは自分の妻の淫行に対して苦しい経験をする中で、イスラエルのバアル礼拝がいかに真実なる神の御心を痛めているかを示されました。そして4~13章までイスラエルの罪に対して神の刑罰が下ることを徹底して告げたのです。それでも彼らは自分たちが神の民であることにおごり高ぶり、神の忍耐深い愛を侮っていきました。「あなたの神、主に立ち返れ。…喜びをもって彼らを愛する。」今も聖書は私たち全人類に向かって繰り返しそう告げます。信仰は単に自分自身を磨くことではありません。主の道は平らであると信じて、つまずいても倒れても立ち上がって、愚直に前に進むことです。地上の繁栄の中で、それに目を奪われることなく、神の前におけるこの世界を見つめ、私たち全人類に対する神の言葉を宣べ伝える使命を思います。たとえすぐに人々が耳を傾けてくれなくても、福音はすべての人に必要なものですから。

愛のゆえの訓練…

7月第四主日、猛暑日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。早いもので7月最後の主日礼拝でした。メッセージはへブル書12:4ー11から。手紙を受け取る読者たちは信仰者ゆえに厳しい迫害と圧迫の中を歩んでいました。著者はそんな彼らに箴言のあの言葉を忘れていませんかと呼びかけます。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子にむちを加えるのだから。」苦しみがあっても悲しみがあっても、主の愛が消え去ってしまったのではない、主は愛する者を訓練される。いや、愛するがゆえに訓練されるのです。それは神が私たちを子として扱っておられるから、ご自分の聖さにあずからせようとしておられるからです。そしてその訓練には目的があります。苦しみは苦しみで終わらない。むしろ、苦しみを経た者に義という平安の実を結ばせ、希望の道を与えられるのです。礼拝後、ある方から、神は戦争もむちとして与えるのですかと聞かれました。戦争はあくまで人間が起こしているものです。ただし、神はそれをじっと見ておられて、やがてこの全世界に介入して来られるのです。

イエスさまが伝えた良い知らせ…

すなわち『福音』とは、神のひとり子であるイエスさまが私たちの罪の身代わりとなって死んで、三日目によみがえられたこと、この方を救い主として信じるならだれでも救われることです。今日も見るからに…二人組の女性が、炎天下の中、訪問伝道をされていました。お疲れさまです…と私はできるだけ笑顔で声掛けするようにしていますが、悪者を見るような目で睨まれてしまいました。彼らの伝える福音とはそのようなものなのでしょうか。残念です。


久しぶりの再会…

2022年参院選挙で初当選されてから3年ぶりの再会でした。金子牧師とは、10年間子どもミニストリーでご一緒させて頂きましたが、その時から本当に謙遜な先生です。日曜日に参院選が終わったばかりで忙しかったと思いますが、教会に立ち寄ってしばらく日本の未来、教会の未来についてお話しくださいました。いろいろ大変だと思いますが、変わらないまっすぐな姿勢に励まされました。それぞれ召されたところは違いますが、一緒に祈れて感謝でした。


わたしが喜びとするのは…

7月第四水曜祈祷会、ホセア書7章から。イスラエルの罪深さが、憐れみ深い神の前に余す所なく展開されます。しかも彼らはそれを気にも留めない。私たちも『だれも見てないし…』という思いによって、罪を犯す誘惑にかられることがあります。でも、そのような時こそ、神はすべてを見ておられ、すべてを知っておられることを思い出したいものです。神が喜びとするのは形式的な礼拝ではなく、真実の愛です。その第一歩は悔い改めから始まるのです。


走り抜く秘訣…

7月第三主日、今日も朝から厳しい暑さとなりましたが、主の御名を賛美し、心からの礼拝を献げました。メッセージはへブル人の手紙12章から。著者は旧約時代の信仰者たちを列挙した後、そうした大勢の先達たちがまるで競技場の観覧客のように、私たちの信仰のレースを見守っていると記しました。1節の「競技」(信仰のレース)とは、短距離走のように順位を決めるものではなく、マラソンのようであり、しかもみなが走り抜くことが目的です。私も以前フルマラソンに挑戦したことがありますが、沿道からの声援に本当に力をもらいました。途中心身ともに疲れ果て、元気もなくなってしまうような時もありましたが、この先に必ずゴールがあると思うと力が湧いてくるのを感じました。「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」イエスさまは私たちに信仰を与えてくださった方であり、どんな時もともに歩み、また、完成へと至らせてくださる方です。この方から目を離さないこと、見つめ続けることが完走する最大の秘訣です。今日は午後からバイブルクラス、子どもたちはサッカーボールを持って公園へ。恵みに溢れた主の日に感謝です。

