2024/05/26
5月第四主日礼拝、今日も青空が広がる清々しい一日でした。新鎌ヶ谷聖書教会の玉井敦子師をお迎えして、ルカ11:1-13から『祈りを教えてください』というテーマでメッセージを取り次いでいただきました。イエスさまの祈っておられるのを見て、弟子たちが祈りについて尋ねたところから。イエスさまはまず『主の祈り』を教えられました。キリスト教の祈りがいわゆる自分本位なご利益宗教ではないことがわかります。それを心得た上で、具体的に祈ること、しつこく(粘り強く)祈ること、信頼して祈ることを教えられました。私たちは自分が祈ることが一番正しいと思うものです。時には、自分の方が立ち場が上であるかのように、神を従わせるような、脅すような…内容で祈っていることもあるかもしれません。でも、何より神は私たちの祈りを待っておられる方であり、最善を用意して待っておられる方だということを覚えたいものです。神が与えてくださるもので最も価値のあるものは、『聖霊』を与えてくださることです。たとえ自分が願った通りの答えでなくても…それを受け入れることができるなら、それは私たちの内に住んでおられる聖霊の働きなのです。
2024/05/25
デボーションは出エジプト記34章から。モーセの必死のとりなしの祈りによって、主はあらためてイスラエルと契約を結ばれました。咎の報いは三、四代なのに、恵みは千代まで保たれる主。旧約聖書の神は厳しすぎる…とよく言われますが、本当にそうでしょうか。…つくづく自分もうなじを固くする民であることを思わされました。「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。」
2024/05/24
能登地震災害支援・団体代表者の集いが石川県内灘聖書教会でありました。能登ヘルプの方々の証しと報告、今後の発題やグループディスカッションなど7時間の濃密な集会、そして、翌日は現地視察と祈りの時を持ちました。詳しい事はクリスチャン新聞等で紹介されますが、これほど多くの団体代表者が一堂に会してともに祈り、被災地支援について協力し合えることに、主のなさる不思議を思いました。
2024/05/22
出エジプト記32章から御言葉を心に留めました。25章から始まった幕屋に関する詳細な規定は31章で完結しました。幕屋は主への礼拝を献げるための空間であり、安息日は主への礼拝を献げるための時間です。それぞれを聖別しなければならないことが命じられました。今日も私たちが主の日に礼拝を献げる上で心しておきたいことでもあります。こうしていよいよモーセがシナイ山で主と語り終え、さとしの板を頂いて下山していくのですが…山の下では大変なことが起きていました。民はモーセの帰りが遅いので不安になり、アロンに「われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。」と頼んだのです。アロンは民の圧力に負けて鋳物の子牛を造り、それをあなたの神々だと言い、明らかな偶像礼拝を行いました。「私たちは主の言われたことをすべて行います」と三度も誓ったのに…わずか40日足らずのことでした。あらためて神が契約を結び、律法を与え、聖いものにしようとしておられる民は、このような民であったことを思いました。これを受けてモーセの必死のとりなしの祈りが献げられるのです。詩篇106:23、103:8、9が心に響いてきました。
2024/05/20
5月第三主日、小雨の降る中でしたが、今日も大勢の方とともにペンテコステ礼拝を献げました。キリスト教の三大行事の一つ。イエスさまが復活されてから五十日目、約束を待ち望んでいた弟子たちの上に聖霊が降り、その日3000人が救われて初代教会が誕生しました。初代教会の特徴は、麗しい交わりと力強い宣教です。日ごとに主を信じる者たちがますます増える一方で、それに妬みを覚えたサドカイ派の者たちが、使徒たちを捕えて公の留置場に入れました。もはや万事休すでした。ところが、神は主の使いを遣わして使徒たちを助け出され、宮の中でいのちのことばを殻りなさいと命じたのです。そのような度重なる苦難の中にも初代教会は衰退するどころか、ますます発展していきました。その原動力となったのは、彼らが心を一つにして祈り求めること、また、聖霊が彼らとともに証人となっていることです。今度も不思議な方法で助けられた使徒たちは、イエスの名のために辱めを受けたことを喜びながら最高法院を後にしました。山上の説教の一節(マタイ5:10-12)を思い出したのでは。私たちも今日、聖霊の助けを頂いて、力強く福音を証ししていきましょう。
