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忍耐深い主の愛…

2021年 12月 31日 金

2021年の年の瀬を迎えました。教会のデボーションは詩篇106篇から。詩人は「ハレルヤ」という賛美の勧めから、イスラエルがいかに神との契約に不忠実に歩んだか、一方で主はご自身の契約に忠実であられたことを記しました。「しかし主は、御名のゆえに、彼らを救われた。」「それでも、彼らの叫びを聞いたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。」民の不忠実にも拘わらず、主はその憐れみと赦しをもって彼らを導かれました。この忍耐深い主の愛の中に、自分も生かされていることを思いました。今年もコロナ禍に振り回されながらも、多くの恵みと祝福をいただいて、一年を終えることができることを感謝いたします。新しい年も変異株の広がりなどが懸念されますが、世がいかに揺れ動いても、変わらない神の導きに期待して歩んでいきたいと思います。今年もブログを見てくださって本当にありがとうございました。皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

主のみわざの不思議…

2021年 12月 29日 水

12月第五水曜祈祷会、教会のデボーションは詩篇105篇から。「主に感謝し、御名を呼び求めよ。」詩人は、イスラエルの歴史を紐解きながら、アブラハムとの契約を実現される主のみわざを語りました。神は流浪の民だったイスラエルをエジプトに導き、そこで大きな民族とされ、そして今度はエジプトがイスラエルを嫌うようにされ、約束の地へと旅立つように導かれました。主のみわざはすぐに理解できるようなものもあれば、理解するのに忍耐を要するものもある。でも、何が起ころうと神の契約と約束は変わることがありません。良いことも悪しきことも主の御心のうちに行われる、主はご自分の民が苦しんでおられる時、いつも主も苦しんでおられる、主が苦しみを許される時には必ず何かの意味があることを思いました。今年もコロナ禍に振り回された一年でしたが、同時にすべてが当たり前ではない、恵みの中にいたことを学ばせていただいた一年だったように思います。

年末感謝礼拝2021…

2021年 12月 27日 月

2021年最後の主日、少し小雪がちらつきましたが、青空が広がる爽やかな朝でした。度重なる緊急事態宣言、オリンピックの開催、ワクチン接種による混乱など、コロナ禍に振り回された一年が終わろうとしています。礼拝メッセージはルカ17:20から、『神の国はいつ来るのか』というパリサイ人の問いかけにイエスさまが答えられた箇所。彼らは目の前に救い主イエスさまが来られているのに、神の国が始まっていることがわかりませんでした。「神の国はあなたがたのただ中にあるのです」神の国、神のご支配は、主を信じる者たちの心に、交わりの中にすでに変化を起こしていました。それは今日でも、御言葉に生きる者たちを通して広げられているのです。人の子の日(主の再臨)の到来は、それがいつなのかは誰にもわかりませんが、その日が来たら誰の目にも明らかに認められます。終末のメッセージは、裁きの預言であると同時に、確かな救いへの招きの言葉なのです。

キャンドルサービス2021…

2021年 12月 25日 土

Merry Christmas!今年も御言葉の朗読とバイオリンの調べで、イエス・キリストのご降誕を思い巡らしました。イエスさまは神ご自身である方なのに、神としての威光も栄光も権威もすべて捨てて、人間の赤子となってお生まれになりました。しかも、そこは立派な宮殿でもなく大邸宅でもない、暗く貧しい悪臭の漂う馬小屋の飼い葉桶でした。御使いは告げました。「それが、あなたがたのためのしるしです。」イエスさまはローマ帝国に変わるこの世の王となるために来られたのではなく、全人類を罪とその裁きから救うために来られました。人はみな、生まれてきた本来の目的を見失って、それぞれ自分勝手な道を歩んでいます。自分の命をどう使おうと勝手なこと…一度しかない人生、楽しまなければ損…。そんなキリストの誕生など喜ばない人間の声が聞こえてくる中に、イエスさまはお生まれになられたのです。本物のクリスマスの喜びが皆さまの心にありますように。

主の臨在に励まされ…

2021年 12月 23日 木

12月第四水曜祈祷会はハガイ書から。バビロン捕囚から帰還したユダの民は、エルサレム神殿の再建に着手しました。でも、難民同然の彼らは、経済力も技術力も乏しく、おまけに隣国からの妨害も受けて数年で工事は頓挫してしまいます。月日は流れ、主は預言者ハガイを通して、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア、さらには民の残りの者に向かって悔い改めと励ましのメッセージを告げられました。「あなたがたの歩みをよく考えよ」「強くあれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ」「今日から後のことをよく考えよ」「わたしがあなたを選んだからだ」ハガイはこの4つの御言葉を中心に、ユダの民を鼓舞し、再び神殿再建へと立ち上がらせていくのです。彼らにとって『神殿』は、神の臨在の象徴であり、神を礼拝し、神との出会いの場所でした。私たちも神との関係を後回しにしないで、主の臨在に励まされて、今日から後のことをよく考えて歩んでいきたいものです。

クリスマス礼拝2021…

2021年 12月 20日 月

アドベント第四週、クリスマス礼拝を献げました。ルカ17:11~、イエスさまがエルサレムへ向かう途中、ある村でツァラアトに冒された10人と出会い、言葉一つで癒された記事をみました。彼らはみなイエスさまの言葉をそのまま信じて行動した時、癒しを経験したのです。どんなに喜んだでしょう。でも、話しはそこで終わりませんでした。その内の一人が大声で神をほめたたえながら戻ってきてイエスさまに礼拝を献げました。九人は癒しの事実だけを喜んだのに対し、彼だけは癒しを行ったイエスさまを喜んだのです。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」彼はこのイエスさまの祝福の言葉を受けて、新しい人生を歩み出していきました。人生のターニングポイントがあります。クリスマスはChristとmasの合成語。キリストのいないクリスマスはただ雰囲気を楽しむだけのお祭りに過ぎません。ぜひ教会で本当のクリスマスを喜び祝いましょう。

ハートフル英会話クリスマス会…

2021年 12月 17日 金

昨年はやむなく自粛しましたが、今年は感染対策とケーキなしで、ハートフル英会話クリスマス会を行いました(子どもたちはごめんなさい)。まずは卓球で体を動かしてから、クリスマスバージョンのUNOで盛り上がりました。もちろん英語です。今日は二つのクラスが合同でしたので、いろいろな方の話しが聞けていつも以上に楽しい時間でした。途中、ウクレレとホルンの演奏でクリスマスキャロルを賛美したり、レイチェルさんのバイブルメッセージでクリスマスの本当の意味についてお聴きしました。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。」コロナ禍も今は落ち着いていますが、世界を見れば…まだまだこの先どうなるかわかりません。また、日本国内でも変異ウィルスのオミクロン株の感染が広がりつつあります。このクリスマス、一人でも多くの方に本当の大きな喜びが届けられますようにお祈りしています。

さあ、河馬を見よ…

2021年 12月 16日 木

12月第三水曜祈祷会、ヨブ記40章から。主の創造の偉大さを知ったヨブは、やっと自分がいかに取るに足りない者であるかを知ることができました。神はそんなヨブに向かって、さらに倫理的な側面から語りかけていかれます。そこから、河馬、レビヤタンという神秘的な怪物(高ぶりの象徴)をあげて、それらを造られた神を不義に定める愚かさを指摘されました。結果として、主はヨブの苦しみの問いに直接答えることはされませんでしたが、最後にはヨブを悔い改めへと導かれ、ご自身をより深く知る者としてくださったのです。主はヨブが苦しんでいる時もともにおられ、ともに苦しんでおられました。まさにヨブの苦しみは、主ご自身の苦しみだったのです。「あなたには、すべてのことができること、どのような計画も不可能ではないことを、私は知りました。」ヨブがあれほどの苦しみを通して導かれたこの告白を、今日私たちが恵みによって告白できる幸いを思わされます。

神の創造の偉大さ…

2021年 12月 14日 火

教会のデボーションはヨブ記39章に入りました。長い沈黙を破ってついに神が語りかけられます。それは『なぜこれほどの苦しみにあわなければならないのか』というヨブの問いに答える形ではなく、神の方からの「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。」という問いかけです。神がどのように地の基を定めたか、どのように測り縄を張ったか、自然界の法則、動物たちの養いなど、神の創造の偉大さがことごとく語られていきます。およそ人知をはるかに超えた主のはかりごとです。ヨブに答えられるわけがありません。でも、これによってヨブは自分の小ささをいやというほど示されます。その一方で、偉大なる神がこんな小さな自分と関わりをもってくださっていることにも気づかされていくのです。山は近づけば近づくほどその大きさを知ると言いますが、神の偉大さも知れば知るほど…言葉では表しきれません。でも、その方が今日も語りかけてくださる恵みを感謝します。

慰められたラザロ…

2021年 12月 12日 日

アドベント第三礼拝、メッセージはルカ16:19から。金銭を好むパリサイ人たちはイエスさまの「神と富とに仕えることはできない」という話しを聞いてあざ笑っていました。なぜなら彼らは、富や豊かさは神の祝福の表れであり、律法を守っている自分たちこそが天国に行けると思っていたからです。イエスさまはそんな彼らに、ある金持ちとラザロの話しをされました。金持ちは毎日ぜいたくに遊び暮らし、貧しいラザロは金持ちの施しに頼って生活していた。しばらくして二人に死が訪れ、ラザロは御使いに迎えられアブラハムの懐に、金持ちはハデスの炎で苦しんだという話し。ラザロとは神は助けという意。イエスさまのたとえ話しで名前で話されるのは珍しいことです。人はみな、どんなに裕福でも貧しくても、ただ神の憐れみによって生かされていることを忘れてはなりません。神は心の貧しさ、砕かれた心をご覧になられることを、慰められたラザロから教えられました。

12月

神は苦しむ人をその苦しみの中で…

2021年 12月 09日 木

12月第二水曜祈祷会、ヨブ記36章から。苦しみのどん底で、自分の潔白を主張し、神よりも自分自身のほうを義とするヨブに向かって、エリフはこう言います。「神は苦しむ人をその苦しみの中で助け出し、抑圧の中で彼らの耳を開かれる。」神は人を苦しみから助け出されるのではなく、その苦しみの中で助け出されるというのです。苦難は様々な形で、すべての人の人生に予告なしで襲ってきます。その時、神は何をしておられるのですかと思わず叫びたくなるのではないでしょうか。でも、苦難の中でこそ、私たちの心が神に向き、その御声を聞こうと心の耳が開かれることもあるのです。大事なのは、苦しみや不条理は神から出ているのではないこと、その人が悪を行った結果でもなく、ましてや神からの罰でもないことです。神は苦しみの中でこそ私たちとともにおられるお方です。今日は祈祷会に来られた方々の様々な証しを聞く時となり、生ける真の神を心に覚えました。

あなたは神を待て…

2021年 12月 07日 火

今日は朝から冷たい雨が降る一日でした。教会のデボーションはヨブ記35章~。苦難の中で、神よりも自分の方が正しいと思っているヨブに向かって、エリフの言葉が続きます。彼は、人はみな、苦しみの中で泣き叫んだり、助けを叫び求めりするものですが、本当の意味で神を求めているのではないと言います。それは言わば本能的なものであって、信仰を働かせての祈りではない、今のヨブはそのような人々と同じではないかというのです。このようにヨブを責めた後で、エリフはこう諭しました。「しかし訴えは神の前にある。あなたは神を待て。」神はご自分のしもべの叫び声を聞き洩らすような方ではない、神はご自分から関わりを断ち切ることはない、私たちの救いのためにはどんな犠牲を払うことも厭わない、だから神を信頼して待ち望めと諭したのです。祈っても状況が変わらないと思う時こそ、私たちが真の信仰を養う時。私たちの祈りは神の御手の中にあるのです。

『不正な管理人のたとえ』から…

2021年 12月 05日 日

アドベント第二礼拝。メッセージはルカ16:1から。イエスさまの教えの中でも最も難解なたとえの一つです。主人の財産を勝手に使ってしまった管理人は、主人にそのことを知られてしまい、クビにされた時のために債務者たちに恩を売って後で面倒を見てもらうように考えました。主人はこの不正な管理人が賢く行動したのをほめたという話しです。なんとも首をかしげてしまうような話しですが、実はそういう所ほど気づかなった恵みを発見したりするものです。「不正の富で自分のために友をつくりなさい」「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり」「神と富とに仕えることはできません」たとえ話しの後のイエスさまの解き明かしの中に、著者ルカの独特な視点が感じられ、私自身は非常に教えられました。久しぶりのメッセージ後のグループタイムでも多くの感想があがり、分かち合いも祝福されたようです。今日も恵みに溢れた主の日を感謝いたします。

中村哲さんを覚えて…

2021年 12月 04日 土

長年パキスタン、アフガニスタンで人道支援に尽力してこられた中村哲医師が武装集団の銃撃を受けて召天されてから二年が経ちました。耳を疑うような信じられないニュースでした。中村さんは医師でありながら自ら重機を操作し、『100の診療所より一本の用水路』を合言葉に、1600本の井戸を掘り、全長13kmもの用水路を築き、東京ドーム3500個分にあたる1万6000ヘクタールの土地をよみがえらせ、60万人以上の命を救いました。そんな中村さんはクリスチャンでありながら、イスラム教徒が祈りを捧げるモスクやマドラサ(神学校)を建設して地元の人々を励まし元気づけたそうです。まさに敬天愛人に生きた中村さんの功績はこれからも世界中の人々の心にずっと生き続けることでしょう。「神の御心は何か、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるように…」明日はアドベント第二礼拝。ぜひお近くのキリスト教会に足を運んでみてはいかがでしょう。

天からの知恵こそ…

2021年 12月 01日 水

12月第一水曜祈祷会、ヨブ記32章から。なぜ善人が苦しみにあわなければならないのか。三人の友人たちは、苦難の原因は罪の結果であると主張し、ヨブに悔い改めを迫りましたが、ヨブは自分の正しさを主張するばかりでした。すると側でずっと聞いていたエリフが業を煮やして語り出します。エリフは、ヨブが神よりも自分の方を正しいとしたことや、ヨブの不義を認めながら言い返せない三人の友人たちにも怒りを燃やしました。こうして堰を切ったようなエリフの言葉が続き、もはやヨブは何も言い返せませんでした。「確かに、人の中には霊があり、全能者の息が人に悟りを与える。」天からの知恵こそがあらゆる難題を解決する力です。確かにエリフの言葉は、正論でした。ただ、彼の言葉が苦難の中で痛み悲しんでいるヨブに、どう聞こえたのかは疑問です。結果として、三人の友人もエリフも、ヨブの立場に立って考えるという視点が足りなかったのではないでしょうか。

祈りに支えられて今がある…

2021年 11月 30日 火

教会のデボーションはローマ16章から。パウロ神学を代表する書簡。信仰義認を中心に、一人で読み理解するには難解なところもあったのではないでしょうか。ただ、この終わりのところに関しては、普通の手紙と同じように「…によろしく伝えてください。」と教会や一人一人の顔を思い浮かべるように挨拶を記していて親しみやすいところです。パウロがいかに多くの人のために祈っていたのかがわかります。「どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。」手紙を受け取った教会でも、あらためてパウロ先生の働きを覚えて祈ったことでしょう。昨日は私たちの教会を会場に、教団の教職教育部がありました。今年度の報告に始まり、次年度に向かっての審議が長時間に渡って行われました。コロナ禍でZoom会議が続いたので、対面会議は久しぶりでした。関東から新潟から、このために来てくださった先生方のご労と献身に心から感謝いたします。

父のところに行こう…

2021年 11月 28日 日

11月第四主日、秋晴れに天気でしたが、頬に当たる風が一段と冷たく感じる一日でした。今日からアドベント(待降節)。礼拝ではルカ15:11~32から『二人の息子と父の愛』をテーマに御言葉を学びました。弟は父の財産を分けてもらうと遠い国で、湯水のように使って、やがて大飢饉が起こると豚の世話をするはめになり、食べるのにも困り果てました。でも、彼はその人生のどん底で父のことを思い出します。「立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。』」来る日も来る日も父は息子の帰りを待っていました。だから、彼の姿を見つけると、まだ遠かったのに、父はかわいそうに思い、駆け寄って彼を抱き、口づけしました。そして、急いで彼のために一番良い服、指輪、履き物を用意し、子牛を屠って祝宴を始めたのです。神の無条件の愛…。何度読んでも新しい感動が胸に迫って来るところです。

明日からアドベント…

2021年 11月 27日 土

今年もアドベント(待降節)の時期を迎えました。アドベントとは、「到来、到着」を意味します。明日からクリスマスイブまでの4週間、救い主イエス・キリストのご降誕を待ち望む期間です。日曜日ごとに一本ずつローソクを灯していきます。教会でキリストの到来について語る時には3つの意味を持っています。それは、2000年前、誕生によって来られたこと、今日私たちの心のうちに来られること、終わりの日に栄光のうちに来られることです。聖書には、「昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」とあります。私たちにとって最も大事なのは、クリスマスをただの年中行事として迎えるのではなく、その本当の意味を知って迎える時、その人の心にキリストは住んでくださることです。Christmasとは、キリスト(Christ)のミサ・礼拝(mass)という意味です。教会の新しい一年はこの日から始まります。ぜひお近くのキリスト教の教会に足を運んでみてはいかがでしょう。

英会話教室に来られる方々…

2021年 11月 25日 木

教会では毎週木曜日にハートフル英会話教室を行っています。今日も教室からなごやかな会話と子どもたちの元気いっぱいの声が聞こえてきました。中には海外生活をされていた方や留学をされていた方もおられ、文化や習慣の違いなどを聞くこともあります。また、海外旅行のためや仕事で使うため、英語を忘れないためなど、目的もさまざまです。講師の先生はクリスチャンですが、受講される多くの方はクリスチャンではないので、教会に来るのは初めて、聖書を見るのも初めて…という方もおられます。牧師としてはそうした方とちょっとした休憩時間にお話しするのも楽しみの一つです。仏教を信じる方も神道を信じる方も、物は試しで何でもお気軽にご質問ください。ある時は『教会でもクリスマスをやるの?』と聞いてくれたお友だちもいました。教会はクリスチャンだけでなく、どなたにも開かれた場所です。本当のクリスマスの意味も、ぜひお話しできたらと思います。

生きるにしても、死ぬにしても…

2021年 11月 25日 木

11月第四水曜祈祷会、朝から抜けるような青空が広がりました。ローマ14:9「私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」聖書では『死』に3つの意味を示しています。肉体の死、霊的な死、永遠の死(第二の死)。人はみな、やがていつかは肉体の死を経験しなければなりません。でも、クリスチャンはイエス・キリストを信じる信仰によって霊的な死から解放されています。また、キリストの十字架の贖いによってすべての罪が赦され、永遠のいのちが与えられ、永遠の死からも解放されているのです。それゆえ肉体の死は永遠の死に至る門ではなく、天国への門に過ぎません。ここに生きるにしても、死ぬにしても、主のためにという生き方の土台があります。今日の祈祷会も、まずみことばの分かち合いに恵まれ、祈りのうちに主のものとされている幸いを思いました。

一緒に喜ぶために…

2021年 11月 21日 日

11月第三主日、収穫感謝礼拝。礼拝はルカ15:1−10、いなくなった一匹の羊を捜し回る羊飼い、なくした一枚の銀貨を熱心に捜す女性の姿から、イエスさまの譬えを学びました。そこから主は今も失われた人を捜しておられること、一緒に喜びを分かち合われること、罪人が悔い改めることを待っておられることを心に留めました。一人でも多くの方にこのメッセージが届くように祈ります。そして、今日も礼拝後に二名の兄姉の入会式がありました。『あなたは、神の子イエス・キリストの十字架の贖いによって救われたことを確信しますか』という問いかけに、『確信します』とはっきりお答え頂きました。いつもこの誓約の時が、牧師として一番胸が熱くなります。メッセージの通り、一緒に喜びを分かち合うことができて本当に感謝でした。午後は来週から始まるアドベントに向けて大掃除&クリスマスの飾りつけ、夕方は青年たちと卓球で汗を流し、恵まれさまの一日でした。

すべての人をあわれむ主…

2021年 11月 19日 金

「私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、彼らのうち何人かでも救いたいのです。」キリスト教における『救い』とは…?私は25歳まで聖書を読んだことも教会に行ったこともなかったので、最初は違和感がありました。法にふれるような犯罪を犯しているわけでもないし、人から後ろ指を指されるようなこともしていないし、普通に人は死んだら極楽に行くものだと思っていました。でも、今から25年前、教会に行くようになって、礼拝や聖書を通じて、あらためて人はみな罪人として生まれてくること、神の怒りの下にあって、病気でもなく寿命でもなく、裁きとしての死を迎えなければならないことを知りました。そして、人はみな何かの功徳を積んだり、正しく生きることによってではなく、ただイエス・キリストを信じる信仰によって救われることを教えて頂いたのです。百聞は一見に如かず。まだ…という方は、ぜひ近くのキリスト教会に足を運んでみてください。

信仰は聞くことから…

2021年 11月 17日 水

11月第三水曜祈祷会、教会のデボーションはローマ10:14~。人は、律法の行いよるのではなく、キリストを心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのですとあります。そして、信じるためには聞かなくてはならない、聞くためには宣べ伝える人がいなくてはならない、宣べ伝えるには遣わされなくてはならないと諄々と記していきます。伝道は、私たちの熱心さや言葉の巧みさが重要なのではなく、最終的には聖霊のお働きによるものです。それでも『伝道はどうも苦手で…』『伝道はしないといけないことですか…』と言われるクリスチャンの方は少なくありません。伝道ってなんだろう。今日はそんなことを素直に語り合う機会になりました。「ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」私たちにとって最も大切なのは聖霊の助けを祈り求めることです。何はともあれいつもそこから始めたいものです。

招かれる者の幸い…

2021年 11月 15日 月

11月第二主日、ルカ14:15~「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」パリサイ派の指導者の食事会に来ていたある客は、どこか誇らしげにそう言いました。でも、イエスさまはそんな彼に向かって、神の国の食卓に招かれる者について譬えをもって話されました。神の目は、自分にはその資格があるとおごり高ぶる者ではなく、招かれる資格などないとへりくだる者たちに注がれていること、「まだ席があります。…私の家をいっぱいにしなさい。」と神が万事を備えてくださっていること、そこにあなたも来なさいと招いてくださっているとは、まさに幸甚の極みです。今日はいつも祈り深く謙遜な姉妹の転入会式といつも小さな教会を駆け回る子どもたちの祝福式がありました。午後は役員会でクリスマス&次年度に向けての話し合い、夕方は久しぶりにお会いするご家族としばしのお交わり、夜は青年たちと賑やかな夕食に…。今日も恵みいっぱいの主日でした。

横田めぐみさんを覚えて…

2021年 11月 13日 土

横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてからまもなく44年を迎えます。当時13歳だっためぐみさんは部活の終わった帰り道、自宅まで200mという場所で失踪しました。すぐに新潟県警や機動隊による懸命な捜索活動がなされましたが、拉致事件が判明したのはそれから20年も後のことでした。なぜこんなことが起きるのか…自分が悪いのか、先祖が悪いのか…絶望の淵に立つ早紀江さんに、ある宣教師が聖書を手渡しました。しばらく読む気にはなれなかったそうですが、ある時ヨブ記を読んで『私の苦しみがここにある』と教えられたそうです。その後、早紀江姉はクリスチャンとなり、その33年後にご主人の滋さんも病床洗礼を受け、天に凱旋されました。明日は滋兄の誕生日。苦しみの理由、それは人間には理解できません。しかし、主はご存知であり、ともに苦しんでおられる。今はただ、めぐみさんの帰りをひたすら待っておられるご家族のために心からお祈りしています。

