2026/07/25
教会のデボーションは使徒の働き16章25節から。ピリピでの宣教はパウロとシラスによって喜ばしいことばかりではありませんでした。彼らは厳しい迫害を受け、衣をはぎ取られ、投獄されてしまいました。それでも彼らはつぶやきませんでした。背中にはまだ血が滲んでいたと思いますが、痛みと足かせによる体の不自由さの中で、なんと彼らは神に祈り、賛美の歌を歌っていたのです。主もそんな二人を牢獄に繋がれたままにはしておかず、奇跡を通して彼らを救い出されました。そして、その後、看守と彼の家族がパウロから福音を聴いてイエスさまを心に迎え入れ、洗礼を受けたのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」イエスさまを信じるのは神の恵みです。神さまは私たち一人ひとりに救いの御手を指し伸ばしています。ぜひ明日の礼拝にお越しください。
2026/07/23
7月第四水曜祈祷会、使徒の働き15章から。アンティオキア教会で、異邦人に「モーセの慣習に従って割礼を受けさせなければ、あなたがたは救われない」と教えたことに端を発して、エルサレムで協議が行われました。そこでペテロやバルナバやパウロの証しや旧約聖書を調べた結果、異邦人たちに割礼を強いることをしないことが決められました。「聖霊と私たちは…」とあるように、御霊に導かれた決議であることを聞いて、アンティオキアの人々は多いに励まされ喜びました。また、パウロとバルナバは第二次宣教旅行に出発しようとしますが、マルコを連れて行くかどうかで意見が分かれ、別々の道で出かけて行くことに…。人間的な視点で見れば悲しいことですが、そのことも主は用いられ、さらに宣教を前進していきました。できれば対立は避けたいと思いますが、大切なことはよく話し合って、今だけを見るのでなく、主のなさることに期待して委ねていきたいものです。
2026/07/20
7月第三主日、今日も猛暑日となりましたが、大勢の方が集ってともに礼拝を献げました。メッセージはピリピ3章1~11節から『主にあって喜ぶ人生』というテーマで御言葉に耳を傾けました。主にある喜びは、何か嬉しいことがある時だけの喜びではありません。涙の日にも、迷う日にも、弱さを覚える日にも、復活の主がともにいてくださるという揺るがない喜びです。今日はアメリカからビジョントリップチームが来てくださり、久しぶりの方も来られて教会堂がいつもより小さく感じられるほどの祝福された一日でした。昼食会も笑顔と会話にあふれ、世代や国籍を超えて主にある豊かな交わりを楽しむことができました。夜はオレゴンからホームステイで来た青年の歓迎会。今日も主にある喜びの一日を感謝いたします。
2026/07/18
私は25歳の時に初めて教会に行きましたが、最初は何となく居心地の悪さを感じていました。神さまのことも聖書のこともよく知らない自分のような者が居てもいいのだろうか…。でも、教会の方はそんな私をそのままで温かく迎えてくださいました。そして何より、「あなたを招いてくださったのは神さまです」というメッセージを聴いた時、大きな安心を覚えました。教会は聖書をよく知っている人だけが集まる場所ではありません。人生に疲れた人も、悩みを抱えた人も、信仰に迷いがある人も、まだ神のことをよく分からない人も、みんなが神の恵みを求めて集う場所です。最初は少し居心地の悪さや緊張を感じるかもしれません。でも、その一歩を踏み出した先で、神の愛と教会の温かさに触れることができるなら、それは教会ならではの醍醐味ではないでしょうか。私たちの教会も、「ここに来てよかった」と安心して頂ける場所であり続けたいと願っています。
2026/07/15
