2026/06/12
使徒の働き8章26~40節、ピリポが荒野に遣わされ、エチオピア人の宦官と出会う場面。宦官は礼拝からの帰り道、イザヤ書を読んでいました。そこでピリポが彼に、「読んでいることが分かりますか」と尋ねると、「導いてくれる人がいなければどうして分かるでしょう」と答えます。こうしてピリポの個人伝道が始まり、宦官は救いに導かれていったのです。いつ読んでも感動的な話し。私たちも、語るべきことは聖霊が教えてくださることを信じて…。
2026/06/11
6月第二主日、今日は時折雨の曇り空の一日でしたが、今日はアメリカから12名のミッショントリップチームを迎えて、いつも以上に賑わいのある礼拝となりました。一人の青年が「救いの証し」をしてくれましたので、宜しければ動画をご視聴ください。礼拝メッセージはピリピ1章1ー11節から。パウロの第二次宣教旅行の際に、ピリピの町で紫布商人のリディア、牢獄の監守たちとその家族が救われ、教会としての歩みが始まりました。あれから約10年、パウロはピリピ教会の現状を知って手紙を書きました。「キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち」手紙の冒頭には感謝と確信と祈りが綴られています。但し、この手紙を書いているパウロはローマの牢獄の中にいました。キリストを宣べ伝えたがゆえの苦難です。でも、手紙には神への不平や不満の言葉は一切ありません。むしろ、『喜び』という言葉が16回も書かれているのが印象的です。パウロの喜びは環境や状況によって左右されるものではなく、キリストに望みをおく者に与えられるものでした。私たちも、自分の立派さではなく、主の一方的な恵みによって『聖徒』と呼んで頂ける幸いを感謝したいと思います。
2026/06/06
教会のデボーションは使徒の働き7章から。最初の殉教者ステパノの証しが続きます。あらためて旧約聖書を土台として、使徒たちの時代、新約聖書、そして今の時代があることを思います。『過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる』ヴァイツゼッカーの言葉が心に残りました。さて、教会も映像関連の工事が完了し、新体制が整いました。明日はアメリカから12名の青年たちも礼拝に出席します。ともに集える恵みを感謝し、新しい出会いにも期待します。
2026/06/04
今日の水曜祈祷会は特別プログラムとして玉井千尋氏を招いて講演会をして頂きました。おもに精神障がい者施設ホサナホームでの働きから学ばれたことをご紹介頂きました。ご関心のある方はぜひ検索してみてください。また、同時に教会の映像工事が入りました。今まで歌詞などを映していたプロジェクターはモニターに変わり、カメラとスイッチャーも新しくなり、少し雑音が入ると言われていた音響も改善されました。次の日曜礼拝が楽しみです。
2026/06/02
5月第五主日、台風が接近し、曇り空の湿度の高い一日でした。礼拝メッセージは使徒の働き16章25~34節から、パウロとシラスのピリピ宣教を見ました。二人の宣教によって、まず紫布商人のリディアとその家族が救われます。そしてそのすぐ後、パウロたちは占いの霊につかれた女奴隷と出会い、彼女を憐れんで悪霊を追い出してあげました。でも、それに腹を立てた主人に訴えられ、不当な裁判の末に、彼らは激しく鞭打たれ、投獄されてしまったのです。普通ならそこで不平や怒りの言葉が出てきそうなところ、彼らの口からは祈りと賛美があふれていました。その時、大地震が起こり、牢獄の扉が全部開いてすべての囚人の鎖が外れてしまいます。それは、まさに神のご介入でした。目が覚めた看守は事態の大事さに気づき、責任を取って自害をしようとしたのです…。その続きはぜひYouTube動画をご視聴ください「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」主イエスを信じるとは、苦難の中でも神を信頼し、神の救いの計画を信頼し、この方を人生の主とし、自分自身を主に委ねることです。礼拝で転入会式もあり、みんなで喜びました。