関キ災・第五回懇談会…

2021年 11月 11日 木

今週月曜日に関西キリスト災害ネットワーク・第五回懇談会がありました。『この町に教会があってよかった。ー大規模災害災害に備えて、防災の視点でー』をテーマに田村治郎氏の講演を聴きました。今回の出席者は21名、ここまで累計で100名を超える先生方が出席してくださったことになります。本当に感謝です。災害はいつ起こるかわかりません…。南海トラフ大地震も今後30年以内の発生確率は70~80%と言われています。防災士の方も言われました。『もし天気予報で降水確率70~80%と言ったら当然備えをするはず。災害もこの感覚が大事です。』そして『地震10秒診断ーもしもあなたの町で地震が起こると?』『東京備蓄ナビ』という興味深いアプリをご紹介くださいました。無料ですので、ぜひお試しください。今日も教会ではハートフル英会話があり、大人クラスからは楽しそうな笑い声が聞こえ、キッズクラスにも新しいお友だちが来てくださって感謝でした。

ヨブの苦難から考える…

2021年 11月 10日 水

11月第二水曜祈祷会、ヨブ記29~31章。「あのとき」と幸いな生活を振り返り、「しかし今は」と悲惨な現状を語り、「私は自分の目と契約を結んだ」と自らの潔白を主張するヨブの姿を黙想しました。ヨブの幸いな生活の土台は、家族の多さや財産の多さの前に、神との親しい交わりがあったことでした。また、ヨブにとって最も悲惨な状態とは、神に向かって叫んでも、神が何もお答えにならないことです。次第にヨブは自分の潔白を主張することで、神の側に問題があることを訴えていました。神はなぜヨブをこれほどの苦しみにあわせたのか…。それは私たち人間には理解できないことです。でも、イエスさまは言われました。「しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。」十字架への道を歩まれたイエスさまは、試練がなくなるようにではなく、信仰がなくならないように祈られました。ここに一つの答えがあるように思いました。

主が招かれる食卓で…

2021年 11月 07日 日

11月第一主日、実るほど頭を垂れる稲穂かな…。ルカ14:1~、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」イエスさまは食事会に客として招かれた人たちにたとえを話されました。自分から上座に座ってはいけないこと。なぜなら、自分にはその資格があると心の中で思っている人は、反対に神の前で認められないからです。また、食事会に人々を招く主人にも話されました。もてなしをするなら、友人や家族やお金持ちよりも、貧しい人たちや体の不自由な人たちの方が幸いだということ。なぜなら、その人たちはお返しができないので、終わりの日に、神が報いてくださるからです。イエスさまが教えられたのは、単なる処世訓のようなものではなく、もっと深い霊的な真理、言わば御国での食卓の話しでした。今日は聖餐式の恵みにもあずかり、午後からは役員諮問会がありました。三人の兄姉の立派な信仰告白に心も体も満たされました。

かみさまのおうち…

2021年 11月 06日 土

『ここはかみさまがすんでいるおうちなんだよね』教会の前を通る小さなお子さんがお母さんと話しているのが聞こえました。ここに教会があることを地域の方が心に留めてくださっていたら感謝です。お掃除をしているとご近所の方と挨拶を交わしますが、なかなか教会には用事がなくて…信仰心もないし…でも、クリスマスには行こうかしら…と声をかけてくださる方もいます。ぜひ用事がなくても、信仰心がなくても、気軽に立ち寄って中を覗いてみてください。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」聖書の神さまは、人間が作った家にはお住みにはなりません。なぜなら神はこの天地万物を造られ、私たち人間を造られた方だからです。そのあまりにも偉大なる神さまのことを、どこで聞いたらいいのでしょうか。百聞は一見に如かず。ぜひ日曜日の礼拝に足を運んでみてください。

しかし、みこころは一つ…

2021年 11月 04日 木

11月の第一水曜祈祷会はヨブ記23章から。エリファズの三回目の語りかけも、ヨブを励ますことはできず不毛に終わりました。ヨブも根拠のない罪を責められ、もはやエリファズへの反論をあきらめ、神への独白のように語り出します。「ああ、できるなら、どこで神に会えるかを知って、その御座まで行きたいものだ。」人に理解されない苦しみを、ヨブは神ならきっとわかってもらえると思います。でも、どこを探しても神を見つけることができない…神は全くご自分を隠されてしまった…。ヨブの苦しみは、ここにありました。「しかし、みこころは一つである。だれがその御思いを翻せるだろうか。」神の計画は変わらないが、自分は神の前に黙ることはできない…神にこの苦難の説明を求めたいというのです。今日は祝日だったので、普段あまり来られない方も祈祷会に来てくださって深い分かち合いとなりました。難解なヨブ記を身近に感じることができたことを感謝します。

私の話しを聞いてください…

2021年 11月 01日 月

教会のデボーションはヨブ記21章になりました。二度目のツォファルの語りかけに対するヨブの答えです。絶望の淵に立つにヨブに、友人たちはなんとかして彼を慰めようと説得を試みます。そこでヨブはこの二度目の会話の終わりに、自分が必要としているのは安易な慰めの言葉ではないこと、ましてや説得や非難を受けることなどではないと訴えます。自分の語ることに耳を傾けてほしい…それを自分への慰めにしてほしい…と。友人たちの説得は、不幸が誰かを襲うのはその人が神と人間に対して罪を犯したからだ、悪しき者は裁きを受けるということです。ヨブの答えは、では…私は悪しき者なのか、悪しき者だって長寿を全うし、子孫も財産も与えられている、それが現実ではないかということです。あらためて祝福と繁栄とは何かを考えさせられます。困難の中でこそ、この世の価値観に振り回されないようにしたいものです。主は言われました。「心の貧しい者は幸いなり」

狭い門から入りなさい…

2021年 10月 31日 日

10月第五主日、今日も子どもからご年配の方まで多くの方々が集われました。1517年10月31日、ルターはカトリックの免罪符に対する反論として95ヶ条の公開質問状を張り出しました。このニュースは瞬く間に全ヨーロッパへ広がり、プロテスタントの狼煙ともなりました。そこから約500年の歳月が過ぎますが、日本のクリスチャン人口は未だ全体の1%にも満たない状況が続きます。まさに日本でクリスチャンになるのは狭き門と言わざるを得ません。でも、その狭き門を見出し、そこを入口として救いの道を歩み出す人は幸いです。狭き門とはイエス・キリストです。「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。」大事なのは入口です。宗教はみなどれも同じではありません。最初のボタンの掛け違いはその後ずっと間違えたままです。今日、苦難の中を通らされても、ともに歩む者は少なくても、あなたはわたしに従いなさいと主は招いておられるのです。

続くだけでなく、深まってもいく…

2021年 10月 29日 金

今、日曜礼拝ではイエスさまの生涯を記した福音書から学んでいます。生前イエスさまはどのような言葉を語り、どのような歩みをされたのかを読むと教えられることがたくさんあります。ただ、その頃の弟子たちはイエスさまが語られたことを正確には理解していませんでした。イエスさまが召された後、初めてその言葉と行動の意味を理解したのです。私たちも時に、言われたそのときに言われたことを理解できるとは限りません。その人が亡くなってある年月を経て初めてわかることもあります。私も父を天に見送って16年…。父が何気なく話していた言葉が今になって響いてくることがあります。『人と人との関係はどちらかが亡くなっても続きます。続くだけでなく、深まってもいきます。』最近読んだ本の一節が心に残りました。確かにそうだなと思います。ああしておけばよかった…と考える日々もありましたが、今は父が願うであろう自分として歩みたいと願っています。

どこに私の望みがあるのか…

2021年 10月 27日 水

10月第四水曜祈祷会、教会のデボーションはヨブ記17章になりました。誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていたヨブがなぜこれほどの苦難にあっているのか…。友人たちは、ヨブが神に背いて罪を犯したから神の裁きが下ったのだとヨブに悔い改めを迫ります。しかし、ヨブにとって彼らの言葉は何の慰めにもなりません。むしろ、ヨブは自分の潔白を主張し、ますます絶望の淵へと追いやられていくのです。「いったい、どこに私の望みがあるのか。だれが私の望みを目にするのか。」自分の人生はもう終わったも同然、もはや何の望みもないと独白していくヨブ…。彼のように私たちも時に、神に嘆き苦しみを訴えるような、文句を言いたくなるような時があります。でも、それはつきつめれば心の奥底で神を信頼しているから、信頼したいからこその言葉ではないでしょうか。私たちの希望はイエスさまがいることです。この希望は失望に終わることがありません。

慰めに満ちた葬儀…

2021年 10月 26日 火

今日は朝から冷たい雨が降っていました。昨日の午後、納棺式の際に故人のお顔を見せていただきましたが、穏やかな優しい顔をしておられたので、今主の平安の中にいることを思いました。母教会の先生にも連絡をさせて頂いて洗礼志願書などをFAXで送って頂き、祖母から続くクリスチャンであったことがわかりました。教会生活はあまり熱心な方ではなかったようですが…クリスチャンの従妹の方とも電話で話すことができて、青年時代のこともよく教えて頂きました。ある牧師はこう言います。その人の一生の価値は、その人の働き盛りとかではなく、実にその人の臨終の枕元においてなされるもの…。葬儀の中で御言葉が語られ、永遠のいのち、天の故郷、天国での再会を心に覚えて、ご遺族の方々と讃美歌を歌いました。終わった後、列席者の方に「キリスト教の葬儀もいいもんやね」と仰って頂きました。とても慰めに満ちた葬儀になりました。お祈りを感謝いたします。

神の国に生きる幸い…

2021年 10月 23日 土

10月第四主日、すっかり秋の深まりを感じる一日…。礼拝メッセージはルカ13:10-21。イエスさまは安息日に、18年も病の霊につかれてきた女に声をかけられました。「女の方、あなたは病から解放されました。」彼女はイエスさまのことばを信じて、ただちに立ち上がって、神をあがめたのです。ここに安息日の本質があります。すなわち、安息日はただ習慣的・形式的に守ればいいものではなく、大事なのは『喜びの日』『栄えある日』とすることです(イザヤ58:13)。また、イエスさまは『神の国』について二つのたとえを話されました。『からし種』『パン種』はどちらも極小の種粒でありながら、大きな成長、大きな影響を与えるもの、そして、種自体に生命力があることを示しています。神の国はイエスさまの到来によって始まり、私たちのただ中にあって、今日も全世界で広がりつつ、変わりつつあるのです。礼拝後、今日は転入会式もあって祝福に溢れる一日でした。

労苦から解き放たれて…

2021年 10月 23日 土

以前、教会に来てくださっていたご家族から久しぶりにお電話をいただきました。それは『夫が天に召されました』という寂しい知らせでした。最初にご主人とお会いしたのは今から7年前で、教会のホームページを見て訪ねてくださいました。その時は、しばらく教会生活もお休みされていたようでしたが、少し懐かしそうに聖書や信仰のことについていろいろお話ししてくださったのを覚えています。青年時代、好きな女の子が教会に通っていて、彼女に惹かれて行ったのが最初だったとのこと…(よくある話しです)。それから、洗礼までどのように導かれたのかは聞いておりませんが、いずれにしてもクリスチャンになられたのは本当に幸いでした。聖書にはこうあります。「今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。…その人たちはその労苦から解き放たれて安らぐことができる。」葬儀は月曜日になりますが、ご遺族の上に主の慰めと支えをお祈りいただければ幸いです。

ツォファルの最初の語りかけ…

2021年 10月 20日 水

10月第三水曜祈祷会、ヨブ記11章から。三人目の友人ツォファルが満を持してヨブに語りかけます。「ことば数が多ければ、言い返されないだろうか。人は唇で義とされるのだろうか。」先のエルファズ、ビルダデの語りかけに対し、ヨブは実に言葉巧みだと批判します。ツォファルも、ヨブの受けた災いはヨブ自身に問題があると見ていました。そして、二人の友人と同じく彼も、因果応報の考えに基づく神への悔い改めを、ヨブに迫ります。そうすればヨブの苦しみは取り去られ、その繁栄は回復されるのだというのです。最初から自分の答えを持っているツォファルの言葉は、たとえ正論だったとしても…ヨブの心を慰めるどころか、極めて辛辣なものです。こうして、ヨブはますます自分のことをだれも理解してくれないと思っていくのです。私自身も、知らず知らずのうちに聴き手になれず、正論をかざして相手を言い伏せてしまっていることはないか…考えさせられました。

今年もう一年そのままに…

2021年 10月 17日 日

10月第三主日、気持ちの良い青空が広がる一日となりました。礼拝メッセージはルカ13:1-9。イエスさまは群衆に向かって、ガリラヤ人たちが殺されたことやシロアムの塔が倒れて死んだ18人のことについて語られました。当時の人々は何かの災難が起こるとまず神罰を考えたようです。イエスさまはそうした考えを否定して、「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」さらにいちじくの木のたとえをもって、父なる神が忍耐して待っておられること、イエスさまがとりなし祈っておられることを教えられたのです。「今年一年そのままにしておいてください。…それで来年、実を結べばよいでしょう。」いちじくの木を徹底的に守ろうとするイエスさまの思いが、この言葉に表されています。それは、ご自身のいのちをかけてでも守ろうとする愛であり、このイエスさまの愛によって示される神の愛でもあります。この愛が、私たちにも向けられているのです。

もういやです。いつまでも…

2021年 10月 15日 金

ヨブ記7章。エリファズの言葉を受けて、ヨブはあなたに私の苦しみの深さがわかるのですかと反論します。そして、神の訓戒などいらないから、もう自分の命を絶ってほしいと嘆きます。やがてヨブの思いは、友人のエリファズから、神に向かって語り始めます。主のしもべとして生きてきたのに、今自分は家族も財産も何もかも失い、全身の病に冒され、あとは息のように儚く消え去るだけ…もはや再び幸いを見ることはない…というのです。「もういやです。いつまでも生きたくありません。かまわないでください。私の日々は空しいものです。」ヨブの一つ一つの言葉に、深い悲しみが迫ってきます。ただ…大切なのは、神はこのヨブの嘆きの祈りに耳を傾けておられることです。私たちも時に、苦しくて苦しくて生きてることさえ辛い夜が、だれにも理解してもらえないと感じる日々があるのではないでしょうか。「しかし私は、主よ、あなたに叫び求めます。…」(詩篇88:13)

私なら、神に尋ね…

2021年 10月 14日 木

10月第二水曜祈祷会、ヨブ記5章から。昨日に続いてエリファズのヨブへの言葉から学びました。エリファズは、不幸やわざわいは人間の罪の報いなのだから、激しく嘆いたり、神を呪ったりするのは間違っていると語りかけます。むしろ、神の叱責を受けるのは幸いなこと、神はただ懲らしめるだけではなく、その傷を包み、癒してくださる方だと言うのです。「私なら、神に尋ね、神に向かって自分のことを訴えるだろう。」エリファズは無意識のうちに、自分がもしヨブの立場だったらこうするのに…と自己の敬虔さを主張しました。痛みと悲しみの淵にあるヨブは、彼の言葉をどう聞いたのでしょう。まさしく傷口に塩を塗られるような思いだったのではないでしょうか。たとえ真実が混ざっているとしても、言葉には本当に気をつけたいものです。分かち合いの時間にも、いろいろな感想を聞くことができて感謝でした。今日から、少し新しい体制での水曜祈祷会が始まります。

エリファズの最初の語りかけ…

2021年 10月 11日 月

教会のデボーションはヨブ記に入りました。人の苦難の意味について、これほど考えさせられる書はありません。物心両面に恵まれていたヨブは、略奪と天災という四つの災いに遭い、すべてを失います。それでも神の御心と受け止め、神への信頼を持ち続けるヨブのもとに、エリファズ、ビルダデ、ツォファルの三人の友人が訪ねてきます。彼らは、ヨブの悲しみにただ寄り添うしかできませんでしたが、ヨブが徐々に自分の心情を打ち明けたので、まずエリファズが自分の考えを話しました。エリファズは、ヨブの身体を労わりながらも、不幸には必ず原因があること、自分の経験から神の絶対的な正しさを示すなど、ヨブに自分の非を認めさせるような説得をしたのです。彼を励ましたいという気持ちが、いつの間にか上から物を言うような言葉に…。傷ついた人の心を理解せず、不用意な言葉を発するより、ただ黙って寄り添うこと、とりなし祈ることの大切さを思わされます。

恐れるな、小さな群れよ…

2021年 10月 10日 日

10月第二主日は、朝から夏を思わせるような日差しの強い一日でした。礼拝メッセージはルカ12:22‐34から。大勢の人々が集まっている中で、イエスさまは弟子たちに「あなたがたは、…いのちのこと、…からだのことで心配したりするのはやめなさい」と言われました。そして、鳥や草花に目を移して、それらを養っておられる神は、あなたがたのことを価値ある存在として見ておられ、あらゆる面で養ってくださるのだと教えられたのです。天の父なる神さまは、私たちが生きていく上で必要なものをよくご存知です。そして、私たち以上に私たちのことを心配してくださっているのです。イエスさまが弟子たちによく繰り返された言葉に、「恐れるな」があります。それは、彼らの心に深く刻まれていったことでしょう。今もイエスさまは、私たちが慌てたり、何かに恐れている時にも、私たちを憐れんで、この時の弟子たちと同じように声をかけて、励ましてくださるお方です。

木曜日の英会話が開講しました…

2021年 10月 08日 金

今日から、ハートフル英会話・秋期コースが開講しました。久しぶりにお会いする方々と初めてお会いする方々と、また木曜日のなごやかな時間をともに過ごせることを感謝します。教会は、クリスチャンの方はもちろん、クリスチャンではない方にとっても、大人も子どもも、心落ち着く楽しい場所であってほしいと願っています。講師のレイチェルさんとホゼアさんが本当に心を込めて授業をしてくださいますので、とても雰囲気のよいクラスです。大人も子どもも、定員人数までもう少しあります。ご興味のある方はまずは無料体験クラスをお試しください。話しは変わりますが…昨日は東北で、今日は関東で、震度5強の大きな地震がありました。首都圏の地震では、各地で停電があったり、水道管が破裂したり、複数のけが人も出たようです。東日本大震災以来10年ぶりの震度5強とのこと。けが人や被災された方々を覚えてお祈りしています。関西もあらためて注意が必要です。

御霊に導かれて歩もう…

2021年 10月 07日 木

10月第一水曜祈祷会、ローマ8:1‐17。パウロは善を行いたいと願いつつ、自力ではそれができない現実を認め、人はただ救い主の助けを求めるほかないことを述べました。でも、だからこそ「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」というのです。キリストを信じ、キリストの救いにあずかった者は、今や「罪と死の原理」、すなわち罪と死の支配から解放されました。それは、キリストの贖いによって「いのちの御霊の原理」がもたらされたからです。御霊は、私たちのうちに住んでくださって、私たちを永遠のいのちに導き、神の子どもであることを証ししてくださいます。ですから、パウロは他書でも「御霊によって進もうではありませんか。」と勧めるのです。私たちも、肉体的には日ごとに衰えても、霊的には日ごとに新しく造り変えられ、キリストのご支配の中を、キリストの栄光目指して歩もうではありませんか。

ハートフル英会話秋期コース…

2021年 10月 05日 火

緊急事態宣言解除に伴い、今週の木曜日からハートフル英会話秋期コースが始まります。毎週木曜日に行っている英会話教室、皆さまに愛されて今年で27年目を迎えました。日常会話から海外旅行、ビジネス英語など、使える英語を身に着けたいならネイティブ講師から学ぶのが一番です。講師は二人とも敬虔なクリスチャン。最大6人の小グループ制なので、互いに助け合いながら、新しいお友だちの輪が広がります。大人クラスも、初めは皆さん緊張されてこられますが、だんだん親しくなって会話も弾み、いつも笑い声がたえません。Kidsクラスは、フラシュカードを使ったりクラフトをしたり、とにかくいろいろなプログラムがあって楽しい50分です。クラスの時間帯や料金などの詳しい情報はハートフル英会話のページをご覧ください。すでに案内チラシを見てくださった方もいるかと思いますが、ただいま無料体験クラスを受付中!お電話か、メールでお申し込みください。

神に対して富む者に…

2021年 10月 03日 日

10月第一主日、秋晴れの青空が広がる一日。緊急事態宣言解除後の最初の主の日、三回に分かれての礼拝でしたが、多くの方々と久しぶりに顔をあわせ、聖餐式の恵みにもあずかることができて感謝でした。メッセージはルカの福音書12:13‐31。群衆の中の一人がイエスさまに質問したことから、イエスさまが愚かな金持ちの譬えをされたところです。そこから、財産はいのちを保証しないこと、神なき人生を歩む愚かさ、神との正しい関係に生きることを心に留めました。『神に対して富む者』とは、自分で精一杯聖い生活を送り、神の子どもとして多くの良いことをする…ことではなく、何より、こんな弱く愚かな者でも、神から愛されていることを喜び、与えられたいのちを感謝し、喜びの日も悲しみの日も神とともに歩むことです。自分に誇るべきものがなくても、神を信じる者に約束された神との和解があります。今週もこの恵みのうちを歩ませていただけることを感謝します。

律法の下から恵みの下に…

2021年 10月 02日 土

教会のデボーションはローマ6章に入りました。パウロはイエス・キリストを信じる信仰によって義と認められることを記した後、「それでは、どのように言うべきでしょうか。恵みが増し加わるために、私たちは罪にとどまるべきでしょうか。」という問いを投げかけます。つまり、神の恵みが増し加わるために、あえて罪の中にとどまっているべきですかというのです。それに対する答えは、「決してそんなことはありません」です。理由は二つ。私たちは律法の下にではなく(罪に対して死んだ者)、恵みの下にある(神に対して生きる者)からです。その目に見えるしるしがバプテスマ(洗礼)です。もちろん洗礼を受けたからといって、すぐに罪から完全に自由になれる人はいません。地上にあっては、罪との戦いや誘惑があります。でも、私たちはみな、聖潔に向けて決定的な一歩を踏み出した者たちです。あとは聖霊により頼みつつ、一歩ずつ完成を目指していきましょう。

一人の義の行為によって…

2021年 10月 01日 金

教会のデボーションはローマ5章に入りました。「こうして…私たちの主イエス・キリストによって、神との平和をもっています。」主イエスを信じる信仰によって、私たちは神との正しい関係が回復しました。その結果、私たちは神との和解、交わりの中に生きる者とされたのです。だからこそ今の患難さえ喜ぶことができる、それは患難が忍耐を生み出すことを知っているからです。忍耐とはただ消極的に我慢することではなく、主に期待して積極的に生きることです。キリストは私たちの罪のために死んでくださった、しかも「私たちがまだ罪人であったとき」に、です。ここに人類に対する神の愛が具体的に示されました。アダムの背きによって全人類に罪が浸透したように、キリストの義の行為によって多くの人が義とされる道が備えられたのです。今、キリストを信じる信仰に歩んでいる者が、どれほど圧倒的な恵みの中に生かされているかを、心に留めて歩みたいと思います。

行いでなく信仰による義…

2021年 9月 29日 水

9月第五水曜祈祷会、ローマ4:1-25から。「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた。」パウロはユダヤ人が誇りとするアブラハムとダビデの例を挙げて、行いではなく信仰によって義と認められることを記しました。丁度、旧約聖書を学ぶ会でアブラハムの晩年を学んだところでしたので、「不敬虔な者を義と認める方を信じる人には、その信仰が義と認められます」ということの意味がよくわかりました。アブラハムも75歳の時に神の召命を受けて信仰の旅が始まりましたが、時に神に背き、神の叱責を受けることもありました。それでも彼は、神の声に励まされ「望み得ない時に望みを抱いて信じ、…神には約束したことを実行する力があると確信して」歩み続けたのです。このような信仰者になるには、アブラハムでさえも、長い年月の神の取り扱いを受けました。私たちもアブラハムの子孫として、約束を信じて偉大な信仰者の歩みに倣いたいものです。

