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1月第五主日、春を感じるような温かな日差しが差し込んでいました。礼拝ではヨハネ5章から。イエスさまは祭りの日、人々で賑わう神殿ではなく、病人たちが集まるべテスダの池に向かわれました。そこで38年も病を患っていた病人に目を留められ「良くなりたいか」と声をかけられ、彼の病を癒し、さらに罪の赦しを宣言されました。それは一方的な主の恵み、主の選びでした。私たちの教会は礼拝後にメッセージの分ち合いをしますが、そこでもいろいろな感想があって、さらに御言葉を深める時間となっています。私たちの常識の枠の中だけで考えたら、イエスさまの奇跡を理解することはできません。この病人も過去の長い間の経験から自分が癒されることはもうない…という思考になっていたかもしれません。でも、その枠を壊していくのが御言葉の力です。私たちも、人の子となって、この世に来てくださったイエスさまのことばに従って一歩踏み出したいと思います。