





2月第三主日礼拝、今日も穏やかな週の始まりでした。礼拝メッセージはエレミヤ書30:1~24から。「見よ、その時代が来る。そのとき、わたしはわたしの民イスラエルとユダを回復させる。」ソロモン王の死後、イスラエルは南北に分裂し、混迷の時代を迎える中、まず北イスラエルがアッシリア帝国によって滅ぼされ、続いて南ユダも新バビロニヤによって滅ぼされ、エルサレム神殿は陥落し、多くの民が捕囚となりました。エレミヤはそれを、神の声に聴かず、神に背を向け続けた社会に対する神の審判であると告げたのです。聖都エルサレムとその神殿の不滅を迷信的に信じていた人々にとって、神の審判(さばき)などあり得ないことだったでしょう。でも、神はご自分の民の真の回復のために苦難の時を与えられたのです。エレミヤが語ったのは神の厳しい審判とともに、驚くような神の救いと回復でした。つまり捕囚が主のさばきであるとともに、回復も主の御業であるということです。聖書に記されている神のさばきは、さばきが目的ではありません。それはご自分の民が罪を悔い改めて神に立ち返るためであり、その時、神は民を受け入れ、回復させてくださるのです。