悪しき病からの癒し…

2021年 9月 27日 月

9月第四主日、爽やかな風が気持ちのよい一日でした。伝道者の書6章から『悪しき病からの癒し』をテーマに、神の賜物を楽しめない空しさ、今あるもので満足できない空しさ、神と言い争う空しさをポイントに御言葉を学びました。『だれが知るだろうか。…だれが人に告げることができるだろうか。…日の下で何が起こるかを。』誰も知り得ない、それが6章の結論でした。『悪しき病』とは、神なき人生を歩む者の心を蝕む病魔です。放っておけば確実に死に至る病となります。でも、感謝すべきは、今日の私たちはこの問いの答えをイエス・キリストのうちに見出すことができることです。今は教会に行きたくても、他の方のことを考えて自粛しておられた方も多いと思います。それぞれの地域教会で事情は違うと思いますが、私たちの教会も緊急事態宣言の解除を目安に、主日の三部礼拝を再開します。また、教会で皆さまと心一つに礼拝をささげられるのを楽しみにしています。

宣教130周年記念大会…

2021年 9月 25日 土

昨日は同盟教団宣教130周年記念大会がありました。教団の歴史、特色、展望がどういうものかをあらためて再確認する良い機会となりました。1891年に来日した15名の宣教師(その内の一人は来日後3ヵ月で召天)は、今では想像もつかないような迫害、経済的必要、霊的戦いを覚えながら未伝地での宣教と救霊のために献身してくださいました。その功績は、現在261の教会、信徒11,965人が所属し、さらに日本とアジアと世界に仕える教団となり、今も前進し続けています。朝岡理事長の全体講演の中で『コロナ禍にあって多くの教会が困難の中にある。でも、私たちの思いを越えて働かれる主の御業に、私たちは参与するのだ。』という言葉が心に残りました。確かに自分の教会だけが祝福されればいい、同盟教団の教会が増えればいいというのが、130周年に覚えることではありません。主が必要とされるならば、喜んで宣教協力し、献げていく教会でありたいと思わされました。

不義に対する神の怒り…

2021年 9月 22日 水

昨夜は中秋の名月。思わず「天は神の栄光を語り告げ。大空は御手のわざを告げ知らせる。」の御言葉を思い出す夜でした。そして、今日の水曜祈祷会。ローマ1:18~「不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。」同じ天を見上げるのでも、今朝は身の引き締まる思いがしました。『怒り』とは『神の裁き』(終末的審判)を表す言葉です。人間は、自然の美しさを思うと同時に、その造り主に思いを馳せなければなりません。罪の本質は、何か犯罪を犯すことではなく、神を認めず、神を神としてあがめないことです。私たちはこの世に生まれてから、何もかも当たり前ではない現実の中を、自分の力で生きてきたのではなく、神によって生かされてきました。神は義しい方ですから罪に対しては厳しい裁きを下されます。と同時に、神は愛なる方ですから神を求める者には全き赦しをお与えになるのです。

すべての聖徒たちへ…

2021年 9月 20日 月

教会のデボーションはローマ人への手紙になりました。今日はその書き出し1:1‐7から。ギリシャ語原文では一続きのあいさつ文。「キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。」この一節だけでも深みのある言葉です。キリスト・イエスに対する全き服従、神の福音のために選び分かたれ、復活の主の証人として遣わされた者だということ。ここから、福音とは何か、自分の使命とは何か、パウロがこの手紙を通して伝えたいことが、短い文章の内にギュッとまとめられています。ちょっと難しそうだな…と感じる方もいるかもしれませんが、Ⅱ歴代誌の時のように1章ずつではなく、ローマ書は短い節に区切って見ていきますので、なんとか読書百篇の気持ちで一緒に味わっていきましょう。「…すべての、神に愛され、召された聖徒たちへ。」聖霊さまがお一人ひとりのデボーションを祝福してくださいますように祈っています。

束の間の人生を生きる…

2021年 9月 20日 月

9月第三主日、台風一過の青空が広がりました。伝道者の書5章から。伝道者である著者は、形式や口先だけの信仰の空しさ、また金銭や富を追い求めることの空しさを覚え、結論として神が与えたいのちの日数の間を楽しみ喜ぶように告げました。「こういう人は自分の生涯のことをあれこれ思い返さなさい。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」私たちの人生は短く、あれこれ思い返している暇もないほど束の間に過ぎてゆくものかもしれません。でも、神がその人生を喜びで満たしてくださることを信頼して、たとえ束の間であっても、一心に主を賛美し、その栄光を表していきたいものです。今日は礼拝後に二人の方の洗礼式がありました。コロナ禍なので、細やかなお祝いしかできませんでしたが、天で大きな喜びの声が上がっていることを思いました。まさに神の時、新しい人生の出発に、立ち合えて感謝でした。これからの信仰生活の祝福を心よりお祈りしています。

愛と信頼の告白…

2021年 9月 17日 金

詩篇102篇は苦しむ者の祈りです。「主よ、私の祈りを聞いてください。私の叫びが、あなたにまで届きますように。」詩人は、心身ともに病気にかかり、自分のいのちの終わりまで予感していたようです。でも、彼は言葉にできないその思いを、神に向けて行きました。「それはあなたが、憤りと激しい怒りのゆえに、私を持ち上げ、私を投げ捨てられたからです。」今の状態はたまたまではなく、神が通らされている試練であるならば、回復を与えてくださるのも神です。イエスさまも、神の許しなしには何事も起こり得ないと言われました。困った時こそ神の名を呼び求めましょう。私たちは何か辛い試練にあうと、早くそこから抜け出したい、解放されたいと願い求めるものですが、まず今の状況を神が知らないはずがない、神は間違ったことをなさらない、忘れてはおられない…そのような信頼に立ちたいものです。すべてのことを、私たちを愛するゆえになさる方だからです。

ユダ王国の滅亡…

2021年 9月 15日 水

9月第三水曜祈祷会はⅡ歴代誌36章から。ヨシヤ王の死後、南ユダは滅びの最終段階に入り、4人の王が登場して幕を閉じます。どの王の時代もエジプトから、バビロンから攻撃を受け、国は弱体化していきました。それでも主は、たびたび使者を遣わして悔い改めを迫りますが、彼らは全く聞く耳を持たず、預言者らを蔑み笑いものにしました。こうして、ついに主の激しい憤りが燃え上がり、カルデア人の王ネブカドネツァルによって、若者も年寄りも殺され、神の宮は焼かれ、剣を逃れた者たちもバビロンへ捕らえ移されるという壊滅状態に陥ったのです。神の厳しい審判でした。でも、本書の最後には、エレミヤによる回復と希望の預言とペルシャの王キュロスによる解放宣言が記されていました。「バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み…」主はご自身の計画をもって歴史を導いておられる、ゆえに主の裁きは真の回復の始まりでもあることを思いました。

取り組みの集大成…

2021年 9月 14日 火

教会のデボーションはⅡ歴代誌35章、南ユダ国最後の信仰の王ヨシヤに関する記述です。彼は8歳で王となり、16歳で主を求め、20歳で改革を開始し、31年間主の目にかなうことを行ったとあります。その中でも特筆されるのは、先週のヒゼキヤ王の場合もそうでしたが、過越のいけにえを献げて神への献身を示したことです。『過越』はイスラエルの民がエジプトの奴隷から主によって助け出されたことを記念する祭りです。「イスラエルでこのような過越のいけにえが献げられたことはなかった。」過越にかけるヨシヤ王の熱心は膨大な量のいけにえや祭司・レビ人への命令に表されていました。その後しばらくして、ヨシヤ王はエジプトの王との戦いで不慮の死を遂げていきます。これほどの改革を行った王が…なんともあっけない死に方に思いますが、「全ユダとエルサレムは、ヨシヤのために喪に服した。」という言葉に、彼の労苦も決して無駄ではなかったことを感じました。

三つ撚りの糸…

2021年 9月 12日 日

9月第二主日。アメリカ同時多発テロ事件から20年が過ぎました。今年8月末に最後の米軍機が現地を離れ、米史上最も長い戦争に終止符が打たれましたが、今もなお政治的混乱が続くアフガニスタンのために祈りたいと思います。今日の礼拝メッセージは伝道者の書4章からでした。権力者たちに虐げられている者たちの涙、神なき成功、神なき人生、神なき名声の空しさを覚えました。「二人は一人よりもまさっている。…一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」イソップ童話の『三本の棒』、毛利元就の『三本の矢』を思い出すところですが、自分と隣人、そして第三の糸に、イエス・キリストを見ることができるのはクリスチャンの格別な恵みです。また、午後からの役員会では緊急事態宣言再延長に伴い、教会も来会自粛期間を再延長することを決めました。今はただ感染者数の減少を祈りつつ、主の憐れみを求めたいものです。

今日はちょっと休憩…

2021年 9月 10日 金

4日間の研修会が終わりましたので、今日はちょっと休憩。秋の花がほしいなぁと思って、The Farmへ。この時期は春や夏と違って花の種類も限られていて、とりあえず…今日は見て回るだけで満足でした。秋と言えば『秋桜』ですが、種から準備していたのが、目を出して15㎝くらい伸びたところでぜんぶ枯れてしまいました。土が原因だったのか、暑さだったのか…わかりませんが、結局、つぼみをつけたものをいくつか買って植えることにしました。でも、教会で花を育てるのは、何より見て喜んでくださる方がいると思うからで…今の緊急事態宣言中は来会する方も少なく、寂しいものです。気を取り直して、狭い教会の畑を耕し、ジャガイモでも植えようかなと思っています。ある方が気にして『山下先生はワーカホリックじゃないですか…』と心配してくださったのですが、適当に休んでおります。お気遣いありがとうございます💦皆さまも季節の変わり目、ご自愛ください。

神の民の再建…

2021年 9月 08日 水

月曜日から同盟教団のオンラインでの補教師研修会が行われています。私も教職教育部員なので、若い先生方と一緒に9つの講演会に出席しました。同盟教団の牧師として知っておかなければならない事柄を、一つ一つ先輩の先生が経験も踏まえて教えてくださるのでかなり実践的です。対面のような深い交わりは持てませんが、家族で参加されている先生もいたので、オンラインならではの良さもありました。これから正教師試験にチャレンジする先生方のために祈らされました。さて、今日の水曜祈祷会はⅡ歴代誌31章から。ヒゼキヤは、祭司とレビ人を組分けして、主の律法に記されているとおりにいけにえを献げさせました。さらに、彼らが律法に専念するためにエルサレムに住む人々に献げものをするように命じたのです。いやいやながらではなく、喜んで献げる民の姿が目に浮かびます。ヒゼキヤの思いは民全体に浸透し、まさに神の民みんなで行う宗教改革となったのです。

エルサレムには大きな喜びが…

2021年 9月 07日 火

教会のデボーションはⅡ歴代誌30章になりました。29章からヒゼキヤが南ユダの王として即位し、神殿を修復し、レビ人を聖め、偶像を徹底的に除去する宗教改革を行ったことが記されています。しばらく信仰的に堕落した王さまが続きましたので、ヒゼキヤの登場はまさに希望の光です。ヒゼキヤはイスラエルとユダの全土に過越のいけにえを献げるように呼びかけました。「主に立ち返りなさい。そうすれば、主は…あなたがたのところに、帰って来てくださいます。」その頃、北イスラエルはアッシリヤの攻撃を受け、すでに首都サマリヤは陥落し、多くの民が連れ去られる中で、ヒゼキヤの呼びかけを物笑いにし、嘲る人々もいました。でも、こうした危機的状況だからこそ、神の救いを求めてエルサレムに集まり、大きな喜びをもって礼拝を献げる者たちもいたのです。「…彼らの祈りは、主の聖なる御住まいである天に届いた。」こんな喜びに溢れる礼拝を献げたいものです。

人の心に永遠を…

2021年 9月 06日 月

9月第一主日、雨も上がり青空が広がる一日。今日の礼拝メッセージは伝道者の書3章からでした。有名な箇所ですが、読めば読むほど…その深遠さに圧倒されるところで、一回のメッセージでは語り尽くせないことを感じました。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」神は創造の時から、人の心に永遠なる方を慕い求める思いを与えられました。自分の心が神に向けて造られたこと、また神に知られ、愛されていることを知ること、人生においてこれ以上の幸いはありません。伝道者の書、まだ三合目まで登り始めたばかりですが、読書百遍の気持ちで読んでいきたいと思います。今日も教会に来られた方は奉仕者も入れて10人ほどで、新しい方も来てくださって感謝でした。パラリンピックも閉会しました。選手の皆さま、本当にお疲れさまでした。

人の愚かさ…

2021年 9月 03日 金

9月最初の水曜祈祷会はオンラインで行いました。今日もライブでの解説はお休みさせていただいて、会堂で録画した映像を視ました。Ⅱ歴代誌24章はヨアシュ、25章はアマツヤ、26章はウジヤ王。この時代の王の特徴は、最初は主の目にかなうことを行っていたのに、後半に神から離れ、身を滅ぼしていくことです。読んでいて思わず『どうしてここで…』と思ってしまうほど、見事に偶像に心奪われ、預言者の声に耳を傾けず、神を侮り、自分勝手な行いに走り、主の御怒りを受けていきます。スケールは違いますが、私たちの信仰生活にも通じることかもしれません。初めのうちは謙遜にへりくだっても、ある程度、問題が解決すると神から目を離してしまう…自力でなんとかできると錯覚してしまう…。王たちの信仰の不甲斐なさが、どこか自分の姿と重なるからこそ余計ヤキモキするのかもしれません。王たちの問題点をしっかり心に留めて、私たちも兜を締め直したいものです。

イサクとリベカの出会い…

2021年 8月 31日 火

8月の旧約聖書を学ぶ会がありました。私事ですが、今日は2回目のワクチン接種があったため、予め録画したものを配信させていただきました。愛妻サラが召天し、老人となったアブラハム。後の気がかりは、まだ息子イサクの嫁が決まっていないことでした。そこでアブラハムは信頼できるしもべを呼び寄せて、息子の妻となる女性を見つけてきてほしいと命じました。しもべは祈りの内に具体的な主のお取り計らいを求めます。すると、彼が祈りが終わらないうちに、リベカという素晴らしい女性が目の前に現れたのです。この後リベカはしもべと一緒にイサクのもとに行くことを決心し、長旅に出発しました。夕暮れ近く、散歩から帰ってきたイサクが目を上げて見ると、ちょうど、らくだに乗ったリベカも目を上げて、二人が見つめ合うという感動的な出会いのシーンでした。「…イサクは、母の亡き後、慰めを得た。」アブラハムとサラの祈りはこうして聞き届けられたのです。

ファミリーコンサート2021…

2021年 8月 29日 日

8月第五主日、緊急事態宣言延長に伴い、教会もあらためて来会自粛となり、オンラインの礼拝となりました。伝道者2章から「万古不易の真理」というテーマで、イスラエルの最高の知恵者であり、栄華を極めたソロモンが、地位も名声も富もすべてを手に入れ、その結果はいかに。「すべては空しく、風を追うようなものだ。」つまり求めても、手に入れても、心は満たされなかったのです。むしろ、食べる、飲む、働く…こうした基本的な生活の中に満足を見出す、それもまた神の御手によることと受け取っていく、ここに人間の知恵があるというのが心に残りました。今日は午後からファミリーコンサートがありました。昨年はコロナ禍で中止でしたが、今年はオンラインでの開催。バイオリン、ビオラ、チェロ、ウクレレ、サックス、ピアノ、フルート、オーボエ、歌、鉄棒、証し、多くの方が出演してくださいました。私たちの教会らしいコンサートができたことを感謝します。

生存者数二百七十六人…

2021年 8月 26日 木

8月の第四水曜祈祷会がありました。二週間お休みをいただきましたので、久しぶりの祈祷会に少し緊張しました。使徒の働き27:27~パウロたちを乗せたローマ行きの船は暴風に襲われ、アドリア海を漂っていました。人々は二週間も何も食べずに暴風に翻弄されるままになっていましたが、パウロの「あなたがたは助かります」という言葉によって元気づけられ、食事をとりました。夜が明けたころ、近くに入江が見えてきましたが、二つの潮流に挟まれて船は座礁し、ついに船尾から壊れ始めていきます。もはや万事休す…でも、パウロの言葉を信頼した百人隊長の指示で、二百七十六人全員が無事に陸に上がることができたのです。ともにこの危機を経験したルカならではの臨場感にあふれる描写でした。どんなに人間的にはもうダメだ…と思うような状況に陥っても、たとえ沈みゆく船の中にあっても、まことの神を知る私たちの存在は決して小さくないことを思わされました。

いよいよローマへ…

2021年 8月 25日 水

教会のデボーションは使徒27章です。人々の不当な訴えによって総督や王の前で証しをしてきたパウロは、いよいよローマ皇帝ネロのもとに送られることになりました。当時の世界の首都ローマにおいて福音を証しすることは、パウロが長く切望していたことであり、世界宣教における神の計画が前進することでもありました。ただし、ローマへの道のりはなお遠く、険しいものでした。途中、船は向かい風にあおられ、さらには暴風に襲われ、難破の危機に陥りました。もはや人々の助かる望みも完全に絶たれようとしている中で…パウロは毅然としてこう言いました。「元気を出しなさい。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。」パウロのように、神の御心に従って歩んでいても、途中で思わぬ暴風に襲われることはあります。でも、「私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになる。」この揺るがない確信を、私たちも持っていたいものです。

前進への命令…

2021年 8月 22日 日

8月第四主日、今日は献堂4周年記念礼拝でした。私たちの教会がこの場所に移ってきて、もう丸4年が過ぎるのだな…と感慨深く思いました。今はみんなで集まってのお祝いはできませんが、この教会でいろいろな方と出会い、主にある交わりを持たせていただいたことを感謝します。今日の礼拝メッセージは玉井邦美師が申命記1:5-8からメッセージを取り次いでくださいました。ただ恵みを受けるだけの教会生活は危険であること、また、教会には託された使命があることについてチャレンジを受けました。「あなたがたは向きを変えて出発せよ。」コロナ禍にあって、教会の活動も何かと制約がありますが、あらためて目を上げて教会が進むべき方向を確認できたように思います。今日もまた、コロナの感染者数は日曜日としては過去最多を更新。明後日からはパラリンピックも始まります。まだまだ感染拡大に歯止めがかからない状況ですが、御心を求めていきたいと思います。

キャンプ終わりました…

2021年 8月 20日 金

今週は夏休みをいただいて、大学生のオンラインキャンプで奉仕させていただきました。本当に充実した、内容の濃い四日間でした。緊急事態宣言が発令される中でもこうしてzoomを通してキャンプの恵みを味わうことができたのは、実行委員をはじめスタッフ、現役生、卒業生、多くの方の祈りと支えがあってのことだったと思います。この場を借りてあらためて御礼申し上げます。ありがとうございました。どこか自然の中で、対面で、時間も気にせずできたら…と思った学生たちもいたと思いますが、今の情勢の中での最善だったのではないでしょうか。今回のテーマは『伝道』でしたが、グループリーダーから信仰の決心や信仰の原点に帰る青年たちがいたことを聞いて、主の御名をあがめました。彼らにはまた、明日から厳しい現実が待っていると思います。でも、キリストがともにおられ、一人ひとりに与えられた御言葉が支えと希望になりますようにお祈りしています。

神の奇跡…

2021年 8月 20日 金

オンラインキャンプ、三日目が終わりました。今回の奉仕を依頼された時は、コロナ禍の教会のことで頭が一杯で、お受けするかどうか思案しましたが、これまで教会の青年たちがどれだけお世話になってきたかを考えたら、地域教会の牧師として感謝を表すべきだと思わされました。実際、キャンプが始まってみると、配信に不手際があったり、妻が入院することになったり…いろいろな予期せぬことが起こりましたが、まっすぐに御言葉に向かおうとする青年たちの姿に励まされっぱなしの三日間でした。連日メッセージの後に、zoomの牧師室に青年たちが訪ねてきてくれて、質問や感想を分かち合ってくれましたが、まさに牧師冥利に尽きる時間でした。参加者77名、初参加10名。「ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」キャンプは明日の派遣礼拝で終わりますが、コロナ禍の時代の青年たちを、祈りと御言葉をもって送り出したいと思います。

信仰がなくならないように…

2021年 8月 19日 木

箕面の青空が戻ってきました。でも、このところの長雨は日本各地に甚大な被害をもたらし、金曜日頃まで予断を許しません。また、もはや驚きもないですが、大阪の新型コロナの新規陽性者も2,296人という過去最多を更新。全国でも23,000人を超え、歯止めがかからない状況です。神がいるならなぜこんな状況を許しているんですか…今日もキャンプの分科会で質問がありました。きちんと答えられたかわかりませんが、確かなことは、神はこの状況をご存知であって、心を痛めておられるということです。夜の集会のメッセージも、ペテロたちがイエスさまを見捨てて逃げ出していくところからでした。イエスさまはシモンに「サタンがあなたがたをふるいにかけようとしている」と警告しました。それなのに…。でも、イエスさまがそんな彼のために「あなたの信仰がなくならないように祈りました」と言われたことを中心に話しました。ここに私たちへの慰めがあるからです。

深みに漕ぎ出し…

2021年 8月 17日 火

今日からキリスト者学生会のサマーキャンプが始まりました。Zoomなので、学生たちとゆっくり交わることはできませんが、画面越しにキャンプの雰囲気を味わうことができて感謝です。私は分科会と夜の集会でメッセージを担当します。今夜はペテロとイエスさまの出会いの場面から、「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」を中心聖句に話しました。最後にカメラを切り替えるのを忘れていたことに気づきましたが…時すでに遅し。でも、何人かの方に『特に問題ありませんでしたよ』と優しく声をかけられ…とにかく一日目を終えてホッとしました。あと三日間、気を抜かずに奉仕を全うできるようにお祈り頂ければ幸いです。新型コロナによる緊急事態宣言はついに地域拡大と期間延長が正式に決まりました。また、西・東日本でも激しい雨が予想され、どこで土砂災害が起きてもおかしくない状況です。様々なことが最小限に抑えられるようにお祈りしています。

神から離れた人生…

2021年 8月 16日 月

8月第三主日は戦後76年目の終戦の日でした。先の大戦で亡くなられた方々を覚えて祈り、世界平和への思いを新たにしました。また、昨夜は西日本を中心に記録的な大雨が降り続き、各地に甚大な被害がありました。新型コロナの感染者数も一日2万人を突破する日が続いています。主よ、憐んでください…とただただ祈るばかりです。礼拝では伝道者の書1章からみことばを心に留めました。「空の空。伝道者は言う。空の空、すべては空。日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。」「空」とはもともと「息」を意味する言葉で、すぐに消えてしまう儚いものを表していました。神との関りのない人生はなんと儚く、空しいものだろうかというのです。それは当代随一の知恵者と言われ、経験豊富な伝道者の実感のこもった言葉でした。時代がどんなにうつり変わっても人間の本質は変わりません。今日の私たちにも、多くの気づきを与えてくれる書簡です。

