なぜ泣いているのか…

4月第二主日、今日はイースター記念礼拝でした。一部、二部と大勢の方が来会され、4人の新来者がありました。礼拝メッセージはヨハネ20章1-18節から。週の初めの日、朝早くまだ暗いうちにマグダラのマリアは墓に行きましたが、そこにイエスさまの亡骸はありませんでした。墓の前で泣いているマリアの前に、復活の主が現われて「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」と声をかけられました。最初、マリアはその声を聞いてもイエスさまだとわかりませんでしたが、「マリア」という呼びかけに、思わず「ラボ二」と答えたのです。それは紛れもなくイエスさまの優しい呼びかけでした。主は今も私たちを十羽一絡げではなく、一人一人と関係を持ち、名前で呼んでくださることを思いました。今日はボンヘッファー牧師の召天日。「私にとってはこれが最後。しかし、また始まりである。」私も命ある限り、この信仰を人生の宝としていきたいと思います。