耐え忍ぶ者の幸い

今日は礼拝後に防災訓練を実施しました。新しい会堂になって初めての訓練。参加者は33名。直下型、M7.3、震度6弱を想定しました。リアルな災害を想定して、避難場所までも速やかに移動しました。心配していた天気も何とか守られ、少し肌寒い中でしたが…緊張感の中にも和やかな雰囲でできました。今日も90歳のご婦人がバスに乗って初めて礼拝に出席してくださり、ともに礼拝をささげられて感謝でした。

 

「耐え忍ぶ者の幸い」(ヤコブ5:7-12)メッセージ要約

見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いである、と私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。

 ヤコブが生きていた社会は、貧富の差別が激しく、金持ちは優遇され、貧しい者たちは虐げられた時代でした。聖書は、富自体を否定しませんが、富める者が陥りやすい危険を警告します。それゆえヤコブも、「金持ちたち。聞きなさい。」と、金銭を愛することや贅沢な暮らしへの注意を語りました。その上で、貧しい者たちにも主にあって希望があることを告げていくのです。「主が来られる日(パルーシア)まで耐え忍びなさい。」それは、いつの時代も苦難や試練に苦しむキリスト者たちへの慰めと励ましの言葉でもあります。耐え忍ぶ者がなぜ幸いなのか…ヤコブが語る三つの忍耐から学びましょう。

 まず収穫を待ち望む農夫の忍耐です。農夫は、自分で天候を調節したり、雨を降らしたりすることもできません。それゆえ自分にできることをして、ひたすらその時を待ちます。やがて芽が出て、穂が成長する様子を見て、収穫が近いことを確信するように、私たちも終末の前兆を見て、主の来臨に備えなければならないのです。続いて、旧約の預言者の忍耐です。物事が上手くいかない時、苦難の中にある時、助け合うよりも互いにつぶやき合ってしまうことがあります。主はそれを喜ばれません。旧約の預言者の生涯はどうたったのか…。イザヤ、エレミヤ、エゼキエル…彼らの生涯には絶えず苦難と忍耐がつきまといました。それでも、彼らはつぶやきと戦いながら、主に従い続けたのです。そうした彼らの殉教の血が教会の礎となり、今日の私たちの信仰に繋がっています。最後は、ヨブの忍耐についてです。ヨブは、多くの財産を持った人でしたが、神の前に潔白で正しい人だったとあります。そんなヨブが一瞬にしてすべてを失いました。ヨブ記のテーマは「正しい者がなぜ苦難に会うのか」です。それは、世の常識では答えはでません。ただ、聖書だけが「主が彼になさったことの結末を見た…主は慈愛に富み…」と記すのです。私たちもなぜ自分だけがこんな苦しみを味わわなければならいのかと思うことがあるかもしれません。でも、苦難に無意味なものはありません。神は、その一つ一つを覚えていてくださって、ご自身を信頼して耐え忍ぶ者を必ず顧みてくださる方なのです。箴言16:9「その人の歩みを確かなものにするのは主である。」主はあなたの忍耐を決して忘れることはありません。ここに耐え忍ぶ者の幸いがあるのです。