2024/05/18
明日はペンテコステの礼拝です。ある方が『仏教の四十九日みたいなものですかね』と言われましたが…。一般に仏教では亡くなられた方は七日ごとに閻魔大王による裁きを受け、四十九日目の審判で極楽地獄が決まるとされています。遺族はそれまで追善法要を行い、四十九日法要を終えて忌明けとなるとのこと。果たしてキリスト教の『ペンテコステ』(五十日目)とどう違うのか…。明日の礼拝で。
2024/05/18
木曜日はハートフル英会話がありました。大人クラスではレイチェルさんの若かりし頃の結婚式の写真がシェアされ、それぞれの懐かしい思い出話に花が咲きました。また、チャペルタイムではペンテコステがテーマとなり、キリスト教の三大行事についてお話ししました。『ペンテコステ』は聖霊降臨日、または教会の誕生日とも呼ばれます。夕方のキッズクラスは今日も元気いっぱいの子どもたちでした。
2024/05/15
5月第三水曜祈祷会、出エジプト記28章から御言葉を心に留めました。「あなたの兄弟アロンのために、栄光と美と表す聖なる装束を作れ。…彼を聖別し、祭司としてわたしに仕えさせるためである。」大祭司アロンは十二部族の代表として、聖なる装束を身にまとっていなければ聖所に入ることができませんでした。大祭司の務めは、イスラエルの民の罪を負い、彼らの献げものを携え、彼らに代わって神の前に立つことです。エポデの下の青服に金の鈴がつけられるのは、聖所に出入りする時、その音が聞こえて、彼が死ぬことのないようにするためとあります。祭司職に任命されるのは、大変な名誉であると同時に大きな責任が伴う、まさにいのちがけの務めだったでしょう。あらためてイエスさまが永遠の大祭司として、自分自身を献げ、ただ一度でそのことを成し遂げてくださった恵みを覚えました。分かち合いの中で、私たちも万人祭司として、どんな務めがあるかを考えました。「…聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません。」言葉だけの伝道には力がないでしょう。まず自分自身を神さまに献げ、良きとりなし手にして戴きましょう。
2024/05/12
5月第二主日、曇り空でしたが、清々しい風が気持ちいい一日でした。今日は母の日歓迎礼拝で、あらためて母を与えてくださった神さまに心からの礼拝を献げました。大学生の頃来ていた青年が、今日はママとなって来てくれました。今はご主人の仕事の関係でフィリピンに住んでいて、こうして里帰りのように教会を訪ねてくれるのは本当に嬉しいことです。さて、今日の礼拝メッセージは使徒の働き4章から。生まれつき足の不自由な人の癒しをきっかけにペテロたちが伝道すると、そこで大勢の人々が信仰に導かれました。でも、ユダヤの権威者たちはそのことを問題とし、おまえたちは何の権威によって…あのようなことをしたのか、とペテロたちを審問しました。そこでペテロは大胆に答えます。「この方以外にはだれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」これがついこの間までカヤパの官邸で迫害を恐れて「その人を知らない」と三度もイエスさまを否んだ同一人物とは誰も思わなかったでしょう。ペテロを勇敢な使徒に変えられた聖霊は、今日も私たちを造り変えてくださるのです。
2024/05/11
1907年5月12日、アンナ・ジャービスが亡き母を偲んで教会で記念会を行ったことに始まります。アンナの母アンは南北戦争中に敵味方に関わらず負傷した兵士を助ける活動を行ったり、戦後には『母の友情の会』を作り、戦争で傷ついた兵士やその家族を癒すための働きを行った活動的な方だったそうです。そんな『母アンの日』ではなく、『母の日』として今でも世界中で祝われるのは素晴らしいことです。

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