ただ一度の犠牲によって…

昨日は5月の旧約聖書を学ぶ会がありました。出エジプト記18章から。モーセとイスラエルの民はアマレク人との戦いに勝利した直後に、義父イテロが妻ツィポラと息子たちとともに来訪し、久々の再開となりました。そこでモーセが大胆に証しをすると、イテロはへブル人の神はすべての神々に勝り、力ある、最も卓越した神であることを確信しました。イテロははさらにモーセが朝から晩まで裁きの座に着いて民の話しを聞いている様子を見て助言をしたところ、モーセもそれを素直に聞いて民全体の中から力のある人たちを選んで、それぞれの長として任じたのです。モーセの柔和さがにじみ出てくるような箇所でした。また、今日の水曜祈祷会ではへブル書9章を学びました。ここも難解な箇所でしたが、じっくりと一節ずつ読み進める中で、イエスさまの十字架の死の意味があらためて迫ってくるようでした。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている…」老後の心配をする人は多いと思いますが、死後の心配をする人は少ないのでしょう。でも聖書は、人間は死んで終わりではない、その先のことを生きている間に決断するように告げているのです。