千載一隅の好機…

2021年 8月 11日 水

台風一過でしたが、大事にしていた向日葵が倒れてたり、看板が飛んでしまっていたり…

CGNTVの撮影もあり、片付けと奉仕で慌ただしい一日でした。さて、教会のデボーションは使徒の働き21章から。聖霊に導かれたパウロは、いよいよエルサレムに到着しました。そこで早速、教会の指導者たちと会って神が異邦人の間でなさったことを報告し、ともに神をほめたたえたのですが、そのすぐ後でアジアから来たユダヤ人たちの扇動によって逮捕されてしまいました。なんとも痛々しい結果に…と思いきや、パウロは自分を「殺してしまえ」と叫ぶ民衆に向かって、立ち上がって弁明をしていったのです。その時、民衆は叫ぶのをやめて、パウロの話しに静かに聞き入ったとあります。この状況を千載一隅の機会に変えてしまうとは…。パウロの力強い証しにとても励まされました。私も来週はKGKのサマーキャンプ。オンラインですが、学生の方々に証しできる機会を感謝しています。

惜しまずにいられない…

2021年 8月 08日 日

8月第二主日はヨナ書4章から。ヨナの宣教によって、ニネベの人々がみな神を信じ、悔い改めに導かれました。ところが、これほど素晴らしいことが起こっているのに、ヨナは不愉快で神に怒っていたのです。自分の思うように事が進まず、逆に最も懸念していたことが成就してしまい、「私は生きているより死んだ方がましです」とまで言い出す有り様。主はそんなヨナの心に問いかけながら、静かに悔い改めを迫ります。そして、一夜で生えて一夜で滅びた唐胡麻を惜しむヨナに、ご自身の御心を示されたのです。「ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。」情け深くあわれみ深い主の愛があふれ出るような語りかけが心に響きました。今日は、緊急事態宣言発令に伴い、多くの方が来会を自粛され、オンラインで礼拝を献げられました。世界中で賛否両論あった東京オリンピックも今日が閉会式。多くの感動を与えてくれた選手の方々に感謝します。

走るべき道のりを走る…

2021年 8月 07日 土

使徒の働き20章から。パウロは約三年のエペソの宣教に一応のピリオドをを打って、御霊に示され遠くローマを目指すことを決意します。そこからマケドニヤに渡り、ギリシャ、トロアスの諸教会を再訪し、多くのことばをもって弟子たちを励ましました。中でも、ミレトスで教会の長老たちを呼び寄せての決別説教は圧巻です。「そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません」「鎖と苦しみが私を待っている」「けれども、私が走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。」パウロの宣教は、まさに命がけでした。その伝道者としての使命感にただただ圧倒されるばかりです。今もコロナ禍の状況が深刻化する中で、不要不急ではない礼拝をどのように献げるのがベストなのか…。一人一人が祈りのうちに御心を示していただき、主にあって平安があるように祈っています。

五十にして…

2021年 8月 05日 木

五十にして天命を知る…。現実はなかなか厳しいものですが、自分も50歳になりました。主の憐れみと大勢の方々の祈りと励ましに支えられて、なんとか今も牧師という尊い働きをさせていただけることを感謝いたします。「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのない子ろばが…」今から25年前、洗礼を受けた時のお祝いに、教会のある方から三浦綾子さんの『ちいろば先生物語』の本をいただいて初めて榎本保郎牧師のことを知りました。こんな生き方があるんだ…と胸をワクワクさせながら読んだのを思い出します。その榎本先生は、さまざまな国で福音を宣べ伝え、52歳という若さで天に召されました。お会いしたことはありませんが、尊敬する先生の年齢に近づいて、改めてその偉大さを感じます。足元にも及ばないことは重々承知しながら、私は私なりに、少しでもイエスさまをお乗せするのに間に合う者にならせていただきたいと思わされます。

聖霊を受けましたか…

2021年 8月 03日 火

新型コロナの新規感染者数が増え続ける中、大阪府をはじめ6都府県で緊急事態宣言が発令されました。4度目の緊急事態宣言をどう受け止めるか…人によって温度差がありそうです。教会としては改めてオンライン礼拝を推奨していく方針ですが、この時期、一人でも多くの方が教会に目を向けてくださって、福音にふれていただければと願うばかりです。教会のデボーションは使徒19章から。パウロが第3次宣教旅行でエペソを訪問した際に、弟子たちに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えたとあります。今日でもありそうな会話です。確かなことは、私たちがイエスを主と告白することができるなら、その人の心には聖霊がおられます。この聖霊が私たちの信仰生活を導いてくださっているのです。

思い直される主…

2021年 8月 01日 日

8月第一主日、礼拝メッセージはヨナ書3章から。主の御顔を避けて逃げ出したヨナは、荒れ狂う海に投げ入れられ、絶望の淵で大魚に飲み込まれ、そこで主への悔い改めに導かれました。主はそんなヨナに再び「立ってあの大きな都ニネベに行き…」と前と同じ使命を与えられたのです。ペテロもそうでしたが、失敗から立ち直った者が、改めて遣わされていく姿に感動します。3章は何といってもニネベの人々がひたむきに悔い改める姿が印象的です。神はそんな人々の姿をご覧になってわざわいを下すのを思い直されました。礼拝後に数人の方と『神は一度決められたことを思い直されるのか…』について話しましたが、まさに主の御心がここに示されています。それは、裁きよりも、救いであることです。「見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。」午後からの役員会では、緊急事態宣言発令後の教会の対応について話し合いました。結果については、また後日お知らいたします。

箕面災害支援ネットワーク会議…

2021年 7月 31日 土

新型コロナの新規感染者数は東京で過去最多の4,058人、大阪も再び1,000人超えとなりました。この数字だけでは判断できない面もあると思いますが、やはりより一層の注意が必要であることは間違いありません。明日の礼拝は感染対策を講じた上で通常の三部制で行いますが、2日以降のことは今後の社会状況等を鑑みて判断することになります。今日は午後から第1回箕面災害支援ネットワーク会議に出席しました。社協が中心となって、災害協力隊、青年会議所、消防団、ボランティアグループ、キューズモールなど、さまざまな団体の責任者が来られて、これまでの経験や情報を共有し、とても有意義な会議でした。こうした集まりにこれだけの人たちが集まる箕面市は頼もしいです。災害は起きないことに越したことはありませんが、地震や台風などの自然災害がこれだけ続く時代ですから、いざという時のために、教会も地域に役立つネットワークを作っていけたらと思います。

知られていない神に…

2021年 7月 31日 土

オリンピックの熱戦が続く中、一昨日あたりから国内の新規感染者数が1万人を超えるようになりました。感染力の高いデルタ株の猛威です。これを受けて、東京に続き、埼玉、神奈川、千葉、大阪にも緊急事態宣言が発出されることが決まりました。菅総理の会見ではワクチン接種の効果と人流の減少傾向が強調されていましたが、国民に向けての具体的な行動指針というものは明示されなかったように感じました。教会としても、今後の礼拝や集会をどうするか…役員会を中心に難しい判断が迫られています。教会のデボーションは使徒の働き17:16から、パウロのアテネ宣教の記述です。当時アテネには3000を超える宗教施設・礼拝所があり、さらに「知られていない神に」と刻まれた祭壇までありました。パウロは、そうした人々の宗教心を認めつつ、天地を造られた神を証ししたのです。私も今日は箕面市の災害支援ネットワークの会議に出席します。よき証しになれば感謝です。

ピリピ伝道(一)リディア…

2021年 7月 29日 木

7月最後の水曜祈祷会は使徒の働き16章から。パウロの第二次宣教旅行はここまで辛苦をともにしてきたバルナバとの意見の相違から、別行動をとる形で始まりました。二人とも優れた信仰者なのになぜ…と思うところですが、これよって二つの宣教チームが誕生し、宣教の拡大と次世代の育成という二倍の祝福につながるのです。パウロはシラスとともにアジアの教会を訪問した後、聖霊に導かれてヨーロッパへと渡っていき、そこでは紫布の商人リディアとその家族、若い女奴隷、さらには牢獄の看守やその家族など…次々と救いにあずかっていく者たちの姿が描かれています。もちろん、パウロたちに反対する者たちもいて、厳しい迫害もありました。でも、一人の魂が救われるために、神がすべてを導いておられることを思う時、私たちが今、クリスチャンとして歩んでいることはそれだけで意義深いことだと思わされます。とにかくここを出発点に、今日を歩んで行きましょう。

天の故郷にあこがれて…

2021年 7月 27日 火

7月の旧約聖書を学ぶ会がありました。創世記23章、アブラハムが妻サラのために墓地を購入するところから。アブラハム75歳、サラ65歳に、「わたしの示す地へ行きなさい」という神の命令がありました。行き先もわからず信仰をもって歩んだアブラハムの傍らにはいつも妻サラの存在がありました。喜びも悲しみもともに分かち合ってきた配偶者の死に、アブラハムは「悼み悲しみ、泣いた」とあります。信仰者であってもこの地上の別れは辛いものです。でも、泣いてばかりもいられません。アブラハムは立ち上がって、墓地を購入し、サラを葬りました。そして、やがて自分も子孫もその墓に納められていくのです。信仰者にとって『墓』は、単に人生のゴールではなく、同じ約束を相続する者として生き、天の故郷をあこがれつつ、この世を旅立った記念碑。私たちもみな、神の備えられた天へと引き上げられ、そこで再会し、主にまみえて礼拝をささげる続きがあるのです。

救いは主のもの…

2021年 7月 26日 月

7月第四主日、幾分涼しさを感じる朝でした。礼拝準備をしている時に、ある牧師の召天の知らせがありました。65歳、自宅での突然死とのこと…。詳しいことはわかりませんが、後輩に対しても面倒見のいい優しい先生でした。お世話になった先生のことを思い巡らしながら、今日の説教奉仕をさせていただきました。ヨナ書2章は、ヨナの感謝の祈りが綴られています。主の御顔を避けて、主の命令とは反対の町に向かったヨナでしたが、途中で激しい暴風に遭い、荒れ狂う海の中に投げ入れられてしまいました。息もできず海底に沈みゆく中で、もはや死を覚悟するしかなかったでしょう。しかし主は、そんな彼のために大魚を備えられ、助けられたのです。ヨナは大魚の腹の中で主を思い出し、主との関係を回復していきました。苦難に遭えば、誰もが主を思い出すものでもありません。思い出すのも、主の恵み。主は私たちのためにも救いの扉を備えて待っていてくださるのです。

異邦人を悩ませない…

2021年 7月 24日 土

57年ぶりとなる東京オリンピックが開会式を行いました。新型コロナの影響で史上初の一年延期、しかも緊急事態宣言が発令される中での開幕です。華やかな式典に胸躍らせる方もいれば、断固反対する方がいるのも確か。一番気の毒なのは間に立たされる選手の方々でしょう。大会関係者も命を削るような17日間だと思いますが…世界中の思いが一つとなるように祈ります。使徒の働き15章は、異邦人の救いに関して激しい論争が起こったエルサレム会議の出来事。今まで正しいと思ってきたことを捨てて新しい現実を受け入れるのはなかなか容易なことではありません。人の罪の性質は他者を悪者に仕立て自らを正しいと主張しやすいものです。サタンもそこにすかさず楔を打ち込んで、対立や分派を起こさせます。でも、この会議では聖霊が一人ひとりに働いて見事な解決に至りました。正論をかざすのも大事ですが、相手の立場に立って考えることを忘れないでいたいものです。

恵みによる救い…

2021年 7月 23日 金

人が多く集まれば、それだけ性格や考え方に違いがあるものです。直前までもつれにもつれた東京五輪も今日が開会式。すでにソフトボール、サッカーなど、酷暑の中でも懸命にプレーする選手たちの姿に大いに励まされます。いずれの国の方もみな、神が創造され、いのちを与えられた尊い存在。日本の面子より、『平和の祭典』と呼ぶにふさわしい大会になってほしいものです。教会のデボーションは使徒の働き15章から。異邦人の回心を喜ぶパウロとバルナバと、「異邦人にも割礼を受けさせ、モーセの律法を守るように命じるべき」というエルサレムの長老たちの間で協議が行われました。信仰か、形式か…という議論に、ペテロが大事な一言を。「…主イエスの恵みによって救われる」去年からのコロナ禍で社会は大きく変わり、教会の活動も大きく変わってしまいました。だからこそ本質を見誤らず、ただ過去を懐かしむだけなく、新しい未来に向かって進んでいきたいです。

癒されるのにふさわしい信仰…

2021年 7月 21日 水

今日の水曜祈祷会は使徒の働き14章から。パウロの第一次宣教旅行は、行く先々で大勢の人々が信じると同時に、信じようとしない者たちによる迫害が起きました。パウロたちの宣教がいかに影響力があったのかが伝わってきます。そんな彼らがリステラで出会った足の不自由な人の出来事は心に残りました。彼は生まれつき足が動かず、これまで一度も歩いたことがありませんでした。彼はパウロたちの話しに真剣に耳を傾け、パウロたちも彼が癒されるにふさわしい信仰があるのを見たので「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と命じると、彼は飛び上がって歩き出したというのです。彼のイエスを信じる信仰が彼を癒やしたのです。今の時代なら、通りすがりの誰かがその光景を動画に撮ってYoutubeにアップしたら、どれだけの人が見て信じるだろう…と不埒な考えが頭をよぎりましたが、やはり奇跡も大事ですが、みことばを信じる人が起こされることの大切さを思いました。

苦難に耐える…

2021年 7月 18日 日

7月第三主日はハレファ・スルヤ師をお迎えして歓迎礼拝をささげました。「望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。」の御言葉からメッセージをしてくださいました。過去・現在・未来にある望みを覚えつつ、今ある苦難に耐え、1~2度ではなく、絶えず祈り続けていくことの大切さを語ってくださいました。個人的には、苦難に耐える召し、苦難に耐えることで奉仕をしている…というのが心に残りました。メッセージの中で前ジャカルタの知事のアホック氏の話しがありましたが、詳しいことがわかってよかったです。数年前、留学生のある学生が知事選のために祈ってくださいと話していたのを思い出しました。世界一のイスラム教国であるインドネシアでクリスチャンが役職に就くことの難しさ、大切さを考えさせられました。苦難は、忍耐を…品性を…希望を生み出す。この希望は神の愛が注がれているゆえに失望に終わることはないという約束を感謝します。

神はみこころのままに…

2021年 7月 17日 土

長い梅雨が明けて、猛烈な暑さがやってきました。日中は34℃まで上がったそうですが、これからさらに暑さは増してくるでしょう。コロナの感染も心配ですが、熱中症にも気をつけなければならない時期です。さて、教会のデボーションは使徒の働き13章になりました。アンティオキア教会から世界初の海外宣教師が派遣されます。このビジョンは彼らが教会で主に礼拝をささげている中で与えられました。そして、聖霊はこのために相応しい人物たちを聖別して送り出されたのです。神は今日でも礼拝の中で私たちに語られます。「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。」神は今、私たちに何を語ろうとしておられるのでしょうか。明日は久しぶりの歓迎礼拝です。講師のハレファ・スルヤ師は学位、聖書知識はもちろん、謙遜で温かみのある先生です。ぜひご家族一緒に大きな期待をもって、主に礼拝をささげましょう。

春期コース終了…

2021年 7月 15日 木

水曜祈祷会はⅡ歴代誌19章から。アハブとの共闘で出陣したヨシャファテは九死に一生を得てエルサレムに帰還すると、有害無益な北王国の訪問をやめて、内政に専念しました。偶像の除去、律法の教育、主への恐れをもって歩むという王の思いが国中に浸透していきます。そんな平穏な南ユダに、モアブ人とアンモン人らの連合国が攻めてきました。この国家危急の時にヨシャファテ王は恐れを抱きつつも、いつものごとく主の宮に来て祈りを捧げました。「私たちは苦難の中からあなたに呼ばわります。あなたは聞いて、お救いくださいます。」神はその祈りに応えて「主の救いを見よ」と約束されました。まさにこれは神の戦い、信仰による勝利でした。さて、ハートフル英会話春期コースも今日が最後のクラス。朝から30℃近くまで上がって、午後は梅雨明け前の不安定な空から、時折バケツをひっくり返したような雨が…。いざという時のために、日頃からの備えが大切です。

久しぶりの再会…

2021年 7月 14日 水

東京は4度目となる緊急事態宣言が発令されました。本当に飲食店や観光業をはじめ多くの事業主が悲鳴を上げていることでしょう。2021年上半期の倒産件数も過去50年間ではバブル末期に次ぐ二番目の低水準だったそうです。父と自営業を営んでいた頃を思い出します。また、新型コロナの感染者数も東京が830人、大阪も225人といずれも前週の火曜日の数値を大きく上回ってきていて、第五波は五輪の真っ最中に来るとも言われています。これで大阪も緊急事態宣言が発令されてしまったら、また教会でも来会自粛をお願いしなければならなくなることも考えられます。このタイミングになりましたが、昨年9月に結婚で別の教会に移っていった青年と奥さまに久しぶりに再会しました。元気そうで何より。初々しい生活ぶりを見せてもらいながら、今後に考えているビジョンを聞いて頼もしさを感じました。大きな決断をするのが難しい時期ですが、主の最善を心より祈っています。

ヨシャファテの過ち…

2021年 7月 13日 火

Ⅱ歴代誌18章から。晩年は主から離れてしまったアサ王に代わって、息子ヨシャファテが南ユダの王位を継承しました。彼については多くの章を使って詳しくその治世が記されています。その生涯の大半は信仰深い、賢明な王の姿として描かれているのですが、やはり分岐点となったのは北イスラエルのアハブ王と姻戚関係を結んだことです。これによってヨシャファテは続く世代に大きな災厄を呼び込んでしまうことになります。まさに取り返しのつかない大きな罪悪をダビデの家に、そしてユダの国にもたらしていくのです。一つの判断、選択の誤りから、その後の人生、歴史を大きく変えてしまうことがわかります。人生のターニングポイントでどのような選択をするか…。「ヨシャファテは…言った。『まず、主のことばを伺ってください。』」信仰者の道も、晴れの日もあれば、雨の日、曇りの日もあります。それでもまず第一に主のことばを求める者でありたいものです。

主の御顔を避けて…

2021年 7月 12日 月

7月第二主日、日中は30℃を越える夏日となりました。今日から礼拝ではヨナ書を講解していきます。「立ってあの大きな都ニネベに行き、これに向かって叫べ。」主の召命がヨナに下りました。でも、ヨナはそれに背いて、ニネベとは正反対のタルシシュ行きの船に飛び乗ります。ニネベと言えばイスラエルにとっては悪しき敵国。憐れみ深い神がこの国を顧みるために自分を遣わすのだと思うと、ヨナとしてはどうしても従う気になれなかったのでしょう。そんな主の御顔を避けて、できるだけ遠くへ逃れようとするヨナの姿は、今日の私たちの姿とどこか重なってきます。そこがこの短い預言書が多くの方に愛される理由なのかもしれません。礼拝が終わって一人の女の子が質問に来てくれました。『どうして心の貧しい人がさいわいなんですか』私なりに説明すると、笑顔を見せてくれたので感謝でした。午後からは大学生からパソコンの操作を学んで…充実した主の日でした。

あなたが主を求めるなら…

2021年 7月 09日 金

東京五輪開幕まであと二週間、東京都で4度目となる緊急事態宣言の発出が決まり、さらに首都圏一律で無観客が決定しました。あちこちで落胆の声が上がっていることでしょう。また、これによる経済損失も計り知れません。熱海の土砂災害の復旧を祈りながら、今日も各地で大雨警報が発令され、気分も暗くなります。こんな時は日々のデボーションで励ましを…と思いますが。Ⅱ歴代誌14章から、南ユダのレハブアムの後を継いだアビヤ王、その後を継いだアサ王と、それぞれに目を留める出来事もあり、比較的落ち着いた時期を迎えましたが、その最後には主へのつまずきが記されていました。「あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自分を示してくださいます。」自分が願うような励ましではなくても、神が歴代誌を通して告げられるメッセージを素直に受けとっていきたいと思います。

主は正しい…

2021年 7月 07日 水

熱海で起きた土石流は4日目を迎え、死者7名、安否不明者27名となりました。もはや毎年のようにどこかで豪雨災害が起きています。安否不明者の確認と復旧が少しでも早く進みますようにお祈りしています。昨日もハンガーゼロの災害セミナーに参加しましたが、教会の責任と宣教について考えました。あらためて箕面市のハザードマップを見直すと、教会も危険度1の地域にあります。発災時に何ができるのか…地域にどんな貢献ができるのか…具体的な備えをしておかなくてはなりません。豪雨災害だけではなく、南海トラフは今後20年以内に70~80%。首都直下型地震も今後30年で70%、富士山噴火も連動して発生することなどが予想されています。神の愛と救いを地域に宣べ伝える教会として、有事の際こそその行動がとれなければ意味がありません。平時の時だけ主を賛美するのでなく、危急の時にも「主は正しい」とへりくだって証しできる者でありたいと思います。

レハブアムの治世…

2021年 7月 06日 火

教会のデボーションはⅡ歴代誌11章から。ソロモン王が死んで息子レハブアムが王位を継承しました。でも、彼の時代に王国は南北に分断し、乱世の時代を迎えていきます。それにしてもレハブアム王のわがままぶりは目に余るものでした。民の窮状に目を留めず、父ソロモンをも軽くあしらい、自分が偉大な存在であるかのように振る舞います。「三年の間、彼らがダビデとソロモンの道に歩んだからである。」かろうじて三年間は、神の人シェマヤの声に従って、王権を回復させていきますが、やがて主の目に悪であることを行い、主の懲らしめをうけることになるのです。『金持ち三代』とも言いますが、祖父ダビデの信仰遺産は孫のレハブアムには受け継がれませんでした。困難の中にいる時よりも、繁栄の中にいる時の方が信仰的には危険も多いということなのでしょうか。自分が神の戒めに逆らうだけでなく、子どもたちにも逆らわせた責任は重いと言わざるを得ません。

ただ、恵みによって

2021年 7月 04日 日

7月第一主日は梅雨の晴れ間の一日でした。コロサイ人への手紙もついに終わりのあいさつから。改めて思うのは、この時のパウロはローマの牢獄に捕らえられ、裁判を待っている状態だったことです。でも、この手紙にはそんな苦難の中の嘆き節は一切見られず、恵みに始まり、恵みをもって閉じられています。パウロは代筆者を介して、コロサイの教会を思いながら一つ一つの言葉を丹念に選んで手紙を記していったのでしょう。そして最後に記したのは自分と一緒にいる同労者たちの消息でした。ティキコ、オネシモ、アリスタルコ、マルコ、ユストと呼ばれるイエス、エパフラス、ルカ、デマス…ともすると何気なく読み飛ばしてしまいそうな名前の羅列ですが、その中にもパウロの伝えたいメッセージが込められていました。私たちも一人ひとり、至らぬ点や不甲斐ないところもありますが、主にあって新しくされ、互いに助け合い、祈り合う交わりであることを感謝いたします。

2021年の折り返し…

2021年 7月 01日 木

早いもので2021年も折り返しを迎え、今日もハートフル英会話クラスから楽しそうな笑い声が聞こえてきました。コロナ禍も少しずつ変化がありますが、まだまだ余談の許さない状況が続きます。少し前の大阪のように、東京の感染者も増えつつあり、23日からのオリンピック開催時には1000人台になることが予想されています。厳しい現実が続きますが、下を向かず、目を高く上げて歩んでいきたいものです。教会のデボーションはⅡ歴代誌8章から。ソロモンは神殿建設という大事業を成し遂げ、王国に平穏をもたらしました。「安息日ごと…日ごとの定めにしたがって献げた」壮麗な神殿において心からの礼拝を献げる日々が続いたことでしょう。でも、そんなソロモンもやがて主の道から反れて、彼の死後、王国は南北に分断、霊的堕落の一途を辿っていきます。勝って兜の尾を閉めよ、とはよく言ったものです。「目を覚ましていなさい」という主の声が聞こえてくるようです。

