教会のデボーションは創世記44章~。ヨセフは兄弟たちが父ヤコブと弟ベニヤミンのことをどう思っているかを知るために、銀の杯を盗んだ嫌疑をかけました。兄弟たちは自分たちの潔白を主張しますが、杯はベニヤミンの袋から見つかり、ヨセフの前にひれ伏して赦しを請います。以前、ヨセフが夢で見た光景がこのような形で成就したのです。兄たちは自分たちの過去の罪を神が暴かれたのだ…と悟らされ、正直に悔い改めました。そして、ユダはベニヤミンの代わりに自分が奴隷となりますので、弟を家に帰してあげてほしいと必死に訴えたのです。私たちも自分でどうすることもできない状況に追い込まれて初めて罪の重さに気づかされるということがあるのではないでしょうか。罪は蓋をして心の奥にしまい込んでいても…決して解決には至りません。そこに光があてられるのは神が私たちを本当に愛し、取り扱っているしるしです。真の悔い改めには必ず赦しがあるのです。