カテゴリ:2023年下半期



2023/12/31
今年最後の主日礼拝を献げました。礼拝メッセージはマタイ2:1-12から。東の国の博士たちは不思議に輝く星を見つけ、思い切って救い主を礼拝するために旅出ちました。交通網もない時代、星だけを頼りに長旅をするのは様々な試練があったでしょう。それでも彼らは途中で引き返すことなく、神の導きを信じて進みました。ところが、彼らが胸躍らせながらエルサレムに着くと、町は何事もなかったようにいつも通りの様子でした。博士たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか。」と尋ねると、それを耳にしたヘロデ王が動揺し、彼らにその幼子のことを調べてくるように命じました。こうして博士たちはついに幼子を見つけ、この上もなく喜び、自分たちの持っていた黄金、乳香、没薬を献げ、心からの礼拝を献げたのです。人に従うより神に従うこと、クリスマスの中心が何であるか、それが今日の私たちにとってどんな祝福なのかをあらためて教えられました。今日もこうして教会でともに集まり、礼拝を献げることができて感謝でした。拙いブログを読んでくださってありがとうございます。皆さまの上に主の祝福を心よりお祈りしています。
2023/12/28
12月第四水曜祈祷会、クリスマスの余韻を覚えつつ、今日はオンラインで祈祷会を行いました。新型コロナは五類に移行してだいぶ落ち着いてきましたが、このところ緩やかな増加傾向にあるとのことです。年末年始に帰省されたり、旅行に出かける方も多いと思いますので、どうぞご自愛くださいますように。デボーションは詩篇31篇から御言葉を心に留めました。著者は厳しい逆境の中で心身ともに弱さを覚えていました。しかし、「私は主に信頼します。あなたこそ私の神です。」と自らを奮い立たせるように信仰を告白したのです。人はみな、生きていれば必ず問題はあります。すぐに解決できる問題もあれば、長い時間かかる問題もあります。そうした中で、信仰者にとっての慰めは、主が私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみをご存じであることです。御使いは、飼葉桶に寝ている幼子…それが、あなたがたのためしるしですと告げました。すべてを捨ててこの世にお生まれになられた主は、私たちの悩み、悲しみ、苦しみを知っておられるのです。「主を愛せよ。すべて主にある敬虔な者たち。主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者には 厳しく報いをされる。」
2023/12/25
12月第四主日、今日は午前中にクリスマス特別礼拝、また夕方からはクリスマスイブ・キャンドルサービスを献げました。礼拝ではルカ2章から『あなたのための救い主』と題してメッセージをさせていただきました。世界で最初の救い主誕生の知らせは、当時の社会で特に虐げられていた羊飼いたちに告げられました。彼らは寒空の中、野宿をしながら羊の群れの夜番をしていなければならないほど、仕事に追われ、生活に追われていました。神はそんな人々から見下げられていた彼らを選んで、御使いを遣わされたのです。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」『あなたがた』とは民全体を指す言葉、まさに全世界の人々に向けて語られる神のメッセージでした。羊飼いたちはその知らせを信じて、「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」と出かけて行きました。この素直な応答ゆえに救い主誕生を目の当たりにしたのです。人間にとっては偶然に思えることも、神にとってはすべてが必然です。皆さまの上にもクリスマスの良き知らせがありますように。
2023/12/23
今年もΧ'mas(Χはギリシャ語。英語のXではありません。)が近づいてきました。クリスマスはキリストのご降誕を喜び祝い、礼拝を献げる日です(大体AD4世紀頃から祝うようになったと言われます)。聖書にはイエスさまの誕生日が12月25日だったという記述はありません。なぜこの日にしたのかというと、ローマ人たちが冬至を境に日が長引くのを『太陽の誕生日』として祝っていたことに関係しているようです。太陽の誕生と言えば、「世の光・義の太陽」。つまりクリスチャンたちはこの異教的な祝祭をキリスト教的に祝ったのです。ちなみに日本で最初にクリスマスを祝ったのは1552年の山口県。その後、信長、秀吉、家康…と時代は移り、キリシタン禁制とともにクリスマスも消滅し、それから時を経て…明治7年(1874年)に再び祝うようになったとのこと。ちなみに…クリスマスイブはクリスマスの前日ではなく、…夕方という意味(ユダヤの暦では日没を境に日が変わります)、つまり12月24日の夕方からクリスマスは始まります。教会ではこの日、朝にはクリスマス特別礼拝があり、夕方からはキャンドルサービスがあります。皆さまのお越しをお待ちしております。
2023/12/20
12月第三水曜祈祷会、教会のデボーションは箴言29章から。「人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。」この間の子どもクリスマス会に来ていた男の子が帰り際に『クリスマスってサンタクロースの日じゃないの?』と質問してくれました。後ろでお母さんが『牧師さんに聞いてみたら…』と背中を押してくれたようです。確か私も小学校高学年くらいまでサンタクロースの存在を信じていたので、友だち同士で話しているのを聞いて、戸惑いつつもなんとかごまかしたのを覚えています。子どもながらに、周りのみんなが知っているのに自分だけが知らないのはこんなに恥ずかしいんだ…と思ったものです。でも、大人になってその考えも変わりました。「人を恐れる」とは、人の顔色をうかがうこと、人の思惑を気にすることです。聖書は、その先には罪の罠があるから気をつけなさいと教えています。なぜなら罪とは、神に背を向けること、神を二の次にすることだからです。たとえ周りのみんながどう思おうと、自分はここに立つというものを持っていたいものです。「支配者の顔色をうかがう者は多い。しかし、人をさばくのは主である。」
