見捨てられた救い主…

3月第四主日、今日も穏やかな天気のもと礼拝が献げられました。メッセージはマタイ27章からイエスさまが十字架上で叫ばれた「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになられたのですか。」を中心に聞きました。一見すると、これは絶望の叫びとも思える言葉ですが、著者マタイはあえてヘブル語とアラム語の原語で記し、さらにその意味まで追記しました。一人でも多くの人にその言葉の真意を伝えたかったのでしょう。それが重要な言葉だったからであり、特にイエスさまの贖いの本質を伝える言葉であったからです。イエスさまはここで「わが父」と呼ばれていたのに、ここだけは「わが神」と呼ばれました。それはイエスさまが罪人の立場に立たれたことを意味していました。そして、それは本来、罪人である私たちが発する言葉でした。イエスさまが見捨てられたのは、私たちが見捨てられないためです。イエスさまが裁かれたのは、私たちが赦されるためです。イエスさまが死なれたのは、私たちが生きるためです。十字架は私たちにとってもはや恐怖や裁きのしるしではなく、神の愛と希望のしるしとなったのです。あらためて十字架の意義を心に覚えました。