カテゴリ:2020年上半期~



2020/07/31
7月も最後の日、オオクワも成虫になっていよいよ顔を見せてくれました。さて、曇り空かと思えば急な雷雨(この地域も一時停電に)、その後は青空と。目まぐるしいお天気の中、いつも以上にゆっくりな『梅雨明け』となりました。午後は、KFSMの同志でもある金子牧師が光の子どもクリスチャンスクールの紹介に立ち寄ってくれました。プロテスタント・キリスト教会の付属で、これだけの規模の学校を建てるなんてすごいです。そして、一番感動したのは信仰継承の思い。小・中・高とキリスト教精神によって培われた子どもたちが教会に定着している割合が高いというのも素晴らしい証しです。多くの教会、また、クリスチャンでない方々にも知っていただきたい学校です。最近はコロナの感染者数は連日のように、大阪216人、全国でも1500人を超える過去最高人数が続いています。この数字もすぐに超えていくのでしょう。教会も今まで以上に慎重な対応が必要です。
2020/07/30
4月から始まったハートフル英会話春期コースは、新型コロナウィルスの影響もあって時間を変更して開講したり、途中オンラインになったりと、受講生の方々には大変ご迷惑をおかけしました。8月も第二週までの予定でしたが、このところの感染拡大を鑑みて、今日で春期コースを終了しました。最後のクラスは、レイチェル先生のご主人も来てくださって、スペシャルなチャペルタイムとなりました。夕方からのホゼア先生のKidsクラスも、子どもたちの大きな声が二階まで聞こえてきましたが…やはりどこかコロナ禍における心配があるのでしょう。夏休みに出かけられない…宿題が多い…つまらない…といつもの飛び跳ねるような元気がないように感じました。そして今日も全国の感染者数は1300人という過去最多。「順境の日には幸いを味わい、逆境の日にはよく考えよ。」経済も本当に大変な中ですが、コロナによる人々の不安やストレスも限界まで来ているような気がします。
2020/07/29
今日は新型コロナの感染者が国内初の一日1200人を突破、大阪でも221人という過去最大の人数となり、いよいよ不安と緊張感が高まってきました。また、九州に続いて山形でも記録的な大雨が降り、最上川が氾濫してしまい、甚大な被害がでました。Go...
2020/07/29
今日は午前中に旧約聖書の学び会の録画をして(不具合もあって途中までになりました。失礼しました💦)、あわてて神戸のラジオ局へ。先日、森祐理さんから直接お電話をいただき...
2020/07/28
7月第四主日、今朝もいつものように教会に集まれることを感謝しつつ、礼拝を捧げました。礼拝メッセージは使徒の働き9章から「サウロの回心」をテーマに学びました。もともとキリスト教の迫害者だったサウロが、どのようにキリスト教史最大の伝道者パウロへと変えられていったのか。神の不思議な導きは、サウロがステパノの殉教の死に立ち会うところから、あるいは、律法学者ガマリエルのもとで熱心にユダヤ教を学ぶ頃から、さらにもっと前から始まっていたことを思いました。「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みには時がある。…神のなさることはすべて時にかなって美しい。」振り返ってみれば一つ一つに神の導きがあります。だれもが人生のターニングポイントを経験するわけですが、そこでどう考え、どう行動し、どう決断するかで、その後の人生が大きく変わるのです。神を知り、神と出会い、神とともに歩む幸いを思わされました。
2020/07/25
今日のディボーションはルカ11:27~。イエスが群衆に向かって話していると、ある女が言いました。「あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は幸いです。」つまり、彼女はイエスご自身を、また、イエスを生んだ母マリヤをたたえたのです。しかし、そこでイエスが言われたのは「幸いなのは、むしろ神のことばを聞いてそれを守る人たちです。」でした。時々、『牧師さんはいいですね。こういうコロナの中でも穏やかでいられるんでしょう』と言われることが…。そんなことは全然ないのですが💦そう見られているとしたら気をつけなくては。自分がクリスチャンであることは、クリスチャンではないの方の目にはどう映っているのか。また、一方で、『クリスチャンなのになぜ…」と言われないように、こういう時こそ言動が問われるもの。体裁だけ整えるのは自己満足、『神のことばを聞いて、守る(従う)こと』それが人間にとって最も価値あることだと教えられました。
2020/07/23
今日から四連休ですが、誰もがその数字に驚く一日でした。新型コロナの感染者が今日だけで981人。東京だけで366人も驚きですが、大阪をはじめ各地で最多の人数が確認されました。この数がまだ増えることを思うと、教会に集まることを再び自粛する教会があるのも当然の判断です。神を信じる者にとって、このコロナ禍が収束することを祈らない日はありません。聖書には「求めなさい。そうすれば与えられます。」とあります。神がおられるなら、なぜこうした事態が続くのか…。ついそんな思いが頭をもたげてきそうになりますが、神のなさることに意味のないことはありません。ならば、御心を求める祈りをしていきたいものです。過去の歴史を振り返っても、苦難の中でどれだけ多くの人が救いにあずかってきたことでしょう。孤独な人はさらに孤独になりやすいこのコロナ禍、教会は宣教の旗を上げて、一人でも多くの救われる魂が起こされるように祈り求めています。
2020/07/22
今日の水曜祈祷会はルカ11:1~。イエスさまが『祈り』について教えられたところからでした。「父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。」祈りは神を父と呼ぶことから始まります。それは特別な関係性を表す言葉。しかもどこか遠くにおられる方としてではなく、すぐ目の前にいてくださるかのようにはっきりと相手を意識した祈りです。「御名」とは神ご自身を表し、他の何ものとも区別されるべきお名前です。「御国」とは神のご支配を表し、信仰者たちを通してそれがこの世に表されていくようにという祈りです。「私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みあわせないでください。」私たちの肉体的な必要と霊的な必要を求める祈り…それを助けてくださるのは「聖霊」です。主イエスが教えられた祈りに、私たちへの深い愛を感じさせられました。
2020/07/21
いつも気になりながら、今日しかないと思い…午後から教会のお墓の草刈りに。教会から車で40分ほどのところにあるのですが、まだ教会員がだれも納められていないこともあって、なかなか足が遠のいています💦今回は雨も多かったので、草も随分伸びていました。クリスチャンはお墓参りというものはしないのですか…と聞かれることがありますが、お掃除や祈るために個人で来られるのは全く構いません。教会では時期を定めて墓前礼拝を行うところも多いのではないでしょうか。クリスチャンにとってお墓は記念碑としての意味だけでなく、終わりの日の『からだのよみがえり』を信じ、そこで神さまを覚え、感謝を捧げる場所でもあります。「この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。」たっぷり汗をかきながら、もっとお墓を大事にしなくては…と自戒を込めて綺麗にさせて頂きました。
2020/07/20
7月20日は今から51年前にアポロ11号が人類初の月面着陸をした日です。アームストロング船長は『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。』と言いました。宣教の主は「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」と言って、弟子たちを遣わされました。今日でも、キリスト教に関心を持つ方はある程度いるでしょう。そこで語る十字架の言葉は、知恵ある者、賢い者、滅びる者には愚かに見えるでしょう。神が人となってこの世に来られ、私たちの身代わりに十字架にかかって死んでくださった、この方は三日目によみがえり、今も生きておられ、この方を信じる者は永遠のいのちにあずかる。宣教はある人にとっては小さな一歩かもしれないが、福音宣教にとっては大きな躍進となることもあるのです。救われる人は多い、問題は働き手が少ないことです。

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