兄弟牆に鬩げど…

2022年 5月 27日 金

昨日のハートフル英会話も子どもたちの元気いっぱいの声が響いていました。中には姉弟で来ている子たちもいて、並んで学んでいる姿はとても微笑ましいです。私自身は3つ上の兄がいますが、まさに兄弟牆に鬩ぐ…の言葉通り、子どもの頃はあまり仲は良くなかったように思います。それでも大人になって、父の葬儀の際にお焼香をしなったことで親戚に責められる私を兄がかばってくれたことがありました。兄はクリスチャンではありませんが…自分の気持ちを代弁してくれる姿に兄弟の有難みを感じました。ところで、教会ではみな、互いのことを兄弟姉妹と呼び合います。神を父とした、霊的な家族という信仰からです。今日は、私たちの教会にとって大切なある兄弟の召天日でした。妹さんが教会に立ち寄ってくださって、一緒に祈る時間が持てて感謝でした。来週の旧約聖書を学ぶ会ではエサウとヤコブの兄弟の話しを学びます。お時間の許される方はぜひご参加ください。

主の御手が彼の上に…

2022年 5月 25日 水

5月第水曜祈祷会、エズラ記7章から御言葉を学びました。神殿工事が完成し、いよいよエズラがバビロンからエルサレムに上って行きます。「エズラは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた。」祭司であり、学者でもあったエズラは、まず自分自身が神の御心をよく調べ、生活の中で実行し、その上で人々に教える人物でした。まさに言行一致の彼の教えだからこそ、人々にも説得力のある言葉となったのでしょう。アルタクセルクセス王の手紙にもエズラに対する尊敬の思いがにじみ出ていました。でも、そんなエズラには自分の功績を誇る様子は一切ありませんでした。「私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、一緒に上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。」すべての栄光は神に。イエスさまは今も、ご自身の御手があることを私たちに知らせようとして、私たちを遣わし、用いてくださるのです。

確かな信仰に立って…

2022年 5月 24日 火

5月第四主日、今日も朝から清々しい青空が広がっていました。礼拝メッセージはⅠコリント3章から、パウロの少し厳しい叱責が記されている箇所からでした。「私はパウロにつく」「私はアポロにつく」教会内にそうした分裂があるのは、教会がまだ成熟していない証拠。パウロもアポロも、主がそれぞれに命じられたことをしただけでした。「大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」人にではなく、神に目を向けること。そして、信仰の土台はイエス・キリストであること、それは今日の私たちにとっても大切な教えです。今日は午後から婚約式がありました。それぞれにイエス・キリストとの出会いがあり、家族の祈りがあり、主の不思議な導きの中で出会ったお二人。主の御業を証しし、主の前に結婚に向けての誓約をされる姿に私たちも励まされました。世の価値観に惑わされずに、確かな信仰に立って歩んでいってほしいと思います。

変えることができるのは…

2022年 5月 21日 土

今日はある兄弟の記念会がありました。昨年、急に体調を崩されて天国へと旅立たれ…葬儀は行えたものの、コロナの感染拡大で記念会はずっと延期になっていました。兄弟の生い立ちを辿る中で、18歳の時に洗礼を受けられた記録が残っていました。その後の詳しい信仰生活はわかりませんが、従妹の方が『彼はイエスさまと出会わなければ生きていけなかったでしょう。』と仰っていたのが印象的でした。ちなみに、世界の医学者であり、1000円札の肖像にもなっている野口英世が洗礼を受けたのも18歳です。青年時代に出会ったキリスト教が、その後の彼の人生に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。『過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ。』今日はそんな彼の召天日でした。記念会でも、ご遺族の方々にとって天からの慰めと天国での再会を確信する時となりますように…。

今すべてが見えなくても…

2022年 5月 20日 金

昨日のハートフル英会話・大人クラスではカップケーキを作りながらのチャペルタイムでした。レシピ通りに作らないと美味しいケーキができないように、アダムとエバも神のことばに従わなかったので罪が入ってしまいました。自分から神のもとを去って行く人間の姿を神はどんな思いで見ていたのでしょう。夕方からのキッズクラスもホゼア先生のプロジェクターを使っての授業で、みんな楽しそうに学んでいました。私は次の日の朝からCGNTVの奉仕で、6月分のメッセージを撮影しました。Ⅰコリント14章の異言と預言の賜物ついて。ここは13章の愛の賛歌と15章の復活の賛歌を山とするなら、丁度谷間に当たる少し複雑な箇所です。私自身は異言で祈ることはありませんが、「教会の成長のために」ということからあらためて勉強になりました。今週はやや慌ただしい一週間でしたが…「今すべてが見えなくても」の通り、今日できることを忠実に取り組みたいと思います。

真に偉大なのはだれか…

2022年 5月 19日 木

5月第三水曜祈祷会は薄曇りの空でしたが、穏やかな一日を感謝します。エズラ記1:1~バビロン捕囚以後のイスラエルの歴史について。BC536年、ペルシャ王キュロスによって、イスラエルの民に故国帰還命令が出ました。それは、主のことばが成就する時であり、主の民にとっては長年の祈りと願いが実現する時でもあったのです。「主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた」「神が彼ら全員の霊を奮い立たせた」とあるように、主はご自身の御心を行うために、一人一人に働かれるお方です。そして、主の命令を取り次ぐ者、帰還して神殿再建に従事する者、それを物心ともに支援する者、それぞれに役割があって、互いに仕え合い、助け合って、御心は実現されていくのです。祈祷会も、ただ数人が集まって御言葉を学ぶだけではなく、互いに祈り合い、支え合い、御心を求め合って、感謝を捧げる場所です。神の御心は時至って必ず実現する。何事もこの確信が大事です。

キリストの心を持って…

2022年 5月 16日 月

5月第三主日、穏やかな日曜日を感謝いたします。礼拝ではⅠコリント2章からみことばを学びました。パウロはコリントの町を訪問した際のことを振り返って、あの時の自分は十字につけられたキリストをそのまま宣べ伝え、霊肉ともに弱く戦いていたけれども、その宣教は御霊と御力のものだったことを記しました。パウロのほどの偉大な宣教師でも、心身ともに疲れを覚える時があったのでしょう。でも、そうした弱さを覚える時ほど、神の御力を体験したりするものです。「私たちはキリストの心をもっています」キリスト者の共通の基盤は、私たちの心に御霊なる神が住んでくださって、主なる神との交わりの内に入れられていることです。教会の本当に小さな小さな畑で、そら豆、大根、ジャガイモが収穫時期を迎えました。昨日はお試しで少し採ってみましたが、みんな楽しそうでした。また以前のように、教会の子どもたちといろいろ収穫して試食できる日が楽しみです。

主に雨を求めよ…

2022年 5月 13日 金

「主に雨を求めよ、後の雨の時に。主は稲光を造り、大雨を人々に、野の草をすべての人に下さる。」(ゼカリヤ10:1)このところお天気のいい日が続いたので、久しぶりの雨に、野菜の水やりが助かりました。聖書には「先の前」「後の雨」という表現が出てきます。「先の前」は秋の種蒔きの時の雨のこと、「後の雨」は春先に降る雨のことです。「後の雨」は収穫期の雨で、この時に降らなければ穀物は枯れてしまいます。強調されているのは「主に」「主は」という言葉です。私たちの祝福は、ほかならぬ主から来るという信仰です。五月は新生活のストレス、連休明けの疲れも出てくる頃でしょうか。数日前にもお笑い芸人の方の訃報がありました。コロナの感染もなかなか出口が見えてこず、世界情勢も耳を覆うばかりのニュースが続きます。気持ちも塞ぎがちな時期ですが、そんな時こそ聖書の神にあなたにとっての後の雨を求めませんか。教会で一緒にお祈りしましょう。

もしかすると、このような時の…

2022年 5月 12日 木

5月第二水曜祈祷会、エステル記4章からエステルとモルデカイの信仰を心に留めました。モルデカイは両親に先立たれてしまったエステルを引き取って、養女として育てました。そのエステルがあろうことか王妃として選ばれて、王宮に暮らすようになったことをモルデカイは喜んだことでしょう。でも、宰相ハマンの登場によって事態は一変し、ユダヤ人抹殺命令が国中に公布されることによって、モルデカイもエステルも混沌の渦の中に飲み込まれていきます。もはやどうすることもできない状況の中で、モルデカイはエステルに「あなたがこの王国に来たのは、もしかするとこのような時のためかもしれない。」と伝言を送り、エステルもモルデカイに「…我もし死べくば死べし」と返事を送ったのです。神のご摂理の中で、自分たちの使命に歩もうと決意する父と娘の信仰に胸を打たれました。私たちにもこのような時のためかもしれないという時が必ず訪れるように思います。

神が事を動かし始める時…

2022年 5月 11日 水

教会のデボーションはエステル記3章。神の名が一度も出てこない、聖書の中でも特異な書簡です。でも、この書の主人公であるモルデカイとエステルは保身に走らず、堅く信仰に立って、見事にユダヤ人を救い出しました。この書のクライマックスは何といっても明日の4章でしょう。ぜひお時間のある方は水曜祈祷会をご視聴ください。モルデカイの信仰、エステルの献身、ユダヤ人のとりなしの祈り、一人一人が神の御心を真剣に追い求める姿は圧巻です。この日曜日には、87歳になる教会の兄弟が、お世話になった宣教師ご夫妻の大切な写真を見せてくださいました。ユニークで、優しくて、信仰深くて…とまるで昨日のことのように笑顔で話してくださいました。ずっと昔、兄弟は奥さまの受洗を強く反対しておられたそうですが、先生ご夫妻との交わりを通してキリスト教の真理にふれ、今はご自身も洗礼を受けて熱心に礼拝に出席してくださっています。主の御業に感謝します。

私たちの誇りとするもの…

2022年 5月 08日 日

今日は母の日歓迎礼拝がありました。ご婦人の方々に教会からささやかなお花のプレゼントをさせて頂きました。神が与えてくださった母を心から感謝いたします。礼拝ではⅠコリント1:18‐31を学びました。「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」パウロはコリントの教会内に分裂が起きていることを聞いて、教会の一致について記していきます。そこであらためて『十字架のことば』すなわち十字架のメッセージに焦点を合わせるように勧めました。ユダヤ人はしるしを、ギリシャ人は知恵を重んじるが、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝える、ここに一致の鍵があるというのです。「誇る者は主にあって誇れ。」今日もだれかに十字架のメッセージを語るのは勇気が要ることかもしれません。でも、福音の中心にあるのは十字架です。私たちも聖霊の助けを頂いて心一つに十字架の主を証ししようではありませんか。

私があなたを呼び求めると…

2022年 5月 05日 木

「私があなたを呼び求めると、あなたは近づき、『恐れるな』と言われました。」(哀歌3:57) 絶望のどん底から主の御名を呼び求める時、主はその声を聞き、答えてくださったとあります。哀歌の中に、ただ一度だけ出てくる主ご自身の言葉です。『恐れるな』これほど私たちの心の奥深くに響く言葉はないのではないでしょうか。人生には避けられない苦難があるものです。ある人はそれを早くに経験し、ある人は晩年になって経験します。

でも、主は私たちを意味もなく、苦しめ悩ませることはない。禍も幸いも、すべては主の御手の中にある。自分たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう…と。今日も有名な俳優さんの縊死のニュースがありました。ご遺族の悲しみを思います。詳細はわかりませんが、いのちの電話のナビダイヤルも案内されていました。イエス・キリストは『悲しむ者は幸いです…』と言われました。その悲しむ者の声を、主は聞いてくださるのです。

見捨てられたのではない…

2022年 5月 03日 火

教会のデボーションは哀歌3章に入りました。南ユダの滅亡と惨劇を悲しんだ歌。なぜ神はご自身の民を苦難から助けられなかったのか。「私は、主の激しい怒りのむちを受けて苦しみにあった者。主は、私を連れ去り、光のない闇を歩ませ…」私たちの人生にも、目の前が真っ暗になるような絶望の谷に落とされたと感じる時があるのではないでしょうか。私の場合は父の自死の時がそうでした。数日前から少し様子が変だな…と感じていながら『大丈夫?』の一言でも優しい声をかけてあげることができませんでした。自暴自棄に陥った私は祈る気にもなれず、聖書を破り捨て、神のことなどどうでもいいと思いました。そんな塞ぎ込む私の心に主の御声が聞こえてきたのです。…わたしはあなたの信仰がなくならないように祈っている。イエスさまがともにいてくださると感じた瞬間でした。今、神に見捨てられたように思う方…教会で一緒に祈りつつ、気持ちの整理をされませんか。

聖徒として召された方々へ…

2022年 5月 02日 月

5月第一主日、朝は小雨が降っていましたが、午後からは晴れて穏やかな一日でした。今日から礼拝ではⅠコリントから学んでいきます(リビングライフの補足も覚えて)。パウロは第二次伝道旅行の際にコリントを訪問し、良き協力者も得て、教会の基礎を据えました。でも、パウロが宣教拠点を変えていなくなると、教会内にさまざまな問題が噴出してきたのです。パウロもそのことを聞いていましたが、その諸問題から書き始めるのではなく、まずコリントの教会が神の教会であること、そこに集う一人一人は聖徒として召された者であることから記していきました。今日の教会にもさまざまな問題はあります。完全な人間がいないように、完全な教会もこの世に存在しません。でも、たとえどんな問題があっても、教会は人間の業によるものではなく、神の御業であり、神がお一人ひとりを召されていることを覚えたいものです。この教会の原点をいつも忘れずにいたいと思います。

終わりの時まで…

2022年 4月 28日 木

教会のデボーションはダニエル書12章~。昨日の水曜祈祷会でも11章を学びましたが、難解な預言の箇所でした。ダニエルからすれば未来のこと、今日の私たちからすれば過去の歴史、さらに終末の出来事を示しているという深淵なるメッセージです。いずれも終わりの時には大きな患難がある、しかし、「いのちの書」に記されている者はみな救われるというのです。苦難、復活、さばき、栄光…について、耳の痛い話しですが…教会はもっとしっかり伝えていかなくてはならないと思わされます。愛、慰め、赦し、希望…これらも聖書の重要なメッセージですので、この終わりの時代、バランスの欠いた福音とならないように気をつけたいと思います。今日もハートフル英会話があって、大勢の方々が教会に集ってくださいました。英語はもちろんですが、神さまのことを少しでも知って頂く機会になれば幸いです。大人クラスは1~2名、キッズクラスは5時クラスに空きがあります。

関キ災第六回懇談会…

2022年 4月 26日 火

今日は関西キリスト災害ネットワーク第六回懇談会がありました。今回はハンガーゼロ理事長の清家氏が『大規模災害に備えて教会間のネットワークを考える』をテーマに講演をしてくださいました。会が始まるすぐ前にも震度3の地震があって、いつ起こるかわからない災害への思いを新たにしました。発災時に教会のネットワークに何ができるのか、それぞれの教会でどんな備えが必要なのか、過去の事例などを挙げて説明して頂き、平時からも教会が少しでも行政や社協等とも連携を取っておくことの大切さを学びました。ウクライナの難民支援の報告や社会福祉連携推進法人制度についても情報共有する時間があり、非常に内容の濃い懇談会でした。「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。」発題の最初に読まれたイエスさまの御言葉が心に残りました。教会が地域の方にどんな貢献ができるのかを考えさせられました。

復活の主とともに…

2022年 4月 25日 月

4月第四主日、アメリカでは古くからハナミズキはイエスさまの十字架を思い出させる花と言われているそうです。礼拝では、復活の主のその後について、マルコの福音書16:9から学びました。ここはマルコ自身のものではなく、後から追加された記述とのことで、初期のクリスチャンたちの信仰が生き生きと描かれています。マグダラのマリヤ、エマオに向かう弟子たちが復活の主と出会われたことを他の弟子たちに伝えますが、最初は信じてもらえませんでした。『復活』がいかに人間にとって信じ難い出来事であるかを思います。イエスさまはそんな心許ない弟子たちに大宣教命令を告げられました。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。」こうして主は天に昇り、弟子たちは至る所で福音を宣べ伝えた…「主は彼らとともに働き」この続きが今日の私たちの宣教に繋がっていることを思う時、今週も復活の主とともに歩ませて頂きたいと思いました。

信仰と希望と愛…

2022年 4月 22日 金

今日は朝から天候も守られて無事納骨式を行う事ができました。箕面国定公園に向かう道を登った先にある墓地は、新緑が眩しく、見渡す限り素晴らしい景色の場所にありました。式の始めは曇り空でしたが、讃美歌を歌い始めると次第に雲間から光が差し込んできて、天からの祝福が注がれているように感じました。「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。」地上において会えないのは寂しいですが、クリスチャンには永遠のいのちが与えられ、天の故郷が備えられ、再会の希望があります。今週は特にイースターの週でもありましたので、復活の主の御声を聴いて、福音を携えて、ここから遣わされる弟子たちのような思いになりました。クリスチャンにとっての墓地は、単に人生のゴールではなく、天の故郷を目指して生きた、その信仰の記念碑であって、永遠に神の家族として生きる希望のしるしです。

文字の解釈…

2022年 4月 20日 水

4月第三水曜祈祷会、ダニエル記5:17~。ベルシャツァル王は国家存亡の危機にありながら、千人の貴族のために大宴会を催し、酒の勢いに任せて礼拝用の器で飲食し、偶像の神々を賛美しました。ちょうどそのとき、人間の手の指が現れ、王の宮殿の塗り壁に「メネ・メネ・テケル・ウ・パルシン」と書かれ、その言葉の意味を解き明かすためにダニエルが連れて来られたのです。そして、その意味がまさに王に対する神の裁きの言葉であることを告げたのですが、王は祖父であるネブカドネツァル王の繁栄と裁きと悔い改めの経緯を知っていたはずなのに心を低くしませんでした。こうして王はこの最後の悔い改めの機会を逃し、暗殺されてしまったのです。権力を持った人間がいかに悔い改めるのが難しいかを思わされます。王の判断がその国の未来を変えてしまう…それは昔も今も、そして今日の私たちも同じです。「今日、もし御声を聞くなら…心を頑なにしてはならない。」

よみがえりの救い主…

2022年 4月 17日 日

春らしい清々しい風を感じながら、2022年のイースター記念礼拝を献げました。マルコ16:1~安息日が終わって、マリアたちがイエスさまのお墓に行ってみると、そこにイエスさまの亡骸はなくなっていました。すると御使いは彼女たちに言いました。「驚くことはありません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。…」空の墓がイエスさまが死からよみがえられた証しだと告げたのです。キリストの復活は、人間の理性を超えた事柄であり、科学的なアプローチなどではなく、神の前における悔い改めと謙遜さがなければ真の理解には至りません。イースターの意味をただ知っているのと、心で信じているのは違います。復活の主は「ガリラヤ」で弟子たちと再び会われました。私たちも信仰生活の原点であるガリラヤで、主と出会い、力を受け、新しく遣われて行きたいと思います。

Good Friday 2022…

2022年 4月 15日 金

今週はイエス・キリストが歩まれた最後の一週間を覚える受難週(Passion Week)です。そして、イエスさまが十字架上で死なれた金曜日を英語ではGood Fridayと言います。今日もハートフル英会話があり、チャペルタイムの時間にレイチェル先生が短く聖書のお話しをしてくださいました。私たちはみな、羊のように彷徨い、神のもとを離れてしまった罪人でしたが、そんな私たちの罪のためにイエスさまは命を投げ出してくださったことを、一本のひもを使って真ん中をハサミで切り、それを再び結び合わせ、その結び目を見事に取り除いて元通りにするというマジックで説明してくださいました。イエス・キリストが私たちのためにしてくださったことはまさにマジックのように驚くような神の御業です。昨今は日本でも『Easter・復活祭』という言葉がだいぶ定着しつつありますが、その前の十字架のメッセージを…一人でも多くの方が心で受け取れるようにお祈りしています。

ひれ伏して拝まない者…

2022年 4月 13日 水

教会のデボーションはダニエル記3章に入りました。バビロンの王ネブカドネツァルは高さ27メートルにもなる巨大な金の像を作って、ひれ伏して拝まない者はだれでも、即刻、火の燃える炉に投げ込むと命令を下しました。さまざまな楽器が鳴り響く中で国民が一斉に像の前にひれ伏す光景は、王にとってこの上もない歓喜だったでしょう。ところがユダヤ人のシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはこの命令に背き、王に直接尋問されますが、「王よ、このことについて、私たちはお答えする必要がありません」ときっぱり拒否したのです。何と潔い、勇敢な信仰かと思います。自分がこうした場面に立たされたらどうするだろうかと考えさせられました。この続きは明日の祈祷会で学びます。昨日はウクライナの難民支援報告会に出席しましたが、現地で宣教師として仕えるご夫妻の報告に感動しました。そして、この苦難の中からも救われる方が起こされてほしいと願わされました。

十字架の主を見上げて…

2022年 4月 10日 日

今年も受難週を迎えました。イエスさまが歩まれた最後の一週間を覚える週です。礼拝ではマルコ15:33~「十字架の主を見上げて」をテーマにメッセージを聴きました。「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」イエスさまはご自分の罪のためではなく私たちの罪のために、私たちに代わって神に見捨てられました。それは私たちがこの方の打ち傷のゆえに神の義となるためです。何度聴いても十字架の主の御苦しみと父なる神の愛の大きさに、ただただ感謝と感動を覚えます。来週のイースターに向けて、あらためて十字架の愛を心に留めて歩みたいと思います。今日は教会の子どもたちの進級式がありました。コロナの感染もあるので…例年通りとは行きませんが、細やかなお祝いと祈りの時を持ちました。入園、入学、就職…みんな春からの新しい歩みが始まります。「あなたの若い日に、あなたの創造者を…」神さまの守りと支えをお祈りしています。

ハートフル英会話春期コース開始…

2022年 4月 08日 金

今日からハートフル英会話春期コースが始まりました。大人もキッズも久しぶりに顔をあわせてのクラスに、なんだかとても新鮮に感じました。大人クラスのレイチェル先生も、キッズクラスのホゼア先生も、聞き取りやすい英語で話してくださり、文法などの説明もとても分かりやすく教えてくださり、ネイティブならではの自然な表現や言い回しも指導してくださいます。無料体験クラスを受付け中ですので、ぜひ教会までご連絡ください。今日はまた一段と暖かい日で、教会前の花たちも一斉に咲き始めました。「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。…ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。」一つ一つの花のつくりに見入っていくと、その色使いや繊細さに、神の創造の御業を覚えます。神の目には、私たち一人一人も神の傑作です。世界に一日も早く平和が訪れるように祈ります。

私の道の光…

2022年 4月 07日 木

4月第一水曜祈祷会、詩篇119:105「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」詩篇の中でも多くの人が愛唱されるみことばです。暗闇の中で、自分がどこに立っているのか、どこを歩けばよいのか…わからないことほど不安なことはありません。でも、足もとに明かりがポッと灯されたり、行くべき道がわかるとこれほど安心なものはありません。一寸先は闇と言いますが、明日どんな悪いことが起こるか…それはだれにもわかりません。だからこそ私たちはみな、山あり谷ありの人生を歩む上で、足もとを安全に照らす灯が、進べき道の方角を示す光が必要ではないでしょうか。イエス・キリストは言われました。ヨハネ8:12「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」明日からハートフル英会話春期コースが始まります。久しぶりに対面でのクラスです。皆さまにお会いできるのを楽しみにしています。

