牧師館の引っ越しが終わって、やっと落ち着いて机に向かう環境が整ってきました。もともと書斎派ではないのですが、いつか時間ができたら読みたいと思って買った本が…「積読」されています。明日は礼拝。説教準備のため、聖書とじっくり向き合うこの時間が一番恵みの時間です。「みことばを実行する人に…」原稿完了しました。言行一致でいきたい。
「みことばを聞くとは…」(メッセージ要約)ヤコブ1:19-27
『また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。』
新会堂建設もひとまず終わりを迎えました。ただいくら外側が完成しても、大事なのはその内側です。同様に、私たちの信仰も、どんなに外側がよく見えても、内側の実生活が伴っていなければ、ひとたび問題が起きた時、いとも簡単に崩れ去ってしまうのです。
ヤコブは、国外で試練の中にあるキリスト者たちに「試練に会うときは喜びと思いなさい」、そして「信仰さえあれば行いはなくてもよい」という誤った考えを正し、「試練の中でこそ本物の信仰者であれ!」と手紙を書きました。現在は、多様性、あらゆるものが相対的な時代です。ただ…それゆえに真偽が問われる時代でもあるでしょう。本物の信仰者とはどういうものか。それは、何よりみことばをしっかり聞くということが原点です。このことをテーマに、ヤコブの3つの勧めを心に留めたいと思います。一つは、みことばを素直に受け入れることです。心に湧いてくる汚れた思いを捨て去って、神のみことばを素直(柔和な)心で聞きたいものです。聞くには早く、語るには遅くです。二つ目は、みことばを聞いたら実行することです。みことばは読んだり聞いたりするだけで満足してはいけません。自分に当てはめ、実行してこそ価値があるのです。三つ目は、みことばを互いに分かち合うことです。神との関係を優先するあまり、隣人への必要に全く関心を示さないとか、逆に家族や友人との関係を優先しすぎて、神との関係を疎かにしているとか。そのどちらに偏ってもバランスを欠いた信仰生活になってしまいます。みことばは神との関係において、隣人との関係において、互いに分かち合ってこそ値打ちがあります。大丈夫!その思いも、聖霊が与えてくださいます。主なる神に期待して歩んでいきましょう。