願うのは、主に喜ばれること…

9月第二水曜祈祷会、今日も週の半ばにともに集い、御言葉に聴き、祈り合える幸いを思いました。朝はⅡコリント5:1-10から、夜は創世記21:1-8から御言葉を学びました。パウロが抱いていた希望は、地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に神が下さる建物、永遠の住まいがあることです。私たちがこの世に生かされていることには、神の御心があり、使命があります。ならば命ある限り、主に喜ばれる者として、御霊の実を一つでも多く結んでいきたいものです。また、アブラハムの信仰から、望みえない時に望みを抱いて信じる者にならせて頂きたいと思いました。確かにそれは、言うは易く行うは難しです。『そもそも望みとは何か…』ある青年の問いから、深い分かち合いになりました。こうした分かち合いができるのも、教会の交わりならではのこと。私たちの望み…それはイエスさまを信じる信仰によって与えられるものです。この希望は失望に終わりません。