





5月第二水曜祈祷会、日中は汗ばむほどの五月晴れでした。デボーションはへブル書5章から。前半は大祭司キリストについて、後半は霊的な大人になってがテーマでした。祭司は、神と人との間をとりなす者、橋渡しのような職務、中でも大祭司はその首長です。その資格は、人々の弱さを知り、思いやることができること、神によってその職務に任命されていることとありました。キリストも、神の御子であられるのに様々な苦しみによって従順を学ばれました。本来、苦しみなど通る必要のない方が、従順など学ぶ必要のない方が、それらをあますところなく受けられたのです。嵐の湖を「静まれ」の一言で凪にできる方が、五つのパンと二匹の魚で一万人の腹を満たすことがおできになる方が、その超自然的な力をあえて使われなかったのです。それらは何のためだったのか…。それは、私たち人間の弱さに心から同情することと、神の御心を成し遂げるためです。これを踏まえて、著者は「ですから私たちは、キリストについての初歩の教えを後にして」と筆を進めます。聖書の基本は大切です。でも、願わくは主にあって成長し、学んだことを実践する者となりたいものです。