カテゴリ:2025年下半期



2025/12/31
教会のデボーションは詩篇94篇から。「なんと幸いなことでしょう。主よ あなたに戒められ あなたのみおしえを教えられる人は。」すべての訓練はその時は喜ばしいものではないが、後には平安の義の実を結ぶ…を思います。2025年の年末を迎えました。今日は友人牧師が自家焙煎コーヒーを淹れてくれてホッと一息。声帯炎で喉の調子が今一つですが、穏やかな年の瀬を感謝します。数えてみよ、主の恵み。今年もお世話になりました。皆さま良いお年を。
2025/12/28
12月第四主日、今年最後の主の日を迎えました。今日は新鎌ヶ谷聖書教会から玉井敦子師をお迎えしてメッセージを取り次いでいただきました。使徒の働き3章から。生まれつき足の不自由な人は自分では歩けないのでいつもだれかに運んでもらって『美しの門』のところに来ていました。その日もいつものように神殿に礼拝を献げに来た人たちに施しを求めていたのです。ペテロとヨハネは、そんな彼を見て、「金銀は私にはない。しかし、私のあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言い、彼の右手を取って立たせてあげると、たちまち足に力がみなぎり、歩き出し、飛び跳ねたという話しです。この短いストーリーの中に、今年一年の教会の歩みが集約されているように思いました。今年も大勢の方が教会に来られました。一期一会の方もいれば、続けて来られる方もあり、こんなものかな…と思って帰って行かれた方もいれば、心に温かいものを感じて帰って行かれた方もいました。いずれも主にあっての出会いを感謝します。中でも、神さまとの出会いは一生ものです。また、教会でお会いできるのを楽しみにお待ちしています。
2025/12/25
小雨の中でしたが、キャンドルサービスに大勢の方が来会されました。イエスさまのご降誕を御言葉と聖歌で辿りました。コンサートでもなく、食事会でもない、毎年同じプログラム、けれども毎年新しい感動を覚えます。ご近所に住むご婦人が『今日初めて来ました。フルートとバイオリンの音色がよかったです。仏教徒ですけどまた来てもいいですかね…』と。『もちろんです』とお答えすると嬉しそうに帰っていかれました。聖なる夜に感謝いたします。
2025/12/24
今日はクリスマスイブです。イブとはeveningの略。「なぜ24日の夕べに礼拝を献げるのですか」と尋ねられることがあります。聖書では、一日は「朝」からではなく「夕べから始まる」と考えられてきました。それは、光はいつも暗闇の中から始まるという信仰の告白でもあるのです。夜から行われるイブ礼拝、キャンドルサービスには、どなたでもご出席いただけます。初めての方も歓迎いたします。今年のクリスマスは教会でともに聖夜を過ごしませんか。
2025/12/22
12月第三主日、朝から小雨の降る中でしたが、大勢の方とともにクリスマス賛美礼拝を献げました。ルカ2章から、救い主誕生の知らせを真っ先に聞いた羊飼いたちに注目して御言葉を聴きました。当時、社会的に身分も低く、名もなき羊飼いたちは、主の使いの言葉、天の軍勢の賛美を聞いた時、どのように思ったのでしょう。幻覚でも見ているのでは…と思ったでしょう。でも、彼らは話し合った末、「この出来事を見届けよう」と出かけていきました。そして、救い主を捜し当てると、御使いの言葉がすべて真実だったことがわかり、神をあがめ、賛美しながら帰って行ったというのです。何度聞いても信仰の原点を思い出させてくれるような箇所です。私も牧師として20年になりますが、最近つくづく自分には愛がないと痛感させられることがありました。その時、自分の心の中が悪臭の漂う飼葉桶のように感じました。そして、イエスさまが飼葉桶に生まれてくださったことが本当に有難いと思わされたのです。午後からはクリスマス祝会がありました。次々と賛美が献げられ、その場にいるだけで心豊かにされ、落ち込んでいた私も賛美しながら帰って行きたくなりました。
2025/12/18
イエスさまが十字架にかかられる時、ペテロは迫害を恐れて「そんな人は知らない」と三度否定しました。イエスさまの十字架の死を目の当たりにして、自分の不甲斐ない信仰を嘆くとともに、復活の主と出会って、彼は新たな再献身へと導かれたのです。そんなペテロが後に書いた手紙。「キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも…」…その一行一行には彼の深い悔い改めと信仰にある確信が込められているのです。
2025/12/18
12月第三水曜祈祷会、ペテロ手紙第一3章から。激しい迫害の中にある信者たちに、ペテロは慰めと励ましの言葉を送りました。「悪に対して悪を返さず、侮辱に対して侮辱を返さず、逆に祝福しなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだ。」なかなかそう簡単にはできませんが、聖霊の助けを頂いて、祝福を受け継ぐ者としてその生き方が証しになるように心がけたいものです。キリストも一度、罪のために死なれました…ここに謙遜のモデルがあります。
2025/12/16
12月第二週、今日も朝から冷たい風が吹いていましたが、教会では元気にアドベント第三礼拝を捧げました。クリスマスの起源、皇帝アウグストゥスの勅令、キリニウスがシリアの総督、最初の住民登録と歴史と社会のただ中に救い主がお生まれになったことを心に留めました。神は旧約聖書に預言され、歴史上最も偉大な人物を、弱く疲れ切った若い夫婦に託されました。ヨセフとマリアは互いを労り合いながら、140kmもの旅をし、ベツレヘムを目指しました。ベツレヘムについても、すでに宿屋は一杯で、彼らは仕方なく岩屋の家畜小屋に身を寄せ、初めての出産をしたのです。生まれたばかりの幼子は、体を洗う産湯もなく、飼葉桶に寝かされました。なんとも貧しく惨めな場所…。でも、救い主がお生まれになったことで、そこは神の臨在の座となり、天からの祝福が豊かに注がれたのです。およそ人の目には辛く悲しく思われる状況も、神の目にはすべてが最善の備えられた舞台だったのです。毎年思い浮かべる場面ですが、今年はこの飼葉桶に込められた意味を深く覚えました。午後からの子どもクリスマス会でも大勢のお友だちと一緒にイエスさまのお誕生を喜びました。
2025/12/13
38歳の小林富次郎は、事業に失敗し、自殺まで考えましたが、一つの聖書のことばが頭に浮かび、踏み止まりました。「すべての懲らしめは、その時は喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安の義の実を結ばせます。」その後、一念発起して仕事に取り組み『ライオン』を創業、今日の基礎を築きました。今日はそんな富次郎さんの召天日。聖書は今も、私たちの人生を変える力があるのです。
2025/12/11
12月第二水曜祈祷会、詩篇89篇から。前半は神の恵みと真実で始まりますが、後半は嘆きと祈りで終わる詩。言い知れない目の前の現状に、詩人はかつての恵みは失くなってしまったのですか…と訴えます。でも、変わってしまったのは神の側ではなく、自分の心の側でした。「わたしの恵みを彼のために 永遠に保つ。」ならば、立ち返るところは最初の恵みの言葉です。かつての恵みは、現在の恵みであり、未来の恵み、さらに永遠の恵みであるからです。

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