カテゴリ:2025年上半期



2025/06/30
6月第五主日、関西も1951年の統計開始以降最も早い梅雨明け、朝から猛暑日となりましたが、今日も大勢の方が教会に来られました。礼拝メッセージはへブル書11:23ー28から。モーセの両親は王の命令を恐れずに、幼子モーセを隠しておきました。泣きしきる赤子を家で隠しておくというのは至難の業だったはず。向かい風の時代を、命がけで生き抜いた信仰者の気概が伝わってきます。また、神の特別なお取り計らいでモーセは助けられ、さらに実の母親に育てられるという祝福に与りました。その時、母から自分がイスラエル人であることを教えられ、神の民としての誇りを心に刻んだでしょう。やがて成人すると、モーセはファラオの娘の息子という恵まれた立場を捨てて、神の民とともに苦しむ道を選び取っていきました。誰かにそれを相談していたら間違いなく、お前は正気かと諭されたでしょう。でも、人生は決断の連続。右に行くか左に行くか、どの道に行くかで、その後の人生は大きく変わります。狭い門から入りなさと言われたイエスさまの言葉を思い出したいものです。午後は親子で歯ブラシ教室、賛美チームの練習、夕礼拝と青年会…恵みいっぱいの一日でした。
2025/06/28
教会で野菜を作っているのですか…とご近所の方に声をかけて頂いて感謝です。狭い所を耕して幾つか野菜を植えています。同時に、教会は敷居が高くて…とも言われますが、私が牧師をしているくらいですからそんなこと仰らずに物は試しに礼拝に来てみませんか。どこかのパワースポットに行くより、新しい発見や感動があるかもしれません。教会も高齢化は進んでいますが、若者たちもご家族も来られています。初心者歓迎です。お待ちしています。
2025/06/26
教会のデボーションはⅠ列王記14章から。始まりはソロモンによってイスラエルに偶像礼拝が入り込み、王国は南北分断という道を辿ります。こうして南ユダはレハブアムが王となり、北イスラエルはヤロブアムが即位し、どちらの王も神の掟と命令を守ることの大切さを聞いていながら、ダビデのようには歩まず、彼らの後も混乱の世が続きました。確かに主は憐れみ深い方ではありますが、一方でその方を侮ることの厳しさも聖書は教えているのです。
2025/06/26
6月の旧約聖書を学ぶ会は出エジプト記19章から。主がイスラエルの民をシナイ山に導かれ、特別に律法を与え、契約を結び、ご自身を現わされました。神は民に身も心も準備せよと命じられますが、彼らはここでも迂闊に境界を踏み越えて、神の叱責を受けました。そんな彼らがなぜ選びの民だったのか…理由は神にしか分りません。それは私たちクリスチャンも同じです。私たちの側に選ばれる理由など全くないにも拘らず、神の子として頂いたのです。
2025/06/24
6月第四主日、今日も猛暑の中、大勢の方々が礼拝に集われ、主の御名を賛美しました。メッセージはへブル11:17-22から、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフの信仰を学びました。アブラハムからは試練に打ち勝つ信仰を、イサクからは未来を思い描く信仰を、ヤコブとヨセフからは死をも恐れない信仰を心に留めました。アブラハム最大の試練と言えば、約束の子イサクを全焼のささげ物として献げよという神の命令です。私たちも時に、神の言葉が矛盾していると思うことがあるのではないでしょうか。でも、私たちには理解できずとも、神の言葉に矛盾はなく、従っては始めて「主の山に備えあり」という神の備えを学経験していくのです。ヤコブもイサクもヨセフもそれぞれに苦難の人生を歩みましたが、へブル書の著者はそのことについては一切記さず、彼らがみな死の間際まで未来を思い描き、天国を憧れていました。私たち罪人が神の子として特権が与えられることは、普通に考えたら奇跡のようなことでしょう。でも、そうした無数の奇跡があって、今の私たちがいるのです。私たちもこの奇跡に感謝して、信仰の襷を次の世代につないでいこうではありませんか。
2025/06/21
