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教会のデボーションは詩篇49篇から。葬式の際にもよく読まれる詩篇です。すべての国々の民に共通するのは死の問題です。死は人生の教師として重大ななぞを投げかけます。死がすべての人の終りであるが、死はすべてのことの終りであろうか、と。この世でどんなに富を得、成功を収めたとしても、富はたましいを救うことはできず、死の力に勝たせてはくれません。「しかし 神は私のたましいを贖い出し よみの手から奪い返してくださる。…人は死ぬとき 何一つ持っていくことができず その栄誉も その人を追って下ることはできない。」どんなに大事なものでも、死に際して人は何も携えて行くことができません。「富」そのものは悪ではありませんが、大事なのは、栄華の中にあっても神を忘れないこと、神に望みをもって、神とともに生きることです。神との交わりは地上の生活に喜びを与え、死の恐怖に怯える必要がなくなります。イエスさまも「自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」と教えられました。慌ただしい毎日、少し心を休ませて、自分が歩んでいる道は、悟りのない人生か、価値ある人生かを自問自答したいものです。