昨日の水曜祈祷会で、ある方から『ユダヤの指導者たちは中途半端な信仰だったのでしょうか』と質問がありました。それはとてもいい質問です。使徒パウロも以前そうだったとありますが、祭司長、パリサイ人と呼ばれる人たちは知識も生活も熱心な信仰者だったと思います。それを言えば、私がこれまでお会いしてきたキリスト教の異端と呼ばれる信者の方々も、真面目で熱心な方ばかりでした。神が救いの95%をしてくださるのですから残りの5%を自分が満たさないといけない…。そう言って考えられないくらいの努力をされている方もいました。残念ながら、それは聖書の教えではありません。イエスさまは言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりその人の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」飲めば飲むほど渇きを覚えていくようなものは偽物です。救いは100%神の御業です。