聖書の言葉が心に迫ってくるということがあるでしょうか。聖書の言葉が理解できる、納得できるのというのと、私たちの不安、恐れをなくしてくれる、弱い自分を強めてくれるというのは本質的に違います。聖書は慰めや励ましの言葉に満ちています。「神は仰せられた。『光、あれ。』すると光があった。」たとえ混沌として何はなくても、神は無から有を生ぜしめてくださる。私たちにとって大事なのは、この世は神の言葉によってできていると知ることです。
2025/06/20
今日もハートフル英会話は大人クラスもキッズクラスも楽しそうな笑い声が響いていました。さて、デボーションはⅠ列王記10章、ソロモン王の繁栄の絶頂期。シェバの女王が大勢の従者を率いて訪ねてくるほど、王の名声は国々に響き渡っていました。まさにソロモンはダビデの栄光を受け継ぐはずの者だったのに…11章以降はその繁栄が仇となり、神から離れてしまい、衰退の一途を辿っていきます。何が本当の幸せかを見誤らないようにしたいものです。
2025/06/18
月曜は一泊運営委員会がありました。キャンプ場でしたので、自然の中でリラックスして会議ができました。夜は卓球の上手な先生に挑戦しましたが、今回も全く歯が立たず、また宿泊部屋にムカデを見つけてしまい、気になってほとんど休めずでした。さて、今日の水曜祈祷会は、ある宣教師のデプテーションがありました。普段なかなか聞くことのできない宣教地の様子や教会の証しを聞くことができて感謝でした。環境が変わっただけで眠れない私からすると、想像もつかないご苦労があるかと思いますが、主の呼びかけに応えていく時、必要なものは備えられていく大切さをあらためて教えられました。「神は、イスラエルの子らに御言葉を送り、イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました。このイエス・キリストはすべての人の主です。」昼食の時や梅田駅まで送っていく車の中でもいろいろな話しを伺えて、国はかわっても共通する宣教の課題があることもわかりました。夜の祈祷会はⅠ列王記8章から、いつものように御言葉の解説の後、オンラインでしたが、4人でお祈りしました。今週は30度以上の真夏日が続くとのこと…。体調管理に気をつけましょう。
2025/06/16
6月第三主日、今日は父の日歓迎礼拝を献げました。メッセージはへブル11章8ー16節から。信仰の父アブラハムはある日突然、神の召しを受け、住み慣れた地を離れて、神が示される約束の地に向かって旅立ちました。彼には常人が考えるような未知なる歩みへの不安はなかったのでしょうか。…きっとあったでしょう。でも、それが神の言葉であったゆえに、彼は行く先も知らずにただ主を信頼して踏み出していったのです。そして、やっとの思いで辿り着いた約束の地には、悠々自適な生活が待っていたかというと、これまでに経験したこともない波乱万丈な舞台となりました。こんなはずでは…と言いたくなっても仕方がないでしょう。多くの人は神の恵みと平安を求めて入信されます。家族や友人の反対を押し切って洗礼を受けたのだから、神は祝福してくださるに違いないと思った方もいるでしょうが、現実は、アブラハムと同じ思いを経験する方も少なくありません。それでもアブラハムは出て来た故郷のことではなく、天の故郷を憧れて歩みました。神はそんな彼の神と呼ばれることを恥となさらなかったのです。信仰とはなんと単純で、奥深いかを考えさせられました。
2025/06/14
篠突く雨で、せっかく植えたトウモロコシも何本か倒れてしまいました。梅雨に入っているので仕方ないのですが、この雨の中を礼拝に来られる方の足元が心配です。どんなに装備して教会まで辿り着いても、ずぶ濡れになってしまうでしょう。なぜこんな雨の日に…とご家族も引き留めるかもしれません。それでも教会に来られる方がいることを思う時、私も精一杯の準備をして明日の礼拝に備えたいと思います。神の栄光が現される礼拝となりますように。

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