エレミヤ書14章「イスラエルの望みである方、苦難の時の救い主よ。」主のことばを無視し続けるユダの民に、エレミヤは神のことばを告げなければなりません。聞く耳もない民に、しかも耳の痛い言葉を告げるのはなんとも辛い使命だったでしょう。それでも神と民の間に立って必死にとりなそうするエレミヤの姿に心を打たれました。今日は秋の研修会がオンラインでの開催だったため、朝から夕方ごろまでパソコンから離れられずでした。例年のように松原湖畔で同労の先生方と語らいつつ…という訳にはいきませんでしたが、『コロナ禍における礼拝…牧会』をテーマによい学びの時となりました。まず救いを教会的に理解すること、また、礼拝は神の招集に応じること、コロナ禍でできなくなくなってしまったことから、だからこそできることがあるというのが印象に残りました。私たちの教会も、あらためてこの時代のとりなし手にならせていただきたいと思わされました。