新年度の礼拝…

2022年 4月 05日 火

旧暦では一月を春としたこともあって、『春』という言葉には『物事の始まり』『新しい年の始まり』という意味があるそうです。今日は近くのキリスト教葬儀社の新年度礼拝で御言葉を取り次がせていただきました。ルカ19:31「主がお入り用なのです」教会にとって信頼できる葬儀社があるのは本当に感謝なことです。葬儀を通じてキリストを証しする会社の方針に、とても共感しています。礼拝の後、入社辞令交付式もあって、新入社員の方々の緊張した面持ちから私自身も初心を思い返す時となりました。教会も新年度を迎え、ハートフル英会話の申し込みも始まりました。大人クラスは定員まであと2~3名、キッズクラスはほぼ定員が満たされそうです。お早めにお問合わせ頂ければと思います。CGNTVリビングライフも多くの方がご視聴くださって、反応の多さに少々戸惑い気味ですが、私のような者の奉仕でも、どなたかの心を少しでも励ますことができれば幸いです。

イエスの裁判…

2022年 4月 03日 日

4月第一主日、礼拝メッセージはマルコ14:53~ユダの裏切りによって捕らえられたイエスは大祭司カヤパの官邸で、ローマ総督ピラトのもとで最高法院の裁判を受けられました。祭司長たちは死刑判決を勝ち取るために多くの偽証をもって訴えますが、イエスは何もお答えになりませんでした。ただ、ピラトの「あなたはユダヤ人の王なのか」という尋問に「あなたがそう言っています」とだけ答えられたのです。こうした不当な裁判の間にペテロがイエスを三度否定する出来事があります。このペテロしか知らないことを4つの福音書はいずれも記しました。それはペテロが『これが私のしたことだ。でも、主はそんな私を愛することをやめられなかった』と幾度も語っていたからではないでしょうか。真実に立ち続けたイエスと真実に立ち続けられなかったペテロ…。でも、そんなペテロのためにイエスさまが祈っていたからこそ、彼は立ち直って兄弟たちを励ますことができたのです。

ティーンズバイブルキャンプ…

2022年 4月 02日 土

FKKのティーンズバイブルキャンプで奉仕させていただきました。コロナ禍にあって、3年ぶりの開催、新中一から高三のキャンパー、スタッフや先生方、34名の参加がありました。感染対策によく配慮しながら、中高生の笑い声、賛美、卒業生の涙…本当に素晴らしいキャンプでした。今回のテーマは「山を見よ」、詩篇121篇は都エルサレムを目指す巡礼者たちの歌です。彼らの目の前にはそびえたつ赤茶けた岩山が連なりました。でも、巡礼者たちはその山を見上げて、「私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」と歌い合ったのです。今年の学生たちの証しからは、日常が当たり前ではないという言葉がよくありました。自然災害、世界的パンデミック、ロシアによるウクライナへの侵攻…もはや何が起こるか分からない時代であることを感じているのでしょう。だからこそ、一人一人が目を上げて堅く信仰に立って歩んで行けるように、、心からお祈りしています。

栄光の主に信頼せよ…

2022年 3月 31日 木

3月第五水曜祈祷会、詩篇115篇から「栄光の主を信頼せよ」というテーマで御言葉を心に留めました。南ユダ王国はバビロニア帝国によって滅ぼされ、神殿が壊され、多くの民が捕囚となり、絶望の淵にありました。諸国の民は「彼らの神は、一体どこにいるのか」と嘲ります。でも、ユダの民は「私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行われる。」と告白したのです。順境の時に神をほめたたえるのはそれほど難しいことではありません。大事なのは逆境の時に主に信頼して歩めるかどうかです。周りの人々が何と言おうと、目の前の状況はますます深刻になっているように思えても、「しかし、私たちは主をほめたたえる。今よりとこしえに至るまで。」という直ぐな信仰を持ちたいものです。教会近くの桜通りも、いよいよ桜満開の時期を迎えました。それは別れと出会いの時期でもあります。新年度を迎える青年たちにが、教会に立ち寄ってくれて感謝でした。

ゲッセマネの祈り…

2022年 3月 27日 日

3月第四主日、大阪も例年より少し早く桜の開花宣言がでました。礼拝はマルコ14:32から、ゲッセマネでのイエスさまの祈りの姿から学びました。イエスさまが十字架の死を前に「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです」とはなんと頼りないことか、そもそも神の子なのだから改めて祈らなくても父の御心くらい分かっていたはずでは…と思われる人もいるようです。でも、イエスさまの悲しみ悶える姿こそ、人間の罪の現実がこれほどまで悲しく激しいものであることを示しているのではないでしょうか。また、罪のない方が、神の裁きを受けられる恐れ、全人類の罪を一身に背負われる重圧、神にも人にも見捨てられる絶望感…それらは誰も味わったことがない、筆舌に尽くしがたい苦難だったに違いありません。「わたしの望むことではなく、あなたがお望みになることが行われますように」私たちも祈りによって自我を乗り越え、父の御心に従う者にならせて頂きたいものです。

エズラ記を覚えて…

2022年 3月 25日 金

何年かぶりにCGNTV・リビングライフの奉仕を受けることになりました。これから半年間毎月1~5日のデボーションの奨励を担当します。正直少し迷ったのですが…少しでも主のお役に立てればと思い、素晴らしい先生方の間に加えて頂きます。4月はエズラ記からでした。短い10分ほどの奨励ですが、準備する中であらためて教えられました。主はユダの民の長年の祈りに応えて、バビロン捕囚からの解放とエルサレム再建の機会を与えられました。彼らは感謝と喜びをもって定礎式を行いますが、敵対者たちの妨害を受け、途中で中止せざるを得なくなったのです。神の御心はどこにあるのか…人々は当惑したでしょう。でも、人の目には良くない状況に思えても、神のご計画は決して曲げられることはありません。私たちも思い通りにならない現実の中で、すぐに諦めてしまうことがありますが、歴史の主権者である神が今日も最善に導いてくださっていることを覚えたいと思います。

今わたしがこの目で…

2022年 3月 24日 木

3月第四水曜祈祷会、デボーションはゼカリヤ9章~。捕囚から帰還したユダヤ人にとってエルサレム神殿を再建することは大変な工事だった上に、隣国の異邦人たちの妨害がさらに困難にさせていました。それでもなんとか神殿を完成させたにも拘らず、現実の生活は人々が思い描いていたような栄光のエルサレムとは程遠かったのです。そんな主の約束と現実の矛盾の中で苦しむ人々のために、主はゼカリヤを通して預言を与えられました。「わたしは、わたしの家のために、行き来する者の見張りとして衛所に立つ。もはや、虐げる者はそこを通らない。今わたしがこの目で見ているからだ。」どんなに目の前の状況が辛く悲しく思われるものであっても、主はご自分の民を絶えず見張り、守ってくださるという約束です。私たちクリスチャンも同じような矛盾の中で苦しむことがありますが、大事なのは神のことばを思い出すことです。その先にある勝利を信じて歩みましょう。

主の食卓にあずかる…

2022年 3月 21日 月

3月第三主日、やや風は冷たく感じましたが、穏やかな一日を感謝いたします。礼拝メッセージはマルコ14:12~イエスさまと弟子たちが過越の食事(最後の晩餐)を取られた場面からでした。弟子たちはイエスさまがすべての食事の準備を整えてくださっていたことに驚いたことでしょう。そして、一緒に食事をしている弟子たちの中に、イエスさまを裏切る者がいると聞いて、楽しい食卓の雰囲気は一気に変わったことでしょう。イエスさまはそこでユダの名前を挙げなかったのは、最後まで彼に悔い改めを迫られたからでしょう。「まさか私ではないでしょう」ユダはもちろんですが、他の弟子たちも次々にそう言い始めたのが印象的でした。イエスさまはこの後、ご自分の贖いの死とその意味を弟子たちに教えられ、それが今日の聖餐の原型になっています。聖餐式はイエスさまの十字架の死を思い返すとともに、神が罪人である私たちをどれほど愛されたのかを思い返す時です。

わたしの霊によって…

2022年 3月 18日 金

教会のデボーションはゼカリヤ書4章に入りました。ユダの民は総督ゼルバベルと大祭司ヨシュアを中心に、長らく放置されていた神殿の再建にとりかかりました。でも、目の前の現実は「大いなる山」のような瓦礫…財力も人手も足りず、周囲には今にも襲いかかってきそうな敵国の存在。そんな問題山積、八方塞がり、もはやお手上げ状態のゼルバベルに向かって、主は預言者ゼガリヤを通して告げられました。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」神殿再建の働きは人間的な知恵や能力によってではなく、ただ神の御霊によって成し遂げられると励まされたのです。私たちも時に自分の力以上の働きや使命を与えられることがありますが、自分の力だけで立ち向かうのではありません。大事なのは「わたしの霊によって」です。ただでさえ季節の変わり目で心身ともに体調を崩しやすい時期。先立って導いてくださる聖霊により頼みつつ、力を戴いて参りましょう。

そこでも福音を伝えよう…

2022年 3月 18日 金

第73回教団総会がありました。新型コロナの感染状況を鑑みて一日の開催となりましたが、無事に選挙も行われ、新しい理事会の先生方が選出され、教団の新しい年度が始まりました。朝岡理事長から「そこでも福音を伝えよう」というテーマで御言葉が語られ、先に進まれる主イエスとその促しと招きに応えて、私たちの宣教の使命を再確認しました。今回は正教師4名の按手、補教師10名の准允があり、誓約と短い証しにも励まされました。私は新任教師派遣前研修の派遣礼拝でメッセージをさせて頂きましたが、「主がお入り用なのです」をテーマに力いっぱい話したら最後の祝祷の言葉が飛んでしまって…お恥ずかしい限りでした。若い先生方を見ながら、自分も16年前に緊張して研修を受けた頃のことを思い返して、感慨深いものがありました。ウクライナ情勢、新型コロナウィルスの感染、昨夜は宮城県で震度6強の地震…。本当にこの揺れ動く時代に働き人が必要です。

埋葬に備えて…

2022年 3月 14日 月

3月第二主日、今日も春の陽射しが差し込む教会で礼拝を献げました。メッセージはマルコ14:1~、非常に高価なナルド油をイエスさまに注いだマリアの姿から学びました。彼女は日々イエスさまの話しに耳を傾けている中で信仰の目が開かれ、この時しかできない感謝を表そうとしました。三百デナリ以上のナルドの香油は彼女にとって全財産とも言えるものだったでしょう。弟子たちは思わず「何のために、こんなに無駄にしたのか」と彼女を責めました。日々イエスさまと一緒に過ごしていた彼らでさえ、イエスさまがこれから何をしようとしているのかわかりませんでした。マリアの献げものはイエスさまがこの世で受ける最後の愛となったのです。私たちの生活にもいつでもできることとこの時しかできないことがあります。今、何をするべきか…心を動かされていながら、それをしないのは人生の悲劇の一つです。一日一日、聖霊の声を聞きながら歩む一週間となりますように。

ウクライナ難民緊急支援…

2022年 3月 10日 木

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって二週間が経ちました。事態は刻一刻と深刻化し、多くの民間人が犠牲となり、ウクライナからの避難民は200万人を超え、数か月後には400万人にも達するとのことです(難民緊急支援)。原発施設が占拠され、病院や学校までが攻撃を受け、あちこちで火災が発生し、幼い子どもたちを連れて避難する親子に氷点下の寒さが追い打ちをかけます。今さらながら戦争の恐ろしさ、21世紀にもこんな悲惨なことが起こるなんて…と思い知らされています。戦争経験者の方々は昔を思い出して見ていられないとのこと。日本も決して対岸の火事ではすまされません。ロシアにとって日本は非友好国の一つ。ロシアは世界的経済制裁を受ける中で、結果的に中国との関係も深まりました。日本でも核シェアリングの議論をとの声もあります。東日本大震災から11年…今も3万人以上の方が避難生活を送られていることを忘れるわけにはいきません。

御言葉によって整えられ…

2022年 3月 09日 水

3月第二水曜祈祷会、ヤコブ2:8「もし本当に、あなたがたが聖書にしたがって、『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いは立派です。」聖書は神が私たちに何を望んでいるかを教える書物です。中でも、隣人を自分自身のように愛する…これほど言うは易く行うは難しの教えはないでしょう。教会の中で、えこひいきや差別をしないようにとは当然のことですが、いつの時代も人の集まるところにはこうした問題はなくなりません。私自身もどれだけ人を傷つけていることか…お恥ずかしい限りです。ただ、その根本にあるのは人間の罪の問題があります。教会は聖人君子の集まりではなく、赦された罪人の集まり。誰もが主によって造り変えられている途中段階です。この世にある限り完璧な人間も完璧な教会も存在しません。だからこそ、御言葉によって整えられ、最高の律法を守れるようにならせて頂きたいと思わされます。

ぶどう園のたとえから…

2022年 3月 07日 月

3月第一主日礼拝、春はもうすぐそこです。イエスさまの最後の譬え話から。ある主人が自分が作ったぶどう園を農夫たちに預けて長い旅に出たという話し。ある主人は創造主なる神、ぶどう園は神の民イスラエル、農夫たちは祭司長や律法学者たちを指しています。収穫の時になって、主人が農夫たちのもとにしもべを遣わして収穫の一部を納めさせようとしたところ、農夫たちはしもべを痛めつけて何も持たせずに帰らせてしまいました。二人目、三人目のしもべも辱められ、最後に遣わされた主人の息子は殺してしまったのです。「イエスは彼らを見つめて言われた。『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった』と書いてるのは、どういうことなのですか。」神は私たちにも人生というぶどう園を預け、忍耐強く何度も神の言葉を送り、最後にイエスさまを十字架にかけて愛を示してくださったことを感謝します。今日は祐弥兄の留学支援の報告もありました。詳しくは…

主はあなたを助ける盾…

2022年 3月 05日 土

教会のデボーションは申命記33章から。神の人モーセが死を前にしてイスラエルの子らを祝福した言葉です。これまでの厳しい言葉とは違って、ここでは一人一人の顔を見ながら祝福の言葉を告げるモーセの顔が浮かんできます。民はそれぞれに違った神の祝福があること、自分たちが「幸いなイスラエルよ、だれがあなたのような、主に救われた民であろうか。」という恵みの中にいることを再確認したことでしょう。私たちも、神がその一人一人に目を留められ、このような恵みの中を歩ませてくださっていることを再確認したいものです。どうしてこんなことが起きてしまうのか…神はどのようなお方なのか…それを知るには、神を礼拝し、聖書を読み続けることです。ロシア軍によるウクライナへの侵攻が続く中、北京パラリンピックが開催されました。パラ大会のルーツは戦争による負傷兵たちの社会復帰を目指した取り組みとのこと。選手たちの活躍を心から期待しています。

栄光を私たちの神に…

2022年 3月 03日 木

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってから一週間が経ちました。ウクライナは民間人も含めた多くの死傷者が出て、町が破壊され、家族が引き裂かれています。一方のロシア軍の死傷者も日に日に増えている状況、中には平和維持部隊として戦地に送られてきた兵士もいるとのこと。フェイクニュースも多くあって、何が真実なのかわかりにくい中ですが、だれも戦争など望んでいないはず。一日も早く事態が収束に向かうように今日の祈祷会でもお祈りしました。申命記32:3「まことに私は主の御名を告げ知らせる。栄光を私たちの神に帰せよ。」創造者なる神は、私たち人間を、この地球を、神の栄光を現すために創造されました。人間同士が殺し合い、壊し合うことなど決してあってはならないことです。『風を見て、波が大きくて沈没するような教会はない。教会はイエスから目を離した時に沈没する。』反戦、平和運動に尽力した二―メラーの言葉を思い出しました。

わたしの家は祈り家…

2022年 2月 28日 月

2月第二主日、春の足音を感じる暖かな陽射しが差し込む教会で礼拝を献げました。ルカ19:41~、人々が歓声を上げる中、イエスさまはエルサレムの都を見て泣いておられました。なぜなら人々の歓声も数日後には「十字架だ、十字架につけろ」と豹変し、また、平和の都エルサレムもAD70年にはローマ軍によって陥落することを主はご存知だったからです。「もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたらー」神の訪れの時が来ているのに、それに気づかない人々の愚かさを悲しんでおられるイエスさまの姿を思いました。今のロシア軍によるウクライナへの侵攻も、主はずっと前からご存知であって…だれよりも心を痛めておられたことでしょう。一日も早く事態が収束することを、一人でも多くの命が助かることを、心からお祈りしています。その日が来てからでは遅すぎる。主がこの事を許されたのであれば、人類はこの事からも学ばなければならないと思います。

その剣を鋤に…

2022年 2月 25日 金

ロシア軍によるウクライナへの侵攻が始まってしまいました。平和の祭典であるオリンピックが閉幕したばかりのタイミングで…本当に信じ難い、目を覆いたくなるような映像が映し出されています。ロシアのプーチン大統領は平和維持のためと言いながら、家や町が壊され、子どもたちが泣き叫び、人々が逃げ惑う現実をどんな思いで見つめているのか…。中には病人も高齢者もいるでしょうし、亡くなった兵士たちにもみんな家族がいるはずなのに…。どんな理由があろうとあってはならないことが起きてしまっていることに世界中が心を痛め、怒りを燃やし、不安を覚えています。「彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」この戦争が一日も早く終わり、剣を鋤に、槍を鎌に打ち直せるように…。キリストがもたらしてくださる平安、神との平安を、一人でも多くの方が見出すことができるように祈っています。

苦難の中にあっても…

2022年 2月 23日 水

2月第四水曜祈祷会はⅡテモテ1:1から。この時のパウロはローマの牢獄に捕らえられ、自分の死が近いことを予期していました。自分がそんな状況にも関わらず、エペソの教会で様々な課題を抱えている愛弟子テモテを励ますために手紙を書いたのです。「神は私たちに、臆病の霊ではなく、力と愛と慎みの霊を与えてくださいました。」誰でも大きな失敗をして自信をなくしたり、それゆえに行動を起こすことに臆病になってしまうことがあるものです。神を信じているからこそ、疑いが起こってくることもあります。でも、そんな苦しい経験を何度もしてきたパウロだからこそ、思い起こしてほしい、再び燃え立たせてほしい、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてくださいと確信をもって言うことができたのです。自分のために絶えず誰かが祈っていてくれるのはなんと励まされることでしょう。春から新天地で新生活を始める青年たちにもぴったりの箇所でした。

あわれんでくださる主…

2022年 2月 22日 火

2月の旧約聖書を学ぶ会は創世記30章から。ヤコブはレアとの間に四人の子が与えられ、ラケルは不妊の女でした。やがてその思いは姉への嫉妬心となり、夫ヤコブへの怒りとなって現れます。ついにラケルは女奴隷ビルハをヤコブの妻とし、二人の子を儲けました。それを見てレアも女奴隷ジルパをヤコブの妻とし、二人の子を儲けたのです。この後、レア自身もヤコブとの間に新しく三人の子を儲け、いよいよラケルは追い詰められたような思いだったでしょう。そんな時、主の介入がありました。「神はラケルに心を留められた。神は彼女の願いを聞き入れて、その胎を開かれた。」今から3000年以上も前の書物を現代にそのまま適応はできないのですが、確かなのは、主がラケルをあわれんでヨセフが与えられたことです。「これは人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる主による…」ゆえなき恵み…ここが聖書の難しさであり、私たちにとっての慰めなのです。

主がお入り用なのです…

2022年 2月 20日 日

2月第三主日、今朝の礼拝メッセージはルカ19:28から、イエスさまがいよいよエルサレムに入城されるところからでした。人々はこの方こそイスラエルをローマの圧政から解放する新しい王として歓迎しましたが、イエスさまは戦いを象徴する馬ではなく、平和を象徴する子ロバに乗って来られたのです。人々の喜びの歓声とは正反対に、イエスさまはエルサレムをご覧になると涙を流されました。人の見るところと主の御心は大きく違っていることを思いました。エルサレムはイエスさまにとって十字架の死を成し遂げる場所です。イエスさまは私たちに先立って苦難の道を歩まれました。でも、その道こそが神の栄光を受けられる道でもあったのです。まさに十字架なくして王冠なし、苦難なくして栄光なしです。「主がお入り用なのです」は、自分が献身した時の気持ちを思い出す御言葉です。イエスさまをお乗せした子ロバのように、主のご用に喜んで仕えていきたいと思います。

「アーメン」の重み…

2022年 2月 16日 水

2月第三水曜祈祷会は申命記27章~。モーセは約束の地に入るイスラエルの民に、大きな石を立て…それらの上に、このみおしえのすべての言葉を書き記しなさいと命じました。それは、神のことばをだれの目にも明らかにし、いつまでも聞き従い続けるためでした。今、私たちは印刷された聖書を手にし、いつでもどこでも、母国語で、神のことばを読むことができるのは有り難いことです。まだ聖書を読んだことがない方、長い間聖書をどこかにしまっておいた方は、ぜひ手に取って読んで頂きたいと思います。また、家族や知人にクリスチャンがいる方は、聖書に何が書いてあるのか質問してみてはいかがでしょう。「あなたがたが、私たちの奉仕の結果としてのキリストの手紙であることは、明らかです。それは、墨によってではなく、生ける神の御霊によって、石の板にではなく人の心の板に書き記されたものです。」皆さまの心にも神のことばが書き記されますように…。

初物の一部を取って…

2022年 2月 15日 火

教会のデボーションは申命記26章から。イスラエルの民が神の恵みによって約束の地に導き入れられた際の、主の御前に献げるべき礼拝について記されています。「あなたの神、主が与えようとしておられる地から収穫する、大地のすべての実りの初物の一部を取って、かごに入れ、あなたの神、主が御名を住まわせるために選ばれる場所へ行かなければならない。」荒野の40年間、彼らは神から賜るマナによって養われてきましたが、約束の地では周囲の人々と同じように農作物を育てて生活をしていきます。荒野では主なる神に支えられ生かされていることがだれの目にも明らかだったのに、約束の地では自分たちの労働と大地の実りによって生きているという錯覚に陥る誘惑がありました。そんな彼らにとって、礼拝で初物の一部を献げることは自分たちの生活が神の恵みの中で守られ、支えられている事実を告白することだったのです。今日の教会も同じだなと思わされました。

一ミナを活かして…

2022年 2月 13日 日

2月第二主日、今日は朝から小雨が降っていましたが、なんとなく冬の寒さも和らいだように感じる一日でした。礼拝メッセージはルカ19:11-27〜、ある身分の高い人が王位を受けるために遠い国に旅立つ際に、十人のしもべを呼んで一ミナずつをあずけていった…というイエスさまのたとえ話しです。「身分の高い人」はイエスさまのお姿を示し、「一ミナ」は私たちへの賜物を表していました。ザアカイの回心後にこの話しが語られたのは、彼のように救われた人に神がどんな願いを持っているかを教えるためです。「よくやった。良いしもべだ。おまえはほんの小さなことにも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。」神は私たちが何か大きな成果を上げることよりも、小さなことに忠実であることをほめられます。そして、神は新たに大きな霊的な使命をお任せになるのです。人から尊敬される人はいますが、神に信頼される人はなお幸いな人と言えるでしょう。

アブラハムの子なのですから…

2022年 2月 12日 土

ザアカイはお金持ちでしたが、人々からは嫌われ、寂しい生活を送っていました。でも、イエスさまと出会って、その愛にふれ、全く新しい人間に変えられたのです。人々から嫌われるのは誤解もあったかもしれませんが、彼自身の言動にも何か問題があったからでしょう。ザアカイも好きでこんな性格になったんじゃない…など言い分があったかもしれません。私たちもザアカイのような人と交わっていると、自分が傷ついたり、悩まされたりするので、そういう人は避けてできるだけ平均的な人とのつき合いを求めるのかもしれません。でも、イエスさまがそんなザアカイを愛されたのは、彼の中に価値を見出したからではなく、彼もアブラハムの子であると見られたからです。イエスさまはそのままのザアカイを愛され、交わりを持たれました。人を本当に立ち返らせていくのは、こうしたイエスさまの愛です。イエスさまの愛の眼差しを、私たちも祈り求めようではありませんか。

