信仰と疑問の間で…

雲の切れ間から日射しは見えましたが、はらはらと小雪の舞う一日となりました。それでもこの寒い時期にも関わらず、健気に咲いている花たちを見るとなんだか励まされます。以前の自分のことですが、『神がいるならどうして…』この疑問がある限り、クリスチャンになることはできないと思っていました。礼拝でメッセージを聴いて感動することがあっても、すぐに疑問がわいてきて、自分で自分にブレーキをかけるように深入りしないでおこう…クリスチャンになったら、今まで自由にしていたこともできなくなる…と思っていました。そんな疑いや不安を抱えたまま、私は洗礼を受けました。だからというわけではないのですが、私は100%の信仰がなくてもクリスチャンにはなれますよと言っています。イエスさまと一緒にいた弟子たちだって、よく信仰の薄い者たちと言われていました。しかもあのユダでさえ、最後まで見捨てられなかったのですから。「もしあなたが悟りに呼びかけ、英知に向かって声をあげ、銀のようにこれを探し、隠された宝のように探り出すなら、そのとき、あなたは主を恐れることをわきまえ知り、神を知ることを見出すようになる。