2月第三水曜祈祷会、朝は創世記16章16節から、夜はマルコ13章からみことばを心に留めました。主はソドムとゴモラの罪はきわめて重いことをアブラハムに告げました。するとアブラハムは主の前に立って必死にとりなしの祈りを献げ、主も忍耐と憐みをもってその祈りを受け入れてくださったのです。今の時代も、説教者や神学者も必要ですが、何より必要なのは滅びゆく人々のために切に祈る人です。伝道や証しが苦手な人も、とりなしの祈りはだれもができる宣教のわざです。たとえ明日世界が滅んでもリンゴの木を植える…そんな祈り手になりたいものです。また、主は「目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたは知らないからです。」と言われました。神は唯一、救いの道も唯一、というのは排他的と言われるかもしれませんが、聖書の真理を変えることはできません。信仰において譲らず、愛において譲る。今日はルターの二つの名言を思い出しました。