工事二十四日目/どん底からの希望

今日からいよいよ天井がはられていきます。開放感があるようになるべく高い位置にお願いしましたが、やはり打ちっぱなしの時に比べると低く感じます。また、二階の子ども礼拝室も仕切りの壁が壊されスケルトンの状態になってきました。ここでたくさんの子どもたちが元気に走り回る姿を思い浮かべています。

 

「どん底からの希望」ヨハネ7:53-8:11(メッセージ要約)

わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。』

 私たちは時に、同じ人生であっても、幸福な人がいれば不幸な人もいる…なぜこのような不公平があるのかと疑問に思うことがあります。でも、私たち一人一人に注がれる神の愛はどんな人にも公平であることを思います。

 今日の箇所にも、人生のどん底を味わった一人の女が出てきますが、律法学者たちは彼女を姦淫の現場で捕らえ、イエスと群衆の前に連れてきました。そこで彼らはイエスに向かって「あなたはこの女になんと言いますか」と詰め寄ったのです。それは、イエスを訴える口実を得るためでした。この時のイエスの言葉は、今日の私たちにも大切なメッセージを告げています。この出来事から三つのことを心に留めましょう。

 一つは、人を責める前にまず自分を問うことです。イエスは律法学者たちに「あなたがたの中で罪のない者が石を投げなさい」と言われました。すると、年長者たちから始めてひとりひとりその場を去っていったというのです。「人の一寸、わが一尺」と言いますが、私たちも気を付けたいものです。二つ目は、イエスだけが真実な裁き主であることです。律法学者たちが去った後、イエスとその女だけになりました。彼女はイエスの前に自分の罪を認め、裁かれるべき者としてその場に留り続けたのです。イエスはそんな彼女の悔い改めをしっかりと受けとめられました。三つ目は、イエスの愛だけが人を造り変えることです。イエスは彼女の過去よりも、「今からは」という彼女の未来に目を向けられました。その時、暗く傷ついた彼女の心に希望の光が差し込んだのです。イエスの愛は、あの十字架の上にはっきりと示されました。この愛だけが、人を新しく造りかえるのです。私たちもまた、イエスの十字架の愛を見上げ、日々新しく造りかえられていこうではありませんか(Ⅱコリント5:17)。