主が愛しているように…

ホセア書3:1「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛しなさい。ちょうど、ほかの神々の方を向いて干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの子らを、主が愛しているように。」ホセアに姦淫の妻と復縁させたのは、偶像の神々に心を寄せる神の民を愛される、主の愛を象徴するものでした。イエスさまはご自分の命を贖いの代価として差し出され、私たちを罪の奴隷から買い戻してくださいました。この愛はすべての人に注がれているのです。


背を向いている民に語れ…

ホセア書1:2「姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は主に背を向け、淫行にふけっているからだ。」神の民は偶像礼拝に陥り、霊的姦淫を犯し続けていました。でも、神はそんな不誠実な民にも関わらず、ご自身の愛を示されたのです。偶像とは神以外のものを神のように崇めること。今日も私たちの周りにはそうしたもので満ちています。罪ある人間がそのままで神に近づくことはできません。ただ主の贖いが私たちの罪を洗い聖めてくださるのです。


神の心を痛める…

7月第三水曜祈祷会、詩篇78篇から。この詩篇は後の世代の者たちが神に信頼し、神の御業を忘れず、神の命令を守るために作られたました。エジプトを出た民は荒野ではもちろん約束の地カナンでも繰り返し神に逆らい、神を悲しませました。でも、神はご自分が選んだ民を見捨てられず、裁きの手をとどめて救いへと導かれました。全き義なる神は人間の罪を罰せずにおられませんが、全き愛なる神はそんな罪人の私たちを赦し愛さずにはいられないのです。


いのちの冠を目指して…

7月第二主日、今日も朝から猛暑日でしたが、大勢の方が集われました。礼拝メッセージはへブル書11章32~40節、信仰の勇者6人の名前が挙げられました。一人一人みな弱さがあり、決して完璧な者たちではありませんでしたが、神はそれをご存知の上で、彼らを選び用いられました。神は私たちの力を見て仕事に就かせるのではなく、神の呼びかけに応え、自らを明け渡して従う者にその務めを成し遂げる力や知恵をお与えになるのです。「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。」試練は、キリスト者の品性を完成へと導くための道具です。確かに人生辛酸多し、艱難辛苦は耐えません。されど、神は愛なり力なり。遣わされる方はいつも私たちとともにおられ、脱出の道も用意しておられるのです。礼拝後は賛美チームの練習、囲碁将棋クラス。今日は初めて教会に来てくださった方や久しぶりに来られた方もあって、いつもにも増して恵みあふれる主の日となりました。また、子どもたちも夏休みを前にして、いつも以上に元気一杯でした。私は明日の会議のため夕方から🚅東京へ…夕礼拝はお休みしました。

神さまいるならどうして…

今日は同い年で、優しくて思いやりがあって、仕事も何でもできる、私の数少ない友人牧師の誕生日でした。4年前、突然の召天の知らせを聞いて…神がいるならどうしてと思いました。ご家族の上に主の慰めをお祈りいたします。神は私たち一人一人の人生に計画を持っておられる。それを今、全部を知ることはできませんが、人は生きているのではなく、生かされているのだとするなら、自分のなすべきことは何だろうと思いながら、今日を過ごしています。


罪を悔い改めるなら…

Ⅰ列王記21章から。アハブはイズレエル人ナボテとぶどう園の売買交渉をしましたが、断られて激しく怒りました。それを見た妻イゼベルは、あなたはイスラエルの王なのだから欲しいものは手に入れたらいいと、結局ナボテを殺してしまいました。そこで主はエリヤを遣わしてアハブにさばきを告げると、彼もやっと自らの罪に気がつき悔い改めました。神はそんなアハブであっても憐れまれたのです。罪を悔い改めるのに遅すぎるということはありません。


