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9月第五水曜祈祷会、ローマ4:1-25から。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」パウロはユダヤ人が誇りとするアブラハムとダビデの例を挙げて、行いではなく信仰によって義と認められることを記しました。丁度、旧約聖書を学ぶ会でアブラハムの晩年を学んだところでしたので、「不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます」ということの意味がよくわかりました。アブラハムも75歳の時に神の召命を受けて信仰の旅が始まりましたが、時に神に背き、神の叱責を受けることもありました。それでも彼は、神の声に励まされ「望み得ない時に望みを抱いて信じ、…神には約束したことを実行する力があると確信して」歩み続けたのです。このような信仰者になるには、アブラハムでさえも、長い年月の神の取り扱いを受けました。私たちもアブラハムの子孫として、約束を信じて偉大な信仰者の歩みに倣いたいものです。