敵との戦い…

2022年 2月 11日 金

水曜祈祷会は申命記20章から。敵との戦いに臨む際の規定について。「あなたが敵と戦おうと出て行くとき、馬や戦車や、あなたよりも多い軍勢を見ても、彼らを恐れてはならない。」自分より巨大な敵を前にして恐れない人などいるでしょうか。聖書全体の流れの中では、戦いは必ずしも武力によるものだけではありません。神の民である教会も、世にあっては様々な苦難が立ちはだかります。その最たるものは罪と死の問題です。これは私たち人間の力ではどうあがいても勝ち目はありません。でも、聖書はこう告げます。「弱気になってはならない。恐れてはならない。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがたの神、主があなたがたとともに行って、あなたがたのために敵と戦い、あなたがたに勝利を得させてくださるからである。」そして今日も、「勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」と言われる方がともにおられる幸いを思います。

神の奉仕者たち…

2022年 2月 07日 月

教会のデボーションは申命記18章から。ここには祭司、偶像礼拝の禁止、預言者について記されています。イスラエルの民が約束の地に入って後、整えられていくために一つ一つ重要な事柄です。祭司は「主の御名によって奉仕に立つ」と言われています。その中心の働きは祈りと御言葉の説き明かしです。それは、今日の牧師の働きにも通じるものだと思うと身の引き締まる思いがしました。9節からは「異邦の民の忌み嫌うべき習わしにまねてはならない」とあります。神のことばを求めず、卜者や占い師のことば、また、神以外のものを頼りにする…こうした問題は現代の私たちも気をつけなければなりません。今日は宣教区の牧師会がオンラインであり、長時間の会議でしたが、同労の先生方との交わりとお証しに励まされました。コロナ禍にあって各教会とも厳しい現実の中を通らされていますが、神の目には『神の国』は確実に完成に向かって近づいていることを思いました。

失われた者を救うため…

2022年 2月 07日 月

頬に当たる風は冷たいですが、暖かな春を予感させる陽射しが差し込む教会で、2月の第一主日礼拝を献げました。メッセージはルカ19:1~取税人のかしら『ザアカイ』の救いから。取税人はユダヤ人からは罪人の代表のように言われていました。恐らくザアカイは町で最も嫌われていた人物だったのでは。そんなザアカイのもとにイエスさまはまっすぐにきてくださった…しかも、神にも人にも見離されたような自分の家に客となって泊まってくださると言われたのです。「今日、われ汝の家に宿るべし」それは、神の計画の中で、わたしはあなたを捜して救うために来たのだということです。ザアカイはイエスさまとの交わりの中で人生の方向転換をし、新しいやり直しの人生を見出していきました。私たちはみな、たまたま神を信じ、クリスチャンとなったのではありません。このザアカイの救いのように一人ひとりにイエスさまとのドラマがあることを聖書は教えているのです。

誘惑に陥らないように…

2022年 2月 02日 水

2月第一水曜祈祷会、教会のデボーションは申命記13章から。約束の地で神の民が守るべき詳細な掟と定めが続きます。預言者や夢見る者が現れ、「さあ、あなたがたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう。」と言っても彼らのことばに聞き従ってはならない、あなたがたの神、主に従って歩み、主を恐れなければならないと教えています。今日でも、そうした者たちのことばは様々な形に姿を変えて、主が歩めと命じた道から、私たちを迷わせようと近づいてきます。何が真実で何が偽りなのか、善悪の判断が見極めにくい時代です。コロナの情報に関しても、政府の見解も曖昧でまだしばらくはこの状態が続くとのこと…専門家の意見もみな違います。「この苦しみの時に、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から導き出された。」この苦しみの時に、主を見失うという誘惑に陥らないように…目を覚まして、いつも主の御声に聴き従っていきたいと思います。

神が望んでおられる教会…

2022年 1月 30日 日

1月第五主日礼拝、今日も暖かな陽射しが差し込む会堂で礼拝を献げました。コロナの感染が拡大する中なので、時間を短縮し、感染予防もしっかり行った上での礼拝でした。今年の年間聖句Ⅰテサロニケ5:16‐18「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」ここから、喜びに溢れる教会、祈りつつ歩む教会、感謝に満ちた教会の3つのことを心に留めました。いつも…絶えず…すべてのことを…なかなかそうは思えないのが私たちですが、多くの苦難に絶えず遭遇してきたパウロの言葉だからこそ現実味があります。そして、それは私たちの努力によるものではなく、キリスト・イエスにあって可能となるのです。今日は長年教会に来ていたご家族が引っ越し前の挨拶をしてくれました。送り出す寂しさもありますが、どこに行っても同じ神の家族であることを感謝します。

主があなたに求めておられること…

2022年 1月 28日 金

オミクロン株の感染拡大が止まりません。今日の全国の新規感染者は78,931人、重症者は537人、前週比は1.92倍でした。この状況から、英会話クラスはオンラインで行うことにしました。今後も感染者の増加は続きそうですが、前のデルタ株の時と比べると重症者や死亡者数が圧倒的に少ないことも、オミクロン株の特徴です。もはや普通の風邪と変わらないという見方もあります。確かに感染者数には連日驚かされますが、果たして今日からのまん延防止措置もどこまで効果があるのか…むしろ、それによる飲食店などへの弊害が心配です。何が正解で不正解なのか分かりにくい時代…そうした中で今日のニュースでは新たな変異株の話しもあり、また今度の日曜礼拝はどうなりそうですか…と切実な思いをメールでくださった方もいました。そうしたお気持ちも受け取って、祈りつつ判断したいと思います。主が私たちに求めておられることは何か…お祈りいただければ幸いです。

神のご摂理の中で…

2022年 1月 26日 水

今年最初の旧約聖書を学ぶ会がありました。創世記29章~ヤコブは旅の途中で、ハランの羊飼いたちと出会い、しかも彼らはリベカの兄ラバンをよく知っている者たちでした。そこへラバンの娘ラケルも現われ、ヤコブは運命的な出会いをします。彼はやがて叔父ラバンの家に連れて行かれ、事の次第をすべて話しました。自分がどうしてここに来たのか、兄エサウを騙したこと、孤独な旅の途中で主の約束にあずかり、その臨在にふれたこと、ラケルと出会ったことなど…。時も場所も、すべてのことが主の摂理の中で導かれていたことを感じたことでしょう。そこからヤコブは叔父ラバンに騙されて、姉レアと結婚させられ、七年仕えることになり、さらに妹ラケルと結婚するためにもう七年仕えることになったのです。箴言26:27「穴を掘る者は、自分がその穴に陥り」ヤコブは身をもって騙される者の思いを理解したでしょう。こうしてヤコブへの主の訓練が始まっていくのです。

喜びの源泉…

2022年 1月 23日 日

1月第四主日、外は冷たい雨が降っていましたが、教会は恵みに溢れる一日でした。今日は茨木聖書教会の笠川路人師をお迎えして、Ⅰペテロ1:3から『喜びの源泉』というテーマでメッセージを取り次いでいただきました。3回のメッセージをいずれも力強く、クリスチャンがあずかっている素晴らしい恵みについて語って頂きました。今日の礼拝メッセージはYouTubeでもご視聴いただけます。箕面めぐみ聖書教会は笠川師のお父さんの牧会時代に開拓が始まり、その頃のお話しなども伺うことができて感謝でした。コロナ禍なので、教会でゆっくり交わりを持つことはできませんが、今日も神の家族がともに集まって、心一つに新たな一週間を歩み出せることを感謝いたします。2022年の年間テーマソングも完成し、今日から礼拝で歌い始めました。『喜び・祈り・感謝』はクリスチャンの幸いな信仰生活の基本です。皆さまも口ずさんでいただいて、賛美して頂けましたら幸いです。

今日ここに生きている私たちと…

2022年 1月 22日 土

ついに全国の一日の感染者数は五万人を超え、重症者数も四カ月ぶりに400人台まで上りました。この状況について役員会でも話し合い、明日からの主日礼拝ではさらに時間短縮を心がけ、賛美も少なくし、礼拝後も速やかな退出を呼びかけることを決めました。礼拝に来られる皆さまにもこれまで以上に感染予防の徹底にご協力いただきますようお願い致します。今日のデボーションは申命記5章からでした。約束の地を目前にして、モーセはイスラエルの民を呼び集め、こう告げました。「主はこの契約を私たちの先祖と結ばれたのではなく、今日ここに生きている私たち一人ひとりと結ばれたのである。」時代や場所は変わっても、主の約束は変わらない。私たちの主はまさに今も生きておられる方です。様々な情報やニュースがありますが、私たちがまず聴かなくてはならないのは、この主のみことばです。明日の礼拝も主の栄光が現される時となりますようにお祈りしています。

近くにおられる主…

2022年 1月 19日 水

1月第三水曜祈祷会、今日も青空が広がる一日でしたが、新型コロナの一日の感染者数は過去最大の4万人を突破しました。オミクロン株は重症者数も少ないし、症状も軽いということで、かかっても気にしないという方も多いようですが、感染を抑えるための心ある行動が求められます。祈祷会も『自分は濃厚接触者かもしれないので…』とあえて自粛される方もいました。教会はマスク着用はもちろんのこと、隣人との間隔をあける、小まめな換気、空気清浄機や加湿器の稼働、賛美も最小限に…とできる限りの予防を心がけていますが、今後の状況によってはさらなる対策が必要かもしれません。「まことに、私たちの神、主は私たちが呼び求めるとき、いつも近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民がどこにあるだろうか。」神のことばは真実です。世の人たちはそんなことしても…と思うかもしれませんが、このような時こそ静まって祈る、祈祷会の大切さを思いました。

あなたを救う信仰…

2022年 1月 17日 月

1月第三主日、今日からまた三回に分わけての礼拝が始まりました。ルカ18章35節~、イエスさまが盲人の目を開かれるところから。彼はイエスさまが自分の前をお通りになると聞いて、思わず「ダビデの子のイエス様。私憐れんでください。」と叫びました。その切なる願いはイエスさまに届き、正直な告白をして、イエスさまから「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救いました。」と告げられました。こうして彼は神をあがめながら、イエスさまに従う者に変えられたのです。この出来事から、肉体的な目の癒しもさることながら、イエスさまに対する心の目が開かれて、新しい人生を歩み出すことの大切さを思わされました。礼拝後のグループタイムも、いつもより人数は少なめでしたが、分かち合いが持てたことは感謝です。目に見えるところは穏やかな一日ですが…コロナの感染者数が急拡大しています。今週も主の憐れみを祈りつつ、歩ませて頂きたいと思います。

ハートフル英会話・冬期コース…

2022年 1月 13日 木

新型コロナウィルスの感染者数が急拡大し、大阪でも2,452人(一週間前は505人)、国内の新規感染者も昨年9月以来の18,000人超えとなりました。来週には東京だけでも9,000人超えが見込まれているので、大阪でも相当な人数が予想されます。重症者数が少ないとは言え、今は幼い子どもたちにも感染が広がり、高齢者や基礎疾患がある方にとっては全く油断できない状態です。そんな中ではありますが、今日から2022年のハートフル英会話・冬期コースが始まりました。一クラス6人を超えることはないので、基本的なマスク着用、自宅での検温、手指消毒に加え、小まめな換気や空気洗浄機など、できるかぎりの予防に努めていますが、今後のことは社会状況に応じて…ということになりそうです。とにかくここまで無事に守られてきたことを心から主に感謝して、これからも気を引き締めて講師の先生、受講生の方々の健康とご家族の平安のためにお祈りしていきたいと思います。

満ち足りた心の伴う敬虔…

2022年 1月 13日 木

朝から小雪交じりの中、今年最初の水曜祈祷会でした。Ⅰテモテ6:1~、パウロは愛弟子テモテに、教会の諸問題にどう対処したらいいかを教えました。誤りを教える者たちは、高慢で、何一つ悟らない、論争をしたがる病にかかっている、しかも敬虔を利得の手段と考える者たちでした。でも、満ち足りた心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道、神の人よ、あなたは金銭を愛することを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさいと教えたのです。そして「信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、多くの証人たちの前ですばらしい告白をしました。」目に見える物質的なものをいくら追い求めても、最終的に満ち足りた心には至りません。大事なのは、転んでも倒されても、主にあって立ち返り、信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠のいのちを獲得することです。ちょっと車で出かけるとそこは雪景色…。寒いわけでした。

危機の時こそ、初心に…

2022年 1月 10日 月

1月第二主日、ここ数日のオミクロン株による感染急拡大を受け、大阪府でも警戒を示す黄色信号が点灯しました。年末年始でようやく沈静化してきたところでしたが…医療機関、社会、経済、受験生…各方面への影響が懸念されます。今後も感染者数は増加し、心騒がされることもあるかもしれませんが、あらためて冷静な行動と基本的な感染対策に徹していきたいものです。危機の時こそ、初心に帰る。それは、私たちの信仰生活も通じるところです。今日の礼拝ではルカ18:15から「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」ここから、子どものように神を信頼して歩むこと、ただキリストのことばに従って歩むこと、人にはできないことも神にはできることを心に留めました。子どものように…いつの時代も、すべてのキリスト者にとって初心とも言える大切なメッセージです。神の一方的な愛の中を歩めることを感謝いたします。

すべての人のために…

2022年 1月 07日 金

Ⅰテモテ2章から。パウロは直弟子のテモテに「私は何よりもまず勧めます。すべての人のために…願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。」と記しました。エペソでの牧会に行き詰り、やや視野が狭くなっていたテモテは、今一度自分の使命を思い出したのではないでしょうか。私たちも何かの問題にぶつかり、そのことに執着しすぎて周りが見えなくなってしまうことがあるかもしれません。状況が改善されなければ、祈っているのになぜ神は…と不満を抱え、祈りの手を下げてしまうこともあるでしょう。すべての人のために祈る理由は、神はすべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられるからです。もちろん、福音を聞いても受け入れない方もいるでしょう。でも、この大事な使命をクリスチャンは常に忘れずに、自分も誰かに祈られていることを思い出したいものです。そして他ならぬイエスさまのとりなしがあることを支えにしていきたいものです。

私たちの救い主である神と…

2022年 1月 05日 水

教会のデボーションはⅠテモテ1:1から。この手紙は使徒パウロがエペソで牧会しているテモテに宛てた手紙です。テモテは若くて評判が良く、忠実な献身者でしたが、今は牧会の困難に直面していました。パウロは霊的な父、また同労者として、そんな彼を励ますために手紙を書いたのです。「私たちの救い主である神と、私たちの望みであるキリスト・イエスの命令によって、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、信仰による、真のわが子テモテへ。」冒頭のあいさつには、私たちの救い主である神、私たちの望みの主という重要な言葉があります。私たちはこの方によって生かされ、用いられていることを確認する言葉です。そして、パウロが「私たち」という言葉を繰り返すことに、テモテとしては離れていても信仰のつながりを心強く感じたでしょう。私も今年17年目の働きとなりますが、まだまだです。ただ、父親の袢纏がだいぶしっくりくる年齢になってきました。

神に聞かれる祈り…

2022年 1月 02日 日

2022年最初の主日礼拝をささげました。ルカ18:1から『神に聞かれる祈り』をテーマにメッセージを聴きました。「いつでも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、イエスは弟子たちにたとえを話された。」イエスさまの旅路はいよいよエルサレム、そのクライマックスである十字架の時が近づいていました。それは弟子たちにとってもかつてない試練の時です。イエスさまはそんな彼らのことを案じて祈りの重要性とともに、誘惑があることを教えられたのです。私たちも祈っても何も状況が変わらず、まるで空を打つように感じることがあります。そんな時、だれもが気落ちし、失望し、勇気を失っていきます。でも、だからこそイエスさまの言葉を心に覚えておきたいものです。主は常に私たちの祈りを聞いておられるばかりか、速やかに答えてくださるからです。年頭の主日に心強いみことばをいただきました。今年一年、この祈りの力を体験していきましょう。

全ての全てなる主…

2022年 1月 01日 土

あけましておめでとうございます。一年の最初の日は美しい朝日とともに始まりました。今朝の元旦礼拝には、いつもの神の家族に加えて懐かしい方や久しぶりの方も大勢の方が来会され、喜びと感謝をもってともに主の御名を賛美しました。メッセージは玉井邦美師が動画で詩篇73:25,26からとりついでくださいました。「あなたのほかに、天では、私にだれがいるでしょう。地では、私はだれをも望みません。」新たなる信仰生活を始めるに当たって、まことに大切な心に響くメッセージでした。そこから、天にも地にも望むべき方は神のみであること、人生に完全な満足を与えてくださるのは神のみであることを心に留めました(動画をご視聴された方は音声に乱れがあって、申し訳ありませんでした)。今年も箕面めぐみ聖書教会は、キリストがすべてのすべてであり、この方を私たちの人生の揺るがない心の岩として歩んでいきたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。

忍耐深い主の愛…

2021年 12月 31日 金

2021年の年の瀬を迎えました。教会のデボーションは詩篇106篇から。詩人は「ハレルヤ」という賛美の勧めから、イスラエルがいかに神との契約に不忠実に歩んだか、一方で主はご自身の契約に忠実であられたことを記しました。「しかし主は、御名のゆえに、彼らを救われた。」「それでも、彼らの叫びを聞いたとき、主は彼らの苦しみに目を留められた。」民の不忠実にも拘わらず、主はその憐れみと赦しをもって彼らを導かれました。この忍耐深い主の愛の中に、自分も生かされていることを思いました。今年もコロナ禍に振り回されながらも、多くの恵みと祝福をいただいて、一年を終えることができることを感謝いたします。新しい年も変異株の広がりなどが懸念されますが、世がいかに揺れ動いても、変わらない神の導きに期待して歩んでいきたいと思います。今年もブログを見てくださって本当にありがとうございました。皆さま、どうぞよいお年をお迎えください。

主のみわざの不思議…

2021年 12月 29日 水

12月第五水曜祈祷会、教会のデボーションは詩篇105篇から。「主に感謝し、御名を呼び求めよ。」詩人は、イスラエルの歴史を紐解きながら、アブラハムとの契約を実現される主のみわざを語りました。神は流浪の民だったイスラエルをエジプトに導き、そこで大きな民族とされ、そして今度はエジプトがイスラエルを嫌うようにされ、約束の地へと旅立つように導かれました。主のみわざはすぐに理解できるようなものもあれば、理解するのに忍耐を要するものもある。でも、何が起ころうと神の契約と約束は変わることがありません。良いことも悪しきことも主の御心のうちに行われる、主はご自分の民が苦しんでおられる時、いつも主も苦しんでおられる、主が苦しみを許される時には必ず何かの意味があることを思いました。今年もコロナ禍に振り回された一年でしたが、同時にすべてが当たり前ではない、恵みの中にいたことを学ばせていただいた一年だったように思います。

年末感謝礼拝2021…

2021年 12月 27日 月

2021年最後の主日、少し小雪がちらつきましたが、青空が広がる爽やかな朝でした。度重なる緊急事態宣言、オリンピックの開催、ワクチン接種による混乱など、コロナ禍に振り回された一年が終わろうとしています。礼拝メッセージはルカ17:20から、『神の国はいつ来るのか』というパリサイ人の問いかけにイエスさまが答えられた箇所。彼らは目の前に救い主イエスさまが来られているのに、神の国が始まっていることがわかりませんでした。「神の国はあなたがたのただ中にあるのです」神の国、神のご支配は、主を信じる者たちの心に、交わりの中にすでに変化を起こしていました。それは今日でも、御言葉に生きる者たちを通して広げられているのです。人の子の日(主の再臨)の到来は、それがいつなのかは誰にもわかりませんが、その日が来たら誰の目にも明らかに認められます。終末のメッセージは、裁きの預言であると同時に、確かな救いへの招きの言葉なのです。

キャンドルサービス2021…

2021年 12月 25日 土

Merry Christmas!今年も御言葉の朗読とバイオリンの調べで、イエス・キリストのご降誕を思い巡らしました。イエスさまは神ご自身である方なのに、神としての威光も栄光も権威もすべて捨てて、人間の赤子となってお生まれになりました。しかも、そこは立派な宮殿でもなく大邸宅でもない、暗く貧しい悪臭の漂う馬小屋の飼い葉桶でした。御使いは告げました。「それが、あなたがたのためのしるしです。」イエスさまはローマ帝国に変わるこの世の王となるために来られたのではなく、全人類を罪とその裁きから救うために来られました。人はみな、生まれてきた本来の目的を見失って、それぞれ自分勝手な道を歩んでいます。自分の命をどう使おうと勝手なこと…一度しかない人生、楽しまなければ損…。そんなキリストの誕生など喜ばない人間の声が聞こえてくる中に、イエスさまはお生まれになられたのです。本物のクリスマスの喜びが皆さまの心にありますように。

主の臨在に励まされ…

2021年 12月 23日 木

12月第四水曜祈祷会はハガイ書から。バビロン捕囚から帰還したユダの民は、エルサレム神殿の再建に着手しました。でも、難民同然の彼らは、経済力も技術力も乏しく、おまけに隣国からの妨害も受けて数年で工事は頓挫してしまいます。月日は流れ、主は預言者ハガイを通して、総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア、さらには民の残りの者に向かって悔い改めと励ましのメッセージを告げられました。「あなたがたの歩みをよく考えよ」「強くあれ。わたしがあなたがたとともにいるからだ」「今日から後のことをよく考えよ」「わたしがあなたを選んだからだ」ハガイはこの4つの御言葉を中心に、ユダの民を鼓舞し、再び神殿再建へと立ち上がらせていくのです。彼らにとって『神殿』は、神の臨在の象徴であり、神を礼拝し、神との出会いの場所でした。私たちも神との関係を後回しにしないで、主の臨在に励まされて、今日から後のことをよく考えて歩んでいきたいものです。

クリスマス礼拝2021…

2021年 12月 20日 月

アドベント第四週、クリスマス礼拝を献げました。ルカ17:11~、イエスさまがエルサレムへ向かう途中、ある村でツァラアトに冒された10人と出会い、言葉一つで癒された記事をみました。彼らはみなイエスさまの言葉をそのまま信じて行動した時、癒しを経験したのです。どんなに喜んだでしょう。でも、話しはそこで終わりませんでした。その内の一人が大声で神をほめたたえながら戻ってきてイエスさまに礼拝を献げました。九人は癒しの事実だけを喜んだのに対し、彼だけは癒しを行ったイエスさまを喜んだのです。「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」彼はこのイエスさまの祝福の言葉を受けて、新しい人生を歩み出していきました。人生のターニングポイントがあります。クリスマスはChristとmasの合成語。キリストのいないクリスマスはただ雰囲気を楽しむだけのお祭りに過ぎません。ぜひ教会で本当のクリスマスを喜び祝いましょう。

ハートフル英会話クリスマス会…

2021年 12月 17日 金

昨年はやむなく自粛しましたが、今年は感染対策とケーキなしで、ハートフル英会話クリスマス会を行いました(子どもたちはごめんなさい)。まずは卓球で体を動かしてから、クリスマスバージョンのUNOで盛り上がりました。もちろん英語です。今日は二つのクラスが合同でしたので、いろいろな方の話しが聞けていつも以上に楽しい時間でした。途中、ウクレレとホルンの演奏でクリスマスキャロルを賛美したり、レイチェルさんのバイブルメッセージでクリスマスの本当の意味についてお聴きしました。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。」コロナ禍も今は落ち着いていますが、世界を見れば…まだまだこの先どうなるかわかりません。また、日本国内でも変異ウィルスのオミクロン株の感染が広がりつつあります。このクリスマス、一人でも多くの方に本当の大きな喜びが届けられますようにお祈りしています。

