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『人間の死亡率は100%』それはどんなに医学が発達しても変わらない確かな未来です。人は死んだらどうなるか…。よく臨死体験をした人が『私はあの世を見てきた』と言いますが、実際に死から生き返った人は皆無です。仏教の教えには『セミは春秋を知らず』という言葉があるそうですが、一週間で死んでしまうセミに『お前が死んだら秋という季節が来る』と言っても確かにわかりません。因果応報の考えでは生きている間の行ないが現在の幸不幸、さらには来世における幸不幸を決めるということですが、キリスト教の考えはそれとは少し違います。ルカ16:19~「…しかし、今ここでは彼は慰められ、お前は苦しみ悶えているのです。」大事なことは3つです。人はみな、ただ神の憐みによって現在を生かされていること、また、死後の世界に行ってからでは、もはや永遠に過ごす場所を変えられないこと、そして、生きている間の決心が死後の永遠の世界を決めることです。