2024/03/18
教会のデボーションはマタイの福音書25章14節から。昨日に続いて、終わりの日を生きる姿勢について教えられた箇所、有名なタラントのたとえ。ある主人が三人のしもべにタラントを預けて旅に出たという話しです。タラントはTalentの語源とも言われるので才能や能力と思う人もいますが、本来は金の単位で、資産や財産を意味する言葉です。1タラントは6000デナリと言いますから相当な財産。そのタラントを預かったしもべは、一人はそれを資本に五タラントを儲け、同様にもう一人も二タラントを儲けました。ところが、一タラントを預かったしもべはそれを失くしてはいけないと思って土の中に隠しておいたのです。しばらくして主人が帰って来て清算をすると、二人のしもべは忠実だとほめられて、一人のしもべは怠け者だと叱られたという話し。このたとえのポイントは、主人が「それぞれの能力に応じて」タラントを預けたということでしょう。多すぎず、少なすぎずです。しかも、それをどう使いなさいとか何をしなさいとは一切言わずに各自の判断に任せていること。私たちもこの世に生まれてどれだけ多くの財産を神から預かっているのか…考えさせられました。
2024/03/17
3月第三主日礼拝、今日は曇りのち小雨の空模様でした。礼拝メッセージはマタイ25:1‐13、イエスさまが弟子たちに終末への備えについて教えられた3つのたとえ話しの一つ。十人の娘たちは花嫁の友人たちで、花婿が夜花嫁を迎えに来るのをともしびを持って出迎える務めがありました。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かったとあります。彼女たちはみなともしびを持って花婿を待っていたのですが、違いは予備の油を持ってきているかどうかでした。たとえのポイントは、花婿はキリスト、十人の娘たちは個々のキリスト者、ともしびは信仰生活(教会生活)、油は聖霊を表していることでしょう。つまり、教会にいる私たちがキリストの再臨をどう待ち望んでいるのかが問われているのです。ともしびを灯すには油が必要なように、信仰生活にも聖霊との交わりは欠かせません。万一に備えて予備の油を持って来た賢い娘たちと、先の事を考えずに油を持ってこなった愚かな娘たち…その差はあまりにも歴然でした。イエスさまがここで伝えたかったのは、終わりの日にあなたも賢い娘たちのように生きなさいということです。奥深い内容がギュッと詰まったメッセージでした。
2024/03/16
ハートフル英会話冬期コースが終了しました。今期もいろいろな出会いと別れがありましたが、楽しいクラスを講師と受講生の皆さまで作ってくださって心から感謝しております。これから三週間ほど間が空いて、また4/11から春期コースが始まります。大人クラス・キッズクラス、すでにオブザーバーの受付を開始しました。興味関心のある方はぜひ体験クラスをお申込みください。さて、教会の聖書通読はマタイ24章に入りました。十字架にかかられる時が近づく中で、イエスさまが弟子たちにされた最後の説教の場面。イエスさまはエルサレムの破壊とこの世の終わりを重ね合わせて話されました。まず偽キリストの出現、戦争や戦争のうわさ、国や民族間の対立、地震や飢饉の発生がその前兆です。それはまだ産みの苦しみの初めで、さらに弟子の迫害、背教と裏切り、偽預言者、道徳の退廃が続きます。そうした苦難の日々の後、かつてない天変地異が起こり、偉大な力と栄光を伴って人の子が再臨されるのです。それは「ノアの日と同じように実現する」とあります。あの時代にノアが忠実に神のことばを信じて歩んだように、私たちも霊の目を覚まして歩みたいものです。
2024/03/14
『信仰とは四方八方塞っても上を開くことだ。』…「平民の福音」の著者としても有名な救世軍士官・山室軍平師の言葉です。1940年3月13日夜半、吹奏楽の聖歌演奏の中、『神よ、御国へ参ります』と言って召されたそうです。救世軍と言えば、最近は各地で災害が起こった際に迅速かつ的確な支援をされているのを目にします。同盟教団とは少し立場は違いますが、学ぶところの多い素晴らしい団体です。
2024/03/11
東日本大震災から13年を迎えました。2万人以上の方が命を亡くし、今もなお3万人近い方が避難生活を送られています。原発廃炉の見通しもつかない状況ですが、復興のために続けてお祈りします。あの頃、ボランティアに行った時にお世話になった現地の方と今も妻は連絡を取り合っています。それも尊いことだと思います。今日のデボーション、「だれでも自分を低くする者は低くされ、自分を高くする者は高くされます。」祈りの大切さを思わされました。
2024/03/10
3月第二主日、今日も穏やかなお天気のもと神の家族が一つ心で礼拝を献げました。メッセージはマタイ22章34‐46節から。パリサイ人の中の律法の専門家がイエスさまを試みようと声をかけてきました。「先生、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」彼らは聖書全体から肯定的、否定的な613の戒めを見出していました。それらは平等に重んじられるべきものでしたが、それでもより重い戒め、より軽い戒めという区別をしていたようです。イエスさまの答え次第では訴える口実になると思ったのでしょう。そこでイエスさまが即時に答えられたのは、全身全霊をもって神を愛すること、隣人を自分自身のように愛することです。この二つの戒めに聖書のメッセージが集約されると言われたのです。そう言われても…どちらもそうそう簡単にできるとは思えない…。そんな声も聞かれました。確かに自分の力でそれを成し遂げようと思ったら、だれもが挫折を味わうでしょう。でも、ダビデがそうであったように、私たちも御霊によってキリストを主と呼び、この方とともに歩んでいきたいと思います。このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されているのですから…。
