土地のちりで

今日は母の日歓迎礼拝でした。教会のお母さん方にお花のプレゼントをしました。午後からは恒例の教会ピクニック。美しい自然の中で、神の恵みと祝福を感じながら時を過ごしました。

 

『土地のちりで』(創世記2:4-17)メッセージ要約

神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。

 「もし神がいるならどうして世の中にこんな不幸があるのか…」それは、キリスト教が発足し、世界に宣べ伝えられてからずっと投げかけられてきた問いです。その一つの答えは、創世記における「人間の始まり」に見ることができるのではないでしょうか。

 神は人間の歴史の初めを創造し、六日間で万物を造り、全ての準備を整えて、「さあ、人を造ろう」と言われました。そこには他の動物たちとは違う特別な神の意思が表されています。神である主は、「土地のちり」で人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれました。こうして人間は、単なる物質的な存在から神との交わりに「生きるもの」となったのです。そして神である主は、この人間を隅々まで潤されたエデンの園に置かれました。そこは神の恵みと祝福が満ち溢れた所で、人間には神の栄光を表わすことが期待されていたのです。神である主は、そんな人間と一つの契約を結ばれました。それは、善悪の知識の木からとって食べてはならないということでした。何をするにも自由の中で、神はそこには責任が伴うことを教えられたのです。神が期待されたのは、人間が自分の意思で神を愛し、神に従うことでした(Ⅰヨハネ5:3)。いつの時代も、人間はこのことを決して忘れてはならないのです。神は、人間をこよなく愛し、全ての必要を整えて、命を与えられました。そして神は今も、キリストにあってあのエデンの園における神との麗しい関係を回復し、神のもとに立ち返ってくる者たちを期待して待っておられるのです。