さあ、河馬を見よ…

2021年 12月 16日 木

12月第三水曜祈祷会、ヨブ記40章から。主の創造の偉大さを知ったヨブは、やっと自分がいかに取るに足りない者であるかを知ることができました。神はそんなヨブに向かって、さらに倫理的な側面から語りかけていかれます。そこから、河馬、レビヤタンという神秘的な怪物(高ぶりの象徴)をあげて、それらを造られた神を不義に定める愚かさを指摘されました。結果として、主はヨブの苦しみの問いに直接答えることはされませんでしたが、最後にはヨブを悔い改めへと導かれ、ご自身をより深く知る者としてくださったのです。主はヨブが苦しんでいる時もともにおられ、ともに苦しんでおられました。まさにヨブの苦しみは、主ご自身の苦しみだったのです。「あなたには、すべてのことができること、どのような計画も不可能ではないことを、私は知りました。」ヨブがあれほどの苦しみを通して導かれたこの告白を、今日私たちが恵みによって告白できる幸いを思わされます。

神の創造の偉大さ…

2021年 12月 14日 火

教会のデボーションはヨブ記39章に入りました。長い沈黙を破ってついに神が語りかけられます。それは『なぜこれほどの苦しみにあわなければならないのか』というヨブの問いに答える形ではなく、神の方からの「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。」という問いかけです。神がどのように地の基を定めたか、どのように測り縄を張ったか、自然界の法則、動物たちの養いなど、神の創造の偉大さがことごとく語られていきます。およそ人知をはるかに超えた主のはかりごとです。ヨブに答えられるわけがありません。でも、これによってヨブは自分の小ささをいやというほど示されます。その一方で、偉大なる神がこんな小さな自分と関わりをもってくださっていることにも気づかされていくのです。山は近づけば近づくほどその大きさを知ると言いますが、神の偉大さも知れば知るほど…言葉では表しきれません。でも、その方が今日も語りかけてくださる恵みを感謝します。

慰められたラザロ…

2021年 12月 12日 日

アドベント第三礼拝、メッセージはルカ16:19から。金銭を好むパリサイ人たちはイエスさまの「神と富とに仕えることはできない」という話しを聞いてあざ笑っていました。なぜなら彼らは、富や豊かさは神の祝福の表れであり、律法を守っている自分たちこそが天国に行けると思っていたからです。イエスさまはそんな彼らに、ある金持ちとラザロの話しをされました。金持ちは毎日ぜいたくに遊び暮らし、貧しいラザロは金持ちの施しに頼って生活していた。しばらくして二人に死が訪れ、ラザロは御使いに迎えられアブラハムの懐に、金持ちはハデスの炎で苦しんだという話し。ラザロとは神は助けという意。イエスさまのたとえ話しで名前で話されるのは珍しいことです。人はみな、どんなに裕福でも貧しくても、ただ神の憐れみによって生かされていることを忘れてはなりません。神は心の貧しさ、砕かれた心をご覧になられることを、慰められたラザロから教えられました。

12月

神は苦しむ人をその苦しみの中で…

2021年 12月 09日 木

12月第二水曜祈祷会、ヨブ記36章から。苦しみのどん底で、自分の潔白を主張し、神よりも自分自身のほうを義とするヨブに向かって、エリフはこう言います。「神は苦しむ人をその苦しみの中で助け出し、抑圧の中で彼らの耳を開かれる。」神は人を苦しみから助け出されるのではなく、その苦しみの中で助け出されるというのです。苦難は様々な形で、すべての人の人生に予告なしで襲ってきます。その時、神は何をしておられるのですかと思わず叫びたくなるのではないでしょうか。でも、苦難の中でこそ、私たちの心が神に向き、その御声を聞こうと心の耳が開かれることもあるのです。大事なのは、苦しみや不条理は神から出ているのではないこと、その人が悪を行った結果でもなく、ましてや神からの罰でもないことです。神は苦しみの中でこそ私たちとともにおられるお方です。今日は祈祷会に来られた方々の様々な証しを聞く時となり、生ける真の神を心に覚えました。

あなたは神を待て…

2021年 12月 07日 火

今日は朝から冷たい雨が降る一日でした。教会のデボーションはヨブ記35章~。苦難の中で、神よりも自分の方が正しいと思っているヨブに向かって、エリフの言葉が続きます。彼は、人はみな、苦しみの中で泣き叫んだり、助けを叫び求めりするものですが、本当の意味で神を求めているのではないと言います。それは言わば本能的なものであって、信仰を働かせての祈りではない、今のヨブはそのような人々と同じではないかというのです。このようにヨブを責めた後で、エリフはこう諭しました。「しかし訴えは神の前にある。あなたは神を待て。」神はご自分のしもべの叫び声を聞き洩らすような方ではない、神はご自分から関わりを断ち切ることはない、私たちの救いのためにはどんな犠牲を払うことも厭わない、だから神を信頼して待ち望めと諭したのです。祈っても状況が変わらないと思う時こそ、私たちが真の信仰を養う時。私たちの祈りは神の御手の中にあるのです。

『不正な管理人のたとえ』から…

2021年 12月 05日 日

アドベント第二礼拝。メッセージはルカ16:1から。イエスさまの教えの中でも最も難解なたとえの一つです。主人の財産を勝手に使ってしまった管理人は、主人にそのことを知られてしまい、クビにされた時のために債務者たちに恩を売って後で面倒を見てもらうように考えました。主人はこの不正な管理人が賢く行動したのをほめたという話しです。なんとも首をかしげてしまうような話しですが、実はそういう所ほど気づかなった恵みを発見したりするものです。「不正の富で自分のために友をつくりなさい」「最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり」「神と富とに仕えることはできません」たとえ話しの後のイエスさまの解き明かしの中に、著者ルカの独特な視点が感じられ、私自身は非常に教えられました。久しぶりのメッセージ後のグループタイムでも多くの感想があがり、分かち合いも祝福されたようです。今日も恵みに溢れた主の日を感謝いたします。

中村哲さんを覚えて…

2021年 12月 04日 土

長年パキスタン、アフガニスタンで人道支援に尽力してこられた中村哲医師が武装集団の銃撃を受けて召天されてから二年が経ちました。耳を疑うような信じられないニュースでした。中村さんは医師でありながら自ら重機を操作し、『100の診療所より一本の用水路』を合言葉に、1600本の井戸を掘り、全長13kmもの用水路を築き、東京ドーム3500個分にあたる1万6000ヘクタールの土地をよみがえらせ、60万人以上の命を救いました。そんな中村さんはクリスチャンでありながら、イスラム教徒が祈りを捧げるモスクやマドラサ(神学校)を建設して地元の人々を励まし元気づけたそうです。まさに敬天愛人に生きた中村さんの功績はこれからも世界中の人々の心にずっと生き続けることでしょう。「神の御心は何か、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるように…」明日はアドベント第二礼拝。ぜひお近くのキリスト教会に足を運んでみてはいかがでしょう。

天からの知恵こそ…

2021年 12月 01日 水

12月第一水曜祈祷会、ヨブ記32章から。なぜ善人が苦しみにあわなければならないのか。三人の友人たちは、苦難の原因は罪の結果であると主張し、ヨブに悔い改めを迫りましたが、ヨブは自分の正しさを主張するばかりでした。すると側でずっと聞いていたエリフが業を煮やして語り出します。エリフは、ヨブが神よりも自分の方を正しいとしたことや、ヨブの不義を認めながら言い返せない三人の友人たちにも怒りを燃やしました。こうして堰を切ったようなエリフの言葉が続き、もはやヨブは何も言い返せませんでした。「確かに、人の中には霊があり、全能者の息が人に悟りを与える。」天からの知恵こそがあらゆる難題を解決する力です。確かにエリフの言葉は、正論でした。ただ、彼の言葉が苦難の中で痛み悲しんでいるヨブに、どう聞こえたのかは疑問です。結果として、三人の友人もエリフも、ヨブの立場に立って考えるという視点が足りなかったのではないでしょうか。

祈りに支えられて今がある…

2021年 11月 30日 火

教会のデボーションはローマ16章から。パウロ神学を代表する書簡。信仰義認を中心に、一人で読み理解するには難解なところもあったのではないでしょうか。ただ、この終わりのところに関しては、普通の手紙と同じように「…によろしく伝えてください。」と教会や一人一人の顔を思い浮かべるように挨拶を記していて親しみやすいところです。パウロがいかに多くの人のために祈っていたのかがわかります。「どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。」手紙を受け取った教会でも、あらためてパウロ先生の働きを覚えて祈ったことでしょう。昨日は私たちの教会を会場に、教団の教職教育部がありました。今年度の報告に始まり、次年度に向かっての審議が長時間に渡って行われました。コロナ禍でZoom会議が続いたので、対面会議は久しぶりでした。関東から新潟から、このために来てくださった先生方のご労と献身に心から感謝いたします。

父のところに行こう…

2021年 11月 28日 日

11月第四主日、秋晴れに天気でしたが、頬に当たる風が一段と冷たく感じる一日でした。今日からアドベント(待降節)。礼拝ではルカ15:11~32から『二人の息子と父の愛』をテーマに御言葉を学びました。弟は父の財産を分けてもらうと遠い国で、湯水のように使って、やがて大飢饉が起こると豚の世話をするはめになり、食べるのにも困り果てました。でも、彼はその人生のどん底で父のことを思い出します。「立って、父のところに行こう。そしてこう言おう。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。』」来る日も来る日も父は息子の帰りを待っていました。だから、彼の姿を見つけると、まだ遠かったのに、父はかわいそうに思い、駆け寄って彼を抱き、口づけしました。そして、急いで彼のために一番良い服、指輪、履き物を用意し、子牛を屠って祝宴を始めたのです。神の無条件の愛…。何度読んでも新しい感動が胸に迫って来るところです。

明日からアドベント…

2021年 11月 27日 土

今年もアドベント(待降節)の時期を迎えました。アドベントとは、「到来、到着」を意味します。明日からクリスマスイブまでの4週間、救い主イエス・キリストのご降誕を待ち望む期間です。日曜日ごとに一本ずつローソクを灯していきます。教会でキリストの到来について語る時には3つの意味を持っています。それは、2000年前、誕生によって来られたこと、今日私たちの心のうちに来られること、終わりの日に栄光のうちに来られることです。聖書には、「昔おられ、今もおられ、やがて来られる方。」とあります。私たちにとって最も大事なのは、クリスマスをただの年中行事として迎えるのではなく、その本当の意味を知って迎える時、その人の心にキリストは住んでくださることです。Christmasとは、キリスト(Christ)のミサ・礼拝(mass)という意味です。教会の新しい一年はこの日から始まります。ぜひお近くのキリスト教の教会に足を運んでみてはいかがでしょう。

英会話教室に来られる方々…

2021年 11月 25日 木

教会では毎週木曜日にハートフル英会話教室を行っています。今日も教室からなごやかな会話と子どもたちの元気いっぱいの声が聞こえてきました。中には海外生活をされていた方や留学をされていた方もおられ、文化や習慣の違いなどを聞くこともあります。また、海外旅行のためや仕事で使うため、英語を忘れないためなど、目的もさまざまです。講師の先生はクリスチャンですが、受講される多くの方はクリスチャンではないので、教会に来るのは初めて、聖書を見るのも初めて…という方もおられます。牧師としてはそうした方とちょっとした休憩時間にお話しするのも楽しみの一つです。仏教を信じる方も神道を信じる方も、物は試しで何でもお気軽にご質問ください。ある時は『教会でもクリスマスをやるの?』と聞いてくれたお友だちもいました。教会はクリスチャンだけでなく、どなたにも開かれた場所です。本当のクリスマスの意味も、ぜひお話しできたらと思います。

生きるにしても、死ぬにしても…

2021年 11月 25日 木

11月第四水曜祈祷会、朝から抜けるような青空が広がりました。ローマ14:9「私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」聖書では『死』に3つの意味を示しています。肉体の死、霊的な死、永遠の死(第二の死)。人はみな、やがていつかは肉体の死を経験しなければなりません。でも、クリスチャンはイエス・キリストを信じる信仰によって霊的な死から解放されています。また、キリストの十字架の贖いによってすべての罪が赦され、永遠のいのちが与えられ、永遠の死からも解放されているのです。それゆえ肉体の死は永遠の死に至る門ではなく、天国への門に過ぎません。ここに生きるにしても、死ぬにしても、主のためにという生き方の土台があります。今日の祈祷会も、まずみことばの分かち合いに恵まれ、祈りのうちに主のものとされている幸いを思いました。

一緒に喜ぶために…

2021年 11月 21日 日

11月第三主日、収穫感謝礼拝。礼拝はルカ15:1−10、いなくなった一匹の羊を捜し回る羊飼い、なくした一枚の銀貨を熱心に捜す女性の姿から、イエスさまの譬えを学びました。そこから主は今も失われた人を捜しておられること、一緒に喜びを分かち合われること、罪人が悔い改めることを待っておられることを心に留めました。一人でも多くの方にこのメッセージが届くように祈ります。そして、今日も礼拝後に二名の兄姉の入会式がありました。『あなたは、神の子イエス・キリストの十字架の贖いによって救われたことを確信しますか』という問いかけに、『確信します』とはっきりお答え頂きました。いつもこの誓約の時が、牧師として一番胸が熱くなります。メッセージの通り、一緒に喜びを分かち合うことができて本当に感謝でした。午後は来週から始まるアドベントに向けて大掃除&クリスマスの飾りつけ、夕方は青年たちと卓球で汗を流し、恵まれさまの一日でした。

すべての人をあわれむ主…

2021年 11月 19日 金

「私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、彼らのうち何人かでも救いたいのです。」キリスト教における『救い』とは…?私は25歳まで聖書を読んだことも教会に行ったこともなかったので、最初は違和感がありました。法にふれるような犯罪を犯しているわけでもないし、人から後ろ指を指されるようなこともしていないし、普通に人は死んだら極楽に行くものだと思っていました。でも、今から25年前、教会に行くようになって、礼拝や聖書を通じて、あらためて人はみな罪人として生まれてくること、神の怒りの下にあって、病気でもなく寿命でもなく、裁きとしての死を迎えなければならないことを知りました。そして、人はみな何かの功徳を積んだり、正しく生きることによってではなく、ただイエス・キリストを信じる信仰によって救われることを教えて頂いたのです。百聞は一見に如かず。まだ…という方は、ぜひ近くのキリスト教会に足を運んでみてください。

信仰は聞くことから…

2021年 11月 17日 水

11月第三水曜祈祷会、教会のデボーションはローマ10:14~。人は、律法の行いよるのではなく、キリストを心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのですとあります。そして、信じるためには聞かなくてはならない、聞くためには宣べ伝える人がいなくてはならない、宣べ伝えるには遣わされなくてはならないと諄々と記していきます。伝道は、私たちの熱心さや言葉の巧みさが重要なのではなく、最終的には聖霊のお働きによるものです。それでも『伝道はどうも苦手で…』『伝道はしないといけないことですか…』と言われるクリスチャンの方は少なくありません。伝道ってなんだろう。今日はそんなことを素直に語り合う機会になりました。「ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。」私たちにとって最も大切なのは聖霊の助けを祈り求めることです。何はともあれいつもそこから始めたいものです。

招かれる者の幸い…

2021年 11月 15日 月

11月第二主日、ルカ14:15~「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう。」パリサイ派の指導者の食事会に来ていたある客は、どこか誇らしげにそう言いました。でも、イエスさまはそんな彼に向かって、神の国の食卓に招かれる者について譬えをもって話されました。神の目は、自分にはその資格があるとおごり高ぶる者ではなく、招かれる資格などないとへりくだる者たちに注がれていること、「まだ席があります。…私の家をいっぱいにしなさい。」と神が万事を備えてくださっていること、そこにあなたも来なさいと招いてくださっているとは、まさに幸甚の極みです。今日はいつも祈り深く謙遜な姉妹の転入会式といつも小さな教会を駆け回る子どもたちの祝福式がありました。午後は役員会でクリスマス&次年度に向けての話し合い、夕方は久しぶりにお会いするご家族としばしのお交わり、夜は青年たちと賑やかな夕食に…。今日も恵みいっぱいの主日でした。

横田めぐみさんを覚えて…

2021年 11月 13日 土

横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてからまもなく44年を迎えます。当時13歳だっためぐみさんは部活の終わった帰り道、自宅まで200mという場所で失踪しました。すぐに新潟県警や機動隊による懸命な捜索活動がなされましたが、拉致事件が判明したのはそれから20年も後のことでした。なぜこんなことが起きるのか…自分が悪いのか、先祖が悪いのか…絶望の淵に立つ早紀江さんに、ある宣教師が聖書を手渡しました。しばらく読む気にはなれなかったそうですが、ある時ヨブ記を読んで『私の苦しみがここにある』と教えられたそうです。その後、早紀江姉はクリスチャンとなり、その33年後にご主人の滋さんも病床洗礼を受け、天に凱旋されました。明日は滋兄の誕生日。苦しみの理由、それは人間には理解できません。しかし、主はご存知であり、ともに苦しんでおられる。今はただ、めぐみさんの帰りをひたすら待っておられるご家族のために心からお祈りしています。

関キ災・第五回懇談会…

2021年 11月 11日 木

今週月曜日に関西キリスト災害ネットワーク・第五回懇談会がありました。『この町に教会があってよかった。ー大規模災害災害に備えて、防災の視点でー』をテーマに田村治郎氏の講演を聴きました。今回の出席者は21名、ここまで累計で100名を超える先生方が出席してくださったことになります。本当に感謝です。災害はいつ起こるかわかりません…。南海トラフ大地震も今後30年以内の発生確率は70~80%と言われています。防災士の方も言われました。『もし天気予報で降水確率70~80%と言ったら当然備えをするはず。災害もこの感覚が大事です。』そして『地震10秒診断ーもしもあなたの町で地震が起こると?』『東京備蓄ナビ』という興味深いアプリをご紹介くださいました。無料ですので、ぜひお試しください。今日も教会ではハートフル英会話があり、大人クラスからは楽しそうな笑い声が聞こえ、キッズクラスにも新しいお友だちが来てくださって感謝でした。

ヨブの苦難から考える…

2021年 11月 10日 水

11月第二水曜祈祷会、ヨブ記29~31章。「あのとき」と幸いな生活を振り返り、「しかし今は」と悲惨な現状を語り、「私は自分の目と契約を結んだ」と自らの潔白を主張するヨブの姿を黙想しました。ヨブの幸いな生活の土台は、家族の多さや財産の多さの前に、神との親しい交わりがあったことでした。また、ヨブにとって最も悲惨な状態とは、神に向かって叫んでも、神が何もお答えにならないことです。次第にヨブは自分の潔白を主張することで、神の側に問題があることを訴えていました。神はなぜヨブをこれほどの苦しみにあわせたのか…。それは私たち人間には理解できないことです。でも、イエスさまは言われました。「しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。」十字架への道を歩まれたイエスさまは、試練がなくなるようにではなく、信仰がなくならないように祈られました。ここに一つの答えがあるように思いました。

主が招かれる食卓で…

2021年 11月 07日 日

11月第一主日、実るほど頭を垂れる稲穂かな…。ルカ14:1~、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」イエスさまは食事会に客として招かれた人たちにたとえを話されました。自分から上座に座ってはいけないこと。なぜなら、自分にはその資格があると心の中で思っている人は、反対に神の前で認められないからです。また、食事会に人々を招く主人にも話されました。もてなしをするなら、友人や家族やお金持ちよりも、貧しい人たちや体の不自由な人たちの方が幸いだということ。なぜなら、その人たちはお返しができないので、終わりの日に、神が報いてくださるからです。イエスさまが教えられたのは、単なる処世訓のようなものではなく、もっと深い霊的な真理、言わば御国での食卓の話しでした。今日は聖餐式の恵みにもあずかり、午後からは役員諮問会がありました。三人の兄姉の立派な信仰告白に心も体も満たされました。

かみさまのおうち…

2021年 11月 06日 土

『ここはかみさまがすんでいるおうちなんだよね』教会の前を通る小さなお子さんがお母さんと話しているのが聞こえました。ここに教会があることを地域の方が心に留めてくださっていたら感謝です。お掃除をしているとご近所の方と挨拶を交わしますが、なかなか教会には用事がなくて…信仰心もないし…でも、クリスマスには行こうかしら…と声をかけてくださる方もいます。ぜひ用事がなくても、信仰心がなくても、気軽に立ち寄って中を覗いてみてください。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」聖書の神さまは、人間が作った家にはお住みにはなりません。なぜなら神はこの天地万物を造られ、私たち人間を造られた方だからです。そのあまりにも偉大なる神さまのことを、どこで聞いたらいいのでしょうか。百聞は一見に如かず。ぜひ日曜日の礼拝に足を運んでみてください。

しかし、みこころは一つ…

2021年 11月 04日 木

11月の第一水曜祈祷会はヨブ記23章から。エリファズの三回目の語りかけも、ヨブを励ますことはできず不毛に終わりました。ヨブも根拠のない罪を責められ、もはやエリファズへの反論をあきらめ、神への独白のように語り出します。「ああ、できるなら、どこで神に会えるかを知って、その御座まで行きたいものだ。」人に理解されない苦しみを、ヨブは神ならきっとわかってもらえると思います。でも、どこを探しても神を見つけることができない…神は全くご自分を隠されてしまった…。ヨブの苦しみは、ここにありました。「しかし、みこころは一つである。だれがその御思いを翻せるだろうか。」神の計画は変わらないが、自分は神の前に黙ることはできない…神にこの苦難の説明を求めたいというのです。今日は祝日だったので、普段あまり来られない方も祈祷会に来てくださって深い分かち合いとなりました。難解なヨブ記を身近に感じることができたことを感謝します。

私の話しを聞いてください…

2021年 11月 01日 月

教会のデボーションはヨブ記21章になりました。二度目のツォファルの語りかけに対するヨブの答えです。絶望の淵に立つにヨブに、友人たちはなんとかして彼を慰めようと説得を試みます。そこでヨブはこの二度目の会話の終わりに、自分が必要としているのは安易な慰めの言葉ではないこと、ましてや説得や非難を受けることなどではないと訴えます。自分の語ることに耳を傾けてほしい…それを自分への慰めにしてほしい…と。友人たちの説得は、不幸が誰かを襲うのはその人が神と人間に対して罪を犯したからだ、悪しき者は裁きを受けるということです。ヨブの答えは、では…私は悪しき者なのか、悪しき者だって長寿を全うし、子孫も財産も与えられている、それが現実ではないかということです。あらためて祝福と繁栄とは何かを考えさせられます。困難の中でこそ、この世の価値観に振り回されないようにしたいものです。主は言われました。「心の貧しい者は幸いなり」

狭い門から入りなさい…

2021年 10月 31日 日

10月第五主日、今日も子どもからご年配の方まで多くの方々が集われました。1517年10月31日、ルターはカトリックの免罪符に対する反論として95ヶ条の公開質問状を張り出しました。このニュースは瞬く間に全ヨーロッパへ広がり、プロテスタントの狼煙ともなりました。そこから約500年の歳月が過ぎますが、日本のクリスチャン人口は未だ全体の1%にも満たない状況が続きます。まさに日本でクリスチャンになるのは狭き門と言わざるを得ません。でも、その狭き門を見出し、そこを入口として救いの道を歩み出す人は幸いです。狭き門とはイエス・キリストです。「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。」大事なのは入口です。宗教はみなどれも同じではありません。最初のボタンの掛け違いはその後ずっと間違えたままです。今日、苦難の中を通らされても、ともに歩む者は少なくても、あなたはわたしに従いなさいと主は招いておられるのです。

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