2024/03/08
月曜日から5人のチームで能登半島地震災害支援ボランティアに行ってきました。事前の天気予報ではずっと雨マークだったので心配していましたが、結果一日も雨に濡れることもなく、すべての作業が守られました。朝は内灘聖書教会内の能登ヘルプの事務所に集合し、デボーションとお祈りを持って出発。派遣先ではおもに家財の運び出しと片付け、割れたガラスや崩れた塀の処分などを行い、午後3時過ぎには片づけを始めてホテルに戻りました。目に映る光景は、たくさんの倒れた家屋、ひび割れた道路、4メートルを超す隆起した港…がありました。作業の合間に、被災された方とも直接お話しができましたが、地震発生直後のご様子やご家族を亡くされたこと…町も港も何もかも変わってしまったことを伺いました。あらためて…言葉では表現できない甚大な被害だったことを痛感しました。『大阪から来ました』と言いますと、『遠くから来てくれて本当にありがとう』と何度もお礼を言われました。今回の私たちの働き自体は本当に些細なものですが、少しでも被災者の方々の慰めと励ましに…そして、次のボランティアに来こられる方々の繋ぎとなれれば幸いです。
2024/03/03
3月第一主日、風は冷たかったですが、青空の広がる一日でした。今日も教会に大勢の方が来られ、ともに主の御名をあがめる礼拝を献げました。メッセージはマタイ22章15節~22節、新約聖書の中でも有名な一節を心に覚えました。パリサイ人たちはヘロデ党の者たちと結託して、イエスさまをことばの罠にかけようと、カエサルに税を納めることは良いか悪いかを質問したのです。どちらに答えてもイエスさまを訴えようという魂胆でした。イエスさまは彼らの頑なな心を悲しく思われたでしょう。そしてデナリ銀貨を用いてあの有名な一節を言われたのです。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」キリスト者は天に属する者ではありますが、地上に生活する者としてその国の制度に従わなければなりません。理由は「主のゆえに」です。イエスさまも納税の義務を果たし、ピラトの裁判にも服されました。それと同時にさらに重要なのは、神に造られた者として、私たちは神の言葉に従い、神の栄光のために生きることです。イエスさまはすべての人に、あなたも人生の方向転換をして、神のもとに来なさい、神とともに歩みなさいと招いているのです。
2024/02/29
昨年の秋に植えたカリフラワーが見事に育ったので少し早いのですが収穫しました。次はスナップエンドウが楽しみです。今週の水曜祈祷会では詩篇39篇を読みました。言い知れない苦難の中で、神への希望が人生のむなしさを支えている詩篇。「主よ お知らせください。私の終わり 私の齢がどれだけなのか。私がいかにはかないことを しることができるように。」口は禍の元と言いますが、ダビデは自分の舌で罪を犯さないように決意します。むしろ、神に向かってつぶやくのではなく、人生のはかなさを覚えることで心砕かれていきました。それでも「私の望み それはあなたです。」という信仰が一筋の光となって父なる神への希望の道を照らします。自分の人生の終わり、将来への悟りは、今を生きる意味を明らかにします。主にあって、私たちは生かされている。苦難の中で、本当に大切なものに目を向けていったダビデの信仰に教えられました。
2024/02/26
2月第四主日、雨がシトシトと降る少し肌寒い一日でしたが、教会の中はいつものごとく大勢の方が来られ、朝に2回の礼拝、子ども礼拝、午後からはスペシャルグレイスタイム、夕礼拝と恵みに溢れる一日となりました。礼拝メッセージはマタイ22章1‐14節、祭司長たちの頑なな態度を示すためにイエスさまが話された譬え話しの一つ、王子の結婚披露宴の譬えから。この話しのポイントは、王は父なる神、王子はイエスさま、結婚披露宴は天の御国、先に招かれた人はユダヤ人、後から招かれた人は異邦人を指しているところです。王は自分の息子の結婚披露宴のためにすべての準備を整えて、人々を招待しました。ところが、先に招いていた客は来ようとしなかったので、王はしもべを大通りに行かせ、出会った人をみな、披露宴に招待しました。すると、一人だけ王が準備した婚礼の礼服を着ていない人がいたので、その人を恵みの外に放り出したという話し。私たちも、この世の王である神から披露宴のような礼拝に招かれていること、礼服も準備していただいてそれを着て出られる幸いを思いました。病室にいる兄弟ともオンライン礼拝で一つ思いになれることも感謝します。

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