6月第三主日、今日は父の日歓迎礼拝を献げました。メッセージはへブル11章8ー16節から。信仰の父アブラハムはある日突然、神の召しを受け、住み慣れた地を離れて、神が示される約束の地に向かって旅立ちました。彼には常人が考えるような未知なる歩みへの不安はなかったのでしょうか。…きっとあったでしょう。でも、それが神の言葉であったゆえに、彼は行く先も知らずにただ主を信頼して踏み出していったのです。そして、やっとの思いで辿り着いた約束の地には、悠々自適な生活が待っていたかというと、これまでに経験したこともない波乱万丈な舞台となりました。こんなはずでは…と言いたくなっても仕方がないでしょう。多くの人は神の恵みと平安を求めて入信されます。家族や友人の反対を押し切って洗礼を受けたのだから、神は祝福してくださるに違いないと思った方もいるでしょうが、現実は、アブラハムと同じ思いを経験する方も少なくありません。それでもアブラハムは出て来た故郷のことではなく、天の故郷を憧れて歩みました。神はそんな彼の神と呼ばれることを恥となさらなかったのです。信仰とはなんと単純で、奥深いかを考えさせられました。