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11月第一水曜祈祷会、今日は詩篇26篇を読みました。何か重大な危機が国民全体に迫る中で、イスラエルの王であり、真の神を知るダビデは具体的な助けを神に祈り求めました。「主よ 私を弁護してください。私は誠実に歩み よろめくことなく 主に信頼しています。」『弁護してください』とは一般には『さばく』と訳される言葉です。悪者を罰し、正しい者を弁護する、公平な審判を行ってくださいというのです。誠実に歩むとはどうしたらいいのか。それは、主の目には不完全であっても、自分にできる限りの誠実さを尽くして、主に従うということです。人間ですから、判断を誤ったり、自分勝手な行動で神を悲しませてしまうということもあるでしょう。でも、そこで開き直らないで、示される罪(神に背くこと)があるなら、悔い改めて(罪から方向転換して)神の恵みと真理の内を歩み続けることです。自分で自分をどう思うと、主を信頼して歩むことです。主は私たちが思う以上に遥かに憐み深いお方です。「私の足は平らな所に立っています。数々の集いで 私は主をほめたたえます。」願わくは私たちも神との関係における平らな所にいつも立っていたいものです。