一日千秋の思い…

『一日千秋』と言いますが、一日の長さが1000年にも思えるほどに…何かをずっと待っているということがあるでしょうか。運動会の日を待っている子どもたちもいれば、出産日を待ち焦がれている若い夫婦もいるでしょう。病いが癒される日を待っている家族もいれば、戦争が終わる日を待ち焦がれている方々もいるでしょう。教会は大きな家族ですから祈ることもたくさんあります。私たちにとって祈りは願い事がすべてかなえられることやご利益を期待するものではなく、神の御心を知り、神の御心に導かれるためのものです。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事において感謝しなさい。」初代教会のキリスト者たちは厳しい迫害の中で主の再臨の日を一日千秋の思いで待ち焦がれていたことでしょう。「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」とありますが、私たちも主の再臨を心待ちにする者として祈りつつ礼拝を献げましょう。