2023/12/18
アドベント第三礼拝がありました。この時期になると、町は華やかな雰囲気に包まれると同時に、一人一人は慌ただしい日々に忙殺され、クリスマスを祝うどころではない方も多いでしょう。でも、だからこそ神の前に静まり、御言葉からクリスマスの本当のメッセージに耳を傾けたいものです。今日の礼拝メッセージはマタイ1:18‐25から、ヨセフへの受胎告知がテーマでした。許嫁のマリアが身ごもっている…それはヨセフにとって穏やかな暮らしから一転して奈落の底へ落とされるような知らせでした。受け入れがたい現実を前に、彼には二つに一つの道しかありません。マリアの懐妊を公にして罰を受けさせるか、密かに離縁状を書いて町から去らせるか…前者を選べばヨセフの責任は問われず、後者を選べばヨセフにも疑惑の目が向けられるでしょう。そこで彼が選んだのは後者。マリアを助ける唯一の手段でした。でも、彼がその決断を下す時、神は御使いを遣わして、神に従うもう一つの道があることを告げられたのです。私たちも時に、人間的には八方塞のような状況に立たされる時がありますが、神はもう一つの道、脱出の道、神に従う道を用意しておられるのです。
2023/12/14
昨日の水曜祈祷会では箴言24章を読みました。「正しい人は七度倒されても、また起き上がり…」人生七転び八起のことわざを思い出すような御言葉です。箴言に記される『正しい人』とは、単に道徳的・倫理的に正しい人のことではなく、神を神として認め、神により頼んで歩む人のことです。まず不思議に思うのは、なぜそんな正しく歩んでいる人が何度も倒されるような苦しい目に遭うのかということでしょう。それなら信仰があってもなくても同じじゃないですか…という声が聞こえてきそうです。実際に私たちの人生は七度どころか、もっと多くの苦難にあっている方もいます。それはクリスチャンであってもなくても同じです。でも、聖書は、その心にイエスさまをお迎えしている、イエスさまとともに歩んでいるなら、その人の人生は決して失望に終わらないというのです。クリスマスは、私たちがどんな人生を歩んでも失望することがないように、神が考えられないほど低くなって来てくださったことを喜び祝う日です。今日はハートフル英会話の秋期コース最終日でしたが、made himself nothing…について少しお話しさせていただきました。Have a good Christmas.
2023/12/11
穏やかなお天気のもと、今日も大勢の方がともに集い、アドベント第二礼拝を献げました。メッセージはルカ1:46~56『マリアの賛歌』をテーマにみことばを心に留めました。まだ幼さの残る少女に突然の御使いからの受胎告知がありました。そんなこと常識では考えられない…もしそれが本当なら、婚約中のマリアは姦淫罪、厳罰は免れず、町にもいられません。夫のヨセフや家族にも何と説明すれば…。様々な思いが少女の心の中に渦巻きます。御使いはそんな彼女に「神にとって不可能なことはありません」と告げると、マリアは『どうしてそんなことが信じられますか』ではなく、「あなたのおことばどおり、この身になりますように。」と答えました。その時、彼女の心から主への賛歌が溢れてきたのです。プロテスタントの教会は、イエスさまの母であるマリアを崇拝するようなことはしません。ただ…神のことばをそのまま受け入れた彼女の信仰者としての姿勢は尊敬に値するものとしてそれに倣いたいと思わされます。午後は約4年ぶりとなる子どもクリスマスがありました。たくさんのご家族が来てくださって、一緒に本当のクリスマスをお祝いできたのは感謝でした。
2023/12/10
子ども会の時から来てくれていた女の子が結婚することになりました。私に司式を頼んでくれたのですが、二人ともまだ洗礼を受けていないので(正直少し悩みましたが)、結婚前カウンセリングを受けることとイエスさまへの信仰を確認してお引き受けました。前日の夜は、品川駅で久しぶりの母と十数年ぶりの兄と会う約束をして…これはこれで感慨深い夕食となりました。結婚式は、新横浜のホテルのチャペルで、リハーサルもしたつもりなのですが、やっぱり教会で行うのと勝手が違って少々戸惑いましたが、何より最初のバージンロードを歩いてくる新婦を見たら感動してしまい、涙腺が言うことをきかなくなって…。「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」最初から涙声の牧師で申し訳なかったですが、誓約、指輪交換、宣言…と守られて、大きな務めを果たし終えて新幹線で帰阪しました。教会に着くと、明日の礼拝メッセージの準備もラストスパート。注文しておいたアクリルケースが届いていて、早速あるご夫妻から献品して頂いた『Nativity』を教会の入り口に飾りました。明日礼拝に来られる方は楽しみにご覧ください。
2023/12/08
教会で行っている英会話教室の一つの特徴は、一クラスの定員が六名までというところです。大人のクラスはあと二名ほどで定員となります。少人数なので先生とも気軽に話せて、他の受講生ともすぐ親しくなれます。ぜひ無料体験クラスをご利用ください。また、もう一つの特徴は、隔週でチャペルタイムがあることです。今日は新約聖書の中で最も有名な『五つのパンと二匹の魚』の話しから先生が話してくれました。イエスさまは、天地万物を造られた方なのに、私たちと同じ人間となってこの世に来てくださいました。それは、私たちと同じように苦しみや悲しみ、空腹や疲れることなどを一緒に負うためです。イエスさまは、この奇跡を通して私たちの生活、その必要の一切を満たすことを教えてくださいました。聖書を英語で読むと、また違った世界が見えてきて興味深いと思います。でも、イエスさまの奇跡として何よりも不思議なのは、神が人となられたということではないでしょうか。罪と悲しみと争いに満ちたこの世界に、しかもどうして飼い葉桶の中に生まれたのか…。「これが、あなたがためのしるしです。」ここにクリスマスの大切なメッセージがあります。

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