7月第三水曜祈祷会、今日も酷暑の中で祈祷会でした。使徒の働き13章は、最初の異邦人教会による国外宣教が始まったことが記されています。アンティオキヤから派遣されたのはバルナバとサウロでした。二人はキプロス、さらにピシデイアのアンティオキヤへと向かい、会堂で宣教を始めました。パウロはそこで立ち上がって、イスラエルの歴史から始まり、ダビデが選ばれて、バプテスマのヨハネに至るまでの神の計画を語ります。そして、いよいよメシアが到来し、この方は私たちの罪のために十字架にかかり、贖いの死を遂げられ、三日目によみがえられたことを語りました。それまでモーセの律法を守ることによって救われると思っていたユダヤ人たちは、キリストを信じる者はみな義と認められるという本物の福音を耳にしたのです。「この救いのことばは、私たちに送られたのです。」時代を越えて、文化を越えて、私たちもこの救いのことばにあずかっている幸いを思います。
2026/07/13
7月第二主日、梅雨が明けました。今日も大勢の方々が集い、ともに礼拝を献げました。礼拝メッセージはピリピ2:19~30。パウロはここでテモテとエパフロディトについて記します。テモテは、まだ若く、病弱で、気弱なところもありましたが、純粋で素直な信仰を持っていました。そして何よりパウロと同じ心で主に仕えていたのです。また、エパフロディトは、ピリピ教会の代表としてパウロのもとに来ましたが、何かの理由で重い病気にかかってしまい、思うように奉仕ができず、自責の念にかられていたでしょう。でも、パウロはそんな彼を私の兄弟、同労者、戦友として紹介し、ピリピ教会に大きな喜びをもって、主にあって彼らを迎えてくださいと願ったのです。「私たちもキリストの心を持っています。」私たちも今はたとえ小さくても、聖霊は私たちの内でその心を育んでくださるのです。
2026/07/10
教会のデボーションは使徒の働き11章から。ペテロによってコルネリウスに福音が語られ、多くの異邦人がイエスさまを信じて救いにあずかっていきました。そこから二千年の月日が経ち、自分もまたその福音によって救われた一人であることを思わされました。あの時、ペテロが一歩踏み出して福音を語らなければ、そして多くの先輩クリスチャンたちが忠実に福音を受け継いで来なければ、今日の私たちはなかったかもしれません。私も25歳の時に初めて教会に行き、聖書を手に取り、牧師のメッセージを聴きました。そして今、牧師として福音を語る務めに与らせていただています。神は時代を越えて福音を前進させ、一人ひとりを救いへと導いてくださいます。私たちもこの恵みを次の世代へ、まだ福音を知らない人々へと届けに行きましょう。今日も福音のバトンを受け継ぐ一日となりますように。
2026/07/06
7月第一主日、小雨の降る中でしたが、今日も老若男女、大勢の方が集い、神のことばに聴き入る礼拝を献げました。メッセージはピリピ2:12-18から。「私の努力も労苦も、キリストの日に誇ることができる。」というパウロの言葉が印象的でした。私たちはキリストを信じることによって救いにあずかり、神とともに生きる幸いがあることを感謝いたします。新しい週も聖霊の助けを頂いて、キリストの光を輝かせる者としてともに遣わされて参りましょう。
2026/07/04
人生を振り返る時、誰もがわが人生に悔いなしと思いたいものです。でも、努力が報われず病や試練の中でその意味を見失うことがあります。パウロは牢獄の中で、私の努力も苦労も無駄ではなかったと語り、教会に一緒に喜んでくださいと呼びかけました。それは人生を成功ではなく神の御手の中で見ていたからです。明日の礼拝では、人生の終わりに主にあって無駄でなかったとともに喜び合うための秘訣について学びます。
2026/07/02
2026年も早いもので折り返し。今日の水曜祈祷会では、Ⅰ歴代誌29章からダビデ王の遺言的信仰告白を見ました。ダビデは悲願の神殿建設は叶いませんでしたが、その準備のために全力を尽くし、喜んで主に献げました。そんなダビデの姿を見て、イスラエルの長をはじめ民も全き心で自ら進んで献げものをしたのです。「私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。」いやいやながらでなく…喜んで主に献げる者にならせていただきたいものです。