対面での災害対策部…

7月第一月曜、同盟教団の災害対策部がありました。昨年発足して初めての対面部会でした。災害大国の日本において、地震、台風、大雨…もはやどこで何が起きてもおかしくない昨今です。緊急時の対応や日頃の防災・減災について注意勧告をしていくことが大きな役割です。何も起こらないことに越したことはありませんが、いざという時に備えて、至って真面目に、時に冗談も交えながら、災害について二日間に渡って話し合いました。貴重な時間でした。


信仰によってどんな時も…

7月第一主日、猛暑日の中、主になる神に礼拝を献げました。メッセージはへブル書11:29-31、モーセやヨシュアの言葉に従ったイスラエル人たち、遊女ラハブの信仰から学びました。目の前は荒れ狂う紅海、後ろからは夥しい数のエジプト軍、まさに袋のネズミ状態のイスラエルたちは、怖じ惑い、主に叫び、モーセに不満を訴えました。でも、神はモーセを通じて「恐れてはならない。しっかり立って、今日あなたがたのために行われる主の救いを見なさい」と告げられたのです。イスラエル史上、最も劇的な出来事でした。また、約束の地カナンを目の前にして立ちはだかるエリコの町の城壁。堅固な壁を突破することは不可能に思えたでしょう。でも、この時も神はヨシュアを通じて、城壁の周りを七度まわるように命じられ、見事に壁を崩されたのです。人間的な常識で、こんなことをしても埒が明かないと思っていたら、彼らはこの後の神の御業を見ることはありませんでした。最後のラハブもまた異教の地にあって、真の神を信じていました。彼女の勇気と信仰に励まされました。今日も暑い中でしたが、大勢の方とともに聖餐の恵みにあずかりました。感謝いたします。

あなたのおことばによって…

教会のデボーションはⅠ列王記18章から。いよいよ預言者エリアが登場します。カルメル山でのバアルの預言者との戦いは実に痛快でした。「あなたのおことばによって私がこれらすべてのことを行った…」その後、エリヤは長い干ばつが終わり、大雨が降ると預言します。但し、その時はすぐに訪れたのではなく、忍耐と信仰を要するものでした。「手のひらほどの小さな濃い雲…」小さな、でも、確かなしるしでした。神の御業は時至って必ず実を結ぶのです。


地域の方に開かれた教会…

毎週木曜日はハートフル英会話があります。大人クラスは和気あいあいと会話を楽しみ、キッズクラスは遊びを交えながら英語を身に着け、中高生クラスは難しい文法も楽しそうに学んでいます。ほとんどの方がクリスチャンではありませんが、地域の方がこうして来てくださることは感謝です。時折、「聖書って何?」「神さまってほんとにいるの?」「クリスチャンでなくても教会でお葬式できるのですか?」等々、いろいろなご質問を伺えるのも嬉しいことです。歯切れよく答えられるものから、曖昧にしか答えられないものありますが、関心をもってくださることが私の願いです。聖書は神さまのことばが書かれた書物です。神さまは世界を創造し、今も歴史の支配者です。クリスチャンでなくても教会でお葬式をすることはできます。「じゃあ、どうして戦争や悲しいことがなくならないの?」「人は死んだらどうなるの?」「人は何のために生きるの?」等々、すぐに答えがでないことから、教会でしか一緒に答えを見出せないこともあります。教会は地域の方に開かれた場所です。宗教は問いません。子どもも大人もシニアの方も安心して、まずは教会に足を運んでみてください。

主の目に悪であることを行い…

7月第一水曜祈祷会はⅠ列王記16章、北イスラエルでバアシャからアハブに王座が変わっていくところから。この時代の王たちの特徴は「主の目に悪であることを行い…」ということです。オムリ、アハブに至っては、彼ら以前のだれよりも悪いことをしたとあります。外面的には安泰に見えても、内側では罪に対する感覚が麻痺し、神を侮っているなら、必ずその報いを受ける時がくることを教えています。大事なのは私たちが過去の歴史から何を学ぶかです。