2026/05/30
教会のデボーションは使徒の働き4章から。ペンテコステの日に初代教会が誕生し、生まれつき足なえの男の癒しなど素晴らしい御業が起きました。でも、それから弟子たちに対する風当たりが厳しくなり、迫害の中での宣教となります。それでも彼らは福音を語ることをやめず、ますます多くの人が救われていったのです。私たちも聖霊の働きを受けて大胆に福音を語っていきましょう。来週の水曜祈祷会は特別プログラムです。ぜひご参加ください。
2026/05/26
5月第四主日、今日は聖霊降臨日(ペンテコステ)記念礼拝を献げました。イエス・キリストは死からよみがえっ、弟子たちの前に現れ、40日間ともに過ごし、天に昇られました。そして、その10日後に弟子たちの上に聖霊が降り、ペテロが力強くメッセージを語ると、その日3,000人が救われて初代教会が誕生しました。イエスさまの十字架を見て、恐くて逃げだした弟子たちが、ほんの数日の間に、死をも恐れない勇敢な弟子に変えれれたのは、聖霊が彼らに臨んだ確かなしるしです。聖霊は、イエスさまが言われた通り、弟子たちの霊の目を開き、真理に導きました。パウロもその一人です。厳格なユダヤ教徒だった彼は、復活の主の出会って目から鱗が落ちるような体験をし、イエスこそ主であることを知り、キリスト者となりました。そのパウロがコリント教会に宛てた手紙の最後の部分を読みましたが、そこには牧会者パウロの温かい愛とキリストの恵みが満ちあふれていました。昔も今も、人間が集まるところには問題も起こります。でも、教会は立派な人たちが集まるところではなく、神の愛を受けた者たちの集まりですから、一致の秘訣も聖書の中に描かれているのです。
2026/05/23
教会のデボーションは使徒の働き1章から。イエスさまが天に上られた後、弟子たちは心を一つにして祈っていました。それはイエスさまが「父の約束を待ちなさい」と命じられたからです。今まで一緒だったイエスさまがいなくなって、彼らは、これからどうなるのだ…と不安を感じていたでしょう。でも、彼らは主のことばを信じて待ち続けました。そして、そんな彼らの上に聖霊が降ったのです。信仰生活も野菜も、待つことの大切さを教えられます。
2026/05/20
5月第三水曜祈祷会、今日も日中は30度…真夏を思わせる暑さでした。デボーションはⅠ歴代誌14章から。イスラエルの王となったダビデは、エルサレムを新都に据え、家庭も祝され、順調な歩みを始めます。でも、そのような時にペリシテ人が攻め上ってきました。この窮地にあって、ダビデは神に伺いを立て、御心を求めました。そして見事、ペリシテ人を打ち破ると、主に栄光を帰したのです。そんな彼の姿から信仰者としての大切な姿勢を学びました。
2026/05/19
5月第三主日、さわやかな初夏の風を感じながら、主の御名を賛美する礼拝を献げました。今日は小さな子どもたちも一緒に献げる礼拝でした。礼拝メッセージは詩篇100篇から。礼拝とは何ですか…と聞かれたらどのように説明するか。静かにしてる時間、座ってお話しを聞く時間…など、いろいろありましたが、聖書はこうあります。「全地よ 主に向かって喜びの声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。」 つまり、礼拝とは第一に主を喜ぶことです。第二に主を知ること、そして、第三に感謝をささげることです。もちろん、私たちの毎日には、悲しい時も苦しい時もありますから、主を喜べない、賛美もできない、礼拝に行く元気もないという時もあるでしょう。それは正直な気持ちであって、悪いことではありません。それでも教会に来ると思い出すかもしれません。どうして、神さまは喜び歌いつつ御前に来さないと言われるのかを。イエスさまの十字架がきっと教えてくれると思います。神さまが私たちを愛され、赦され、導いてくださっているからです。今日は新来者の方も、久しぶりの方も来られて、いつも以上に恵みいっぱいの日曜日でした。

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