M.ルターは『人にはそれぞれBeruf(神から与えられた仕事)がある。それは、聖職だけでなく、あらゆる職業がBerufに応えることである』と言いました。そして、今やベルーフは普通に『職業』を指す言葉として使われています。どんな職業にも大変な面があり、時には虚しさを覚えることもあるものです。でも、これも神の召しに仕えることと思っていく時に、また違った思いが湧いてくるのかもしれません。エレミヤの預言者という職業も、口では言い表せない苦難の連続だったことでしょう。それでも主は、そんな彼の心が折れないように、彼を励まし、希望の言葉を与えたのです。「見よ、その時代が来る。…そのとき、わたしは、ダビデに一つの正しい若枝を起こす。…天にも地にも、わたしは満ちているではないか。」イエス・キリストは、まさに彼を信じる者たちに希望を与えるために来られました。苦難の中にいる私たちから、主は決して遠く離れてはおられないのです。