2024/09/18
残暑厳しい折、昨日は旧約聖書を学ぶ会で出エジプト記11章を、今日は水曜祈祷会でイザヤ書4章を読みました。「主はファラオの心を頑なにされ」神はファラオに強制的に神を否定するようにされるだろうか。いや、むしろ彼には自分の考えを変える機会が幾度もあった…。聖書を部分的に解釈するのではなく、文脈に即した解釈、あるいは聖書全体の一貫性から読み解く大切さを覚えました。「その日、七人の女が一人の男にすがりついて言う」神のさばきの言葉を告げる預言者の使命を思いました。ユダの繁栄の時代、人々はイザヤの言葉をどう聞いたのか。自分たちには関係がないと高ぶり続けたのか、中には悔い改める人もいたのか…。詳しい解説は動画を見て頂ければと思います。余談ですが、昨日も今日もエホバの〇〇の女性が二人組で教会の前を通られました。昨日は時間があったので、声をかけて立ち話をして頂きました。死海写本、テトラグラマトン、七十人訳聖書…専門用語がポンポン出て来て、よく学んでおられるなあと思いつつ、最後に『ところで、聖書を読んだことがありますか』と聞かれてガクッと。最初に『牧師をしています』と言ったのですが…。
2024/09/13
9月第三主日、青く澄み渡る空の下、今日も主の御名をあがめる礼拝をささげました。礼拝メッセージはネヘミヤ記6章から。祖国エルサレムの城壁が崩れたままになっていると聞いて、ネヘミヤは断食して祈り、再建のために帰還していきました。そんなネヘミヤとともに民も再建に立ち上がりますが、外からも内からも激しい妨害に遭い、工事は困難を極めました。それでもネヘミヤは「ああ、今、どうか私を力づけてください。」と祈りつつ、こうしてついに五十二日間という驚くべき速さで完成を見たのです。ネヘミヤはすべての栄光を神に帰し、御名をあがめたことでしょう。私自身もこの教会に遣わされて18年、幾つもの神の不思議を見せていただきました。人が救われ、人生が変えられ、病が癒され、問題が解決していきました。難しいと言われていた会堂建設も教会墓地も与えられ、青年たちが結婚し、家族が与えられ、敬愛する先輩方を天に見送ってきました。これらの御業は「すべて私たちの神によってなされたこと」です。私たちの教会もまだまだ道半ば。ここまで導かれた同じ神が、これから先もさらに不思議な御業を成し遂げてくださることを信じています。
2024/09/13
コロナ禍も収まって集まれるようになったので、オンラインでの礼拝をやめてオフラインの礼拝(対面式)に戻す教会もあるようです。それぞれの教会の事情が違うので一概にその是非を問うは難しいと思います。確かにハイブリッド型(対面とオンライン)の礼拝は、礼拝に参加する意識を低下させ、交わりを希薄にさせてしまうという心配があるのかもしれませんが、逆に、遠方やお年寄りの方、長く病院や施設にいて礼拝を諦めてしまっていた方には喜んでもらえているようです。もとより、礼拝に来る来ないは本人の自由意思ですから、強制されるものではありません。私のように25歳まで一度も教会に行ったことがなかった者からすると、中でどんな話しがされているのか、事前に視聴できるのは安心です。今日も教会の草花に水をあげていると、通りがかりのご婦人から『いつも礼拝を視ています』と声をかけて頂きました。また、この教会なら…と読まなくなったカルト関係に関する本を送ってくださった方もいました。オンライン礼拝を視て、信仰決心に導かれた方もいます。…ということで、私たちの教会は今後もオンライン礼拝を継続して行きたいと思っています。
2024/09/12
天高く馬肥ゆる秋、教会に来てくださっていた方の納骨式がありました。年齢を重ねると新しいことを始めるのが億劫になると言ったりしますが、その方は80歳を過ぎて信仰を持ち、洗礼を受け、聖書を学ばれました。会社経営もされた人望の厚い方ですが、非常に謙遜で、私の拙い話しをいつもニコニコしながら聞いてくださったのが印象的でした。最後にお見舞いに行った際、私たち信仰者にある希望について話しができたのは幸いでした。食事をして帰る頃に、突然の夕立がありましたが、すぐに止んでその後は綺麗な虹がかかりました。義理堅い方でしたので、ありがとうと仰ってくださっているのかなと感じました。さて、水曜日は久しぶりにいつもの祈祷会がありました。エペソ5章から「光の子どもらしく歩む」をテーマにみことばを学びました。私たちはまず、神に愛されている子どもらしく、神に倣う者になりなさいと勧められ、今は主にあって光となったので、光の子どもとして歩みなさいと勧められています。「神に愛されている」「光となりました」いずれも完了形です。つまり、いつかそうなるではなく、今そうであることが、…らしく歩む一歩を生むのです。
2024/09/09
