従順には祝福を…背反には刑罰を…

もし完成図も知らず、ジグソーパズルのピースだけを渡されて、それを完成させるには大変な労力がかかります。同じように、聖書も全体図を知らず、途中の言葉だけを見て、神がどんなお方なのかを知るのは難しいでしょう。レビ記26章を見ると、主に救われ、神の民となったイスラエルに、祝福の約束とのろいの刑罰が告げられます。「あなたがたはわたしの安息日を守り、わたしの聖所を恐れなければならない。わたしは主である。」強調されているのは「わたしの安息日」「わたしの聖所」。クリスチャンにとっても安息日を守り、聖所を恐れることは信仰生活の基本ですが、兎角、私たちは自分本位な信仰生活に陥りやすいものです。良いことは当たり前で、悪いことは主のせいに…。主がなぜこれほどまでに従順を求められるのか。厳しい言葉の裏側に、神の愛があるからです。