2017年度が始まりました。進級・進学おめでとうございます。学生がサモア語の聖書をお土産に買ってきてくれました。私は読めませんが…いつかきっと。今日はKFSMの牧師会もあっていよいよARISEの集会です。この人(イエス)を見上げて歩んでいきます。
『この人を見よ』ヨハネ19:1-16(メッセージ要約)
「それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは、彼らに、『さあ、この人です。』と言った。」
「ピアプレッシャー」という言葉がありますが、私たちは悪いことだと分かっていても、つい周りに流されてやってしまうことがあるかもしれません。イエスさまに十字架の判決を下したポンテオ・ピラトもそんな人物でした。彼は、直接審問した上でイエスに罪がない事がわかりましたが、祭司長たちの訴えによって鞭打ち刑に処しました。さらに、全身血だらけの惨めなイエスの姿を見せて、「この人を見よ。もうこの辺で赦したらどうだ」となんとか釈放しようと努力もしました。ところが、祭司長に先導された民衆が「十字架につけろ」と激しく叫んだ結果、彼はイエスを十字架につけるために引き渡したのです。そんなピラトの姿から3つのことがわかります。まず彼は正しいことが分かっていたことです。わかっていながら、それができないもどかしさを覚えていたのです。次は彼は言いしれない恐れがあったことです。人々の暴動を恐れるとともに、直接審問したからこそのイエスの権威を感じていたのでしょう。最後に彼は真実を貫く信仰がなかったことです。彼は権威者でありながら、全く自由ではありませんでした。神は人々の目を恐れる彼の姿を悲しく見ておられたはずです。しかし、そんな人々を憐れまずにはいられない神の愛が、イエスを十字架へと向かわせたのです。エレミヤ31:20