日本のクリスチャンの概数は約105万人で、人口比率の約0.82%と言われています。その内、教会に所属しているのは約37万人とのこと。つまり、クリスチャンになっても半数以上の方は教会を離れてしまっているようです。子どもの頃に洗礼を受けたけれど、大人になって行かなくなった…教会に通っていた時もあったけど、何かの事情で行かなくなった…。その理由は様々でしょう。昨日そんな話をしたところ、メッセージの後で何人かの方が「私も同じようなところを通りました」と話してくださいました。一度信仰から離れると、教会が遠い場所に感じた、自分がクリスチャンであることを誰にも言わなかった、家に聖書はあるけど読まなかった、仏式の葬儀に出ても何の違和感もなかった…。人生のいろいろな場面で、また教会に行ってみようかなと思う時もあったけど、扉を開ける勇気がなかった…など。同じような思いをお持ちの方も多いのではないでしょうか。「個」が尊重される時代、帰属意識、所属意識というのも薄れているのかもしれませんが、どこかホッとできる教会、重荷をおろせる教会、そうした居場所がある教会が私たちには必要ではないでしょうか。
2024/09/09
9月第二主日、今日も残暑の厳しい一日でしたが、ともに集まって、主の御名をあがめる礼拝を献げました。ネヘミヤ記4章から『外からの試練に対して』というテーマで御言葉を心に留めました。ユダヤ人たちの城壁の再建工事はサンバラテたちの妨害によって試みを受けていきました。それでもネヘミヤは慌てることなく、自分が何をすべきかを知っていました。「お聞きください。私たちの神よ。」それは根拠のない嘲りや中傷に対して反論することではなく、神に祈りつつ、目標に向かって行動することだったのです。聖書は苦しみの時こそ試練の時こそ、神を呼び求めよと教えています。私たちの神はどこか遠くから見ておられる方ではなく、苦しみの中にともにおられるからです。ネヘミヤは周りから何を言われようと、どんな妨害を受けようと、神の御旨に集中していきました。そして、片手で仕事をし、片手で投げ槍を握って働く同志に向かって、「私たちの神が私たちのために戦ってくださる。」と言ったのです。人生には避けられない様々な試練があります。でも、私たちは決して孤独な戦いをすることはありません。脱出の道はイエスさまとともに歩むことです。
2024/09/06
ハートフル英会話秋期コースが始まりました。夏休みがありましたので、皆さましばらくぶりでした。大人のクラスは、ご旅行に行かれた方や暑い夏をとにかくじっと耐えていた方など様々な過ごし方だったそうです。キッズクラスは、真っ黒に日焼けした子やぐっと背が伸びた子などこちらも元気一杯でした。英会話に関心のある方は、どうぞ無料体験レッスンをお申込みください。大人クラスもキッズクラスも、受付中です。大人になると時間が早く過ぎるように感じると言いますが、誠に早いもので今年も残り4カ月を切りました。まだ残暑が厳しいものの、過ごしやすい秋はいつも足早に過ぎていき、あっという間にクリスマスの足音…。まさに光陰矢の如しです。昨日、静岡から帰阪する際、見知らぬ先輩のご夫婦と一緒になり、おしゃべりしていると『昔、教会の日曜学校に行ったことがあります』とのこと。『こう見えて牧師です』と言うと、珍しいからか、いろいろお話しくださいました。その方は1、2回教会に行っただけとのことですが、そういう方は大勢いらっしゃるんでしょう。今からでも遅くはありません。また久しぶりに教会にお出かけになりませんか。
2024/09/05
教会のデボーションはエペソ2章から。ここにはパウロの救いの証しが極めて明確に記されています。自分はどこから救われたのか、何によって救われたのか、救われてどうするのか。人はみな、自分が罪人であることを自分で悟る人はいません。また、それがわかっていても、自分からキリストに救いを求める人はいません。パウロは言いました。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」恵みとは、受ける価値のない者に、神が一方的にお与えになるものです。自分自身を振り返っても、神を知らず、神に背を向けて生きてきた者が、今こうして神を信じ、罪赦され、永遠のいのちにあずかっているのは、ただただ神の憐れみに他なりません。のみならず、救われた後も、あなたは神の作品だと言っていただき、良い行いに歩むように献身の道まで備えていただき、なんと驚くばかりの恵みかと思います。今週は月曜から教団の補教師研修会が浜名湖で行われ、少し役不足ではありますが、個人伝道の講義を担当しました。若い先生方の情熱と献身にふれながら、教団の明るい未来を感じました。
2024/09/03
9月第一主日、台風10号の影響もなく、穏やかな一日でした。礼拝メッセージはネヘミヤ記2章から。ネヘミヤは祖国エルサレムの荒廃を聞いて断食して祈りました。そして4カ月が過ぎた頃、突然その機会は訪れます。アルタクセルクセス王は献酌官ネヘミヤの異変に気づき『何を願うのか』と聞くと、彼は天の神に祈ってから『私を先祖の墓のある町に送って、それを再建させてください』と嘆願したのです。王はその願いを快諾し、旅の安全と資材確保の手紙まで書いて送り出しました。ネヘミヤが祈りの内に神の御旨を示され、確信を得ていたことがわかります。ネヘミヤがエルサレムに着くと、すぐにサンバラテとトビヤが妨害してきますが、ネヘミヤは神の計画を誰にも言わずに城壁の調査を進めました。そして、時至って、エルサレムの城壁の現状をおもだった人々に伝えると、彼らはみな「再建に取りかかろう」と応答していったのです。パウロは「あなたがたは神の神殿であり」と言いましたが、私たちの心の神殿はどうでしょうか。もしどこかが壊されてしまっているなら、再建に取りかかりたいものです。天の神ご自身が私たちを成功させてくださるのですから。